ACT178 挿話 陽がのぼるまで 中
ACT178
奥歯を噛みしめて、睨む。
血みどろの杭が撓み、目の前に迫る。
私は眼を見開き、精一杯牙を剥く。
憎い、お前達の所為だ。
お前達を憎む。
死んでも憎む。
殺されたって
こわいよ
(外道共が!)
私達に絡む根と杭の間に、鈍色の何かが通り過ぎた。
それは背後の異形の頭部に音を立てて食い込んだ。
手斧だ。
ブチブチと音を立てて根が引き千切れる。
手が自由になるとお爺ちゃんは、残りの根を断ち切った。
蛹の眼は、私達から離れ通路の先に鎌首を向けた。
兵隊だ。
武装した男達がいる。
私達を見た男達が吠えた。
酷く苛立たしい声だ。
叫んだのが私だったからだろうか?
死んでしまえと思う者だったから?
濁った空気に噎せながら、私とお爺ちゃんは壁際に下がる。何とか伸びてくる根を切り払う。
私達を喰おうとしていた茎が下がり、あの奇怪な姿の男達が進み出る。爪と牙を剥きだして、醜い声を上げている。
それを見て、兵士達が吠えた。
先頭の、特に大きな男達の姿が変わる。
ムクムクと身体が膨れ上がり、雄々しい先祖の姿になった。
先頭の兵隊は、曲刀を手に持ち、白と黒の毛並みを逆立てた。
その後ろの男は更に大きく、小山のような姿に巨大な鉞を担いでいる。鉞の兵隊の傍らには、やはり大きな男が重い奇妙な形の槌を抱えて進み来ていた。
目の前を白と黒の毛並みが通り過ぎる。
曲刀を構えた兵士は、襲いかかってくる者を、柔らかい飴を切るように撫でて両断する。
隙をついて絡む根は、牙を剥き出しにして軽々と引き千切った。
助かったの?
でも、あの眼は、相変わらず私達に向かってきていた。
多分、弱い私がいるからだ。
お爺ちゃんの剣は、ぬるついてよく切れなくなっていた。
二人でジリジリと壁を伝うが、次々と根と茎が迫ってくる。
それに空気が、吸い込む度に身体がしびれた。
その所為か足が滑って私は転んだ。
転ぶと根が私の身体に絡む。
お爺ちゃんが手を伸ばすけど、先ほどの威嚇で力んだからか、この空気の所為か、身体が思うように動かない。
(下がっておれ)
ゴウッと音を立てて炎が上がる。
それと同じく、私達に迫っていた茎を、大きな鉞が切り上げた。
焦げ茶色の毛並みに牙を剥きだした兵隊が唸る。
そのうなり声と大鉞の威力に、襲いかかって来ていた化け物が怯んだ。
(ほぅ、多少は知性があるのか?)
呆然と見上げ転がる私を、鬣の兵隊が引き起こした。そして、執拗に迫ってきていた眼の一つを、大きな槌で叩き潰す。
(女を虐めるとは、許さん)
そして根を手に絡めると元をずるずると引きずりだす。騒ぎ暴れる蛹を守ろうと敵が食いつこうと殺到する。
それを一振り大槌を引き回す。
容赦のない重い一撃が肉片を飛ばして、敵を潰していった。
上がる炎に私達は安堵した。
炎が走ると淀んだ空気が薄くなるような気がした。
それから直ぐに後続の兵隊達が、私達を通路から押し出した。
そして彼らも大声で唸り吠え、化け物に襲いかかっていった。
通路を戻る。
だが、お爺ちゃんは疲れているし、私の身体は痺れたままだ。
通路の中程で立ち止まると、二人でそのまま腰を下ろした。
少なくとも、誰もいない。
化け物もいない。
奥の行き止まりでは、派手な炎が上がっている。
大丈夫、あんなに強いんだから、大丈夫。
震えながら言い聞かせる。
「ビミン、今度から、私を庇っては駄目だ」
お爺ちゃんの声が、やけにはっきりと聞こえた。
お爺ちゃんは血みどろで、片目が赤くはれていた。
「ビミン、私が、全部、悪いんだ。」
いつもより、ずっとしっかりと私を見た。いつも、どこか曖昧な感じの表情が、今は違っていた。
「お爺ちゃんが、原因だ。私が死ねば、お前は自由だ。私の名前なんか捨ててしまえばいい。お前を受け入れてくれる居場所はいくらでもある。私が死ねば、お前は自由だ」
その言葉に、私は悲しみより、悔しさがわいた。
お爺ちゃんは勘違いをしている。
「違う」
「お前の両親を殺したのは、私だ。もっと早く死ねばよかったんだ」
「違う」
「お前の父親を間違った道に進ませのも、レンテの事も、私がやった。自分がある時に、早く」
「違う」
「沢山の人が死んだのも、私が間違った考えが元だ」
「違う、違う。そうじゃないの、私は生きてる。私の人生は自由だ。今だって自由だ。気がついた。私は間違ってない。たとえ、どんな真実があったとしても、私は間違っていない。私は、人の犠牲で生きてきた。だけど、それでお爺ちゃんが死ぬ?幸せになっちゃいけない?違う、間違っている?違う、違う」
叫ぶ私の口を手で塞ぐと、お爺ちゃんは言った。
「死んだ人をこの世に繋いだ。間違った事をした。最初にお前のお婆ちゃんに使った。次は、お前の父さん、次は、レンテに入った。お前の不幸を生み出したのは、すべて、私だ。」
死んだ人?
