ACT183 モルソバーンにて 其の三
ACT183
アーベラインの一族は、気が狂っていた。
人別を照らし合わせると、半数が失踪、残り二分の一が原因不明で死亡。残る少数は言動が異常。
公爵の表情が仮面のようになった。
モルソバーンの私兵の姿は無い。
街の防衛は、民が苦肉の策として自警団を組織している。
幸いな事に、民は一応正気のようだ。
だが、エンリケが早急に民の健康調査をするとした。
凶暴性を発揮した暗緑色の外衣の男、男達は、何れも元はアーベラインの官吏である。
エンリケが注目したのは、言動と行動に異常が見られるのが、シェルバン人では無く、コルテス人であるという事だ。
もし、同じく変異体感染の証拠が見つかれば、限定の感染状況ではなく、人族全体の、それも長命種にも感染可能であるという事になる。
アーベラインの一族は、長命種なのだ。
病に強いとされる、獣人と長命種。
その長命種に変異体の寄生虫が入り込むとなれば、事は重大である。
シェルバン人の感染者が準人族であるという事実が、ある程度の現場の管理ができると踏む理由でもあったのだ。
これが証明されれば、浄化が現実味を帯びる。
私はカーンの側で静かにしている。
アーベラインの寝室から出て以来、胸が苦しい。
胸が重く息が苦しいのだ。
多分、身の内の者が私を掴んで揺さぶっている。
脳髄を揺らし、私の意識を奪おうとしていた。
身の内のグリモアが、私に話かける。
私は呑まれまいと歯を食いしばった。
(我の声を..我の言葉を)
今は館の中の人が集められ、一人一人改めている。
調べがついたのなら、このモルソバーン全体を改めなければならない
そして、私は糸の先へと行かねばならない。
(我はグリモア、オラクルが望みし力也)
街の取りまとめ役の数人も、館に呼び集められていた。
そして、一番安心できる男の側にいる。
静かに側にいて、意識を内側に向けていた。
グリモアの声までもが伝わるのを恐れたのだ。
(主の導きにより、我、今一度グリモアとしての力を戻す)
身の内の囁きは小さく、それでいて今までとは違う響きをしていた。
(人、選択の後、理を守る事を選ぶ。しかし、三人の男が虚無を受け入れる)
虚無?
(虚無、すなわち、第四の領域也。その狭間より力をふるう)
魔導師のことか?
(オラクルとは予言也。オラクルよりグリモアを生み出す。グリモアとは魔導の書なり。では、魔導とはなんぞや?)
死霊術の元?
(否、グリモアとは再現するものなり)
死者との橋渡しをする術ではないのか?
(グリモアとは、魂を写し取り、再現するものなり。その力の源泉を理とするならば、調律する力也)
調律する力?
(理より調律する力。その力を得る者は呪術師也)
源泉の違い?
(是、狭間より混沌とする力。その力を得る者を魔導師とす)
呪力と魔導とは同質?
(否、魔導を受け入れる即ち、無に喰われし者なり)
問答に理解が及ばず、私は眉を寄せた。
全てが同じであるように聞こえた。
(僕は、死霊術師だった。
でも、魔導師ではなかった。
同じ人殺しでも、何が違うかな?
その違いが、このオラクルのグリモアと彼らのグリモアの違いだよ。
そうだよ。
彼らは僕達と同じ力を使う。
でも、違う。
つまり、グリモアの構造は同じでも、素材が違うんだよ。
そして、その素材が使用者の末路を変える。
僕は、半不死、不完全なる者。
君は、生きてる。供物として歩む者。
彼らは?
よく考えてごらん。
不死の王は、完全なる者。
だけど、オラクルのグリモアを必要としない。
何故なら、彼は理に力を縛られない。
だが不死の王は、完全なる調和を描く。
何故なら、力は理に縛られないが、王は理の内にあるからだ。
だが、彼らは?
よく考えて欲しい、供物の女。
供物とは何か?
我々が邪悪だとして、その存在は不要かな?
よく考えて欲しい、僕たちは敵かな?
よく考えて
君は知っている、僕なのだから
君は理解している、オラクルの唄を歌うのだから。)
「オリヴィア」
詮議の間から、いつの間にか人は消えていた。
残っていた私を、白い瞳がのぞき込んでいた。
私は、ぎこちなく笑い返した。
(君は僕。
唄を歌う者。
呪の唄を歌う者。
死者と共に。)
では、彼らは?
