Act20 銅貨
ACT20
ゆっくりと扉が開く。
獣脂の燃える臭いが流れてきた。
何者も飛びかかって来ない事を確認すると、カーンは扉を潜った。
それに私も続く。
どうやら、広大な円蓋の広間の様だ。
視線が届く限り、人工の壁と天井が半分、崩れかかった岩肌が半分、と言った所か。
所々に、壁に沿って炎が見える。
炎屋で囲った角灯ではなく、岩棚に彫ったくぼみに脂が注がれ、炎芯が燃えているようだ。
部屋を横切り黒々とした流れが走っている。水と空気が動いているようだ。
炎を誰が点けたにせよ、窒息して死ぬことはなさそうだ。
下げていた角灯を消すと、私は天井を見回した。
天井の闇にゾワゾワと蠢く影が見える。
蝙蝠なのか。
赤い光点が無数に蠢いている。
灯りが牽制になってくれれば良いのだが。
扉から右正面に舞台のような場所がある。その奥は水が流れており、元々は何かの部屋のようだった。水に沈んだ石の床は何かの花の模様が見える。
左手は闇に沈んでいる。
空気はその闇に向かって流れている。冷たいが外気ほどの痛さはなかった。
ざっと見回しても時の経過により、何もなかった。
あったとしても砂になってしまっているようで、ここに何か人の手が入っていたとしても、石や岩でできたもの以外は、何も残っていなさそうだ。
しかし、頭上の生き物や炎を見れば、それが過去の住人の事に限るようだ。
袋の中の虫のような最後は厭だが、免れる余地はありそうである。
部屋の中を見回し、出入り口を探すが見あたらない。今出てきた扉はどちらかというと、物置に続くような小さなものだ。実際、あの部屋は行き止まりである。もしかしたら、あの奥の穴には意味があるのかもしれない。調べようもないが。
くだらない事を考えていたが、この場所で行き止まりという事はないだろう。
少なくとも頭上の彼らは生きている。
カーンは壁を探りながら、崩れた壁と石を見て回っていた。舞台のような石の壇上に登りあがる。
私は、男に背を向けると、灯りの輪から外れないように、慎重に部屋を見て回ることにした。
空気の流れがあり、水がある。それだけで私の緊張は緩んだ。油断するべきではないが、少なくとも風と水があれば、出口を探すことはできる。
多分。
今までならば、確信できたが、自信はない。
森や山ならば容易いのだが。
それか、ここが地下の洞窟なら良いのだがと、半ば祈るように辺りを探った。
廃墟。
やはり、残っている壁には不思議な紋様が刻まれている。多分、古代の文字ではないだろうか。
中央大陸で使われている共通語に似ているが、並びが全くと言っていいほど違う。
音として読めるが、意味がわからない。
それが装飾的な図柄で薄板にびっしりと刻まれ、石壁や床に張り合わされている。
往時はさぞや美しいものであったろう。
白い壁、紺色の模様、円蓋の天井、凝った石柱や壁の建築。
この場所は何の部屋であったのか。
村から出たこともない私には想像しかできない。
人が集う場所だったのだろうか。
半分崩れているのは、何故だろう。
元よりそうだったのか、経過年数のせいなのか。
人が放棄する原因だったのか?
否、元々、ここにこんな場所に人間がすんでいたのか?
さらさらと流れる水を見ながら、私は顔をしかめた。
我が村より北には神の山。
我が村より南には険しき荒野。
それを遮る森より先に人はいない。
西の森には獣だけ。
智を失いし獣だけだ。
ここは何処なんだ?
うぞうぞと胸元で死面が動いている。
「そっちは何かあるか」
一通り舞台の辺りを見終わったようだ。
「壁が崩れている。多分、この方向に通路があったのでは」
流れる水は浅く透明だ。
カーンが歩くと水の中の影が逃げた。
何か生き物がいるのだろうか。
「どっかに出入り口があるはずだ。ほら」
差し出された手には小さな銅貨があった。
使い古されたものではない。
真新しい通貨は、ここ最近この場所に落とされたのだろう。
渡された銅貨を掌に転がしながら、私は水に半ば沈んだ石柱に腰掛けている。
カーンは壁が崩れた辺りを見て回っていたが、それらしい隙間も扉もなかった。
「暇ならさっきの話の続きでもしろよ」
言われてから、話が途中だったことを思い出した。
動き回っても何も出てこないので、お互いに声は普通に出していた。
少し、疲れたので私は休んでいた。
体感的には、もう夕暮れは過ぎて、夜のはずだ。
もう少ししたら、ひとまずここで体を休めるように促すつもりだ。
少なくとも頭上の輩も大人しいし、灯火は消える気配もない。
休める時に休んだ方がいいだろう。
悪夢は続きそうだから。