ACT188 モルソバーンにて その八
ACT188
彼らは似ていた。
だが、異形には長い爬虫類めいた尾があった。
そして、その体は全て、甲冑めいた外皮も含めて黒く光っていた。
頭部を覆うツルリとした兜と下顎の部分が、どうみても癒着しており、喉元や皮膚らしき灰色の部分と甲冑も同じく継ぎ目が無い。
似ているが、それは外皮と思える。
亀の甲羅のように、それが体の一部を構成しているのが見て取れた。
カーン達が武器を抜くと、異形も武器を構えた。
鏡の中のように、それらは同じ動きをして対峙する。
違うのは、尾がうねり、醜い歯を噛みしめては鳴らす音だ。
私は後ろに下がりながら、目をこらした。
この異形を構成する文字が見えない。
汚れた気配はする。
もしかしたら、完全な異界の生き物なのかもしれない。
構成する文字も紋様も濁り淀み、滲んでいる。
その形は何もかもが曖昧で、それでいて濃い。
人の貌をとっているが、根本の材料は全く別なのかもしれない。
なのに、不愉快なほど人に見えた。
カーンが剣をくるりと回す。
すると、彼と対峙した異形も武器を回した。
その武器は金属と言うより、やはり、何かの骨のように見えた。
三者は異形と対峙し、少しづつ位置を動く。
私は、その戦いになんら助力はできそうもないと、早々に、その後ろにある角錐へと目を移した。
私の位置からは、黒い影しか見えない。
威嚇しあうカーン達を回り込むように、壁にそってジリジリと近寄る。
幸いにも、彼らの位置どりにより、カーンの背後を動く。
少し近づくと、その角錐が不規則に動いている事がわかった。
動いている。
厭な予感に、私は歩みを止めた。
太さは大木程度。
暗闇の中で、黒い影が蠢く。
覚悟を決めてグリモアを通して見る。
これは今までの取り込まれた人々とは違い、生きていた。
歪な人の言葉が見える。
断絶し、混在し、少なく見ても十人以上の人を構成する紋様が見える。
男、女、子供、大人、老いている者、病んでいる者、たくさんの人が見えた。
私は口を両手で押さえると、目を見開いた。
しっかりと、その姿を目に映す。
領域が混じる場を作るのが、この人の角錐なのだ。
人の肉と魂の構造を、生きたまま組み替える。
この構造その物が入り口になるのだ。
だから、死んだ生き物では駄目だ。
生きて変容し、構造を異界に合わせるのだ。
こちらの領域の生物を使い、無理矢理橋を架けるのだ。
これと同じ話を知っている?
異界より橋をかけたモノ。
異界より、女と交わり、神は滅びに沈んだ。
宮の主は言った。
過去、人は選んだ、と。
そして宮の怪人達は言った。
目覚めの齋である、と。
理は崩れ、新たな理を得るには、齋をせねばならない。
汚れを落とし、神につかえねばならない。
神に、否、神という理を選び、命を捧げねばならない。
そして、どのような存在になろうとも、私は必ず、選ぶだろう。
そして、愚かにも、このような存在を呼んだ人間を許しはしない。
己が何をしようとしていたのか、その罪深さを刻みつけ、相応しい罰を与える。
それが私の驕りであろうと、これだけは許さない。
欲をかくのも人であるだろう。
人を憎むのもそうだ。
だが、この世界を浸食する悪意は、まったく別の話だ。
どんな人間なんだろう?
公爵を殺そうとした事よりも、アーベラインを拷問した事よりも、この領域への冒涜が許し難い。
吹き上げるような憤怒の元は、一つだ。
もし、滅びの神を呼ぶならば、全てを捧げて呼ぶがいいのだ。
だが、どうだ?
この無様さは?
こそこそと画策し、誰かの命を奪い捧げる。
それも自らは隠れて。
では、呪術師たる先達は、これをどうするか?
グリモアの知識が教える。
どうするか?では無い。
どうしたいか?だ。
善良な者ならば、この呻く肉の塔を燃やすだろう。
愚かな者ならば、カーン達が守護者を倒すのを待つだろう。
賢い者ならば、両断して終わらせる。
では、邪悪な者ならば、どうする?
邪悪なるグリモアを内包する、私は?
