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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
204/355

ACT185 モルソバーンにて 其の五

 ACT185


 不快な音をたてて、異形の燃え殻が降る。


 ザムは私を立たせると、壁の向こうを用心深く覗いた。


「誘爆はしなかったぞ..多分」


 イグナシオの適当な言い訳が苦しい。


 工房の外観が無い。

 並ぶ炉に直接雨があたり、厭な音をたてている。

 吐き気をもよおす臭気。

 火薬と塵の燃えるような臭い。

 黒煙。

 そして火の粉が舞う。

 雨が蒸発して湯気が立つ。

 豪雨で街中へ炎は降りなかったが、資材は未だに高温の熱を発している。


 確かに誘爆はおきていない。


 ただし、早々の鎮火は溶ける石材を見るに難しいだろう。

 モルソバーンの産業は大打撃だ。

 だがまぁ、化け物が跋扈していたら、産業も何も無いのだ。

 これはこれでしかたがない。


 一撃で化け物が消し炭である。

 どれほどの爆薬を撃ち込んだのだろう?

 一番の不思議は、爆破した本人だ。

 辺り一帯、炎が舐め尽くすような状態を作り出したのだ。

 平然としているが、どうやって爆風と炎を避けたのだろう?

 そこここに転がる死骸は、消し炭のように黒くなり骨格だけが散らばる。

 その骨の様子には、やはり人間の名残が見て取れた。


(人体に直せば、二匹で一人か?)


 違和感も、喪失感も失せてしまった。

 救いは、その失われたという事が記憶から消えなかったことだろうか?


「すごいな、どこからこれだけのもんが湧くんだ?」


 瓦礫を蹴り上げると、カーンが這いだしてきた。

 イグナシオは忌々しそうに炎を睨んでいる。


「どうだ、喉は?」


 問いかけにイグナシオは応えず、二発目の火薬を筒に詰める作業を続けている。

 ザムは片手を上げた。

 出血も止まり、獣化していれば問題ないようだ。


「アーベラインの糸が見えない。燃えちまったか?」


 炎に空気が薄くなり、息苦しさが増していた。

 私は辺りを見回した。


「街も騒がしいが、どうするんだ?」


「街の奴らが何とかするさ。公爵は手筈通りだ。問題は、オリヴィア、何をやった?」


 当然の問いに、私は天を指さした。


 男達は空を見上げた。


「俺にも見える。お前は?」


 イグナシオの問いかけに、ザムが頷いた。


「オリヴィア?」


 アーベラインの糸は切れずに、幅を広めて夜空に漂っていた。

 それは炎に煽られるように揺らめき、徐々に漂い降りてくる。


「これが糸か」


「見えるようにしたのか?」


 私は、観念すると頷いた。


 懸念を伝えるべきだとわかっていた。

 見えるようになった。

 だから、見えなくてもよいものが、皆、見えるようになった。

 今までは無害な物も、見えれば害になる。

 見えない一つの物から身を守るために、多くの敵をつくった。


 と、言えるか?


「後で時間を作る。嘘はつくなよ。まずは糸の先を手繰る。どうせ、この化け物の元もそこなんだろ?」


 雨が血を洗い流し、炎を弱めていく。

 時折、思い出したように、何かが弾けて壊れた。

 街の家々も、灯りがつき、潮騒のようなざわめきが聞こえる。


「肩を喰われた様子はないな」


 痛みのような強い感情は、伝わりやすい。

 私の中が凪いでいる事を知っているので、言葉にだしても確認している訳ではない。


「来い」


(動きの邪魔になる)


「もう此奴等も見える。大丈夫だ、来い」


 差し出された腕に身を任せると、首に手を置いた。

 高くなった視界は、緋色に熱をためる加工材がよく見えた。


「念のため、もう一発撃ち込んでおく」


「工房の炉が割れたら下の家々が大惨事です」


 普通に喋れるようになったのか、ザムが雨水で血を洗いながらイグナシオに言った。


「汚れた物は焼かねばならん」


「下の人家は無人じゃないんですよ。たまたま類焼しなかっただけなんですから」


 イグナシオの形相を見て、カーンに目配せをした。


「ナシオ、多分、この糸の先には、もっと面白いもんがあるぞ。それを焼けや」


 舌打ちをすると、何故かイグナシオは私を見た。


「本当か?」


 本当だったら厭だな。






 糸は途切れる事無く続く。

 加熱し半ば溶けかかる資材の間を、私たちは進む。

 熱と炎で闇が退けられたが、空気が薄く暑い。

 それでも、この熱と炎がある限り、異形の姿は見えない。


 幾つもの資材の山を抜けると、焼けた工房とは別の、古い建物が目の前にあった。

 炎もここまでは到達していない。

 薄暗い中に、青白い塔が見える。

 入り口は扉がなく、坑道のように建物は穴が開いている。

 見たところ元々は工房のようだが、古くなり放棄されたようだ。

 資材の置き場にしているのか、乱雑に物が置かれている。

 建物の一階部分の窓からは、埃にまみれた用途の分からない物が散乱しているのが見えた。

 近寄って見ても、建物の入り口には扉は無い。

 音をたてて降る雨から、軒の下に入る。

 入り口からのぞき見た中は、闇だ。

 床を見れば、埃。

 否、虫の足跡は無数にある。


 糸は入り口から奥へと伸びていた。


 イグナシオが先に入っていく。

 どんよりとした空気。

 湿気と冷気。

 そこに微量の臭いを感じた。


「何の匂いだ?」


 感度が上がった五感に、彼等はあたりを見回している。


 腐臭とは少し違う。

 獣臭さだ。

 獣の巣の匂いというのだろうか?


