ACT189 モルソバーンにて 其の九
ACT189
石壁の通路は左へと曲がっている。
壁に使われている石材は、大小様々な大きさの石を漆喰で固めていた。漆喰の罅や変色からは、それほど過去に造られたようには見えない。
年月の侵蝕が表にでていない?
もしも、この地下の構造物が、マレイラの始祖の争いの後に造られたとしたら、もう少し古びていてもいいのではないだろうか。
それとも、争いの後から、後年に墓を造ったのだろうか?
考えてみれば、争いの後に、何かが起こったからこそ、墓を造ったと考えた方が自然だ。
争いがあり領土を三分割し、そして、何かが起こり墓を造った。
領土分割に際して、魔導の構造物を見つけたのかもしれない。
そこで、遺骸の念入りな始末と、構造物の機能を無くす為に墓を造った?
または、この墓の存在を知る者が、日々、眠る者を鎮める為に、きれいにしていた?
墓守り?
姫の墓は強固な造りと守りで、破壊できなかった?
墓守りは既に殺害されているが、墓は無事だった。
このモルソバーンのアーベラインは、この墓が破られた事を知り、彼は家族と逃げようとした?
アーベラインは墓守りなのか?
何れにしろ、アーベラインの口から話を聞ければ疑問は解消する。
しかし、彼の魂は無事に戻れたろうか?
領域の癒着が解消された事で戻れたろうか?
その疑問に対する答えは、直ぐに得られた。
(糸だ)
暗い通路に風が吹き、その中空に糸がゆらゆらと揺れていた。
漆喰の壁からいきなり糸は生え延びている。
糸はどうやら、侵蝕した領域が影響を与えた物とは別のようだ。
糸の先は、通路の奥へと続いていた。
「ここはどの辺りだ」
聞くともなしのカーンの言葉に、誰も答えられない。
モルソバーンの地下である事は確かだが、戻ろうにも、印もなにも今となってはわからない。
通路は時々段差があり、それを登り上がっては左に徐々に曲がる。
もしかすると、最初に向かった方向が、ぐるりと左に回り込んで、街の中心へと向かっているのかもしれない。
ただし、あの蟲が這い出た柱の方向と、楔の通路の位置が現実と対応しているとは限らない。
そうして、何者にも出会わずに通路を進んでいると、やがて一筋の光りが通路に差し込んでいるのが視界に入った。
通路の遙か先に、一筋、青白い光りの帯が見える。
歩を進める内に、それが通路の天井から差し込んでいるのが見て取れた。
吹き抜ける空気の冷たさに、それが天井の穴であるとわかる。
私達は歩みを早めると、その光りの帯に向かった。
(星灯りですね)
ぽっかりと開いた穴からは、夜空が見えた。
暗闇にいたので、真昼のように明るく感じたが、実際は控えめな星の灯りであった。
「方角は西だが、市街地には思えないな」
穴の縁からは黒々とした岩肌が見えた。
モルソバーンの街の中という感じではない。
「外に出ますか?」
「ここから出るとしても、糸の先を見てからだな」
私達は暫く空を見ていた。
地下の淀みが、存外辛かったようだ。
開放感を得ると共に、視界の糸が不安に思えた。
この世の物とは思えない。
領域の癒着で顕現したのではないとすると?
最初にアーベラインに触れた時の恐怖は、凄まじい物であった。
この先にある物は、愚か者が呼び込んだ何かだろうか?
愚か者が作り出した物ではない事だけは確かだ。
つまり?
「何を考えてる?」
問いに六つの目が私を見る。
私は観念すると、こめかみを擦った。
(領域の癒着が解けた。つまり、未熟な術を私達は破壊した。なのに、アーベラインの糸は残っている。この糸は何だ?)
「お前がわからねば、我らには想像もつかん」
イグナシオの答えは尤もだ。
(領域の癒着がなくなり、物質化した化け物が残されたとしても、空間を歪ませる程の技が残るだろうか?
糸は、壁を突き抜けている。そして、魂という理の中でも我々の感覚で捉える事ができない物を縛っている。
縛る、では、これは術の糸だ。
だが、アーベラインに触れた時に、糸はこの世の物とは思えない。と、感じた。では、何がこの糸の先にいる?)
