ACT176 挿話 黄昏まで遊ぼう
ACT176
手渡された大鉞を握る。
柄に巻かれた金属板が好い重さを手に伝えてくる。
金属の固まりのような武器を担ぐと、スヴェンは機嫌良く城を出た。
今日は実に気分が良い。
気分良く過ごす秘訣は、小難しい事を考えない事だ。
考えたところで、悲しみも苦しみも、避けては通れない。
行く末を悩む暇は無い。
ただ、無為自然に生きていく。
この世は..
「面倒だな、イグナシオを呼ぶか」
「勘弁してくだせぇ、ロスハイムの旦那。地面が抉れるほど焼かれたんじゃぁ、元から塩にやられてるんだ。人が住めなくなっちまう」
ウォルトの本気の返しに、スヴェンは大げさに唸った。
「油薬で焼くより、一気に」
「だから、駄目ですって。..飽きたんですね」
「うむ」
アッシュガルトの住民を避難させた後、第八は街の制圧に乗り出した。秩序回復治安維持、と銘打ち、家屋を死体を焼き、破壊して回る。
しかし、どこからわき出るのか、変異体が散発的に現れる。
「歯ごたえがな」
「そりゃ、旦那にしてみりゃぁ、遊びにもならんでしょうがね。普通の兵隊には、装備を溶かされるわ、汚いわで」
「近頃の若い者は軟弱だな」
「若い者って、旦那も若いでしょうが」
見た目に反して、スヴェンはオービスより年下である。
直属隊の年齢は、オービス、モルダレオ、エンリケ、スヴェン、そしてカーンと続く。
サーレルとイグナシオは同年だ。
ただし、中央軍内の年功から並べると、スヴェンが最古参である。
彼は幼年から、軍に引き取られているからだ。
元は、神殿預かりの審問官見習いという異例の経歴を持っている。
故に、オービスの甥の脳味噌を本気で心配した。
中身と今後の両方。
審問官とは何か?
という基本的な事を知らないとは、軍人としては失格である。
彼らは、常に罰を与える準備をする者だ。
許しという言葉など彼らには無い。
妥協も、許容も、そして想像力もだ。
それは刃物と同じであり、凶器なのだ。
いくら暴力担当ではない者もいるとは言え、一人でも審問官を前にしたことがあれば、その異質な魂の感触を誰もが理解する。
異端審問官という立場の彼らこそ、人間社会での異端なのだ。
あの娘、脆い子供を見て、審問官と疑う?
余程、腐土領域で怖じ気付いたのだろう。
「情けない」
「何がです?あぁ、彼奴等ですね。おーい、そこは燃やすなって言ってんだろうがぁ!...確かに今時の奴らぁ、駄目ですねぇ」
一中隊を五小隊に分け交代で、鎮圧任務をこなしている。
小隊は三人一組分散し、中心街を探索しているのだが、新兵も混じっているので今一つ連携が悪い。
スヴェンが見たところ、己の力を過信している者が多いのだ。
今も兵の一人が、変異体を正面から石榴の様に潰してしまった。
不意を突かれて焦ったのだろう。装備は虫にまみれ、酷い有様である。慌てた仲間が表面焼きにしているが、程々にしないと本気で骨まで焼けそうだ。
ウォルトの商会の面々が、街を案内しつつ先導しているから良いものの、やはり今の編成が良くない。練度も足りない。
練度の足りない者を補充されたのは、失策に対する罰則分でもある。
実は前期任務で、第八の古参兵を二個中隊、二人の上級中隊長ごと失っているのだ。
この上級中隊長の死は、検証により指揮段階での失策であるとされた。
前期任務は、腐土領域での陣地確保と拡大であった。
件の中隊は、前線での拡大作業の護衛任務についていた。
だが、腐土風と呼ばれる臭気が酷なり、作業をする他団兵士の中に発狂する者が出現した。
まず、彼らを撤退させる旨を指揮所に要請するが、指揮所からの返答は、風向きの変化が望める事から、様子を見ろとの指示だった。
だが、どんどんと空気も悪く、発狂どころではない異様な様子が見て取れた。
それでも、指揮所からは撤退許可が出ない。
苦肉の策として、第八二個中隊以外を先に、作業区域から退避させた。
死亡した上級中隊長達の決断のおかげで、先に逃げた他団の者は助かった。
なぜなら既に、指揮所の方に腐土風が吹き、混乱の末に第八本体が退避してしまっていたのだ。
いくら撤退指示を待ったところで、カーザ等はとうに逃げ出していたのだ。
兵団の処分にカーザ達第八上級士官達は不服を唱えた。
この不服を唱えたことにより、兵団本部の処分は厳しくなった。
その指揮能力以前に、適正への不安の声が挙がったのだ。
死した中隊長二名以下は、第八の本分である交戦活動を最後まで行ったが、作戦指揮部は支援を怠った。
今までにない異常な場所での戦闘に、カーザを含めた士官達が情報を読み間違ったのだ。
