表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
196/355

ACT178 挿話 陽がのぼるまで 中

 ACT178


 奥歯を噛みしめて、睨む。


 血みどろの杭が撓み、目の前に迫る。

 私は眼を見開き、精一杯牙を剥く。

 憎い、お前達の所為だ。

 お前達を憎む。

 死んでも憎む。

 殺されたって



 こわいよ






(外道共が!)


 私達に絡む根と杭の間に、鈍色の何かが通り過ぎた。


 それは背後の異形の頭部に音を立てて食い込んだ。


 手斧だ。


 ブチブチと音を立てて根が引き千切れる。

 手が自由になるとお爺ちゃんは、残りの根を断ち切った。


 蛹の眼は、私達から離れ通路の先に鎌首を向けた。


 兵隊だ。


 武装した男達がいる。

 私達を見た男達が吠えた。

 酷く苛立たしい声だ。


 叫んだのが私だったからだろうか?

 死んでしまえと思う者だったから?


 濁った空気に噎せながら、私とお爺ちゃんは壁際に下がる。何とか伸びてくる根を切り払う。

 私達を喰おうとしていた茎が下がり、あの奇怪な姿の男達が進み出る。爪と牙を剥きだして、醜い声を上げている。


 それを見て、兵士達が吠えた。


 先頭の、特に大きな男達の姿が変わる。

 ムクムクと身体が膨れ上がり、雄々しい先祖の姿になった。


 先頭の兵隊は、曲刀を手に持ち、白と黒の毛並みを逆立てた。


 その後ろの男は更に大きく、小山のような姿に巨大な鉞を担いでいる。鉞の兵隊の傍らには、やはり大きな男が重い奇妙な形の槌を抱えて進み来ていた。


 目の前を白と黒の毛並みが通り過ぎる。


 曲刀を構えた兵士は、襲いかかってくる者を、柔らかい飴を切るように撫でて両断する。

 隙をついて絡む根は、牙を剥き出しにして軽々と引き千切った。



 助かったの?



 でも、あの眼は、相変わらず私達に向かってきていた。


 多分、弱い私がいるからだ。


 お爺ちゃんの剣は、ぬるついてよく切れなくなっていた。

 二人でジリジリと壁を伝うが、次々と根と茎が迫ってくる。

 それに空気が、吸い込む度に身体がしびれた。

 その所為か足が滑って私は転んだ。

 転ぶと根が私の身体に絡む。

 お爺ちゃんが手を伸ばすけど、先ほどの威嚇で力んだからか、この空気の所為か、身体が思うように動かない。


(下がっておれ)


 ゴウッと音を立てて炎が上がる。

 それと同じく、私達に迫っていた茎を、大きな鉞が切り上げた。

 焦げ茶色の毛並みに牙を剥きだした兵隊が唸る。

 そのうなり声と大鉞の威力に、襲いかかって来ていた化け物が怯んだ。


(ほぅ、多少は知性があるのか?)


 呆然と見上げ転がる私を、鬣の兵隊が引き起こした。そして、執拗に迫ってきていた眼の一つを、大きな槌で叩き潰す。


(女を虐めるとは、許さん)


