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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
188/355

ACT170 説話

 ACT170


 聳えたつ城塞の姿を認め、私は安堵した。


 行き暮れるような日々の末、たどり着いた場所。

 どこかそんな思いがあった。

 教会の部屋に戻りたい。

 クリシィやビミン達は変わりないだろうか?


 背の低い草をかき分けて進む。

 すると機嫌良く先頭を歩いていたテトが鳴いた。

 甘えるような声音ではない。

 怒りを含んだ威嚇音だ。


 側にいた公爵も、カーンも足を止めた。

 トリッシュが風の匂いを嗅いだ。


「焼いてますね」


 私達はアッシュガルトが見下ろせる場所まで丘を走った。




 城塞はアッシュガルトを見下ろす斜面にあり、その更に高い位置にフォックスドレドの沼地がある。

 城塞は見えるが、海岸線は丘に阻まれて見えない。

 その丘の頂までたどり着くと、急に視界が開けて海が見える。

 灰色の冬の海と、恐ろしげな城塞の威容。

 弧を描く海岸線に岬の灯台。

 囂々と吹き抜ける風に、焦げた匂いが混じる。

 目をこらせば、港町から幾筋もの煙が立ちのぼっていた。

 火元を見定めようと視線を動かす。すると、何か視界に引っかかりを覚えた。

 海岸線の近く、黒い何かがいる。


 私は、目をこらした。


 奇妙な動きだ。

 痙攣しながら動いている。

 ぶるぶると頭を振り、両手が力なく垂れている。

 酔ったような足取り。

 人、なのか?


「城塞閉門。旗は通常の中央旗。」


「パトリッシュ、二人連れて先行。ロードザム、公爵につけ。ミアーハ、それを一時隠してこい。残りは三分割、戦闘陣形で待機。モルドビアン、油薬の残量を確認しろ」


 穀物袋を隠すべくミアと担ぎ手が湿地の方へ走る。

 私達は丘に点々と転がる岩の一つへと移動した。

 切り出したような面を見せる岩の影に公爵を潜ませる。その間に、トリッシュ達は城塞の方向へと走り出す。

 死角と風の向きを見ながら、カーンは岩を回り込む。

 私は下ろして貰うと、テトを抱えて雑草の間から下を覗いた。

 何かが燃える匂いに混じり、腐った生臭い匂いがした。

 澱んだ汚水の匂いだろうか?


 あの黒い影は何処だ?


 街の通りを見る。


 目をこらし力を込めると、人の動きが見えた。

 街の者だろうか?

 奇妙な事に、街の者達は争っているように見える。

 掴み合い、殴り、押し倒し、群がるように逃げ回る者に組み付いては囲む。

 道に沿って視線を動かしていくと、そのように争う者もいれば、呆然と立ち尽くして動かない者達も見えた。


 あの黒い影がいない。


 何処だ?