戦略的撤退とカーザは報告したが、要するに、味方を見捨てて逃げた事に代わりはない。
それも、意味のある犠牲ではない。
指揮からの用兵が混乱し、間違った情報を流し続けた。
接収された状況図から、上級士官達、カーザの集めた者達が、混乱を増長したと読みとれた。
カーザが、古参兵、今の統括とカーンが使っていた上級士官や補佐官を作戦指揮から排除していたのも一因である。
つまり、指揮権を握っていたのは、頭脳はあるが経験の浅い者ばかりだったのだ。
この人事には、本部からも辛辣な声しか聞こえない。
何しろ、貴族出身の、同じ高等教育部の士官で固めたのだ。
それを止めなかった本部も本部なのだが、コネ人事は、どこにでもあると証明した訳だ。
この前期任務の前に、移動を言い渡された古参の上級士官達を追って、経験豊富な下士官と兵士が移動したのは、軍内でも有名だ。
支援の途絶えた二個中隊は、八八、愚連隊としての示威行為を最後まで続けた。
八八は、決して戦略的撤退以外の逃げをしてはならないからだ。
迷走する用兵に、孤立した彼らの最後は、死体も残さぬ爆死だった
それも逃げずに敵を巻き込み、死体を残さずと立派な愚連隊の兵士として死んだ。
異形の者が跋扈し、仲間が狂って喉を掻き切ろうと、逃げる姿を晒してはならない。彼らが逃げる時は、諦めると同義だ。それは全軍の士気にもかかわる。
それがどうだ。
書類に綺麗な言葉をつらねて、自分達の失策の言い訳を並べる。
そんな上官に誰が信頼をよせるだろうか?
王国には東西南の軍団がある。
そして南領軍団には、第一から第十迄の兵団がある。
そして南領第八兵団には八つの師団があり、その第八師団は、歴史的に先陣をきる先備えの役割をもつのだ。
だから、この第八は、南領軍団で一番の荒くれであると威勢を見せなければならない。
スヴェンからすれば、高等教育を受け、飢える事無く生きてきたお育ちの良い者ほど、愚連隊と呼ばれる意味を分かっていない。
その良い例がカーザとオービスの甥だ。
彼らは南領の貴族として、綺麗な場所で生きてきた。
知識は人一倍だが、それ以外は酷く未熟である。
世間知らずというのだろうか。
二個中隊を無駄死にさせた失策の罰則と考えているなら、彼らに復活の機会は無い。
彼らは若く、未熟。
もちろん、皆、若い内は馬鹿をやるものだ。
成長するかつぶれるかは、それをどう自分で処理し、生かせるかにある。
たぶん、後から考えると恥ずかしくて下を向くような失敗も多々するだろう。
その一つが名乗りだ。
スヴェンからすると、カーザが軍団長と名乗る度に笑い出さないようにするのが大変だ。
今現在の十兵団の長は、王国軍の統括長も兼ねているので南領軍団長を名乗れない。だからといって、伝統的な師団を率いる者が昔から南領軍団長になるという慣例があったとしても、今現在のカーザは、軍団長補佐なのだ。
そして誰も何も言わないが、古参の兵士達は、血筋からもウルリヒ・カーン・バルドルバ卿が次期軍団長だと当たり前に思っているのだ。
「ロスハイムの旦那らがいなくなったら、此奴等、自分たちでやれるんですかねぇ」
「一度、喉笛を噛み切られれば認識も変わろう」
「否、それはこっちが困るんでさぁ。」
「もしもの時は、巫女頭殿だけは頼むぞ」
「はぁ、それは了解してまさぁ。いざとなりゃぁ、海が駄目なら陸だろうが何だろうが、あっしらは行けますんで。ただねぇ、八八が潰されたなんて話になったらぁ、バルドルバの旦那が戻されるんじゃぁないですかい?」
右往左往する新兵を見ながら、スヴェンは息を吐いた。
彼にはどうでもいい話だが、カーンは多分、統括長が引っ張るだろう。つまり、第八に戻るのではない。南領軍団長の上の統括補佐の可能性が高い。
しかし、本人の願いは別にある。
それはカーザやオービスの甥には、理解できない願いだ。
それに気がついているのは、統括長ぐらいだろう。
だから、自分の直属隊にしている。
「カーンが尻拭いをする理由は無い。ここで失敗するなら、例の場所には二度と投入できまい?なら、第八なんぞ潰せばいい」
「まぁそうなんですがねぇ。おぅ、そこは焼くのは無しですぜ!ちったぁこっちの話も聞かねぇか、ガキ共が!」
攻撃の調子を崩されて、変異体と無様にやり合う兵士達にウォルトが怒鳴る。
変異体の数は少ないが、少し混乱し始めたようだ。
小隊を後ろから指示する者も冷静さを失い、無闇に焼こうと指示を出す。
それを見つつ、飽きたスヴェンが大きく息を吸い込んだ。
街中に咆哮が響く。
独特の声は、混乱しつつあった兵士の頭に響く。