軽く剣を打ち合うと、カーンは少し後ろに下がった。
同じ動きを正確に返してくるようだ。
それを見て取ると、今一度カーンは手首をくるりと回した。
構える。
そして、ふわりと一歩踏み出すと、ゆっくりと剣を水平に振った。
ゆっくりと見えたが、その踏み込みと振りは神速の域であった。
異形も同じ動作をするが及ばず、その頭部は勢いよく跳ね飛んだ。
切り口から黒い血液が吹き上がる。
倒れ伏す体を避けると、再び後ろに下がった。
その傍らでイグナシオが異形の腹を抉った。
堅い手応えなのか、剣は深々と突き刺さって動かなくなった。
舌打ちをすると、イグナシオは相手を力一杯蹴り飛ばした。
ぐしゃり、と、嫌な音をたてて異形は壁で潰れた。
潰れて殻が割れたのか、死骸からは黒い血があふれた。
ザムは剣の握りを持ち替えた。
逆手に握ると、奇妙な構えをとった。
敵も同じく構える。
皆が見守る中で、ザムは逆手にもった剣を引き回した。
胸の高さで振り抜く。
相手も同じく切りつけてくる。
それを角度を変えてかわすと体を入れ替える。
そしてそのまま剣を振り抜き回転をするとすり抜けた。
異形はそのまま倒れた。
顎下から短刀が頭蓋に向けて突き刺さっていた。
体を入れ替えた時に、反対の手に短刀を持ち、死角から刺し抜いたようだ。逆手の剣は囮だ。
「手応えがないですね」
異形から短刀を引き抜きながら、ザムが言った。
すると、それに答えるように倒れた異形の体が蠢いた。
蠢き体表が波打つ。
打ち倒された他の二体も同様に、その肉が蠢く。
体液を滴らせながら、それは寄り集まる。
「虚仮威しか」
寄り集まった肉は変異し、長虫のようになると足を突き出して這い逃げていった。
(本物ならば、私達は即座に死んでいるのではないでしょうか)
「偽物って事か?」
(構造は近いのでしょうが、作り出した者が稚拙なのです。真に魔導師であるのかは、疑わしい。呪術師としても三流以下。人としては只の臆病者でしょう)
「それがお前の意見か?」
(魔導師とは、理を壊すもの。そして、その欲望は人の望みとは隔絶している。それを考えれば、公爵に敵対する者に組みするのが魔導師であるとは思えない。彼らなら、もっとおぞましい事を淡々と、そして堂々と行うでしょう。隠れる事無く、人を生きたまま異形とするでしょう。)
「まるで賞賛しているようだな」
(賞賛ではないですよ。単に、中途半端な事をする愚か者に、怒りがわくのです。高い志を持たぬ者の我欲が、ひどく憎く感じるのです)
「それはお前の感情なのか?」
カーンの言いたいことはわかっている。
それに答える事ができないことも。
「これを焼けばいいのか?」
イグナシオが角錐に近寄る。
側に寄り、その人の塔を眺める。
塔は、人の体を黒い物で固めて繋げていた。
人の白い皮膚と黒い蝋で固めた奇怪な彫像。
老若男女が様々な姿で塔を作る。
目を閉じる者、口を開く者、笑う者、泣く者。
人を大きな手で握り潰して作った塔。
そして彼らは半死のままだ。
「生きているが」
(生きているのが重要なのです。今、彼らの体は、私達の世界と、異形の世界の接点になっているのです。意識は私達の場所に、体の構造はほぼ、異界にあります。彼らを焼けば、おそらく魂はこちらに戻り、理の循環に戻れるでしょう)
「では」
(ですが)
私は、塔にそっと手を置いた。
それは冷たく、息をする人々とは逆に、酷く冷たかった。
(ですが..送り出す前に、私は因果律による対価を要求したいと思うのです。)
「どういう意味だ?」
私の中の、否、私は哄笑する。
悲しみと苦しみの象徴を前にして、気が狂ったように笑う。
「オリヴィア!しっかりしろ、オリヴィア!」
私を揺する手に、笑いを納める。
(彼らの命を償うのは、私達ではありません。彼らの苦しみと絶望と、そして失われた時間に対する償いを、支払いをさせねばなりません。)
「何をする気だ?」
お花が咲くよ。
繰り返しテトが言う言葉、異形が言う言葉。
花が咲く。
(この事を為した者を、誰も知りません。名無しの卑怯者です。ですが、この塔に集まる命は少なくとも因果律により、その卑怯者と繋がるでしょう。一人と一人ならば望みは薄くとも、まやかしとはいえ、ここまでの楔を作ったのです。彼らを陥れた相手との間に、どんなに隠そうとも、因果の道は通じている)
困惑する三人に、私は宣言した。
(償いは、彼らを供物とした者が負う。