アーベラインが眠りにつくと、使用人の多くが解雇された。
だが、アーベラインの世話をする娘が一人残された。
元は下働きの娘だ。
アーベラインの家族とはそれなりに面識がある。アーベラインの孫の襁褓などを洗い乳母に渡す等していたからだ。
ただ、それまでいた家令は解雇され、古参の侍女はいつの間にか消えていた。
日に日に、館の中の人間がいなくなる。
とうとう、アーベラインの世話をしていた老女がいなくなり、娘が下働きをやめて、世話係となった。
娘はなるべく館の主の側で過ごし、館の中でも、そして街の中でも目立たぬように過ごしていた。
「どうしてだね?」
公爵の前でひれ伏す娘は、下を向いたまま答えた。
「消えた方々は、皆、御館様の事を心より心配していました。そして、一族の方々が、愚かな振る舞いをすると、諫めておりました。」
「彼等が消えたのは、一族の者に逆らったからかい?」
何処までも優しい声に、娘は、下を向いたまま頷いた。
殆どの者を拘束し、やっと会話が成り立ったのが、下働きや料理人などだけだった。
それも皆、暴れ回る外衣の者やアーベラインの一族を恐れて口を開かない。
この娘が口を開いたのは、家族がおらず、このモルソバーンから放逐されるのを覚悟しているからだ。
「領兵の方々も戻りませんでした」
「戻らない?撤収したのか?」
「いいえ、これまでどうり、モルソバーンの土地を巡回し警備していました。ですが、領地内に奇妙な事がおきました。その対処に向かうと、兵隊が消えるのです。」
「奇妙な事とは何だ?」
「狩りに出た者が戻らない。子供が消える。行商の者が殺される。それを探しに行ったり助けに行った兵士が、戻らないのです」
「それで?」
「数が減り、領兵の方々は、本拠地へと助けを頼みました。ですが返事がありません。そこで、彼らは纏まった人数で向かう事にしたのですが。それ以来音信が無いのです。」
「ずっとか?」
「はい。そこで許される事ではございませんが、街の者で自警団をつくりました。そうして外には出ずに、街の中に人を留めました。しかし、行商も商人の隊列も、ここ数ヶ月は途絶え気味、皆、不安に。」
「関には行かなんだのか?」
「関に行くことを禁じられました。つい最近、補充の三公兵がここを行き過ぎましたが、官吏の方々に、訴える事を禁じられたのです」
「あの者達はいつから、ああなのだ?」
「もう、随分と前からです。」
「人別を調べたが、アーベラインの一族が随分と行方が知れぬのだが、知っているか?」
娘は、少し考え込んだ。
「顔を上げなさい。王国の兵士を呼んだ。もう、恐ろしい事はおきない。彼らは強く見えるだろう?ちょっとやそっとの事では、彼らを負かす事はできない。まるで、山の神のようにね」
娘は、少しだけ顔を上げると、公爵の側に控える獣人兵士を見た。
特に強面の兵士が控えている。
何しろ先ほどまで、頭の腐ったような者を取り押さえたり、殴りつけたりしていたからだ。
娘の視線に、内心、兵士達はあせったのだろう。
ニヤリと極悪な笑顔を浮かべた。
それにカーンの腕が少し動く。
笑いを堪えたのだ。
私は、娘が泣くのではと思った。
だが公爵のお陰か、娘は少し笑顔になった。
「どうだい。心強いだろう?」
「はい、宗主様。」
「話は戻るが、行方知れずになった者の状況を話してくれるか?」
糸は、アーベラインの部屋の窓から外に続いていた。
私を抱えたカーンを先頭に、イグナシオとザムが続く。
私達四人がアーベラインの館を出たのは、夜も更けた頃だ。
雨が未だに降っており、モルソバーンは暗く沈んでいる。
公爵の元に人を残し、今夜はこの館の周りに兵士を纏めた。
何がおきても、公爵とサックハイムを確保し逃げる。
別段、モルソバーンが滅びても、アーベラインが死んだとしても、彼らには痛手では無い。
兵力を削らず、公爵を本拠地へと送り届ける。
そうしながら、原因を探求するだけだ。
ただ、闇雲に奥地に向かう事は馬鹿げている。
だからこそ、このモルソバーンの怪異に決着をつけねばならない。
イグナシオとザムだけなのには、理由がある。
簡単に言えば、逃げ足を早くする為だ。
彼等二人は、決断から行動までが早い。
特に、予想外の事に対しても即断できるのだ。
認識から行動までの時間が短く、肉体的にも足が速く腕力もある。