呆然とする私を見て、お爺ちゃんは顔を背けた。
そして、奥から戻ってきた兵士に言った。
「話したい事があります。バルドルバ卿にお伝え願えますか?」
曲刀と手斧を持った兵士は、蔑んだ眼でお爺ちゃんを見据えた。
「今更か?遅きに失するとは思わなんだか?」
お爺ちゃんは、恭順の姿勢をとり地に伏した。
私は、勝手に涙が溢れてしかたが無かった。
夜中に目が覚めた。
時間の感覚がおかしい。
隣には、オリヴィアと猫が寝ている。
体の検査をして、洗浄を受けた。
衣服は焼却されて、簡素な服を渡された。
城の宿舎には、検査を終えた城下の人達もいる。
お爺ちゃんとは、城塞に入ったら直ぐに別になった。
それ以来会っていない。
疲れているのに眠れない。
母さんの事、お爺ちゃんの事、化け物、何だか、頭が一つも働かない。
あんなにはっきりと物事がわかったような気がしていたのに。
私は再び、霧の中にいるような気がした。
今度こそ、忘れずに考えなくてはならない。
そう思うのに、母さんの最後の姿を思い出すと、息苦しくて寂しくて。
お爺ちゃんの事を、話を考えると、怖い。
本当の事は、もっと醜く辛い事だったらと思うと。
私は布団から抜け出ると、通路に出た。
猫が目を覚ましたので、寝ているように言うと鳴いた。賢い猫だ。
通路を朧気な記憶を辿り進む。
多分、ここにいるだろうという部屋を覗く。
けが人や病人が寝かされ、奥では血液を綺麗にする処置が行われていた。
目指す男を捜していると、直ぐ、奥の部屋で奇妙な器具をのぞき込んでいた。
「何だ?調子が悪いようなら、医務官の所へ行け」
恐ろしい声の調子に、私は既に怖じ気づいていた。
「言葉にしなければ、何も分からん。用が無いのなら出て行け」
私は言葉を何とか押し出した。
「お爺ちゃんは、どうなるの?」
それに黒髪の男は、鼻で笑った。
「罪に見合った罰を受けるだろう。軍事法廷での偽証は斬首と決まっている」
それから私の方をちらりと見ると、馬鹿にしたように言った。
「親族も同じく罰を受けるだろうな。自分だけ助かりたいのか?」
私は、何だか悲しい気持ちと一緒に、腹がたった。
「だから何?私は、本当の理由を知るまで死なない。」
「理由がわかったら、おとなしく死ぬか?」
汚い物を見るような目だ。
「本当の理由を知りたいの」
男は塵でも見るような目で私を見た。
「本当の理由?お前の父親の反乱の理由か?それとも無辜の民を屠殺した理由か?まだあるぞ、疫病の元を広げた理由?お前の父親が元で、俺達の氏族は滅んだ理由。本当の理由?お前の父親が全て原因を作った。気狂いに理由なんかない。焦土となった故郷が結果だ」
「お爺ちゃんの話を聞きたい。本当は何があったのか」
「お前の言う本当の意味がわからない。例えお前の祖父が何を言ったとしても、罪は重くなるだけで軽くはならない」
興味を失ったように、男は器具へと顔を戻した。
頭の中が痺れている。
もっとちゃんと質問したかった。
「今日、喰われそうになって思い出した」
私は振り返り、他の作業をする者から距離がある事を確認してから続けた。
「タンタルの砦にいた時」
「タンタルの水没時にいたのか?」
男が急に身体ごと此方を向いた。
「水没は知らない。砦の中の雰囲気がおかしくなって。私は岩山側の塔に閉じこめられていた。」
「西の塔か?」
思いだそうと目を閉じる。
確かに西日が部屋にあたっていた。
窓をあけると岩肌と下には急な水の流れ、陽の沈む山の峰がある。
鳥が時々空をよぎる。
私は一日、部屋の隅に座っていた。
煩くするのが怖かった。
怖くて?
