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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
197/355

ACT179 挿話 陽がのぼるまで 下

 ACT179


 私の心は、半分が怒り、半分が無気力に支配されている。


 そこに光は無くて、行き止まりのあの化け物が溜まった小さな広場のように腐っていた。

 辛くて暗くて、何もかも手が届かないような気持ち。

 明日という一日に、何の展望も見えないし、とても孤独で寂しい。

 何もわからないまま、寂しい人生を年老いていくだけ。

 軽々と楽しみを見つけ、人に囲まれて生きていく人が、同じ人間だとは思えない。

 つまり、私は行き暮れているのだ。

 何をしても無駄。

 と、いう考えに捕らわれて、悲しく辛い結末だけを予想している。


 何を支えに生きればいいのか?


 死にたいとは思わない。

 あの化け物に喰われそうになった時、当然のように死にたくなかった。

 頭の中で未来や人生を悲観した所で、現実の私は、死にたくない。


 皆が、恨むのも当然だ。

 誰しも死にたくない。


 あの化け物に殺されると思った時の気持ち。

 お爺ちゃんを殺されたくないと思った気持ち。


 死ぬのは嫌だ。


 では、どうしたら生きていける?

 絶望し無気力にならず、生きていくにはどうしたらいいのだろう?






 宿泊所の寝台に腰掛け、ぼんやりと窓の外を見る。

 冬の終わりの雷が、ずっと鳴り響いている。

 オリヴィアも猫もいない。

 お爺ちゃんは、きっと牢屋だ。

 母さんのお墓、どうしよう。

 現実的な事を考える。

 これからどうなる?

 あの男の言う強制労働だろうか?