獣人の本能に響く声だ。
それまで無闇に騒いでいた兵達が、戦いつつも耳を立てた。
「小僧共ぉ、俺達はぁ何者だ!」
咆哮の合間に、スヴェンが怒鳴る。
そして、醜い鳴き声をあげる変異体と、地面に転がりながら組み合う兵士に近寄る。
「俺達はぁ何者だ!」
食いつかれつつも、近寄るスヴェンを見上げて兵士は答えた。
「俺達は、ぐっ愚連隊、八八の愚連隊」
「よぉーし、そうだぁ。俺達はぁ、何者だ!」
虫を焼き炎で喉を枯らす新兵が、噎せながら答えた。
「死をも恐れぬ、愚連隊」
「よぉーし、今日も愚連隊にはぁ、良い日和だぁ」
そうして大鉞を振り上げる。
一閃された鉞が、変異体を胴体からまっぷたつにして跳ね上げた。
「焼けぇい!」
食いつかれていた兵士が転がり、降ってきた死体に油薬がかかる。
一瞬で燃えあげる炎を背に、スヴェンが吠えた。
「小僧共、虫をさっさと片づけろ!愚連隊には臆病者は必要ない。ヌルイ根性の奴はぁ、俺が直々に引導を渡す。わかったか!」
スヴェンの鬼の形相に、混乱は軽く吹き飛んだ。
一通り焼き、変異体の出が減ったので、家屋に入っては、それらしき出現場所を探す。
水回りが怪しいので、井戸の中に入っての確認となるので、それなりの装備がいる。
幸いにも、街中の井戸は鉄の蓋が鍵つきで塞いでおり、位置を地図で確認するだけで殆どが済んだ。
こうなると外の井戸の殆どは除外できる。
後は家屋の中にある物だ。
変異体が通り抜けられるだけの広さの物。
兵士達が一軒一軒探索する中、スヴェンはウォルト達と別れ、街の中心を抜く道を歩いていた。
散歩と称して、一人で巣穴を探している。
巣穴。
街の何処かに巣のような空間があるのではと、彼は疑っていた。
三公領主館へと抜ける通路も、地図上の場所は潰されて見つからない。潰されたと覚しき通路と繋がる場所が、街の何処かに作られているはずだ。
本気でスヴェン自身が探索すれば、発見できない事も無い。と、思っている。だが、これも第八に課された課題の一つだ。方向を示しても助けはしない。
しかし、一応当たりだけは付けておきたいと、一人で街を歩く。
その程度の危機であるとも言える。
今の状況は、管理可能の段階と判断されているのだ。
しかし、事が一端、浄化や殲滅が必要と決めれば、全力であたる事になる。
それはカーザ達が無能であると見切りをつけられる事でもあった。
彼方此方で炎と煙を上げる無人の街並み。
それを眺めながら、南領を焼いた日々が思い出される。
死にたくないと思う者達を集め、苦痛の無いように殺し焼く。
毎日、毎日、朝も夜もなく、殺す。
無辜の民を焼く。
鼻からは人の焼く臭いがとれず、体からは血臭が抜けない。
あの日々の後、スヴェンは悟ったのだ。
自分が狂って逃げる事を許さない為に、辛いことは辛いままに、悲しいことは悲しいままに。
だから、楽しい事は素直に楽しむ。
短い人生だ、せめて後悔無く死ぬ為に、生きる。
だから、軽やかだ。
軽やかに、目の前の異常な事も受け入れる。
「相も変わらず、お美しい。して、どのような用向きで?」
青白い顔を向けて、彼女はスヴェンに歩み寄り、革の小箱を手渡した。
その目は赤く濁り、背の一部は腐れて骨が突き出ていた。
一度腹が裂けたのか、無惨な腹部が赤い肉をさげている。
それでも不思議と彼女の面立ちは変わらず美しく、そして、虚ろで穏やかに見えた。
喋らないのか喋れないのか、彼女はスヴェンに向けて微笑んだ。
箱を受け取り、スヴェンは考え込んだ。
「御身が人でないのなら、始末せねばならぬのだが」
それに彼女は笑うばかりだ。
「娘御や御尊父に、何か伝える事は?」
彼女は頭を振った。
うむ、と頷くとスヴェンは彼女に近寄り、大鉞を振り上げた。
その軌跡を目にしながら、彼女は微笑んでいた。
焼くと小さな実が残った。
それを手にしてスヴェンは笑う。
悲壮悲嘆に沈むのは簡単だ。
微笑み笑い、享楽に浸るのも努力がいる。
この世は広大な遊技場、残酷な子供の遊び場だ。
歩兵の駒を動かすのは、人知の及ばぬ子供の手。
ならば人は苦悩をも楽しまねばならない。
「さて、これをどうするか」
焼いたというのに瑞々しい緑の実を眺める。
少し考えて、それを小箱共々懐にしまう。
そして、彼は空を見上げた。
紫の稲光が雲間をはしる。
今日は、良い日和だ。
スヴェンは大鉞を担ぎ、もう少し遊んでから帰る事にした。
まだまだ、刃こぼれするほど使っていない。
せめて、レンティーヌの供養になる位は遊ばねばならない。
スヴェンは、にっこり笑うと歩き出した。