「下が急流になってた。父さんも、その頃になると変だった。気分がころころ変わって、まるで別人みたいになる。私も怖くて、なるべく塔の部屋から出なかった」
男は仕切の布を引くと、他の作業の者に聞かれぬようにした。
「声を落とせ。あの砦にいつまでいたんだ?」
「わからない」
「分からないはずがなかろう?それとも嘘なのか」
黒い瞳には日輪のような黄金の輪が回っている。
それが輝いて、恐ろしい。
ただ、この目の前の人は、少なくとも正気だ。
「夏の終わり頃、多分、最後の年。皆が焼かれた年。でも、わからない。部屋にいたから。部屋から出た後も、気がついたら別の場所だった」
「別の場所?」
「最後の晩、父さんはずっと泣いてた。私が慰めようと近寄ったら突き飛ばされた。それから、私を両手で抱えると、窓から投げ捨てた」
男は悪態をついた。
「記録にはそんな事は書かれてなかったぞ」
「父親に川に突き落とされて死にかけたなんて認めたくなかった」
「嘘をついたんだな。いや、こんな話を真面目に聞くのは無駄か」
「自分に嘘をついた。そんな記憶は嘘だって。でも、今日思い出した。父さんは、私を助ける為に窓から投げた」
「馬鹿な」
「父さんの頬、頬の皮が動いていた。盛り上がって何かが動いていた。手もそう。手の甲に何かが動いていた。父さんは泣いていた」
男は何も言わない。
多分、嘘をつく哀れで馬鹿な奴だと考えているんだろう。
「避難民の人達に拾われた。最初は意識がなくて。収容所についてから、ずっと寝たきりだった。そこにお爺ちゃんが迎えにきた」
「母親は?」
「私を迎えに来た時には、お爺ちゃんと一緒だった。タンタルの砦では、私は一人部屋で、母さんはいつも父さんと一緒だった。」
「母親は何とお前に言った?」
「何も。お爺ちゃんが砦から連れ出したんだと思った。」
「違う、お前が川に投げ捨てられた事に対してだ。」
私は、思いだそうと目を閉じた。
そうだ。
難民収容所でお爺ちゃんが来て、母さんを連れていた。
船のあるうちに、外にでる手続きをするのに、急いでいた。
母さんの側に行った私は、
「母さんは、いつもどおりだった。いつも通りで、何も言わなかった。私がどうして収容所にいたのか、砦からいなくなったのか、何も言わなかった。」
「あの塔から川に投げ落とされて、生きている方が不思議なのにか?」
「そう。父さんの事も、私の事も、何も聞かないし言わない。まるで母さんの思い出だけがあるようで、今が無かった」
「今が無い?」
「そう、今、ここで生きてるような会話が無い。父さんと私と暮らしていた頃の母さんだった。今の私はいない。」
優しい言葉、変わらぬ態度。
でも、それはおかしい。
本当は、おかしいのだ。
私は、忘れた。
長い間離れていたから、城塞の暮らしこそが本当だと信じたかった。
「処刑されたのは、父さんだったの?」
私の問いに、男は眉一つ動かさずに返した。
「何を馬鹿な事を」
「父さん、もう、あの時、おかしかった。処刑されたのは父さんだったの?」
「当たり前だ。衆人環視の元で処刑された」
「でも、死体を処分する前に、身体を改めたでしょ?」
「だから、本人だと確認され記録が残っている」
「でも、父さんの身体から、今日の蛹のような何かは出た?」
「蛹?」
「今日、逃げる時に街の人の身体から、一つ目の根と足のような茎の化け物が突き出た。茎が突き出ると人が肉の塊のような、虫の蛹のような形になった。蛹の真ん中に口があって、人を食べる。そして、その蛹を化け物が食べていると、空気が淀んで酷い臭いになった」
何も言わない男に気持ちが萎えるが、言いたいことを最後まで言おうと続けた。
「喉の所から動いて、皮膚の下を動いてた。最後の晩の父さんと同じだった。だから」