 砂漠だろうか。

 多分、砂漠だ。

 軍の施設で一番酷いっていったら、西の砂漠だろう。

 重苦しい気分を紛らわそうと、肝心の部分から思考をそらす。

 相変わらず弱虫だ。


 人のざわめきを、城の中を行き来する人の気配を聞きながら、私は窓をみる。

 沢山の人がいる。

 皆、それぞれ目的があり、忙しく、生きている。

 私だけ、行き暮れている。

 山道で夜になってしまったようだ。


 そう考えたら、勝手に私は笑っていた。

 ひとつもおかしくないのに。

 でも、涙は眼が痛いだけで、もう出なかった。

 俯いて嗚咽をかみ殺す。

 足下の床が霞んで滲む。

 その視界に、靴が入り込んだ。

 大きな軍靴から視線を上にとあげる。


 冷え冷えとした黒い瞳が見下ろしていた。


「お前は、下の教会に戻ることになった」


「お爺ちゃんは?」


「処分は未だ決まっていない。下に降りる準備をしろ」


 準備なんてなかった。

 自分の服は焼却されたし、何もない。

 オリヴィアに声をかけたいけど、それも無理だろう。

 入れ墨のある頬を見上げて、私はため息をついた。


 ひとりぼっちだ。




 城塞の街は、洗浄する為、兵士が行き来していた。

 家屋一つ一つを改めて、不審なものを探す。

 人は既に城塞で処置を受けている。

 思ったよりも、体の中に異物があるそうだ。

 嫌な話だ。

 どこから身体に入ったのだろう。

 獣人は大丈夫だったが、やはり人族や亜人には、異物が入り込んでいた。

 食料は検査されてから渡される。

 虫下しも定期的に配給され、月に一度の間隔で血液を調べる。

 そして重要なこと。

 もし、罹患する者が現れた場合は、全て焼却する。


 今現在のアッシュガルドの住民は、街の近く比較的無事だった海沿いに集められている。

 住民でも罹患する者としない者がいるようだ。その原因を調べる為、アッシュガルド全てを焼却するという事は無い。


 被験体だ。


 私を引き連れる男の説明だと、アッシュガルドの街全体を今回の異常を検証する実験場にした。

 おかしくなった者も、そのままにしている。


 だけど、この城塞の者が一人でも発症したら、焼却するという。

 住民は、あの時と同じで罹患しているか否かに関わりなく処分するのだ。

 ただ、今のところそのような様子もなく、身体の変異が起きないと確認できれば、順次、城塞からの移転を許す。

 でも、この城塞に居を構える者の多くは、財産も家族もすべて一緒だ。今更余所に移るのは、中々決断できないだろう。


 不安、恐れ、心を塞ぐ雰囲気。


 でも、あの頃よりまし。

 だって、城塞にいる限り治療し手を尽くしてくれる。

 兵隊もいる。

 正気の兵隊が。



 教会まで、男の後ろを歩いてた。

 男は、私が教会で暮らす事を説明した。


 巫女様が、私を預かるという。


 馬車道の側にある車体交換の場所で立ち止まると、男は周りを見回した。


 ぽつぽつと雨が降るだけで、人影はない。


「商会の者には口止めしたが、お前の母親の事と航海士の事は黙っていろ」


 どういう事?


「巫女頭には既に伝えてあるが、航海士は色々と言葉を残している。その中で、今は明らかにすべきでは無い事柄がある。お前の祖父の証言に関しても、一部を伏せるようにした。」


「伏せる?」


「あくまでも、お前の祖父が恭順の意志を示したのは、バルドルバ卿だ。お前も聞いていたろう。第八師団の者に何か聞かれても、その点は口にするな」


 頷く私に、男は更に声を落とした。


「我々こそが、真実を求めている。」


 言い切った男は、顔を背けて付け加えた。




 誰かが責任をとらねばならなかった。

 無責任な者の尻拭いとしては、代償は大きすぎた。

 お前が考えるよりも、我々は苦渋をなめた。

 人を殺して平気に見えるか?

 家族を死なせてまともに過ごせるか?

 お前を責める言葉でさえ、結局は己を罰する言葉に等しい。

 恨み辛みを背負うのは、何もお前やお前の祖父ばかりではない。

 焼き払い灰にかえした我々も、同じく恨まれ憎まれている。

 憎む者も憎まれる者も、そして死者も、皆、本当の事を知りたい。

 お前の言う本当の事も含まれる。

 お前の祖父が我らバルドルバ卿の者に恭順を示すのならば、その孫であるお前が真摯に我らと同じ意志を持つのなら。我らが真実の一片でも知り得た時、その恭順に見合った真実をお前に分け与えよう。


 むろん、お前の祖父を許しはしないが。


 それから暫く無言で歩く。

 男の言葉を信じられない思いで聞く。

 ここ数年、聞くことの無かった光明に思えた。


「お前を罵れば罵るほど、己が嫌になる。男の屑という気分になる」


 その背中を見ながら、見えないだろうに、私は頭を振った。


「我らこそ、憎まれ続けるべきなのだ」


「いいえ、違う。何処にいっても、皆、貴方達に感謝していた。黒い御領主を悪く言う人なんていない。」


 憎むのは、憎まなければ生きていけない人だけ。

 それだって、私のような卑怯者だけ。

 人殺しって思っていないと、生きていけなかったから。


「貴方達がいなかったら。あのまま病気が広がり続けたら、この世から人が全ていなくなってた。」


 小声で、本当は思っていた事を付け加えた。


 すると、男は急に歩みを止めた。


「今、何と?」


「何?」


「今、何と言った?」


「感謝してるって、そんなに私が感謝を」


「違う、その後だ」


 大きな声が降る。

 竦む私に気がついて、男は声を落とした。


「その言葉の後だ」


「だから、病気が広がったら、この世から」


 人がいなくなる?