「つまり、さっき迄の化け物とは別のが、この先にいるのか?」
(簡単に言えば、不条理な存在がいると考えるべきでしょう。そして、たぶん、虚仮威しではないでしょうし、我々の行動を知っているでしょう。ただし、それが敵対するかどうか、理が通じるかどうかは、謎ですが)
「敵では無いのか?」
(ソレが何かにもよると思うのです)
「ソレってアレかなぁ」
ザムが首の毛並みをかきながら、唸った。
「何だかわかるのか?」
「うーん、感なんですけど。たぶん、敵だと思います。」
ザムは私を見ると、困ったように付け加えた。
「敵って言うか、もっと単純な感じだと思うんですよ。」
「良かったな、焼けるぞ」
カーンの言葉に、当人はイソイソと装備を探っている。
「逃げ道も確保できたし、多少はいいよな」
「おう」
不穏な事を言い合う二人に、私は何となく言いそびれた。
もし、話し合いができる相手なら、焼かなくてもいいのではないだろうか?
ソレが何であれ。
通路の穴から暫く進む。
すると、壁の石が切り出された同じ大きさの物になり、黒くくすんだ装飾のついた梁が目に付くようになった。
相変わらず枝葉の通路は無く、一本道だ。
気温はどんどん下がっていく。
濡れ、汗をかき、冷えるという悪条件だ。
私の服は、肩の部分を食いちぎられている。
そこから中に雨水が染み込み、汗をかき、今は冷えた。
歯の根が勝手に震え始める。
私の体調が下降線をたどるのを感じ、カーンは抱え直す。湿気はあるが外套を巻き込むようにしてくるむ。
「雨が止むほど下にいたんだろうか」
次元の異なる領域にいたのだ。
実際、同じ夜だと断言できない。
勿論、あの程度ならば、同じ夜だろう。
あの程度。
奥歯を鳴らしながら、自分自身の思考の統制が怪しくなっている。
私が私である事が、軛となるはずなのに、何もかもがわからなくなる。
私が大切にしている考えや思いも、壊れてしまうのだろう。
魂を縛る術?
少なくとも、私は自ら魂を捧げると決めた。
このような糸で縛りつけられているわけではない。
宮の主と同じような質の者?
この理に含まれる異界の神の子供?
構造を異界から借り、中身をこちらで造る。
構造をこちらで創造し、中身を異界の物で造る。
偽物の楔ではなく。
神と人の子供は?
再び闇に沈む通路を進む。
すると急に通路の天井が高くなった。
見上げる首が痛くなるほどの高さになり、変わりに通路の幅は狭くなった。
そして、通路の先には縦に大きな扉があった。
通路の最後は、青白い扉である。
天をつくとも見える高い扉。
その扉には真鍮で不思議な紋様が刻まれていた。
宗教画の後光のような線が描かれ、中心に太陽があった。
糸はその扉を突き抜けている。
手をかけると扉は薄く開いた。
激しい風の音。
大きな空間が広がる。
人工的に切り出した岩の断面が見えた。
ゴツゴツとした岩肌と切断面が、木組みのように天井まで続いている。
断面を風が行きすぎると、啜り泣くような音になる。
不規則な凹凸が床を埋め、天井は鍾乳洞のように波打っている。
凹凸は奥に行くほど高くなり、その天井近くに祭壇があった。
祭壇は壁に設えられており、岩がくり抜かれ、中心に像が彫られていた。
像は女神だろうか、うつろな表情の立位だ。
風が吹き込んでいるのだ、流れ込む場所があるだろう。
私達は、岩肌を登った。
ある程度の高さになり下を見ると、この場所が人の手で造られた場所だとわかった。
不規則に見える凹凸も、人が中々天辺に登る事ができないように、隙間や高さに整えられていた。
私一人なら、縄も杭もなければ登れないだろう。
祭壇の近くの石は階段のようになっているが、私の
背丈を優に越える段差だ。
そして、相変わらず囂々と風の音がする。
アーベラインの糸は石段を越えて、像の方へと泳いでいた。
私はこの部屋が終着点だとばかり思っていた。
だが、糸は風の音の方向へと流れていく。
怖い。
本能的な感覚だ。
この先には、怖いものがある。
死ぬまで忘れられそうもない景色を見るだろう。そんな予感だ。
今まで通り抜けてきた、悪夢のような景色と比べる意味は無い。
だが、たぶん、怖いものだ。
私はやっと温みを覚えた場所で、奥歯を噛んだ。
登り切ると女神像は荒削りで、本来なら木訥とした風合いなのだろう。だが、こんな場所で見ると、奇妙な気味悪さを感じるだけだ。
供物の置き皿には何も乗っていない。
風は像の両脇の穴から聞こえる。
漏れそよぐ風も感じる。
私達は穴に顔を寄せるとのぞき込んだ。
菱形の床材、優美な柱の彫刻、元は典雅な大広間という感じだろうか?