 アッシュガルトの街を素早く見回す。

 視線を左右に振る。

 奇妙な焦りを感じた。

 テトが鳴く。

 威嚇し低く唸る。

 勝手に汗が噴き出して、私は喋れないと言うのに口を手で押さえた。

 じんわりと恐ろしさに飲まれかかっていた。


 二度三度と視線を左右に振ってから、不自然さに気がつく。

 視界に幾つかの屈折がある。

 割れた鏡のように、視界がおかしいのだ。

 視界の隅に、黒い点がある。

 それは街から外れると、私達から右の方向にいた。

 海を見たまま、静かに首を黒い点へと向けていく。

 折り畳まれたように男の周りの景色がずれている。

 まるで割れた鏡のように、男が動くその周りは歪んでいた。

 私はもう少しよく見ようと、草の間から身を乗り出した。

 そして見たことを後悔する。



 目


 目だ。


 ぶれる男の動き、顔が動いてよく見えない。

 だが、その目だけはやけにはっきりと見えた。

 黄色い。

 目の部分が黄色い。

 そして赤い虹彩。

 その目がうねうねと動き回り、何かを探している。

 私は草に伏せた。

 よくわからぬが、恐怖と絶対に相手に見られてはならないと思った。

 テトもおとなしく伏せる。

 否、全員が伏せた。

 皆、何かを感じた。

 奇妙な何か、直接的な暴力ではない、もっと穢らわしい何かだ。

 囂々とうなりを上げる風でさえ、何かを感じたように弱まる。







 フォードウィンの双子

 嘘つき双子

 意地悪な兄を焼いて食べた

 兄が水妖の巣を隠したと嘘をつき

 兄を焼いて食べた


 フォードウィンの双子

 嘘つき双子

 口うるさい母親を煮込んで食べた

 母親が水妖の仲間になったと嘘をつき

 母親を煮込んで食べた


 フォードウィンの双子

 嘘つき双子

 乱暴者の父親を膾に刻んで食べた

 父親が水妖の仲間になったと嘘をつき

 父親を刻んで食べた


 フォードウィンの双子

 双子の娘

 水妖の娘

 本当の双子は腹の中

 焼いて煮込んで刻んで食べた。

 とうの昔にフォードウィンの双子は腹の中







 岩場にザムによって押さえられていた公爵が顔色を変えた。

 何か喋ろうとしたところを、ザムが片手で口を塞ぐ。


 奇怪な呟きが風に流れ、あの奇妙な男が徐々にこちらに向かってくるのがわかった。

 声がだんだん近づいてくるのだ。







 フォードウィンの双子

 水妖の娘

 オールドカレムの男に騙されて

 一族皆腹の中

 最後は双子も井戸の底

 外にはでれぬ井戸の底

 水妖の娘は井戸の底

 フォードウィンの双子

 嘘つき双子

 オールドカレムの男に騙されて

 一族皆腹の中







 何かがゴロゴロと転がるのが見えた。

 伏せた姿勢でも、草の間に転がる物はしかと見えた。


 人の頭部だ。



 捕らえろ


 カーンの指示と同時に兵士達がそれへと殺到した。

 制圧は一瞬で終わるかに見えた。

 だが、それはましらのように逃れた。

 横へ後ろへと跳び、奇声を上げると逃げまどう。

 公爵を守る兵士の側に移動しながら、その姿を目で追う。


 人、なのだろうか?

 体中が返り血でどす黒い。

 伸び放題の髪は灰色混じりの白。

 若いのか年老いているのかもわからない青黒い肌。

 剥き出したような目は黄色く血管が浮き出ており、虹彩は赤い。

 汚れた歯を剥き、きぃきぃとわめいている。

 何よりも、それの体は何かおかしい。

 そこに在るように見えて、何か歪だ。

 屈曲しているかのように、距離がつかめない。

 その証拠に、兵士の手から楽々と逃れ奇声を上げている。

 どうやら、人の目を眩ませる何かがあるようだ。


 と、一人兵士が男の腕を掴んだ。

 動きを止めた一瞬に他の者が飛びかかる。

 だが男の、否、それの腕は弾けた。

 弾けて何か細かな物となり、腕を掴んでいた兵士に飛び散った。


「目を閉じろ!」


 カーンの声と共に、躊躇い無く兵士に油薬が浴びせられた。

 ドンッと空気を震わせて、兵士が炎に包まれる。


「中和!」


 炎に包まれた兵士に、灰色の粉が浴びせかかる。

 粉がかかると炎は一瞬で落ちた。

 消えるというより落ち、せき込みながら兵士が転がる。

 表面は焼けているようだが、目も庇われて息はある。

 人は火傷で死ぬ。

 だが、表皮を焦がしても、彼らは無事のようだ。


 焼き落とした残りが蠢いているのが見えた。

 あれは何だ?

 牛の舌のような赤黒い大きな蛭に見える。

 それが男の腕だったのか?

 蠢くそれを串刺しにしても、中々死なない。

 その蛭を殺している兵士の体に、食いつこうとして数匹が纏まって貼り付いた。


「頼む!」


 モルドが再び少量の油薬を兵士に浴びせ、表面を焼いて消した。


 これは獣人兵士だけの荒技だ。

 他の者だと死ぬ。

 私は慌てて後退った。

 ザムが私を引っ張り公爵と一緒に岩に押しつけた。


「動かないでください。」


 テトは足下で毛を膨らませている。

 公爵は、あの男を見つめて考え込んでいた。

 身を低くして男をじっと見つめている。


 私の視線に気付くと、彼は皮肉げに微笑んだ。

 それから私の耳元で呟いた。


「オールドカレムとフォードウィン、昔話ですね」


 兵達が追いかけ回す異形に、公爵は暗い視線を向けた。


「さても、誰が裏切ったのか」


 只の言葉遊びでは無いようだ。


 私達が身を隠している内に、片腕を弾けさせた男も逃げ場を徐々に失って兵士に囲まれていた。

 相変わらず歯を剥き出しにして奇声を上げていた。

 だが、その弾けた片腕の先が、徐々に赤黒い蛭が溢れだし、失われた部分を補うように延びた。

 手の形にまではならなかったが、蛭の固まりが腕のようになって蠢いていた。


「便利だなぁ、蜥蜴か?」


 カーンは片手で兵士に合図した。

 首と胴体、それに腕に縄が掛けられ、最後に両足が纏めて引き絞られると地面に倒した。

 異形が歯を剥き出しにすると、首にかけられた縄がぎりぎりと締め上げられる。


「お前、何者だ?」


 言葉は無く奇声が返る。

 そこで公爵がザムに頼み、岩場から姿を見せた。


「我が一族は、フォードウィンを差し出した。我が盟友のフォードウィンを水妖を滅ぼす為に差し出した。双子に化けた水妖を滅ぼすために差し出した。自らを喰わせて井戸に沈めたのは、我が盟友のフォードウィン。皆を守って息絶えた。これが正しい昔話の結末。嘘つきはお前だ」


 公爵の姿を見ると、異形は歯を剥き出しにして暴れた。

 ぎりぎりと縄目に縛られているが、その醜い顔は憎悪に歪み、大声で叫んだ。



 バンダビア・コルテス、忌々しい男め!