その者は、罪人の印を魂に刻む。
印は、何処にあっても、花が咲くように見える。
人の世でも、死した後でも、そして、どのような時の中でも。
花が咲き、印となる。
人の世にあれば、罪人として憎悪を向けられ。
死した後なれば、獄卒の目を引く。
眠りの中なれば、己が罪に追われ、安らぐことは無い。
花が咲く。
皆の恨みを苦しみを、その者の業として負わせるのだ。
私は見届けよう。
その者の末路を。
死ではない。
苦しむことを願おう。
これは、巡る世界の理である)
私は楔を撫で、そこに絡まる異界の領域を解く。
(逝かれた方から焼いてください)
椿の花のように、人が落ちてくる。
私は解けて落ちる人を一人ずつ送り呪う。
一人送る毎に、私達のいる場所が音をたてて軋んだ。
軋み闇に光りが漂う。
するとせめぎ合う境界が広がり、重なるように背後の景色が浮かぶ。
暗い灰色の石壁だ。
焼く毎に風が吹き、気温が下がる。
温度は下がるが、息を吸うとそれが地上の夜気であり、私達の知る甘い空気である事がわかる。
解かれた人は、不思議そうに辺りを見回すと、あっさりと事切れる。
それから四肢に纏わりつく黒い物が溶けて行き、むき出しの傷が、断たれた手足が露わになる。
それは異界に連れてこられた時には、既に命を奪うほどの傷を負っていた証拠だった。
カーン達は、ぼろぼろと崩れ転がり落ちる人を受け取ると、火を放った。
油薬は青白い炎を風の中で立ち上げ、あっという間に骨にする。
哀れな骨は、焼かれたはずなのに、白く、その山を高くする。
焼いて焼いて、立ち上る煙は風に流されていく。
私は、ひたすら呪う。
単純な昔ながらの呪いだ。
人殺しと企む者に報いをと、一人一人重ねていく。
その誰かは、隠れて企む者は、その守りを失うだろう。
名無しの卑怯者が、考える逃げ道は、無駄だ。
卑怯者が魔導の者ならば無理だが、只の人ならば、この理の中にある愚か者ならば、証拠などなくとも、呪われ惨めな末路となるだろう。
楽しみだ。
花が咲いた姿は、さぞや滑稽だろう。
私は、最後の人が手の内に転がり落ちてくるのを待った。
最後の人は、目を閉じた少年だ。
活発そうな日に焼けた額、賢い顔つき。
少年は目を少し開くと、私を見た。
不思議そうに、何か口を動かすと、直ぐにその瞳は白く濁った。
少年の胸から下は、既に失われていた。
私は呪いを施すと、カーンに渡した。
少年は、あっという間に炎に消える。
地下道は風が強く吹き抜けていた。
暗い地下道と骨の山。
異形の姿も、せめぎ合う領域の境界も無い。
風の音以外、静かだ。
静かで、酷く虚しい気持ちが募った。
理解した事がある。
低俗な模倣である人の楔を見て理解した事だ。
呪術と魔導、そもそも、グリモアとは魔導の書物だ。
オラクルは理の中から、グリモアを作り出した。
正確には、材料は自分の領域の物を利用し、構造理論は異界の物であるのだ。
嘗ての人が選んだ、滅びに沈んだ神の知識がグリモアだ。
つまり、使う者の意志と、そのあり方が、呼び名を変えているに過ぎないのだ。
私は、魔導という禁忌の力を得ているが、それを理にそって使うのならば、呪術なのだ。
呪術師であり死霊術師であるのだ。
それはこの世界を素晴らしいと感じており、人を誰かを好み生きていて欲しいと願う限り変わりはしない。
つまり、魔導師とは、この世界に絶望し、人を憎み、死滅してしまえばいいと願う者なのだ。
ボルネフェルトは、絶望していた。
だから、彼は腐土を生み出した。
逸脱したのだ。
理の中で作られていても、構造は魔導の物だったグリモア。
だから、彼は変質したのだ。
そして、今は還元された。
勿論、魔導師までは至らなかったからだ。
これが世の正しい人々が呪術師を忌避する理由の一つだ。
呪術師は、魔導師となる要素があるのだ。
だからこそ、名無しの卑怯者は、魔導師でもなければ呪術師でもない。
欲に狂った醜い者だ。
正に、我らの敵だ。
美に対する敵だ。
我らの、敵。
私の抱える狂気の輩は、純粋なのだ。
純粋に、一身に希求する者なのだ。
善悪ではない。
邪悪であれども、全てを捧げるのが本道なのだ。
理に有る無しではなく。
そういう意味では危ういともいえるだろう。
邪悪でおぞましい異界であっても、それが純粋な恐怖や至高の技術で構築されているならば、私達は賞賛するのだ。
だから、私達は確信する。
名無しの卑怯者は、虚栄と自尊心ばかりの愚かな人間だ。