 男は暫く動かなかった。



 教会に着くと、商会の人達が建物を改めていた。

 男は、さっさと彼らに合流する。

 取り残された私は、どこにいればと迷う。丁度その時、台所から巫女様が顔を出した。

 少し、顔色が悪い。

 私はそちらに走り寄った。


「食事を作っているの。商会の船員さん達と私達なら、ここの食材を食べても大丈夫でしょうから。手伝えるかしら?」


 やることがあるだけ、ほっとした。


「はい」


 いつも通りの様子に、私は不意に気持ちが浮き上がり落とされるような感じになった。

 いろんな感情が押し寄せてくる。

 母さんの作っていた保存食の瓶。

 お爺ちゃんの好きな、李だ。


「そこに座っている?」


 忙しく立ち働く巫女様は、動揺する私に椅子を指した。

 私は頭を振ると、手を洗う。

 暫く、大量の食材を調理するのに専念した。

 教会の敷地内を全て改めている人達に、食事を振る舞うのだ。


「ひとつ提案があるの」


 煮込んだ野菜と肉の汁に、削った乾酪を振り入れながら、巫女様が何気なく言った。


「ビミン、私の付き人にならない?」


 焼き上がったパンとは別に、小麦を練って薄焼きにする準備をしていた私は、暫し、何を言われたのかわからなかった。


「どう?」


 呆然とする私に、巫女様が味見に少し注いだ汁を差し出した。

 無意識に口にした汁は、少し薄い。


「塩が足りません」


「あらあら」


 巫女様は、塩を探して戸棚をかき回す。


「巫女になるのではなく、巫女の世話をする人。行儀見習いというところねぇ。」


 私は塩の壷を戸棚から取り出すと、彼女に渡した。


「何故ですか?」


「私も歳ですからね。今に一人で身の回りの世話もできなくなるかもしれないし」


 それは神殿から人が来るだろう。

 私が世話をする必要は無い。

 この申し出は、行き暮れた私への救済だ。

 名を捨てて、ただの身よりのない者として、彼女の側にいる。


 だが、果たしてその好意に縋るのは、人として正しいことだろうか?


 ありがたい。


 ありがたいのだが、祖父に言われた時と同じに、私には、違う。という思いしか浮かばない。


 ただ、何が正しいかは、今の私にはわからない。


 塩で味付けを調整しながら、巫女様は少し眉をひそめた。


「少し、塩を入れすぎたかしら」


 再び味見をすると、丁度よい塩気だ。


「おいしいです」


 それに巫女様は微笑んだ。


「神聖教が国教になった理由を知っている?」


「よくはわかりません」


 祖の人が真言を授かったとかの物語は知っているが、現実はよく知らない。


「神聖教が公王家の宗教になり、宗教統一を生き残ったのは、元々、この中央の多数を占めていた火焔教と相性がよかったの。火焔教は善悪という考え方を中心にすえ、善の勝利を信じる教義ね」


「善ですか?」


「善は光と考えられていた。だから、陽光を尊び、調和を祈る神聖教の進出は、改宗に対する抵抗を弱くした。でも、それならば、元の火焔教でも良いのではないか?と思うでしょう」


「はい」


「平和と秩序、道徳と善悪、似ている宗教を改宗させたのは、権力者が望んだ社会構造の改変なの。つまり、神が天啓を授けた訳でも、天から光が降った訳でもないのね」


 何と答えていいのか、そして、この話が何処に流れるのかわからずに、私は小麦粉に布巾をかけた。


「だけれども、神聖教を国が選んだ理由は、似ているからではなく。唯一違う教義があるからなの」


「それは何ですか?」


「人は悪であり、秩序と繁栄を守るには光を、つまり、善を得るために戦うべし。戦わぬ者は悪である」


 戦わぬ者は、悪。


「戦うという意味は広いの。様々な意味を持っている。」


「光を得る為に、戦う」


「光は善であり、知恵であり、もっとわかりやすく言えば、希望。つまり、ビミン」


 あなたに光を与えたいのです。


 その言葉に、私はとっさに台所の床を見た。

 ありがたいのだ。

 だけど。

 何も言えない私を余所に、巫女様は、次の料理に取りかかった。





 その晩は、台所と付属の小さな部屋に巫女様と一緒に休んだ。

 本館と鐘楼の探索が終わらずに、商会の者は教会の小集会室で雑魚寝をしている。

 あの男は、交代で深夜も作業する者に混じり、納骨堂に入り込んでいる。


 そして、私は、やはり夜に行き暮れていた。


 すんなりと、巫女様の提案を受け入れられない理由は何だ?


