ACT182 モルソバーンにて 其の二
ACT182
吠え暴れる男を、サーレルも含めて三人の獣人が押さえ込む。
鍛えた様子もない人族の男。
だが三人の大男、それも獣人が力を加えねば押さえ込めないとは異常だ。
エンリケは公爵に断ると側を離れた。
荷駄の一つに近寄ると、見るからに重そうな鎖を取り出す。
鈍色の桎梏は見るからに不穏だ。
猛獣につけるような枷は、暴れると身に刺さる棘までついていた。
それを暴れ回る男の首に輪を填め、顎を掴むと無理矢理口を開かせた。
付属の馬銜のような物を噛ませる。
そうして手際よく鎖を頭部の後ろの輪に通し、両手首も同じように拘束する。
すると膝をつき両手を後ろに組ませ、仰け反るような姿勢ができあがる。
それでも暴れようとするが、付属の刃物が肉を抉る。
徐々に男はおとなしくなった。
馴れた様子でエンリケが男を地面に突き転がし、兵士の一人が鎖を持った。
担った荷のように、後ろでの太い鎖が下げ持つのに丁度良いのだ。
彼らに任せると、これが簡単な事のように見えるのが怖い。
「呼んでますよ」
エンリケの絶技に見入っていると、ザムに肩を叩かれた。
カーン達が私の方を何故か見ていた。
寝台の上に、男が一人眠っている。
髪は長く、その殆どが白髪で、少し残る髪色から、元は漆黒の美しい色合いだったと想像できた。
骨ばった顔つきで、眉もフサフサと白い。
横になる姿から、特に何か目を惹く特徴は見えない。
強いて言うなら、白髪ながら、その肌や顔色に老いは見えない。
長命種なのだろう。
「彼がアーベラインです。事故以来、眠っている。」
医者には診せたが、何処がどう響いて目覚めないのか原因はわからない。
「彼の息子夫婦と孫も一緒に事故にあいました。モルソバーンから、何処かへ馬車で移動する途中で。発見したのは、交易の商人達でした。馬車が大破していたそうです。」
生き残っていたのは彼だけ。
家族の遺体は、見分けもつかない程だった。
「事故の原因は色々調べたがわからない。等とふざけた事をいっていますが、今、一族全員を狩り集めています。」
どうやら、事故、の後に実権を握った輩が怪しい。
当時の護衛も死んだり解雇されたようだ。
館の中の使用人も少数を除き、古い者は全て解雇か死んでいる。
「私を見て狼狽えた様は、中々滑稽でした。まぁ、何に荷担したかもわからないような小物です。全員処刑しても問題ありませんし..ふふふ」
にこやかに、全員処刑すれば。等と言われても、どういう顔をすれば良いのかわからない。
確かに、公爵に害意をもった時点で処刑相当ではあるが。
「問題は、アーベラインを害した本当の目的と犯人です。本人に語ってもらうのが一番なのでしょうが」
ここまでの話で、私は当然の疑問を公爵に伝えた。
「彼が殺されなかった理由ですか?あぁ、国璽管理体系というのをご存じですか?」
私に倣うように、テトも膝の上で首を傾げた。
「マレイラが分離独立を主張しても実現しない原因の一つ。現在も中央と繋がる理由がこの国璽管理体系なんです」
このオルタスで利用される全ての公文書には、国璽管理体系という技術で偽造を防止する措置がとられている。
「身近な物は、通行手形です。偽造防止や身分詐称防止の技術。この中央王国政府が独占している技術を公王(家)法(規範・判定用)具と呼びます」
真偽の箱の事だろう。
「そして公文書は、国璽と同じ技術の公王法具が使われます。
公文書は、公王法具と呼ばれる道具で署名をしない限り、公式文書として効力を発しません。
その公王法具は、国璽技術体系と呼ばれる、登録された本人以外使用することができない道具なのです。
その署名印が通称・双頭印と呼ばれる公王法具です」
アーベラインの寝室は、暖炉が程良く暖めている。
私達は、彼の眠る寝台の側で、椅子に腰掛けていた。
カーン達は、ちょっとした齟齬を埋める作業を続けている。
そして部屋の入り口には、ザムとモルドが護衛についていた。
館の制圧が完了するまで、私は公爵の要望に耳を傾けている。
カーンは、公爵の要望を知っているようだった。
だが、私がどう対処するべきかを彼は教えてくれなかった。
「双頭印は、王国貴族と行政に携わる者や、領地運営をする者に与えられるのです。
双頭印は、本人にしか使えない。
その本人を謀殺し奪うと、双頭印が破損する。
実は、権力の委譲をする場合、国にはこの双頭印を提出しなければなりません。前使用者の双頭印が破損している場合は、中央からの厳しい詮議が行われます。
また、双頭印は特殊で、使用者の死の状況も大凡記録するのです。
偽の犯人を差し出しても、死体を差し出したとしても、少しでも疑わしい場合、疑わしき物は全て一律断罪される。」
公爵は、そこで酷く面白そうな顔をした。
「事故の為にその責務を果たせない。と、届け出れば通常は、詮議の役人が来て記録を取り、権利委譲の届け出をする。事故により、普通なら、この状態のアーベラインから双頭印の持ち主の変更も容易い」
だが、このモルソバーンの氏族は、それをしない。
何故なら、アーベラインの事故を調べられたくないから。
双頭印の詮議を受けたくないから。
「自然死。事故死を狙ったんでしょうが、幸か不幸か、私と同じく生き残った。今更、餓死させる訳にもいきません。人目が多すぎるし、ここは閉鎖された街ですからね」
そして、本人を脅して双頭印を利用した場合も、国が調べるとわかるらしい。
はっきりとした事を公爵は言わないが、多分、真偽の箱と同じく、見たこともない技術なのだろう。それをオルタスの中央王国政府が独占しているのだ。その技術が、この世界を支えているからこそ、民族独立などを阻む要因にもなっているのだ。
双頭印がある限り、公爵もアーベラインも、確実に事故か自然死しなければ、本当の権力の委譲が行われない。
公文書、それもオルタス全土で通用する権限がなければ、領主の仕事も権利も中途半端だ。
説明を聞き、なるほどと納得ができた。
公爵があの塔で餓死を狙って閉じこめられていたのは、双頭印の事もあったのだ。
呪い殺すにも、現実の権力の委譲にも、公爵の死は、自然死でなければならないのだ。
彼らを殺そうとした者は、強欲で執念深いようだ。
「私としてはアーベラインと話したいのです。彼がこのような状態になったのは一年程前です。私よりはずっと状況を把握しているでしょう。」
確かに、彼ならば、公爵の空白を埋める事も可能だ。
「姫は、多分、念話をお使いだ。念話を使える者は東の高僧ぐらいでしょう。まぁ、聞いてください。彼の意識が死んでいるかだけでも、見てもらえませんか?眠っているのか、眠ったように死んでいるのか、それを確かめて欲しいのですよ」
念話、ではない。
これは異形の神が定めを繋いだだけの事だ。
と、答える訳にもいかず。
何となく、バットの顔が浮かぶ。
出来ないことは、できない。と、潔く認めた方がいいのだ。
私はテトを膝から下ろすと、アーベラインの寝台に近寄った。
念話はできない。
では、何ができる?