自分以外は馬鹿者に見える。
呪術と魔導、どちらかの知識を何か偶然で手に入れたのだ。
その絵図面は、愚かで、正しい結果を知らない。
そうだ。
この鎮護の道行きが、魔導の輪になれば、このマレイラがどうなるか、知らないのだ。
たぶん、名無しは、自分が全てを手に入れて、王にでもなると思っているだろう。
実際は、違う。
この土地は呪われ魔導の力が理の領域を押しのける。
そして、異形と死人の蠢く異界になるのだ。
もし、私がボルネフェルトのように、同族に絶望していたとしたら、この愚挙に対して、何ら手出しをせずに笑って結果を待つだろう。
名無しの卑怯者は、愚挙の末にマレイラともども自滅するからだ。
だが、私は同族、血族の縁が薄くとも、少なくとも己を育てた人々には恨みなど無い。どんな理由で私を育てたとしても、彼らを信じさせるだけの年月があったからだ。
彼らの生きる世界を美しく感じるし、今、この時を、今知り得ている人々の誰をも憎んではいない。
マレイラが愚挙の末に滅び、更に異界と繋がれば、それだけ私の知り得た人々の命が脅かされる。
それは嫌だ。
今でも十分、この世界は美しいのだ。
ありのままの世界は、既に調和を得ているのだ。
私は、嫌なのだ。
そして、その選択肢は、どちらの結果をもグリモアは肯定している。
私が嫌だとしても、グリモアの一部となれば、どうしてもそれに添う行動を選ばされてしまう。
常に複数の意志が合意を求めるのだ。
勿論、私が意識を強く持てば、グリモアを下す事はできる。
だが、それもグリモアの嗜好の範囲の中での事だ。
滅びを笑って見届けるのも、弱体させ理への流れを作り出すのも、どちらでもグリモアはいいのだ。
そして、グリモアに喰われた人々は、同じく滅びを望んでいる。
グリモア本来の、魔導の性質をおびるのかもしれない。
だから、常に反対意見の中で、叫んで挙手し、人を生かしたいのだ、と、言い続けなければならない。
「オリヴィア」
膝をつき、燃える炎を見ていた。
嘘をつきたくないと思った。
でも、最後は嘘をつくだろう。
嘘をついたら、また、怒るだろうな。
そう考えながら、差し出された手を握った。
立ち上がり、辺りを見回す。
薄暗い通路。
そこは静かで、私達は風に吹かれていた。
「どっちに向かえばいい?」
(風上に向かいましょう。領域の混在は解消されたようです。モルソバーンの怪異は、実体を得た化け物以外は消えたはずです。)
「実体を得た奴は残ったのか?」
(それも見えるようになれば、野生の動物程度の驚異でしょう)
唸る男に私は肩をすくめた。
(群で襲ってこなければ)
「あの外見を民が見たら、それだけで腰を抜かすと思うが」
(見えれば、怯えも半減するでしょう。モルソバーンの人々が恐怖したのは、見えない何かです。そして見えれば、それは只の害虫と同じです。叩き潰せばいいのです。)
暫く、人の焚き火を見つめた。
そうして、燃え尽きるまで見届ける。
「怒ってるのか?」
その問いの意味が分からずに、相手を見上げる。
(私に失望したのでしょう?)
「違う。俺の器の小ささに、嫌気がさしたんだろ?」
私達の会話は、まったくこの場にそぐわなかった。
「詰って悪かった。お前は嘘をついたんじゃない。言えなかっただけだ」
(違いますよ。私が浅はかでした。)
「お前に嘘をつかせるのも、言えずに沈黙させるのも、結局」
(違う)
遮って、私は握った手を額にあてた。
申し訳なさに頭が下がる。
(頼みます。どうか、いつも通り私を怒ってください。旦那は間違っていません。私は嘘つきです。)
私の言葉に、カーンは沈黙した。
「もういいだろう。そろそろ火も消える。」
呆れたイグナシオの声で沈黙は断たれた。
「反省したならそれでいいだろ。それからカーンは、いい歳をして何時までも拗ねるな。」
それに握られた手を解くと、カーンは私を抱え上げた。
私を見つめると、小さく息を吐いてから、笑った。
「..お前に真っ当な事を言われると、釈然としない」
「失敬だな、で、どっちに行けばいいんだ?」
私は夜気のする風上を指した。
「腹が減りました。ともかく先に進みましょう」
ザムの訴えが本気になっている。
傷と獣化で体が活性化しているのだろう。
ザムは抱えられた私にニコリと笑顔を向けた。
「肉が食べたいです。たぶん、今なら味付けしてなくてもいけます」
獣化したまま言わないでほしい台詞だった。