 そして根を手に絡めると元をずるずると引きずりだす。騒ぎ暴れる蛹を守ろうと敵が食いつこうと殺到する。

 それを一振り大槌を引き回す。

 容赦のない重い一撃が肉片を飛ばして、敵を潰していった。


 上がる炎に私達は安堵した。


 炎が走ると淀んだ空気が薄くなるような気がした。

 それから直ぐに後続の兵隊達が、私達を通路から押し出した。

 そして彼らも大声で唸り吠え、化け物に襲いかかっていった。






 通路を戻る。

 だが、お爺ちゃんは疲れているし、私の身体は痺れたままだ。

 通路の中程で立ち止まると、二人でそのまま腰を下ろした。

 少なくとも、誰もいない。

 化け物もいない。

 奥の行き止まりでは、派手な炎が上がっている。

 大丈夫、あんなに強いんだから、大丈夫。

 震えながら言い聞かせる。


「ビミン、今度から、私を庇っては駄目だ」


 お爺ちゃんの声が、やけにはっきりと聞こえた。

 お爺ちゃんは血みどろで、片目が赤くはれていた。


「ビミン、私が、全部、悪いんだ。」


 いつもより、ずっとしっかりと私を見た。いつも、どこか曖昧な感じの表情が、今は違っていた。


「お爺ちゃんが、原因だ。私が死ねば、お前は自由だ。私の名前なんか捨ててしまえばいい。お前を受け入れてくれる居場所はいくらでもある。私が死ねば、お前は自由だ」


 その言葉に、私は悲しみより、悔しさがわいた。

 お爺ちゃんは勘違いをしている。


「違う」


「お前の両親を殺したのは、私だ。もっと早く死ねばよかったんだ」


「違う」


「お前の父親を間違った道に進ませのも、レンテの事も、私がやった。自分がある時に、早く」


「違う」


「沢山の人が死んだのも、私が間違った考えが元だ」


「違う、違う。そうじゃないの、私は生きてる。私の人生は自由だ。今だって自由だ。気がついた。私は間違ってない。たとえ、どんな真実があったとしても、私は間違っていない。私は、人の犠牲で生きてきた。だけど、それでお爺ちゃんが死ぬ?幸せになっちゃいけない?違う、間違っている?違う、違う」


 叫ぶ私の口を手で塞ぐと、お爺ちゃんは言った。


「死んだ人をこの世に繋いだ。間違った事をした。最初にお前のお婆ちゃんに使った。次は、お前の父さん、次は、レンテに入った。お前の不幸を生み出したのは、すべて、私だ。」


 死んだ人?


 呆然とする私を見て、お爺ちゃんは顔を背けた。

 そして、奥から戻ってきた兵士に言った。


「話したい事があります。バルドルバ卿にお伝え願えますか?」


 曲刀と手斧を持った兵士は、蔑んだ眼でお爺ちゃんを見据えた。


「今更か?遅きに失するとは思わなんだか?」


 お爺ちゃんは、恭順の姿勢をとり地に伏した。


 私は、勝手に涙が溢れてしかたが無かった。









 夜中に目が覚めた。

 時間の感覚がおかしい。

 隣には、オリヴィアと猫が寝ている。

 体の検査をして、洗浄を受けた。

 衣服は焼却されて、簡素な服を渡された。

 城の宿舎には、検査を終えた城下の人達もいる。

 お爺ちゃんとは、城塞に入ったら直ぐに別になった。

 それ以来会っていない。

 疲れているのに眠れない。

 母さんの事、お爺ちゃんの事、化け物、何だか、頭が一つも働かない。

 あんなにはっきりと物事がわかったような気がしていたのに。

 私は再び、霧の中にいるような気がした。

 今度こそ、忘れずに考えなくてはならない。

 そう思うのに、母さんの最後の姿を思い出すと、息苦しくて寂しくて。

 お爺ちゃんの事を、話を考えると、怖い。

 本当の事は、もっと醜く辛い事だったらと思うと。


 私は布団から抜け出ると、通路に出た。

 猫が目を覚ましたので、寝ているように言うと鳴いた。賢い猫だ。


 通路を朧気な記憶を辿り進む。

 多分、ここにいるだろうという部屋を覗く。

 けが人や病人が寝かされ、奥では血液を綺麗にする処置が行われていた。

 目指す男を捜していると、直ぐ、奥の部屋で奇妙な器具をのぞき込んでいた。


「何だ?調子が悪いようなら、医務官の所へ行け」


 恐ろしい声の調子に、私は既に怖じ気づいていた。


「言葉にしなければ、何も分からん。用が無いのなら出て行け」


 私は言葉を何とか押し出した。


「お爺ちゃんは、どうなるの?」


 それに黒髪の男は、鼻で笑った。


「罪に見合った罰を受けるだろう。軍事法廷での偽証は斬首と決まっている」


 それから私の方をちらりと見ると、馬鹿にしたように言った。


「親族も同じく罰を受けるだろうな。自分だけ助かりたいのか?」


 私は、何だか悲しい気持ちと一緒に、腹がたった。


「だから何?私は、本当の理由を知るまで死なない。」


「理由がわかったら、おとなしく死ぬか?」


 汚い物を見るような目だ。


「本当の理由を知りたいの」


 男は塵でも見るような目で私を見た。


「本当の理由?お前の父親の反乱の理由か?それとも無辜の民を屠殺した理由か?まだあるぞ、疫病の元を広げた理由?お前の父親が元で、俺達の氏族は滅んだ理由。本当の理由?お前の父親が全て原因を作った。気狂いに理由なんかない。焦土となった故郷が結果だ」


