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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
202/355

ACT183 モルソバーンにて 其の三

 ACT183


 アーベラインの一族は、気が狂っていた。



 人別を照らし合わせると、半数が失踪、残り二分の一が原因不明で死亡。残る少数は言動が異常。


 公爵の表情が仮面のようになった。


 モルソバーンの私兵の姿は無い。

 街の防衛は、民が苦肉の策として自警団を組織している。

 幸いな事に、民は一応正気のようだ。

 だが、エンリケが早急に民の健康調査をするとした。


 凶暴性を発揮した暗緑色の外衣の男、男達は、何れも元はアーベラインの官吏である。


 エンリケが注目したのは、言動と行動に異常が見られるのが、シェルバン人では無く、コルテス人であるという事だ。


 もし、同じく変異体感染の証拠が見つかれば、限定の感染状況ではなく、人族全体の、それも長命種にも感染可能であるという事になる。


 アーベラインの一族は、長命種なのだ。


 病に強いとされる、獣人と長命種。

 その長命種に変異体の寄生虫が入り込むとなれば、事は重大である。

 シェルバン人の感染者が準人族であるという事実が、ある程度の現場の管理ができると踏む理由でもあったのだ。


 これが証明されれば、浄化が現実味を帯びる。






 私はカーンの側で静かにしている。

 アーベラインの寝室から出て以来、胸が苦しい。

 胸が重く息が苦しいのだ。

 多分、身の内の者が私を掴んで揺さぶっている。

 脳髄を揺らし、私の意識を奪おうとしていた。


 身の内のグリモアが、私に話かける。

 私は呑まれまいと歯を食いしばった。


(我の声を..我の言葉を)


 今は館の中の人が集められ、一人一人改めている。

 調べがついたのなら、このモルソバーン全体を改めなければならない

 そして、私は糸の先へと行かねばならない。


(我はグリモア、オラクルが望みし力也)


 街の取りまとめ役の数人も、館に呼び集められていた。

 そして、一番安心できる男の側にいる。

 静かに側にいて、意識を内側に向けていた。


 グリモアの声までもが伝わるのを恐れたのだ。


(主の導きにより、我、今一度グリモアとしての力を戻す)


 身の内の囁きは小さく、それでいて今までとは違う響きをしていた。


(人、選択の後、理を守る事を選ぶ。しかし、三人の男が虚無を受け入れる)


 虚無?


(虚無、すなわち、第四の領域也。その狭間より力をふるう)


 魔導師のことか?


(オラクルとは予言也。オラクルよりグリモアを生み出す。グリモアとは魔導の書なり。では、魔導とはなんぞや?)


 死霊術の元?


(否、グリモアとは再現するものなり)


 死者との橋渡しをする術ではないのか?


(グリモアとは、魂を写し取り、再現するものなり。その力の源泉を理とするならば、調律する力也)


 調律する力?


(理より調律する力。その力を得る者は呪術師也)


 源泉の違い?


(是、狭間より混沌とする力。その力を得る者を魔導師とす)


 呪力と魔導とは同質?


(否、魔導を受け入れる即ち、無に喰われし者なり)


 問答に理解が及ばず、私は眉を寄せた。


 全てが同じであるように聞こえた。






(僕は、死霊術師だった。

 でも、魔導師ではなかった。

 同じ人殺しでも、何が違うかな?

 その違いが、このオラクルのグリモアと彼らのグリモアの違いだよ。


 そうだよ。

 彼らは僕達と同じ力を使う。

 でも、違う。

 つまり、グリモアの構造は同じでも、素材が違うんだよ。

 そして、その素材が使用者の末路を変える。

 僕は、半不死、不完全なる者。

 君は、生きてる。供物として歩む者。


 彼らは?


 よく考えてごらん。

 不死の王は、完全なる者。

 だけど、オラクルのグリモアを必要としない。

 何故なら、彼は理に力を縛られない。

 だが不死の王は、完全なる調和を描く。

 何故なら、力は理に縛られないが、王は理の内にあるからだ。


 だが、彼らは?


 よく考えて欲しい、供物の女。

 供物とは何か?

 我々が邪悪だとして、その存在は不要かな?

 よく考えて欲しい、僕たちは敵かな?


 よく考えて


 君は知っている、僕なのだから

 君は理解している、オラクルの唄を歌うのだから。)







「オリヴィア」


 詮議の間から、いつの間にか人は消えていた。

 残っていた私を、白い瞳がのぞき込んでいた。

 私は、ぎこちなく笑い返した。


(君は僕。

 唄を歌う者。

 呪の唄を歌う者。

 死者と共に。)



 では、彼らは?





