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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
186/355

ACT168 挿話 兵よ剣を掲げよ盾を押せ 下(後編)

 AT168


 深夜、馬を森に残し、関の近くの藪に潜む。


 監視棟の灯りは薄くおざなりだ。

 光る物を落として、イグナシオ達は地に這う。

 サックハイムは荷駄と共に森にいる。

 己の身を第一に、もしもの時はコルテス領へ入る手筈だ。


 相変わらず、風が強い。


 アッシュガルトから、内地に入ってもこの風だ。

 さぞや海辺は荒れているだろう。


 冬のマレイラは気が塞ぐ。


 それでも、こうして時間を忘れるほど地に伏せているのは、これも神への道なのだ。


 神の御心を知る道。


 やがて、囂々とうなりを上げる風の向こう。

 闇が深く濃くなるように見えた。


 彼らから見れば、右に関、左に森、そしてシェルバンの中心である山の方向が暗い。


 夜空に星は無く、流れる雲は重く。

 濃い藍色に灰色と白の雲が流れていく。

 それも夜の暗さの中である。

 彼らが潜む藪から、その先の山の方向を見ると、淀むように闇が広がり何も見えない。

 光らぬようにと、虹彩を変えたからといって視力が落ちた訳でもない。


 だが、確かに暗い。


 監視棟の灯りが、心細げに闇に線を描く。

 上へ下へとゆっくりと巡る。


 すると赤茶けた砂利、雑草、木、など、夜に沈んだ世界が見える。

 照らされて、身の危険を感じているのか、やけに光りが白く滲む。

 もし闇に何かがいたら、照らされた途端に食いつかれそうだ。


 そんなたわいない事を考えていた時、灯りの動きの中に、気になる物が一瞬浮かんだ。


 気がついたのはイグナシオだけでは無い。

 皆、一瞬にして身を更に伏せた。


 監視棟の灯りが忙しなく動き出し、二対の灯りは一つになった。


 男だ。


 闇夜に男が歩いている。


 監視棟の灯りに照らされているのに、ふらりふらりと歩いている。

 不思議と、その歩みは乱れているのに早い。

 白っぽい光りの中で、その男の輪郭が滲む。


 奇妙な男だ。


 何の人種かは一見しただけでは、わからない。

 青白い皮膚に、目と目の間が離れている。

 のっぺりとした顔に、だらしない口元。

 薄い頭髪に青黒い顔。


 男は関に向かって歩いている。


 一人か?


 否、違う。

 男の背後が蠢いている。

 背後、重い闇が蠢いている。

 イグナシオは目を凝らした。

 だが、たくさんの何かが動いているのはわかるが、それが何であるかは判別できない。

 ただ、その闇に蠢く何かの中心に、誰か、人がいるのが見えた。

 人、と判断したのは、それが人型の輪郭をとっているからだ。

 あの関に現れた肉塊を思い出す。


 また、化け物なのか?


 その視線を感じた訳では無い筈だが、その人型が闇より進み出てきた。

 監視棟の灯りは、相変わらず奇妙な男を照らしていたが、その男の後ろに人型は続いた。


 二人は、囂々と吹き抜ける風の中を、すすっと滑るように関に近寄る。


 すると関の灯りが不意に歪んだ。

 否、一つが灯りの位置を変えて何も無い空に向いた。

 そして、もう一つの灯りは消えた。


 空に光りの帯が消え、そして関の前の二人は影だけになった。


 すると、奇妙な声がした。


 奇妙な鳴き声だ。


 蛙でもなく、鷺の嗄れた鳴き声でもない。


 一番近いのは、猪の鳴き声だろうか?

 キィキィとひきつるような鳴き声がする。

 それが段々と、何かの言葉のような決まった音節を取り始めた。

 舌を巻くような、何か不快な韻を含んでいるのか、聞くと耳の奥がむず痒い。


 鳴き声。


 サーレルの言ったオカシナ男とは、この目の前の奇怪な風貌の者なのだろうか?

 イグナシオの視線が、鳴き男の背後を伺う。

 闇の中の人型は、人族ならば長身であろう体格だ。

 今は関の近くにいるため、闇の中でも灰色の輪郭で浮き上がって見える。

 たぶん、足首までの外套を纏う、男、ではないだろうか?





 どれほどの時間が経過したろうか?


 囂々と唸る風。

 鳴く男。

 佇む人影。

 蠢く何か。





 潜む彼らの前で、全てが揺らいだ。


 突然、体が地面から浮き上がり、一瞬の制止の後、落下する。


 突き上げるような地面の揺れがあり、関の中から何かがメリメリと裂けるような音が聞こえた。



 イグナシオ達は、ひたすら息を殺した。

 揺れの間も声を出さずにいたが、気配は漏れたかもしれない。

 佇む影が、頭を巡らしている。

 関から藪、藪から森へ、そして、もう一度藪を見ている。

 ばれたろうか?