「お爺ちゃんの話を聞きたい。本当は何があったのか」


「お前の言う本当の意味がわからない。例えお前の祖父が何を言ったとしても、罪は重くなるだけで軽くはならない」


 興味を失ったように、男は器具へと顔を戻した。

 頭の中が痺れている。

 もっとちゃんと質問したかった。


「今日、喰われそうになって思い出した」


 私は振り返り、他の作業をする者から距離がある事を確認してから続けた。


「タンタルの砦にいた時」


「タンタルの水没時にいたのか?」


 男が急に身体ごと此方を向いた。


「水没は知らない。砦の中の雰囲気がおかしくなって。私は岩山側の塔に閉じこめられていた。」


「西の塔か?」


 思いだそうと目を閉じる。

 確かに西日が部屋にあたっていた。

 窓をあけると岩肌と下には急な水の流れ、陽の沈む山の峰がある。

 鳥が時々空をよぎる。

 私は一日、部屋の隅に座っていた。

 煩くするのが怖かった。

 怖くて?


「下が急流になってた。父さんも、その頃になると変だった。気分がころころ変わって、まるで別人みたいになる。私も怖くて、なるべく塔の部屋から出なかった」


 男は仕切の布を引くと、他の作業の者に聞かれぬようにした。


「声を落とせ。あの砦にいつまでいたんだ?」


「わからない」


「分からないはずがなかろう?それとも嘘なのか」


 黒い瞳には日輪のような黄金の輪が回っている。

 それが輝いて、恐ろしい。

 ただ、この目の前の人は、少なくとも正気だ。


「夏の終わり頃、多分、最後の年。皆が焼かれた年。でも、わからない。部屋にいたから。部屋から出た後も、気がついたら別の場所だった」


「別の場所?」


「最後の晩、父さんはずっと泣いてた。私が慰めようと近寄ったら突き飛ばされた。それから、私を両手で抱えると、窓から投げ捨てた」


 男は悪態をついた。


「記録にはそんな事は書かれてなかったぞ」


「父親に川に突き落とされて死にかけたなんて認めたくなかった」


「嘘をついたんだな。いや、こんな話を真面目に聞くのは無駄か」


「自分に嘘をついた。そんな記憶は嘘だって。でも、今日思い出した。父さんは、私を助ける為に窓から投げた」


「馬鹿な」


「父さんの頬、頬の皮が動いていた。盛り上がって何かが動いていた。手もそう。手の甲に何かが動いていた。父さんは泣いていた」


 男は何も言わない。

 多分、嘘をつく哀れで馬鹿な奴だと考えているんだろう。


「避難民の人達に拾われた。最初は意識がなくて。収容所についてから、ずっと寝たきりだった。そこにお爺ちゃんが迎えにきた」


「母親は?」


「私を迎えに来た時には、お爺ちゃんと一緒だった。タンタルの砦では、私は一人部屋で、母さんはいつも父さんと一緒だった。」


「母親は何とお前に言った?」


「何も。お爺ちゃんが砦から連れ出したんだと思った。」


「違う、お前が川に投げ捨てられた事に対してだ。」


 私は、思いだそうと目を閉じた。


 そうだ。

 難民収容所でお爺ちゃんが来て、母さんを連れていた。

 船のあるうちに、外にでる手続きをするのに、急いでいた。

 母さんの側に行った私は、


「母さんは、いつもどおりだった。いつも通りで、何も言わなかった。私がどうして収容所にいたのか、砦からいなくなったのか、何も言わなかった。」


「あの塔から川に投げ落とされて、生きている方が不思議なのにか?」


「そう。父さんの事も、私の事も、何も聞かないし言わない。まるで母さんの思い出だけがあるようで、今が無かった」


「今が無い?」


「そう、今、ここで生きてるような会話が無い。父さんと私と暮らしていた頃の母さんだった。今の私はいない。」


 優しい言葉、変わらぬ態度。

 でも、それはおかしい。

 本当は、おかしいのだ。

 私は、忘れた。

 長い間離れていたから、城塞の暮らしこそが本当だと信じたかった。


「処刑されたのは、父さんだったの?」


 私の問いに、男は眉一つ動かさずに返した。


「何を馬鹿な事を」


「父さん、もう、あの時、おかしかった。処刑されたのは父さんだったの?」


「当たり前だ。衆人環視の元で処刑された」


「でも、死体を処分する前に、身体を改めたでしょ?」


「だから、本人だと確認され記録が残っている」


「でも、父さんの身体から、今日の蛹のような何かは出た?」


「蛹?」


「今日、逃げる時に街の人の身体から、一つ目の根と足のような茎の化け物が突き出た。茎が突き出ると人が肉の塊のような、虫の蛹のような形になった。蛹の真ん中に口があって、人を食べる。そして、その蛹を化け物が食べていると、空気が淀んで酷い臭いになった」