もし、某かの事がおき、モルソバーンを放棄する場合、あの高い外郭を越えるとすれば、この二人なら特に問題ない。
常に最悪の事態を考える。
正しい事だが、どうしても不安になる。
私達は、灯りを持たなかった。
カーン達は夜目がきくし、私もだ。
糸は窓を突き抜け、表の木立に続く。
どういう絡繰りになっているのか。
目隠しとは言え、ここまで目を誤魔化せるのは、この糸の次元が違っているのか、存在を誤認する力が働いているかの二つ一つだ。
考え方としては、ボルネフェルトが言う、構造は同じだが素材の違いにより、人の理に馴染まない。
我々の世界の素材との違いにより、認識できない。
そして、構造が同じ故に、認識できれば干渉できる。
つまり、呪術の方法論と同じなのだ。
暗闇の中に白い糸が続く。
見える私達には、その糸の手触りがわかる。
だが、イグナシオやザムにはわからない。
だから、糸を通り抜ける事ができる。
私達にはできない。
これは限界の設定をもうけたようなものだ。
飛べると知らなければ、鳥も飛べないのと同じだ。
糸は、アーベラインの館から裏の木々を抜けて、一つの木に巻き付き、方向を変えていた。
方向を変えた糸は、街の中へと続いている。
夜になると、街には人影は無い。
灯りもなければ、自警団の者も外へは出ない。
娘の語る、怪異、人がアーベラインの一族が消えたのは、夜の時間だった。
元々、モルソバーンは、昼夜無く石材の加工をしていた。
だから、街には灯りが点り、店は開き、明け方まで人が行き来をしていた。
夜働く者は朝家に帰り、昼働く者は朝に出る。
行商が必ず立ち寄り、石材の商売に商人が隊列を組んで訪れる。
モルソバーンは、コルテス領の端とは言え、中々に賑わっていたのだ。
ところが、夜に人が消えるという事が起き始めた。
アーベラインは、領兵と共に、自分の私兵や護衛を使い、人が消えると街の中や外を探した。
だが、見つからない。
煙のように、家から道から、街の至る所から人が消える。
そこで、アーベラインは、夜の就労を取りやめ、兵士を街のそこここに置いた。
しかし今度は、アーベラインの一族が屋内で消える。
アーベラインは、一族を自分の館に集め護衛で固めた。
原因はわからない。
暫く、人の消えるのはおさまる。
だが、今度は街に訪れる商人や、街の外の狩人が殺されるという事が続いた。
アーベラインは、コルテス領の公爵本領地へと助けを求めた。
彼は、領地が攻撃を受けていると確信したのだ。
そして、その助けを求めて直ぐ、何故か彼は家族を連れて街の外へ出た。
遠出をする様子は無いが、息子夫婦と孫、それに護衛を引き連れて関の方へと向かった。
そして事故にあった。
その後は、娘の語る通りに、兵士までもが消えた。
雨が降る街並みは静かだ。
家々は鎧戸を閉じ、灯りの漏れる様子もない。
糸は暗い街中に、青白い線を闇に引く。
家々の戸口や壁にある、あの紋様の意味がわかった。
人が消えるようなり、闇から何かが襲いかかる。
そう考えた民が、昔ながらの魔除けを飾ったのだ。
神の鉄槌、神罰を恐れて邪悪な物が近寄らぬようにと。
マレイラの宗教は、神聖教の亜流とされている。
だが、実際は別宗教である火焔教だ。
宗教骨格は殆ど同じであるが、偶像を崇拝し、神官の代わりに僧侶が、巫女のような者は存在せず、女の僧侶、尼が神に使えている。
善悪論は、神聖教とは逆である。
人は善也が火焔教であり、人は悪也が神聖教だ。
そして、神聖教との一番の違いは、このような大きな街だというのに、僧侶が一人だけなのだ。
神聖教が政治や軍事にまで関わるオルタスにおいて、彼等は、現世とは距離を置いている。
この為に、彼等は精神的な支えや、救済の活動を行うよりも、己が精神世界の探求に勤しむ求道者のようだ。
そして、この街の僧侶も、既に行方がわからなくなっている。
縋る者がおらず、いつの間にか人々は昔の呪い(まじない)を思い出して家々に飾ったそうだ。
「オリヴィア、こいつらにも、見えるようにできないか?」
カーンは立ち止まると言った。
静まりかえった街角で、糸が三方に分かれているのだ。
私は、無理だと答えようとした。
(できるよ)
短い応えに、私は目を剥いた。
(君は、できるよ。
嫌がるのは、君の我が儘さ。
見えずに、この者達が喉笛をかみ切られてもいいのかい?)