私は深く呼吸をすると、男をじっくりとながめた。
寝たきりになり、医者が彼の右手に水分と栄養を入れる管を通している。辺境では見かけない、高度な医術だ。
体も綺麗に手入れされ、誰かが心をこめて世話をしている。
家族と何処に向かう所だったのだろう?
もしや、逃げ出す途中だったのか?
子や孫を失うとは、何と悲しい事だろう。
この人に、生きる光りはさすのだろうか?
近寄り、その布団の端に手を置いた。
..?
目を瞬いた。
触れた場所に違和を感じる。
なま暖かい固まりに手が潜ったような感触。
私は布団の上にある、自分の手を見た。
何もない。
だが、なま暖かい水に手首まで浸かっている感じ。
ゆっくりと手を引き戻す。
見えない粘りけを感じた。
泥がこびり付くような何か?
テトが首を擡げた。
私は、アーベラインの顔を見る。
私は、目を凝らした。
もしや、という小さな予感。
目隠しだ。
多分、私は何処かで目隠しをされた。
巧妙な手管をはぎ取る。
そっと靄を払うように、目隠しをとる。
関の痕跡に恐れおののき、目隠しをされても気がつかなかった?
深呼吸をし一度目を閉じる、それからもう一度..
「どうしました?」
私が置いた手を跳ね上げて、後ろに下がったの見て、公爵が腰を浮かした。
(マズイ)
只、その一言が浮かぶ。
ぐるぐると目が回る。
極彩色の混乱と恐怖に歯を鳴らす。
音のない悲鳴が勝手に漏れる。
公爵が慌てて側にくるのが目に映る。
なのに、私の体は自由を失い、只、叫ぶだけだ。
テトが私に飛びつく。
その勢いで、私は床に座り込んだ。
それでやっと、アーベラインから距離を置くことができた。
音のない叫びは、男には届いていた。
気がつくと、カーンが私を揺らしている。
「何があった?しっかりしろ」
奥歯を鳴らしながら、私は何とか言葉をひねり出す。
私は寝台に眠る男に顔を向けた。
「この男がどうした?」
(見たままを言葉にするのは、難しい。)
「何が見えた?」
その見慣れた顔を目を見開いて見つめる。
「言いたくないか?厭なら言わんでいい。深呼吸だ、そうだ」
混沌の海から、言葉をすくいあげる。
(人では無いかもしれない。)
「何がだ?」
(アーベラインは、悪意に包まれている。)
「悪意?」
(人の感触じゃない。人の、悪意ではない。
人が考える善悪ではない。
ただただ、異質なモノに包まれている。
まるで..)
「まるで?」
(あの箱を開けた時と同じ。)
「この男がか?」
私の臆病さで彼らにまで災禍が及んではならない。
カーン達の不利に働く事はあってはならない。
そう言い聞かせて言葉を探す。
私は、浅く息を吐きながら、カーンの指を握った。
(アーベラインは、ここにはいない。)
「どういう事だ?」
(アーベラインの魂、意識は、閉じこめられている。)
「何処にだ?」
(地獄のような場所。)
カーンは眉を潜めた。
(手を。アーベラインを見て欲しい。)
私の差し出した両手を、カーンはそっと両手で包んだ。
私はもう一度見る勇気が無くて目を閉じた。
「!」
「どうしたんです?彼女は何と言ってるんです?」
多分、カーンにもアーベラインのもう一つの現実が見えただろう。
アーベラインは、寝台に横たわる。
全身を真っ白な糸に包まれて。
糸は毛羽立ち、アーベラインの口は絶叫の形に開いている。
彼は呻いていた。
(苦しい、苦しい、苦しい)
(痛い、痛い、痛い)
彼はずっと叫んでいた。
だから神を呼び疲れて、もう、助けてとは言っていない。
ここにあるのは、アーベラインの器。
魂は何処かに隠されている。
弱り切って死ぬように、地獄のような場所に捕らえているのだ。
私は目を見開き、目の前の男に言った。
(殺して楽にできぬのなら、早く探さねばなりません。)
「何処にいるんだ?」
私は手を握り返した。
カーンは、あぁと頷いた。
アーベラインを捕らえた糸は、一筋外にのびていた。
地獄への道案内だ。