 何も言わない男に気持ちが萎えるが、言いたいことを最後まで言おうと続けた。


「喉の所から動いて、皮膚の下を動いてた。最後の晩の父さんと同じだった。だから」


「だから?それでお前達の何が変わるのだ。卑怯者で嘘つきで、他人の生活を根こそぎ奪い、故郷を不毛にした。それで?」


「原因を知りたいだけ」


「化け物の所為で、お前達に罪はないとでも?」


 男は、笑った。

 冷え冷えとした笑いだ。

 多分、私の心だけでも救われたいという願いを、ただの汚い言い訳と受け取ったのだろう。


「お前達には罪がない?原因はなんであれ、お前達が為した全てはお前達が元だ。悪気がなければ無罪か?人を殺して間違いだったと謝れば、人は生き返るのか?」


「生き返らないわ。だから、せめて本当の事を知りたいだけ」


「本当のことは、もう、分かっている。さぁ、戻れ。お前の祖父は、処刑だろう。お前の処分は、くだらない事を言わなければ今までと同じだ」


「監視の元での労役。くだらない事を言ったら?」


「幽閉か監獄行きだ。まぁ、幽閉する利点がないから、監獄で強制労働だ」


「私が生きて苦しめば、皆の気が済む?あの時、私は子供だった。大人の決定に従ってきただけ。生き残ったのだってそう。生きてる事が罪だと言う。でも、いったい私が何をしたの?私が無知だから悪い?じゃぁ教えてよ。私が選べる他の選択肢があったのか?」


 最後は囁くように言葉が小さくなる。

 泣きたくない。

 私が彼らの子供だから、狡い手段で生き残ったから、と責められる事なんて初めてじゃないんだから。


「だから、お前は処刑されなかった。お前は子供で、親の重罪に荷担したのではない。だが、幾万の民が死んだ。本来なら、一族郎党処刑が妥当だ。だが、お前は子供で、お前の祖父が全てを放棄し己が憎まれる役目を負った。だから、お前は生きている。だが、それで納得できる人間は少ない。お前が何かをしたのではない。お前の存在が憎い。それを酷いとお前は言うが、死んだ者の代わりに誰が殺されて酷いと言えるんだ。」


「だから感謝して罵倒されて生きろと言うの?いいえ、罵倒されてもいい。ただ、本当の事を知りたい。知らずに死にたくない」


「本当の事は分かっている」


「疫病の原因も分かったの?薬はつくれたの?他にもいろいろわからない事だらけでしょ。」


「過程が何であれ、お前が言う通り結果は出た。お前の家族が愚かな事をして、多くの者がその愚かさの代価を払ったという事だ。」


 それは上辺だけの話。疫病の原因も、反乱の始まりと終わりも、そして、あの恐ろしい日々も、痕跡だけで何も分かっていない。

 父さんは処刑された。

 記録があるのなら、何が起こっていたのか、本当はもっと具体的に公表されるのではないか?

 それとも、私だけが知らないのか?


「今日、あの化け物が、私を知ってるって言った」


「嘘はよせ」


「私を食えなかったって。今度は喰ってやるって」


「出て行け」


 怒鳴られて、身体が震えた。

 分かってる、この兵隊だって家族を殺されたんだろう。

 私が死ねばいいと、思ってる。

 でも、今日の事を一応伝えた。だって、お礼は言えないから。

 お爺ちゃんと私を助けてくれてありがとうと言いたい。

 けれど、それは怒りを買うだけで、感謝を伝えても嫌悪されるだけ。

 ふと、気にかかった事を最後に聞いた。


「私は子供だったから、お爺ちゃんは憎まれ役として、では、母さんは何の為に生かされたの?」


 男の黒い瞳が、不意にぼんやりとした。


「母さんの身体から、妙な物が広がった。私の身体からも出るの?」


「出ない」


「あれは何?」


 男は背を向けると器具に顔を戻した。

 もう、答えは無いだろう。


「確かに、辻褄のあわない事が多い」


 出て行こうとした私の背に言葉がかけられた。


「もし、それがお前を更に苦しめる事でもいいのか?」


 私が頷くと男は言った。


 何か分かったら教える、と。






 寝床に戻ると猫が上にのぼってきた。

 泣いている私に気がついたのか、一晩中私の側で喉をならしては尻尾で叩く。

 眠気は中々訪れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