黙れ。
(汚染されて見えるより、見えてから染まる方が、失わずに済むよ。
知ってるだろう?
君は僕だから知っているよね?
僕が何を言いたいか、わかってる。
君の利己主義が、最大の障害だ。
どうせ、このままこの世は腐り始める。
生き残るのは、魔を従える者だけさ。)
黙れ。
(理論がわかっているから、そう思うのさ。
だが、彼等とは違う。
魔導師なら、彼等の魂は粉々に分解されてしまうだろう。
粉砕し別の生き物にする。
だが、僕達は違う。
彼等の持ち物を増やすだけだ。
何故なら、僕達が必要なのは、人の魂であって、変質した何かではないのだから)
黙れ!
私は傍らの男に言った。
(左の糸がアーベラインの魂に繋がっている。他は違う。皆が別々に行動するのはダメだ)
「そうか」
糸を追うと、その先は石材加工の工房の坂道に続いていた。
材料となる鉱石の山が堆く積まれている。
その山を横に道を登る。
急な坂道の両脇には、加工した石材を卸す手押し車が置かれていた。
墨で描いたような視界で、手押し車が雨に塗れて光る。
その光りの元を探すと、坂の上の大きな建物に、小さな灯りが見えた。
(人がいるのでしょうか?)
糸は、その灯りの方向へと続いていた。
坂の頂上は、外郭の天辺に近く、物見の塔もよく見えた。
だが、今現在、物見の塔は用をなしていない。
初めは自警団の者を置いたが、やはり、朝には姿が見えなくなる。こうなれば、見張る意味も無い。
右手には工房の受付のような箱型の建物がある。
正面は見える限り石材の山。
左は工房のようだ。
灯りは入り口の受付のような建物からだ。
糸は、石材の山の奥の方へ消えている。
私達は、閉じられていた鉄格子の扉を横に引き開けた。
錆びたような音を立てて扉が動く。
中に入り込み、灯りのついた窓へと近寄り中を覗いた。
小さな蝋燭に炎が揺れている。
小さな机には帳面が開かれているところを見ると、誰かがここにいたようだ。
ザムが足下を指さした。
ぬかるんだ地面に足跡がついている。
それが工房の方へと続いていた。
「一応、中に入り込む事を断っていくか?」
面倒そうなイグナシオの言葉に、カーンが暫し考え込んだ。
「何だか、妙な感じだ」
「何がです?」
「こう、背中がムズムズする」
それにイグナシオが辺りを見回した。
ザムも暗闇に目をはしらせる。
私は、泥に沈んだ足形を見ていた。
酔ったようにふらついている。
それが、工房の途中で消えていた。
雨に流されたのか?
(オリヴィア、観念しろ)
突然のボルネフェルトの笑いを含んだ言葉に、私は顔を上げた。
何?
(ここで終わりかな?)
終わり?
(はやくしないと、間に合わないよ。)
何を..
(割り切れ、そして、己が愚かさを背負え。でないと死ぬよ)
私も周りを見回した。
(お前の男が言ったろう?
己が罪を背負う覚悟が大事だと。)
何も見えない。
(さぁ、君も僕と同じ道を行くのさ。
覚悟を決めるんだね、かわいそうな供物の女)
何を?
(さぁ、その時がきた!)
笑い声とともに、私の視界いっぱいに、異形が溢れた。
(見えない者も、彼等は傷つけられるんだよ。だって、彼等は理に従うものではないからね。見えないから安全?ご冗談を!あははははは)
彼等には見えない。
彼等には
それは見えない死だ!
謝っても、取り返しがつかない。
私は..