 慎重に糸を辿り、奥へと進む。


 物音一つしない。

 気配もだ。

 だが、生き物の気配とは別に、闇が濃くなっていくのを感じた。

 闇が深く蜷局を巻いている。

 光が射さないから暗いのではない。

 目を閉ざす何かが降り積もり、視界が無い。

 夜目が利くはずの我々にも、己が周りだけぼんやりとわかる程度だ。

 灯りをつけても、この何かが晴れるとは思えない。

 泥の中にいるような感じがする。

 ただ、水や泥の中のように息が詰まる事はなかった。


 私たちは、四人ともわかっていた。


 何かに、見られている。


 得体の知れない何かに見られている事を確信していた。


 例えるなら、耳元で息がするのだ。

 触れる近さで。


 イグナシオは無意識に耳を立て、カーンは喉の奥を鳴らし、ザムは時々背後を見た。


 未だ全てが見えないと言うのなら、モルソバーン異形はグリモアの力を上回るのだろう。


 邪悪という意味で。




 雨音が遠くなり、建物の一番奥の扉に糸は消えている。

 扉は青銅のような色合いで、無愛想な文字で金庫室と札が下がっていた。

 扉には大きな錠前がついており、それが扉の上下に一つづつ下がっている。

 イグナシオが蹴り壊す前に、ザムが錠前に手を伸ばした。

 奇妙な形の棒が下がった輪を取り出すと、簡単に開ける。

 簡単すぎて、兵士は鍵開けもできるのだろうか?等と馬鹿な事が浮かんだ。


 扉は音をたてずに開いた。

 ここが放棄されてからの時間はわからないが、少なくとも金属の厚い扉に油をさす者がいるらしい。


 室内は、簡素な机に帳面の詰まった棚、奥に大きな金属の金庫が置かれている。

 何れも古びており、室内に窓も無く、ほこり臭かった。

 小さな部屋で、何も無い。

 机の上にある、溶けて残り少ない蝋燭に、ザムが火をつけた。

 糸は部屋の奥、方角からすれば、多分北西方向の壁に向かって伸びている。

 イグナシオが、壁を探り拳で軽く叩く。

 カーンは扉近くの棚に詰まった帳面の背を確かめた。

 古い取引帳簿らしい。


「さて、何が入っているかな?」


 ザムが錆びた金庫の鍵を弄っている。


「壁は相当の厚みがある」


「糸が続いている。何か仕掛けがあるはずだ」


「他の部屋を見た方がいいだろう」


 カーンとイグナシオの会話の間に、ザムが鍵を開けた。

 皆を手招くと、金庫の扉に手をかけた。


「開けますよ、まぁ、空でしょうけど」


 両開きの金属の扉を手前に引く。

 中は書類をいれる木製の小引き出しと段が二段になっていた。

 小引き出しには物は無く、棚には四つの壷が置かれていた。


 男達は、その壷を見て、急に顔色を変えた。


(どうしたのです?)


 私の問いかけに、カーンは唇に人差し指を当てた。


 部屋から出ていこうとしていたイグナシオも動くのを止めた。


 私はあらためて、壷を見た。


 四つの壷は、丁度塩を入れるような大きさの物である。

 素焼きの壷で、表面には素朴な模様が描かれている。


 壷は四つ横並びに並んでおり、左から、人、猿、鳥、犬の紋様が描かれている。


 と、ここまで見て取ってから、私は改めて、それが何であるかに気がついた。



 臓腑の壷だ。



 特に古い地域の人族の風習で、人が死ぬと内臓を四つの部位に分けて埋葬する。

 死者が黄泉の国より戻り、復活する際に必要な物としてだ。


 これはあの娘達が内臓を抜かれて始末された事に通じる。


 臓腑とはとかく儀式の元になる。


 本来、内臓と死体は一つにして埋葬するといい。

 もちろん、失われてしまうのはしかたがない。

 ただし、故意に分断してはならないのだ。


 長い戦で死体の欠損などあたりまえである。

 だから、体が粉砕されようとどんな死に方であろうと、それは問題ではないのだ。


 つまり、儀式として使用する事が禁忌なのだ。


 もし、埋葬してあるこうした臓腑の壷を見つけたならば、人は手をつけてはならない。


 何も、儀式や呪術云々の問題ではない。


 これは墓を荒らしたという証拠なのだ。



 迷信という段階で考えるならば、もし、あらぬ場所で臓腑の壷を目にしたらどうするか?