「だから?それでお前達の何が変わるのだ。卑怯者で嘘つきで、他人の生活を根こそぎ奪い、故郷を不毛にした。それで?」
「原因を知りたいだけ」
「化け物の所為で、お前達に罪はないとでも?」
男は、笑った。
冷え冷えとした笑いだ。
多分、私の心だけでも救われたいという願いを、ただの汚い言い訳と受け取ったのだろう。
「お前達には罪がない?原因はなんであれ、お前達が為した全てはお前達が元だ。悪気がなければ無罪か?人を殺して間違いだったと謝れば、人は生き返るのか?」
「生き返らないわ。だから、せめて本当の事を知りたいだけ」
「本当のことは、もう、分かっている。さぁ、戻れ。お前の祖父は、処刑だろう。お前の処分は、くだらない事を言わなければ今までと同じだ」
「監視の元での労役。くだらない事を言ったら?」
「幽閉か監獄行きだ。まぁ、幽閉する利点がないから、監獄で強制労働だ」
「私が生きて苦しめば、皆の気が済む?あの時、私は子供だった。大人の決定に従ってきただけ。生き残ったのだってそう。生きてる事が罪だと言う。でも、いったい私が何をしたの?私が無知だから悪い?じゃぁ教えてよ。私が選べる他の選択肢があったのか?」
最後は囁くように言葉が小さくなる。
泣きたくない。
私が彼らの子供だから、狡い手段で生き残ったから、と責められる事なんて初めてじゃないんだから。
「だから、お前は処刑されなかった。お前は子供で、親の重罪に荷担したのではない。だが、幾万の民が死んだ。本来なら、一族郎党処刑が妥当だ。だが、お前は子供で、お前の祖父が全てを放棄し己が憎まれる役目を負った。だから、お前は生きている。だが、それで納得できる人間は少ない。お前が何かをしたのではない。お前の存在が憎い。それを酷いとお前は言うが、死んだ者の代わりに誰が殺されて酷いと言えるんだ。」
「だから感謝して罵倒されて生きろと言うの?いいえ、罵倒されてもいい。ただ、本当の事を知りたい。知らずに死にたくない」
「本当の事は分かっている」
「疫病の原因も分かったの?薬はつくれたの?他にもいろいろわからない事だらけでしょ。」
「過程が何であれ、お前が言う通り結果は出た。お前の家族が愚かな事をして、多くの者がその愚かさの代価を払ったという事だ。」
それは上辺だけの話。疫病の原因も、反乱の始まりと終わりも、そして、あの恐ろしい日々も、痕跡だけで何も分かっていない。
父さんは処刑された。
記録があるのなら、何が起こっていたのか、本当はもっと具体的に公表されるのではないか?
それとも、私だけが知らないのか?
「今日、あの化け物が、私を知ってるって言った」
「嘘はよせ」
「私を食えなかったって。今度は喰ってやるって」
「出て行け」
怒鳴られて、身体が震えた。
分かってる、この兵隊だって家族を殺されたんだろう。
私が死ねばいいと、思ってる。
でも、今日の事を一応伝えた。だって、お礼は言えないから。
お爺ちゃんと私を助けてくれてありがとうと言いたい。
けれど、それは怒りを買うだけで、感謝を伝えても嫌悪されるだけ。
ふと、気にかかった事を最後に聞いた。
「私は子供だったから、お爺ちゃんは憎まれ役として、では、母さんは何の為に生かされたの?」
男の黒い瞳が、不意にぼんやりとした。
「母さんの身体から、妙な物が広がった。私の身体からも出るの?」
「出ない」
「あれは何?」
男は背を向けると器具に顔を戻した。
もう、答えは無いだろう。
「確かに、辻褄のあわない事が多い」
出て行こうとした私の背に言葉がかけられた。
「もし、それがお前を更に苦しめる事でもいいのか?」
私が頷くと男は言った。
何か分かったら教える、と。
寝床に戻ると猫が上にのぼってきた。
泣いている私に気がついたのか、一晩中私の側で喉をならしては尻尾で叩く。
眠気は中々訪れなかった。




