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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
185/355

ACT167 挿話 兵よ剣を掲げよ盾を押せ 下(前編)

 ACT167


 ボフダン公爵との面会は、簡単に終わった。


 人族の長命種であり、純人族主義者の多いマレイラだ。如何に貿易と工業で成り立つとは言え、獣人に対して含むものが無いとは思えない。

 思えないが壮年の陽に焼けた人族は、公王親書と軍の書簡に、その場で目を通すと返事を認めた。

 そして、伝令に対する労いという名目で、城での歓待をあっという間に手筈した。


 宴席は一夜で終わり、二日目。


 如才ない公爵は、元老院の者であるサーレルと長々と部屋にこもる。権謀術数とは縁の無いイグナシオは、火薬類と食料などの補充に回った。


 コルテスが美しい湖沼と鉱山、そして芸術を興隆させた土地だとすれば、ボフダンは実利に富んだ工業地である。大陸でも一流の工芸職人も多く、外国人のそして他人種の受け入れも積極的だ。勿論、一部ではあるが。

 街並みも、ボフダンは石と鉄等の建材で作られている。

 人々の服装も一風変わっているし、イグナシオの武器に対する関心も高かった。

 火薬を買い込み、変わった仕掛けの武器を探すと、そこには人種を越えた同好の士がいるものだ。

 珍しい火薬と、その仕掛け類の情報を交換する内に、あっという間に時間は過ぎた。


 三日目、ボフダン公爵の部下である、サックハイムという男を連れて帰路につく。


 言葉を交わした限りでは、特に獣人への忌避感は見受けられない。

 彼は今回の出来事の窓口として、城塞に入る。

 公爵の親類でもあり、聞いたところによれば、特に戦闘に遭遇しても身を守る事はできる程度の心得はあるとの事だ


「人族以外の方との接触が一番多いのが私なんです」


 馬を並べての会話からすると、サックハイムは留学経験があり、商船への乗り込みも一族内では一番経験があるのだ。

 イグナシオから見ると、ひ弱な長命種の若者に見えるが、これでも偏見の少ない人物を公爵は寄越したのだろう。


 つまりサーレルは何も言わないが、ボフダンは王国に対して敵対はしない。という事である。


 シェルバンの最初の関に半日という所で野営をし、四日目が過ぎる。

 サックハイムの体調を見ながらの旅程になるので、行きの強行軍とは逆に数日をかけてになる。


 そして五日目、水場の化け物が出た関に着いた。

 遠目に大門が閉じているのが見える。


「多分、ボフダン側から領境を一時封鎖するという連絡が入っているのでしょう。」


「ボフダンでは、変異体の騒ぎは聞かなかったが?」


「シェルバン出身者は、ボフダン領にもいますから。原因が分からない内は、一時的に制限する方向で話が進んでいます。不用意な人狩り騒動に発展する前に、情報も遮断しようという公爵の決定です」


 サックハイムの説明で、イグナシオも成る程と頷いた。

 シェルバン領の人間が化け物になる。

 という情報だけが流れたらどうなるか。まだ、どのような事が起き、シェルバンという閉鎖的な場所で何が起きているのかも分からない。

 ならば、コルテスとボフダンの両方から、シェルバン公爵とその周りの者に働きかけてからというのが、大筋の流れとして考えられている。


 イグナシオ達伝令は、今回の事に対してボフダン公から、シェルバン公爵からの情報が途絶している事を憂慮している。との言葉を受け取っている。


 シェルバンはここ数年、コルテスの不景気とは対照的に、新規の外洋航路を開拓し、自領の山に、新しい鉱脈を発見するなど好景気にわいていた。


 しかし、相変わらずの政治体制と、閉鎖的な風土から、その景気の良さは外貨獲得にも労働力の増加にも繋がらなかった。


 得た金の流れは、軍事力の増強と公爵周辺に還元され、相も変わらず末端は貧したままという、何とも不均衡不健全な社会構造のままであった。


 そんな中でも、コルテスの鉱山開発技術と、ボフダンの工業技術について縁を切る事はできない。だからこそ定期的な技術交流や、その他のやり取りが、ここ最近になり、ぱったりと途絶えた事にボフダン側も憂慮していたのだ。


 そして、シェルバンに駐留する特使が、初冬に引き上げる事態が起きて、益々懸念を増していたのが現在の状況である。


 特使の引き上げ、というよりも、特使に任命されていた男達は、命の危険を感じ逃げ出したのだ。


 純人族以外の人族を狩る。


 シェルバン領では、純血の人族以外の者を収容するという事態が五年ほど前から起きていた。

 他人種の血が混じった一族を集めて、純人族とは区別し、シェルバン領の血を守る。というお題目でだ。


 実際の理由は、権力と財力のある氏族から財産を没収する公爵の屁理屈である。


 それをまともに信じているのは、シェルバン領内にいる者だけで、端から見れば、独裁者によくある理由付けに過ぎない。

 この多民族国家のオルタスに、純人族と証明できる者がどれほどいるのだろうか?