 と、獣人達は思ったが、影はじっと藪を見た後、山の方向へ歩き出した。


 追いかけなくてよいのだろうか?


 サーレルを見ると頭を振った。

 たぶん、追いかける者はいるのだろう。

 彼に随行する者は、見えない場所に最低二人は控えている。


 やがて、鳴き男は関の大門に近づいた。


 夜は閉じられ、入り込むには中から開かねばならない。


 じっと立っている。


 それからゆっくりと関の壁へと取り付いた。


 人の動きではない。

 肩の筋肉が盛り上がり、蜘蛛の様に手足が動いている。

 間接の動きが、すでに、人の構造ではありえない。


「まだ、ですよ。」


 サーレルに押さえられて、仕方なく腰を落とす。


 関の中へと姿が消える。

 やがて、大門を開ける滑車の音が、闇に響いた。


「まだ、です」


 再びの制止に、男達は開いた門を注視した。


 細目に開いた場所から、あの鳴き男がフラフラと出てくる。

 フラフラと風に吹かれた男は、あの影の男と同じく、山の方向へと向かう。

 そして、その後ろには、俯いた男達が続いた。


 殆どは、関の兵士だ。

 男達も体を揺らしながら、夜の闇を歩いている。


「追うのか?」


「現場に遭遇するのは稀です。前は始末されましたが、今回は旨くやるでしょう。いつもより数が多い。自領の民を犯し傷つけて迄何を求めているのか、わかるはず。アレの始末はまだ、我慢して下さい」


 数からして殆どの関の兵士が後に続いている。

 俯き酔ったような足どりで、鳴き男と共に闇に消えていく。


「問題は、この後です。鳴き男の呼びかけに従わなかった者達の方ですね。壊滅した村の生き残りが言うには、鳴き男の声を聞いた男達は、出て行ってしまい、残されるのは女子供。そして、苦しみながらも拒絶した男達。」


「拒絶した?」


「鳴き男の鳴き声は、彼らには言葉に聞こえるそうです。」




 こよ、こよ、こよ、

 古き盟約を果たせ

 こよ、こよ、こよ、

 古き盟約により血を寄越せ




「すると全身が熱くなり、痛むそうです。拒絶した男達は、時を置かずにオカシくなる。助かった女達も体が日をおいて弱り、動けなくなる。子供も年寄りも」


 不意に大門の開いた隙間が緋色になった。

 炎だ。


「おかしくなった男達は、体の痛みから這い回り、やがて正気を失い体も奇妙な姿になる。つまり」



 誰かが焼いている。

 そして、誰かの呟き。



 神よ、お助けください。



 信仰する神は違えども、呼ぶ声は同じだ。

 恐怖におののく心に救いをと、神を呼ぶ。



「共生生物の加工の失敗。」


「シェルバン公は自滅を望んでいるのか?」


「さぁ、それは兵隊達が何処に向かったかでわかるでしょう。」


 人体の加工は、あくまでも加工であり、改変は禁じられている。


 一見すると疫病に見えるが、実際は、共生生物を使った人体の改変とその失敗という結論が、サーレルもエンリケも正解に近いと考えている。


 嘗て、今現在残る種族を作り出した改変技術は、同時に太古の種族を滅亡させた。

 故に、人の肉体の構成自体を改変する行為は禁忌となっている。

 王国がその技術を保有していたとしても、開示される事は無い。

 そしてシェルバンでは、その改変を、共生生物の加工という慣れた技術で代用したのではないだろうか?


