幕間 そして彼らは招かれる
幕間
娘の顔色が悪い。
皆、理解していた。
さっさと化け物を始末して戻るのだ。
戻らずとも、何処かで暖をとらねばならない。
娘が力を使う度に、その姿が朧になる。
娘の言う呪いのおかげで、彼らにはよく見えていた。
娘は、命を削っている。
その瞳から青白い光りが輝き、身の内からあふれると、娘が朧になるのだ。
小さな娘の瞳に青白い円が浮かぶ。
円は美しい装飾品の腕輪のように輝く。
それはクルクルと回転し、娘の体から同じ光りが流れ出す。
雨を呼び、雷を呼び、そして、死者を眠らせる。
すると、娘の姿が滲むのだ。
真面目くさった顔をした、小さな娘の姿が朧に薄れる。
薄れるだけではない。
姿の色までが消えていく。
それは朝靄のようであり、実体を持たない別の存在のようだ。
あの化け物どもやその世界のほうが、よほど現実味があった。
だが、娘は。
一人は愉悦を、一人は案じつつ、一人は怒りを表に出しつつ思っていた。
消える。
何処かで、納得していた。
娘は、精霊種だ。
精霊種とは、神無き時代の最後の救いと言われていた。
このような不浄な世界では生き抜けない。
人殺し共に囲まれて、真夜中に化け物探し。
不甲斐ない男に比べて、非力な娘の方がしっかりと考えている。
考えて沈黙し、消えるのだ。
潔すぎるではないか。
そんな娘の前で無様をさらすのは、男ではない。
自分達は何だ?
荒くれ者の兵隊だ。
女子供の後ろに控えているのが仕事ではない。
決して侮った訳ではない。
「南領の蜘蛛の巣の歩き方で、いいですかね」
蜘蛛の巣の縦横どちらかの糸は粘着力が無い。
爆発で粉々になった足下の砂利を巣に投げつける。
「同じ様だ。おっ、やっと気がついたな。つーか鈍いな」
もぞりもぞりと蜘蛛が向きを変えた。
巣と床の模様で遠近が誤魔化されている。
毛むくじゃらの足が大きい。
「アレってどっちが本体ですかね」
部屋に入り込みながら、男達は蜘蛛の糸に足をかけた。
粘着力の無い糸、幅広の縄に重みをかける。
靴底は滑る事も張り付くこともなく体重を支えた。
「アレに似たのがあったよな」
「..密林に生息する茸とは違うぞ」
「下のは、巣を張らずに毒液を吐くのに似てますよね」
言った側から、男達の方向へと茶色い粘液を蜘蛛が吐いた。
散開して、男達は目を見交わした。
とりあえず、斬る、潰す、焼くの手順に変わりはない。
野蛮な世界で幅を利かせるのは、暴力だけだ。
彼らは得物を抜いた。
その顔は笑顔だ。
背中を向けている娘には見えない。
決して見せない笑顔だ。
あえて似ているものを探すとすれば、猫が獲物を転がして遊ぶ前の顔だ。
初手は一人が蜘蛛の目の前に身をわざとさらした。
蜘蛛の赤い目が捉えると、毒液を吐きかけてくる。
それをかわして更に近寄る。
すると思ったよりも早い動きで食いつく動作をした。
蜘蛛の鋏角には仮死状態にする毒があるはずだ。
足場を感を頼りに走り抜けると、剣を振り抜く。
歩脚に当たる感触。
しかし、表層を斬るだけで手応えは今一つだ。
すると、その攻撃の仕返しとばかりに糸が飛んでくる。
避けるのに身を捻るが、そうすると粘着糸に踏み込んでしまう。
だが、そこで二番手が進み出る。
独特の身軽な足捌きで糸を渡る。
まるで平地を歩くかのような動きだ。
そうして、慌てもせずに大剣を頭上で振り抜いた。
風を切る音と共に、糸の追撃を巻き取る。
絡まるかと思ったが、粘着力の高い糸が刃に触れると霧散した。
くるりと手首を返す。
表面についた細かな残滓も、震えるように解けていく。
大剣としてはあり得ないほどの、研ぎが刃にかけてある。
濡れ震えるような刃が、異形の糸をバラバラする。
毒液が吐き出される前にと、男は休まずに攻撃を加えた。
硬質の音が二つ上がる。
二つの触肢が切り取られた。
断面から体液を吹き上げながら、異形の触肢が千切れ飛ぶ。
ここまでは、普通の蜘蛛と変わりなく、攻撃が通じた。
止めと口を狙うがここで蜘蛛の前肢が左右から襲いかかってきた。
毛むくじゃらの足には鋭い爪があった。
体を倒すと視界から外れる動きをとる。
ここで三番手の男が狙い定めていた口に剣を差し込んだ。
本来なら、口から刺し抜けば蜘蛛は動きを止める。
後は歩脚を落としてしまえばいい。
しかし、目の前の蜘蛛の赤い瞳が灰色に濁ると、急に弛緩していた人の部分が起きあがった。
突き刺していた剣を引き抜いて後ろに下がる。
男達は身を低くすると、それが目覚めるのを待つか、当初の予定道理燃やすかと伺う。
アーベラインの繭は未だに巣にある。
これを始末するか焼けばいいように思えた。
蜘蛛に生えた男が目を見開く。
赤みがかった金髪の男だ。
ぶよぶよと太っており、肌は不健康な蝋のような白さだ。
弛んだ瞼が開くと、濁った青い目が動く。
顔の頬には幾つもの脂肪の塊のようなイボがある。
涎をたらした唇が動いた。
あぁ忌々しい
どうしてあの男が選ばれる?
こうして、墓守りを捉えているのは俺だというのに?
しくじったあの男が後継だと?