 何で未だ生きているんだ!

 アーシュラが胸を裂いて死んだのは貴様の所為だ、何故貴様が生きている!

 あの女共々地獄で蛆に喰われればいい!

 死ね、死ぬがいいバンダビア・コルテス。

 冷酷非道な悪魔め!

 呪われて火に焼かれるがいい。



 縄目が更に食い込むと、皮膚が破れて蛭のような肉が蠢く。

 奇声を発する異形に、公爵は微笑んだ。


「あぁ、すっかり忘れていました。何しろ虫けら以下の男でしたから、あぁ、今では虫以下のようですね」



 死ねぇぇええええ、ぎぃいいぃいっぃぃ



「人間なのか?」


「以前は、パロミナ・シェルバンと名乗っていました。面影は皆無です。彼は元々銀髪に薄い灰色の瞳をした人族ですから。」


「シェルバン、とはシェルバン公の血縁か?」


「氏族でも薄い血の男で、貴族籍から抜け商人として身を立てていました。アッシュガルトに来ているとは思いませんでしたが。」


 縄目をかけられた男の頭が、がくがくと震えて動く。

 黄色い瞳が不規則に動き、口からは絶え間なく奇声が漏れた。

 すると歪に体が歪み、男の姿が朧になる。

 何も無い筈の男の回りの空間が、撓んだかと思うと水音がした。

 べっとりとした粘着質の物が落ちる、そんな音がした。

 男の足下に赤黒い物がどろどろと広がっていく。

 縄目を受けた体が歪になり足下から解けている。

 人の形からいよいよ解けて、あの大きな蛭のような生き物の山に変わっていく。


「仕方ない、焼け!」


 油薬と火種が飛び、一瞬にして燃え上がる。

 それでも蠢く物が広がり散らばる。

 縄をそのままに、炎を避けながら皆が蛭を殺している傍ら、男は松明となりながらも呪詛を吐き散らしていた。



 お前の所為でアーシュラは死んだ

 お前達がいるから死ぬんだ

 お前等が生きているから

 お前等が死ねば

 オマエ..マ..シ



 蛭が人の形をとっていたのか、肉の袋に蛭が詰まっていたのか、松明は燃えつきやがて消えた。


 公爵は燃え尽きるのを見つめている。


「冷酷なオールドカレムは身内を餌にしましたが、卑怯者のラドヴェラムは、フォードウィンを見捨てて逃げましたとさ。」


 公爵は小さく笑うと、私を見て続けた。


「冷酷なオールドカレムは、化け物を退治するのに、盟友のフォードウィンの一族を餌にしました。何故なら、盟友のラドヴェラムが奇襲をしてフォードウィンが喰われる前に猶予を作る筈だった。

 ところが、挟み撃ちにする筈のラドヴェラムは、オールドカレムがフォードウィンを助ける前に逃げ出した。おかげでフォードウィンは喰われ、オールドカレムは泣く泣くその体ごと化け物を封じた。」


 そしてつまらなそうに、彼は灰に近寄ると足で蹴り飛ばした。


「昔話と思い軽んじてはいけませんね。因みにラドヴェラムは、今でも十分卑怯者です。もちろん」


 言葉を遮るようにカーンが草むらから、人の頭部をつかみ上げた。


「誰だかわかるか?」


 見たい物でもないので、私は目を閉じた。


「えぇ、三公領主館の主人ですね。随分と小さくなって」


「そりゃ頭だけだしな。封鎖した筈なのに、領主館からこっちに来てたのか?」


「封鎖ですか?」


「騒動で街道は封鎖、アッシュガルトの東側に二重の障害を関代わりに敷いている筈だ。ちょうど貴公を塔から出した頃に受け取った伝令文には完了したとあった。」


「地下もですか?」


「地下だと!」


「アッシュガルトには地下道があります。三公領主館側に抜ける通路が。大潮の時は海の底ですが」


「届け出はなかったぞ」


「多分、古隧道として届けている筈です。大潮の度に水没するので下水か河川表記になっているかもしれない」


「ありえん失態だな。オリヴィア、目を開けても大丈夫だ」


 目を開くと、トリッシュと共にユベルが駆けて来るのが見えた。

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