 一般的には、口をきいてはならず、目にした物に触れてはならず。と、いう話だ。


 カーン達が動きを止めたのは、子供でも知っている迷信の所為である。迷信の中でも有名で、縁起が悪いことの一つだ。

 今更、大人の男が信じるも信じないも無いような迷信だが、見えない化け物に食いつかれた後である。

 流石に彼等も、厭な気分だろう。


 そして私の所為で、迷信を迷信として退ける事ができなくなった。

 私が壊した理の一つが、早速形として出てきたという訳である。




 臓腑の壷は、勝手にカタカタと身を揺らした。




 ザムがギョッとして扉を閉ざそうする。

 だが、扉は動かない。

 イグナシオが駆け寄り、扉に手をかけた。


 小さな笑い声と囁き声。

 それが聞こえて、私は力を抜いた。

 笑い声は、無邪気なもので、我々の理にそっていた。


「焼くか割るか?」


 唸るカーンに、私はため息をついた。


(からかわれているんですよ。驚いたから)


「お前等、離れてろ」


 クスクスと笑う声は、完全に小馬鹿にしていた。


(おろしてください)


 カーンに言うが、イグナシオの手には既に油薬が握られている。


(何でも燃やさないでください)


 声が聞こえた訳では無いが、見やると彼は投げるのを止めた。


 私は壷の前に行くと、問いかけた。


(貴方様はどなたか?)


 問いかけには答えが無く、クスクスと小さな笑いがこぼれる。

 よく見ると、壷には小さな影が蠢いていた。


(そこな影よ、この方は誰か?)


 小さな人の形の影は、壷から少し動くと、積もった白い埃に触れた。


 埃は形を変え、古い言葉を綴った。




 うぬは何処の娘御か?




(私は、ヨルグアの娘。このお方は何故ここに?)




 知らぬ。




(お戻りになる場所はおわかりか?)




 否




 臓腑の壷を前に、私はうっすらと、筋道が見え始めていた。

 何が起こり、何が始まり、何が終わったのか。

 グリモアとなり、初めて見え始めた事がある。



(この方をお連れしてもよろしいか?)


 影はクスクスと笑い、消えた。






(これを持ち出したいのですが?)


「これを運び出すそうだ。割れないように、袋か何かを探してくれ」


 カーンが厭そうに言うと、ザムは部屋から出ていった。


「こんな物を持ち歩く気か?」


(置いて行けば、祟るでしょう。あるべき場所にお連れしないと、後々、大きく障る事に)


「祟る?」


 カーンの言葉に、イグナシオが珍しく飛び上がった。


「祟るのか、娘」


(多分)


「カーン、何て言ってる?」


「あ~、うん。まぁ。こいつが一緒なら大丈夫?かもな」


「...」


 じっと見つめられる。

 イグナシオが苛つかずにいると、こちらが落ち着かなくなる。不思議なものである。

 そして私を見てから、何故か頭を振る。

 どう見ても、こいつを信じる?冗談だろ。と、いう感じだ。


(言うとまずいんですか?)


「この辺り一帯を火の海にしたら、先に進めないだろうが」


(確かに)


「布で巻きましょう。それから縛って袋に」


 ザムが調達してきた布を受け取ると、壷を手に取る。

 見た目より軽く、中身は既に干からびていそうだ。

 それを丁寧に包み紐で縛る。

 携帯している皮袋に詰めて、自分で背負おうとすると、ザムが取り上げて自分の腰に巻いた。


「自分が運んでも問題ないですよね?」


 多分、大丈夫だろう。

 祟るといったが、敵意は薄い。





 部屋の壁を探ったが、金庫を置いておくぐらいだ、入り口の扉以外に出口は無い。

 しかし、アーベラインの糸は壁を突き抜けている。

 この部屋はどうやら端に位置しており、この壁の先は外郭と壁が癒着している。しかし、その外郭も空洞ではない。

 石材が積み上げられており、そこを洞窟のように穴が掘られて続いているとは考えにくかった。


 行き止まりである。


 しかし、糸はしっかりと続いている。


 可能性はいくつかある。

 空間をねじ曲げている。

 もしくは、領域を干渉している。

 一番簡単なのは、この部屋に仕掛けがあり、単に見落としてるだけという事だ。


 私は少し疲れたので、この部屋の椅子に腰掛けていた。

 蝋燭がもうすぐ燃え尽きる。

 等と、ぼんやりとしていた。

 カーン達が棚や、物を動かしているのを、ぼんやりと見ていた。

 蝋燭は、後、少しで燃え尽きる。


 木の椅子と机。


 部屋はぼんやりと明るい。


 開けられた金庫。


 古ぼけた棚。


 私の影。


 カーン達の影。


 動く度に壁に影が踊った。


 ぼんやりとしばらくそれを見ていた。


「どうした?濡れたから冷えたか」


 カーンは手袋をとると、私の額に手をあてた。


 その肩越しに蝋燭の灯りが影を揺らす。




 影は、椅子から立ち上がると、棚のところへ向かい、しゃがみ込んだ。




 誰の影だ?

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