あぁ忌々しい
どうしてあの男が生きている?
殺したはずだ、穴に落として喰われたはずなのに。
どうしてあの男が重用される?
あぁ忌々しい
あの女の居場所さえわかれば
喰って力を増やせるというのに
俺が最初に見つけたんだ。
本当は俺が..俺が
異形は、囲む男達を見やると、黄色い歯をむいた。
そして埋まる半身を蜘蛛の巨体から引き抜く。
ずるずると癒着する肉が引き延ばされる。
それは蜘蛛の背から蚯蚓のような下肢を引き抜いた。
腸のような醜い四肢が引きずり出されると蜘蛛は灰色になり干からびた。
背後で、ハッと息を吐き出す音がした。
(三つの顔に六本の腕、蚯蚓の下肢に万の蛆)
娘の言葉に答えるように、醜い異形は姿を変える。
青白い肉が蠢き、腕が生え伸びる。
あの山椒魚のような化け物と同じく四つに這う。
そして頭部には、鳥の顔と犬のような顔が肉を裂いてもりあがった。
(宮の客)
娘は恐れるように言った。
その間にも異形は下肢の管を大きくのばし、糸を引きちぎって床に落ちた。
アーベラインの繭玉は、部屋の隅へと転がっていく。
一人は繭玉を追い、残り二人は異形に斬りかかった。
丸太のように太い管が、絡みつくように躍り掛かる。
斬りつける。
断つ。
二人の剣が通り抜けると、醜い管が弾ける。
すると、娘の言うとおり、それは白い汁をまき散らす蛆の束へと変わる。
悪臭と蛆の雨に、慌てて二人は動きを変えた。
重い水音をたてて蛆の雨が床に散らばる。
それは向きを変えると、穴の縁にいる娘へと動いた。
だが、異形の頭部に近づこうと動き回る男達は気がつかなかった。
娘はその蛆の動きをじっと見ていた。
自分の足下に近寄る粘液にまみれた蛆を見ていた。
娘の瞳に青い光りが宿る。
その足下から幾重もの美しい模様をした輪が広がっていく。
蛆がその輪に触れる。
すると不思議な事に、蛆は小さな花に変わった。
小さな青い野草に変わる。
娘は奇妙な表情を浮かべていた。
そして男達が異形の首に剣を振り下ろすのを見つめた。
鈍い骨が折れる音と、ゴロゴロと頭が転がる音。
異形の肉が蛆に変わり、どしゃり、と床に広がった。
蛆は床にこぼれると、娘の方へと流れた。
薄暗い場所に床の小花が青く光る。
転がり落ちた異形の首が、男達を睨むと呟いた。
ここは?
異形が息絶えるとアーベラインの繭も霧散した。
男達はいつの間にか広がる花畑に立ち尽くす。
娘は、転がる異形の頭部の前に座った。
娘の顔が別人に見える。
酷く冷たい表情だ。
すると男達の視線に気がついたのか、娘は言葉を紡いだ。
(この頭部を公爵様に見せましょう。身元を確かめる事で何かわかるはずです。)
「お前、この化け物が何だかわかるようだな」
それに娘は男達を見上げた。
(何をされたのかは、理解しています)
「どういう意味だ?」
「頭を処理しますよ。戻りながらでいいでしょう?」
異形を紐を使って担う。
入り口の穴を潜りながら振り返ると、部屋は相変わらず奇妙な夜空と滝の音がする。
地下の世界だというのに。
だが、それよりも、娘の表情が気にくわなかった。
抱え上げられた娘は、顔色も悪く、いつにも増して表情が暗かった。
男達は足早に道を戻る。
改めて、この地下の世界が嫌になった。
あの奥の青い花を見ると、背筋が冷たくなるのだ。
そうして、戻り道で娘の話を聞いた。
呪術には、基本の法則が多々ある。
呪陣法というものだ。
その一つに、先んじて置かれた呪陣で利用された供物は、二重に使うことができない。というものがある。
つまり、二重の担保利用ができない。
しかし、人を供物にする場合、その重複は可能になる場合がある。
呪術を利用する時に指定するのだ。
供物の切り売り。と、いう具合か。
これは家畜などではできない。
魂や命の概念をある程度理解できる存在でなければ、重複は無理になる。
指定する。つまり、儀式毎に血を肉を魂を寿命を、記憶をと分けるのだ。
ただし、このような分割指定をしては、大きな呪術の対価としては不十分である。
そして、この大原則、供物の二重担保ができない。という性質には例外がある。
先に述べたように分割指定をする場合。
それと呪術の犠牲になる事により、理の裁定によって新たな条件が生まれた場合。
蜘蛛と人の異形に何があったのかはわからない。
只、人が生け贄となり(呪術なのか魔導なのか)術の糧、供物になったに違いない。
そして認識(この場合は地下に踏み入れた者)により、供物が役割を変えた。
するとその瞬間から、適合すべき指向性が付与されたのだ。
簡単に言えば、生け贄になり変質した存在が、観客という認識を得て化け物になった。
同じ異形という事に変わりはないが、と、娘は言うが、その顔色は悪い。
何を考えているのか、その瞳は鏡のように光り、それ以上は何も言わなかった。
「それがお前の言う、三つの顔か?」
萎びた鳥の顔と獣の顔、舌を垂らした人面をつり下げると男達は嫌そうに言った。
娘の暗い表情は、泣きそうに見えた。
外へと続く穴を見上げ、男達は実感する。
異形の最後の言葉。
青い花。
娘の語る言葉を頭から疑わなくなっている事。
天井に取り付き、登り上がる。
娘には悪いが、彼らには恐れも悲しみも無かった。
早く娘を暖める事と、そして..
変化した感覚と力を試す事だけを考えていた。