 人が肉体を変えようとする目的など、今も昔も大差ない。

 サーレルには、ゲスな輩のくだらない望みが見える。

 だから、つい言いたくなるのだ。


「今助けにいっても、彼らは感謝はしない。きっと我々の所為だと言うし、焼けば我らを恨むだろう。勝手に滅びてしまうのも、いいとは思わないかい?」


 サーレルの言葉に、イグナシオは炎を見つめた。


 囂々と吹き荒れる風が、炎を煽る。

 ゆっくりと、彼は立ち上がった。


「もういいか?」


 それに相方は、肩を竦めた。


「我らは神の僕。人の善悪など些末な事。不浄なるものを滅するのが使命。」



 剣を掲げよ。



 男達は剣を掲げると、大門に向かった。


 実に楽しげな姿に、それを見送る男は言った。


「まぁ、そうですよね。私としては、シェルバン人はどうでもいいんですが、焼け跡を検証したいので、程々でお願いしますよ」


 聞こえてないですね。と、ぶつぶつ言うと後に続いた。









 朝陽が登る頃、数人の住民を保護する。

 関内部の砦は、念のため全てを確認。

 兵士の姿は無く、消却した数とは全く合致しなかった。

 又、住民の証言から、住民の男達も行方のしれない者が多数いる事が確認できた。

 生存者は何れも女性であり、著しく体調を崩している。

 胃腸症状と共に、貧血と目眩を訴えていたが、シェルバンから出ることを何れも拒否した。

 一番近い村落へ彼らを送り、シェルバンへの通報とする。

 王国軍の獣人兵士の駐留を拒否する為、シェルバン村落の役人が関に入る。

 この間、消却後三日。

 イグナシオ達は帰路に着く。

 シェルバン領内にては監視が着くも、何れも脱落。

 又、関で発見された物により、中央の判断に制止がかかる。

 マレイラ浄化の案は、一時見送られる事になる。


 彼らは帰還すると直ぐに、バンダビア・コルテス公爵の自領への復帰随行の任務につく事になる。

 シェルバンの行動による中央軍の派兵等は今のところ無い。

 あくまでも、東マレイラ内での問題解決をはかる事が望ましいとの中央からの指示を受ける。


 又、モルダレオとスヴェン、オービスがアッシュガルト内の問題に対処。そしてエンリケとボフダンの客人であるサックハイムも城塞の窓口として残る予定を随行団に参加することに。

 出発は、中央に判断材料とされた物が、戻り次第となる。



 関で発見された物。



 関の地面が弾けたように穴が開き、その穴の底から壊れた棺が発見される。

 中身は粗方溶けていたが、一つだけ形として残る物があった。


 それは革の装丁の小さな本である。


 棺から発見された物という事で、遺品である事はわかったが、本その物には鍵かかけられており開かなかった。

 これまでも変異体騒動のおきた場所では、鳴き男の訪問後、その場所で何かしらを壊す行為が目撃されている。


 今回は、まるで落雷のように地面が弾けた。


 今までも、某かの物を目標にしていた可能性もある為、この発見された本は、中央にそのまま移送された。


 開錠作業を当初は軍部で試行錯誤したが、その素材を分析した結果、神殿の助力を得る事になる。

 神殿長の見解は、遺物として大変に古く、又、扱いの難しい品である事、専用の鍵で開ける事が望ましく、無理に開いても読むこともできないだろうとした。

 それと同時に、これは先の案件と同様の処置が必要な、遺物であり、出来得れば、鍵を見つける事が望ましく、発見された場合は、開くことはせずに再び神殿へ寄越して欲しいとも意見した。

 この先の案件の発言のおかげで、浄化作戦は一時見送られた。

 不用意な殺傷は、例えそれが浄化であっても、腐土領域の拡大に繋がるからだ。













 イグナシオは、関を、人の残骸を焼きながら思う。


 神が与えてくれた安らぎに報いる為には、いつか、あの場所を焼きに行くだろう。

 地平線を埋め尽くす、亡者の群に火を放つのだ。

 焼いて、焼き尽くして、自分も焼け死ぬだろう。



 だがそれも、他に焼くべきものがなくなったらだ。

 死ぬのには、まだまだ、たりないのだ。



 まだまだ、父母を、兄弟を、友を、愛していた全てを、焼いた報いには足りない。

 憎しみよりも絶望が深く、生きる事が怖いと思った自分を、立たせて押し出したのは、絶対的な価値観だ。

 揺らがない価値観に己を委ねた。

 弱いからこそ、信じた。


 だから、死は怖くない。


 怖いのは、穢れた者共と神の与える死の定めを脅かす物。

 死の安らぎを否定する物。

 目の前の全てだ。



 だから、


 槍を口から突き通し、頭を横に裂いた。

 頭蓋は骨の破片と中身をまき散らす。

 断面は焦げているので、虫の溢れ方も遅い。

 死体を蹴り飛ばすと、次に飛びかかってきた物を、肩口の小盾で押し返す。少しの間に槍を引き寄せると一閃し、後ろの敵の胸を潰す。

 女に食いつこうとしていた一匹を、頭部を掴むと引き剥がし、その向こうで年寄りに馬乗りのなっている物へと槍を飛ばす。

 すると、後ろから追ってきた部下が、斧で引き剥がした敵を絶命させた。それから槍を手放したイグナシオに、担いでいた機械弓を差し出す。

 三連続で撃てる機械弓に、火薬矢が装填されている。

 部下は、そのまま油薬を投げつけながら、槍を取りに向かった。


「後ろに下げろ」


 それとは別の、女や年寄りを担ぎ上げる部下を後ろに下げる。

 イグナシオはゆっくりと狙いを定めた。

 関の境界壁の上に、もがき苦しみ死後の辱めを受ける姿がある。


 だから、



 天に剣を掲げ、穢れを我が身で押し返す。

 この世の何もかもが、至る為の試練。

 目の前の汚濁を消す。

 焼いて、消し去るのみ。

 これが神へ至る道。

 唯一の許しを得る道だ。



 落下する姿は瞬く間に炎に包まれた。

 イグナシオは槍を受け取る。

 朝陽が昇るまで、彼は焼き続けた。

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