向かって左手には崩れた崖から水が落ちている。
飛沫をあげる滝は、奈落の底に消えていた。
正面は広間の天井も床も無く、そこからは空しか見えない。
私達は穴から見る景色に、目を疑った。
正面の景色は、胸苦しい程の茜の空なのだ。
明らかに、そこは異界である。
しかし、先ほどの腐れた世界とは違っている。
滝の水しぶきにしろ、茜の空にしろ、すべて、私達の時間と異なる以外、おかしな物はないのだ。
糸はその広間の中心、崩れた床の縁に続いていた。
それは中空に漂い、もぞもぞと動いている。
何もない場所で、それは複雑な動きを見せている。
「入り込んでみるか?」
この幻視に踏み入るのは危険だと感じた。
「イグナシオ、ちょっと挨拶をかませや」
考え込む私を見て、カーンは促した。
イグナシオは懐から胡桃程の大きさの玉を数個取り出した。
片手でもみ込むようにすると、かちかちと罅の入るような音がする。
それを軽い動作で穴から中に投げ込んだ。
穴から離れると壁に体をつける。
床に触れる音がしない。
只、何かこもった音の後に、光りがはしる。
小さな玉にしては大きな破壊音と衝撃が体を揺らす。
どれだけ爆薬や火薬玉を持っているんだろう?
焚き火の番と食事当番は無理だな。と、全然関係のない事が浮かんだ。
「予想道理って事かな」
ザムの気の抜けた言葉で、私達は再び穴をのぞき込んだ。
崩れた部屋の様子はそのままに、景色は夜となり、そして糸の中心には、奇妙な姿があった。
幻視は消えたが、これほどの爆破をしたというのに、その奇妙な姿は、私達を見もしない。熱心に今取りかかっている作業に没頭していた。
「予想って何だ?」
カーンの問いに、ザムは眉を寄せている。
「これが南領の奥地なら、糸っていったら、アレじゃないですか」
「確かになぁ」
イグナシオは、腰から火薬の計量用の短刀を引き抜くと、粘土状の爆薬を壁に仕込んでいる。
のんびり語るカーンとザム、どことなく嬉しそうなイグナシオに、私は脱力した。
私を見て、彼らは、どこかしょうがないなぁという表情をしている。
「そりゃ女子供は嫌うよなぁ、ああいうの。まぁ普通の奴じゃないだろうが」
異形であり、根本原理のわからない存在、未知の物への恐怖も畏怖も、女子供の好き嫌いで纏められるのは不本意だ。
(旦那方の常識には、あのような異形が普通に見えるんですか?油断しないでください。)
「安心しろ、油断している訳ではない。我々は、毒蟲を焼くのは得意だというだけのことだ。」
(あれが毒蟲ですか?)
三人がさもそうだと言わんばかりに頷いた。
私が間違っているのだろうか?
私の目には、次元を越えて人の魂を捉える魔物にみえるのだが。
彼らには、アレが単なる毒蟲にみえるようだ。
巨大な蜘蛛の巣の中心に、アーベラインの形をした靄がある。
その獲物の体に牙を刺しては毒液を流し込む巨大な蜘蛛。
赤い沢山の目と黒い毛の生えた巨大な蜘蛛。
そしてその蜘蛛の腹から、奇怪な姿が生えていた。
醜い姿に成り果てた人の、男の上半身だ。
おおよそ毒蟲とは思えないのだが。
私の考えを余所に、イグナシオは穴を広げるべく火薬の筋を引き延ばす。
そして穴から離れ、岩の影へと回り込む。
嬉嬉として火薬に火を放つのを眺めながら、思い悩む自分が馬鹿に思えるのだった。