 アーベラインが眠りにつくと、使用人の多くが解雇された。


 だが、アーベラインの世話をする娘が一人残された。

 元は下働きの娘だ。

 アーベラインの家族とはそれなりに面識がある。アーベラインの孫の襁褓などを洗い乳母に渡す等していたからだ。

 ただ、それまでいた家令は解雇され、古参の侍女はいつの間にか消えていた。

 日に日に、館の中の人間がいなくなる。

 とうとう、アーベラインの世話をしていた老女がいなくなり、娘が下働きをやめて、世話係となった。


 娘はなるべく館の主の側で過ごし、館の中でも、そして街の中でも目立たぬように過ごしていた。


「どうしてだね?」


 公爵の前でひれ伏す娘は、下を向いたまま答えた。


「消えた方々は、皆、御館様の事を心より心配していました。そして、一族の方々が、愚かな振る舞いをすると、諫めておりました。」


「彼等が消えたのは、一族の者に逆らったからかい?」


 何処までも優しい声に、娘は、下を向いたまま頷いた。

 殆どの者を拘束し、やっと会話が成り立ったのが、下働きや料理人などだけだった。

 それも皆、暴れ回る外衣の者やアーベラインの一族を恐れて口を開かない。

 この娘が口を開いたのは、家族がおらず、このモルソバーンから放逐されるのを覚悟しているからだ。


「領兵の方々も戻りませんでした」


「戻らない?撤収したのか?」


「いいえ、これまでどうり、モルソバーンの土地を巡回し警備していました。ですが、領地内に奇妙な事がおきました。その対処に向かうと、兵隊が消えるのです。」


「奇妙な事とは何だ?」


「狩りに出た者が戻らない。子供が消える。行商の者が殺される。それを探しに行ったり助けに行った兵士が、戻らないのです」


「それで?」


「数が減り、領兵の方々は、本拠地へと助けを頼みました。ですが返事がありません。そこで、彼らは纏まった人数で向かう事にしたのですが。それ以来音信が無いのです。」


「ずっとか?」


「はい。そこで許される事ではございませんが、街の者で自警団をつくりました。そうして外には出ずに、街の中に人を留めました。しかし、行商も商人の隊列も、ここ数ヶ月は途絶え気味、皆、不安に。」


「関には行かなんだのか?」


「関に行くことを禁じられました。つい最近、補充の三公兵がここを行き過ぎましたが、官吏の方々に、訴える事を禁じられたのです」


「あの者達はいつから、ああなのだ?」


「もう、随分と前からです。」


「人別を調べたが、アーベラインの一族が随分と行方が知れぬのだが、知っているか?」


 娘は、少し考え込んだ。


「顔を上げなさい。王国の兵士を呼んだ。もう、恐ろしい事はおきない。彼らは強く見えるだろう?ちょっとやそっとの事では、彼らを負かす事はできない。まるで、山の神のようにね」