 心をより分けても、分からない。

 ここ数日の出来事が、私の頭を鈍らせていた。




 次の日、食事を振る舞った後、商会の男達を残してあの男は去る。

 どうやら、黒い御領主と一緒に移動する準備があるらしい。


 男が去るのを見ながら、これで接点が切れてしまうのだろうか?


 と、諦めかかる。

 男の言葉を疑っている私には、僻みと疎外感ばかりだ。


 ここで分かれたら永久にサヨウナラだ。

 きっと、約束も反故にされる。


 藪睨みする私は、さぞかし拗ねた子供のような顔をしていただろう。

 もしかしたら、捨てられる子供の顔かもしれない。


 男は酷く嫌そうな表情を浮かべると、踵をかえして私の所へ来た。

 そして、耳打ちした。


 私は目を丸くして言葉を拾った。





 数日後、オリヴィアから手紙が届いた。


 手紙には、お爺ちゃんの処分内容が書かれていた。

 お爺ちゃんは、無償奉公の奴隷として、マレイラの貴族に買い上げられた。


 ここまで読んで、お爺ちゃんの処遇に悲しみを少し感じた。だけれども、お爺ちゃんが処刑されなかった。という一点だけで力が抜け、胸の重苦しさが軽くなった。


 処刑されなかった。


 その事に対する安堵が過ぎると、その意味に気がつく。

 男の言う、恭順への見返りだ。


 手紙の続きには、黒い御領主と共に、城塞を離れるとあった。

 別れの言葉が形式通りに書かれている。

 返事も無用との事だ。

 寂しいのと、顔ぐらい見たいという気持ちと、また、会えるのだろうかという事と。


 でも、返事は書けなくてよかったのだ。


 母さんの事をなんて書く?

 書けない。

 父さんの事から書くのは嫌だった。


 やるせなさと安堵。

 解決されていない事。

 それでもお爺ちゃんは死ぬのを免れた。


 では、私は?


 考える。



 母さんの荷物を整理する手を止め、お爺ちゃんの身の回りの品をまとめようと立ち上がる。


 結論が出たら、手紙を書く。

 近いうちに。


 その手紙は、王都に住むハーディンと言う人宛てだ。

 ハーディンという人に宛てて書くと、その手紙は保管されて、あの男に届くそうだ。

 いつ届くかは分からない。

 後、他人に見られても平気なように書かなくてはならない。

 一方的で、本当に読まれるかもわからない。

 だけれども、あの男とのこれが教えられた連絡方法だ。


「ビミン、何か食べ物あったかしら?」


 巫女様の呼ぶ声だ。

 街の改めが始まって以来、何故か教会は猫の巣となっていた。

 巫女様も猫がお好きなようで、食べ物を与えては彼らに囲まれている。


「はい、確か魚の残りが」


 向かう先を祖父の部屋から台所に変更する。戸口に向かいながら、ふと、思い出した。

 あの集会場の裏口に立っていた母さんの後ろ姿を。


 本当は、わかっていた。


 ずっと昔に、母さんは父さんのところへ行ってしまっていたのだ。


 血溜まりに沈む姿を思い出すよりは、冬の景色に絵のように切り取られた後ろ姿の方がよかった。


「ビミン、何だか、又、この子達、増えてるわよ」


 アッシュガルドも猫が多くいたが、城塞にも飼い猫は沢山いた。

 住人が家を離れている間に、お腹がすいて集まったのかもしれない。


 台所に向かいながら、私は思った。


 荒涼とした冬の景色は、もう十分だ。

 暖かな陽射しの扉を開き、その景色の一部になりたいと。


 その為にはどうしたらいいのか?

 少なくとも、どう戦うべきかを考えていれば、怒りも無力感も力を失うのだった。

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