 娘は、少しだけ顔を上げると、公爵の側に控える獣人兵士を見た。

 特に強面の兵士が控えている。

 何しろ先ほどまで、頭の腐ったような者を取り押さえたり、殴りつけたりしていたからだ。

 娘の視線に、内心、兵士達はあせったのだろう。

 ニヤリと極悪な笑顔を浮かべた。


 それにカーンの腕が少し動く。

 笑いを堪えたのだ。

 私は、娘が泣くのではと思った。


 だが公爵のお陰か、娘は少し笑顔になった。


「どうだい。心強いだろう?」


「はい、宗主様。」


「話は戻るが、行方知れずになった者の状況を話してくれるか?」









 糸は、アーベラインの部屋の窓から外に続いていた。

 私を抱えたカーンを先頭に、イグナシオとザムが続く。

 私達四人がアーベラインの館を出たのは、夜も更けた頃だ。

 雨が未だに降っており、モルソバーンは暗く沈んでいる。

 公爵の元に人を残し、今夜はこの館の周りに兵士を纏めた。

 何がおきても、公爵とサックハイムを確保し逃げる。

 別段、モルソバーンが滅びても、アーベラインが死んだとしても、彼らには痛手では無い。

 兵力を削らず、公爵を本拠地へと送り届ける。

 そうしながら、原因を探求するだけだ。

 ただ、闇雲に奥地に向かう事は馬鹿げている。

 だからこそ、このモルソバーンの怪異に決着をつけねばならない。


 イグナシオとザムだけなのには、理由がある。

 簡単に言えば、逃げ足を早くする為だ。


 彼等二人は、決断から行動までが早い。

 特に、予想外の事に対しても即断できるのだ。

 認識から行動までの時間が短く、肉体的にも足が速く腕力もある。

 もし、某かの事がおき、モルソバーンを放棄する場合、あの高い外郭を越えるとすれば、この二人なら特に問題ない。


 常に最悪の事態を考える。

 正しい事だが、どうしても不安になる。



 私達は、灯りを持たなかった。

 カーン達は夜目がきくし、私もだ。

 糸は窓を突き抜け、表の木立に続く。


 どういう絡繰りになっているのか。


 目隠しとは言え、ここまで目を誤魔化せるのは、この糸の次元が違っているのか、存在を誤認する力が働いているかの二つ一つだ。


 考え方としては、ボルネフェルトが言う、構造は同じだが素材の違いにより、人の理に馴染まない。

 我々の世界の素材との違いにより、認識できない。

 そして、構造が同じ故に、認識できれば干渉できる。

 つまり、呪術の方法論と同じなのだ。


 暗闇の中に白い糸が続く。

 見える私達には、その糸の手触りがわかる。

 だが、イグナシオやザムにはわからない。

 だから、糸を通り抜ける事ができる。

 私達にはできない。

 これは限界の設定をもうけたようなものだ。

 飛べると知らなければ、鳥も飛べないのと同じだ。


 糸は、アーベラインの館から裏の木々を抜けて、一つの木に巻き付き、方向を変えていた。

 方向を変えた糸は、街の中へと続いている。


 夜になると、街には人影は無い。

 灯りもなければ、自警団の者も外へは出ない。


 娘の語る、怪異、人がアーベラインの一族が消えたのは、夜の時間だった。




 元々、モルソバーンは、昼夜無く石材の加工をしていた。

 だから、街には灯りが点り、店は開き、明け方まで人が行き来をしていた。

 夜働く者は朝家に帰り、昼働く者は朝に出る。

 行商が必ず立ち寄り、石材の商売に商人が隊列を組んで訪れる。

 モルソバーンは、コルテス領の端とは言え、中々に賑わっていたのだ。


 ところが、夜に人が消えるという事が起き始めた。

 アーベラインは、領兵と共に、自分の私兵や護衛を使い、人が消えると街の中や外を探した。

 だが、見つからない。

 煙のように、家から道から、街の至る所から人が消える。


 そこで、アーベラインは、夜の就労を取りやめ、兵士を街のそこここに置いた。

 しかし今度は、アーベラインの一族が屋内で消える。

 アーベラインは、一族を自分の館に集め護衛で固めた。


 原因はわからない。


 暫く、人の消えるのはおさまる。

 だが、今度は街に訪れる商人や、街の外の狩人が殺されるという事が続いた。


 アーベラインは、コルテス領の公爵本領地へと助けを求めた。

 彼は、領地が攻撃を受けていると確信したのだ。


 そして、その助けを求めて直ぐ、何故か彼は家族を連れて街の外へ出た。

 遠出をする様子は無いが、息子夫婦と孫、それに護衛を引き連れて関の方へと向かった。


 そして事故にあった。


 その後は、娘の語る通りに、兵士までもが消えた。





 雨が降る街並みは静かだ。

 家々は鎧戸を閉じ、灯りの漏れる様子もない。

 糸は暗い街中に、青白い線を闇に引く。


 家々の戸口や壁にある、あの紋様の意味がわかった。


 人が消えるようなり、闇から何かが襲いかかる。

 そう考えた民が、昔ながらの魔除けを飾ったのだ。

 神の鉄槌、神罰を恐れて邪悪な物が近寄らぬようにと。



 マレイラの宗教は、神聖教の亜流とされている。

 だが、実際は別宗教である火焔教だ。

 宗教骨格は殆ど同じであるが、偶像を崇拝し、神官の代わりに僧侶が、巫女のような者は存在せず、女の僧侶、尼が神に使えている。

 善悪論は、神聖教とは逆である。

 人は善也が火焔教であり、人は悪也が神聖教だ。


 そして、神聖教との一番の違いは、このような大きな街だというのに、僧侶が一人だけなのだ。


 神聖教が政治や軍事にまで関わるオルタスにおいて、彼等は、現世とは距離を置いている。

 この為に、彼等は精神的な支えや、救済の活動を行うよりも、己が精神世界の探求に勤しむ求道者のようだ。



 そして、この街の僧侶も、既に行方がわからなくなっている。



 縋る者がおらず、いつの間にか人々は昔の呪い(まじない)を思い出して家々に飾ったそうだ。



「オリヴィア、こいつらにも、見えるようにできないか?」


 カーンは立ち止まると言った。


 静まりかえった街角で、糸が三方に分かれているのだ。


 私は、無理だと答えようとした。


(できるよ)


 短い応えに、私は目を剥いた。


(君は、できるよ。

 嫌がるのは、君の我が儘さ。

 見えずに、この者達が喉笛をかみ切られてもいいのかい?)


 黙れ。


(汚染されて見えるより、見えてから染まる方が、失わずに済むよ。

 知ってるだろう?

 君は僕だから知っているよね?

 僕が何を言いたいか、わかってる。

 君の利己主義が、最大の障害だ。

 どうせ、このままこの世は腐り始める。

 生き残るのは、魔を従える者だけさ。)


 黙れ。


(理論がわかっているから、そう思うのさ。

 だが、彼等とは違う。

 魔導師なら、彼等の魂は粉々に分解されてしまうだろう。

 粉砕し別の生き物にする。

 だが、僕達は違う。

 彼等の持ち物を増やすだけだ。

 何故なら、僕達が必要なのは、人の魂であって、変質した何かではないのだから)


 黙れ!



 私は傍らの男に言った。


(左の糸がアーベラインの魂に繋がっている。他は違う。皆が別々に行動するのはダメだ)


「そうか」


 糸を追うと、その先は石材加工の工房の坂道に続いていた。

 材料となる鉱石の山が堆く積まれている。

 その山を横に道を登る。

 急な坂道の両脇には、加工した石材を卸す手押し車が置かれていた。

 墨で描いたような視界で、手押し車が雨に塗れて光る。

 その光りの元を探すと、坂の上の大きな建物に、小さな灯りが見えた。


(人がいるのでしょうか?)


 糸は、その灯りの方向へと続いていた。


 坂の頂上は、外郭の天辺に近く、物見の塔もよく見えた。

 だが、今現在、物見の塔は用をなしていない。

 初めは自警団の者を置いたが、やはり、朝には姿が見えなくなる。こうなれば、見張る意味も無い。


 右手には工房の受付のような箱型の建物がある。

 正面は見える限り石材の山。

 左は工房のようだ。

 灯りは入り口の受付のような建物からだ。

 糸は、石材の山の奥の方へ消えている。


 私達は、閉じられていた鉄格子の扉を横に引き開けた。

 錆びたような音を立てて扉が動く。

 中に入り込み、灯りのついた窓へと近寄り中を覗いた。


 小さな蝋燭に炎が揺れている。

 小さな机には帳面が開かれているところを見ると、誰かがここにいたようだ。

 ザムが足下を指さした。

 ぬかるんだ地面に足跡がついている。

 それが工房の方へと続いていた。


「一応、中に入り込む事を断っていくか?」


 面倒そうなイグナシオの言葉に、カーンが暫し考え込んだ。


「何だか、妙な感じだ」


「何がです?」


「こう、背中がムズムズする」


 それにイグナシオが辺りを見回した。

 ザムも暗闇に目をはしらせる。

 私は、泥に沈んだ足形を見ていた。

 酔ったようにふらついている。

 それが、工房の途中で消えていた。

 雨に流されたのか?



(オリヴィア、観念しろ)


 突然のボルネフェルトの笑いを含んだ言葉に、私は顔を上げた。


 何?


(ここで終わりかな?)


 終わり?


(はやくしないと、間に合わないよ。)


 何を..


(割り切れ、そして、己が愚かさを背負え。でないと死ぬよ)


 私も周りを見回した。


(お前の男が言ったろう?

 己が罪を背負う覚悟が大事だと。)


 何も見えない。


(さぁ、君も僕と同じ道を行くのさ。

 覚悟を決めるんだね、かわいそうな供物の女)


 何を?


(さぁ、その時がきた!)



 笑い声とともに、私の視界いっぱいに、異形が溢れた。



(見えない者も、彼等は傷つけられるんだよ。だって、彼等は理に従うものではないからね。見えないから安全?ご冗談を!あははははは)



 彼等には見えない。


 彼等には


 それは見えない死だ!






 謝っても、取り返しがつかない。

 私は..

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