 公王を支える獣人大公家も長命種大公家も、純血統主義を否定している。

 そう主張しなければ、このモザイクのような世界を国として纏める事はできない。

 血統に価値を見いだすよりも、何を成したのかが重要である。

 純血統を誇るのは、栽培する花の原種を尊ぶような物で、それが全てに優位である訳ではない。

 あるだけで素晴らしいかもしれないが、それだけの話だ。


 これが支配階級の標準的な姿勢だ。

 異なる価値観を有していても、この姿勢を求められる。

 つまりシェルバンの主張を肯定する者は、表だってはいないのだ。

 コルテスにしてもボフダンにしても、風土として他人種を忌避するが、それを公に広める事はしない。

 強行に主張すれば孤立し、全ての活動が停滞すると分かっているからだ。


 しかし、シェルバンでは逆行するように、純人族主義が勢いを持っている。

 劣等血族として、ボフダンの人間にまで、隔離収容の手が及ぶ事態になったのだ。


 他領の特使を捕まえて、お前は純血ではないから、人より劣っているといいだし、収容施設へ送ろうとした。


 シェルバン公はどうされたのだろうか?


 ボフダン公爵は領境に兵士の数を倍増し、民がシェルバンに出るのを控えるように通達した。


「コルテス側はシェルバンに対して、どう思っているんだ?」


 その質問に、サックハイムは表情を曇らせた。


「コルテス公が、表に姿を現さなくなって数年がたちます。それ以後、シェルバン同様交流が途絶えています。ですので、数年前の状況になるのですが。コルテスはシェルバンから、全ての金銭援助も人員も引き上げています。例外は、アッシュガルトの港だけです。それも領兵として出していた人員は、自領の兵力に戻しています。」


「つまり、コルテスとシェルバンは事実上断絶しているのか?」


「それも致し方ない話です」


「どういう事だ?」


 イグナシオの問いに、サーレルが口を挟んだ。


「何はともあれ、関を越えてからです。さぁ、行きましょうか」


 数日前に訪れた時と同じく、大門の横にある鉄格子の穴に向かい、サーレルが呼びかける。

 今回は、間を置かずに返答があった。

 一歩踏み入れて、イグナシオ達は鼻を押さえた。


 臭う。


 獣脂が燃える臭いと腐敗臭、それに何か分からない臭さだ。


「おい、何の臭いだ?この間出た化け物を、まだ、焼いているのか?」


 イグナシオの問いかけに、獣人など珍しい事もあり、覚えていた兵士が答えた。


「違う。水場が腐ったんだ。それであの化け物が出た井戸を埋めたんだが、代わりに掘り抜いた場所の水が臭うんだ。しばらく汲み上げて、様子を見ている。」


 何れも顔色が悪く、あれから数日経つというのに、関の中は未だに騒然としていた。


「それは気の毒に、では飲料水はどうしているんだ?」


 書類をやり取りする間の世間話だ。

 今の状況で、獣人に敵意をむき出しにする労力を惜しんだのか、関役人と兵士達はボソボソと答えた。


「砦の古い堀抜き井戸を使っているよ」


 くすっと小さく誰かが笑う。

 思わず、イグナシオはサーレルに目をくれた。

 表情は真面目だが、目が笑っていた。

 眼差しで、嘲笑していた。


 イグナシオは、あまり世間の動きや複雑な事を深く考えられる方ではないと自己分析している。

 自分は、単純な人間であり、複雑な部分は無いと思っている。

 だが、この時ばかりは、頭の中をここ数日の事柄が一気に流れて繋がるような気がした。



 貴方に向いた任務ですね



「体調の変化はないか?」


「否、特に。どうしてだ?」


 兵士の否定に、イグナシオはもう、何も言わなかった。

 順路に沿って進む。


「少しお願いしたいのですが、この水筒の分だけ水を汲みたいんです。関の中に入るのはご迷惑でしょうから、誰か代わりに汲んで頂けますか?」


 行きとは逆に、サーレルは丁寧にシェルバンの兵士に頼んだ。


「ここの水場はこの有様だ。先に進んで川の水でも汲んだ方がいいだろう」


「まぁ、そうなんですがね。ボフダンの方をお連れしているので、万一水を切らす訳にもいかないんですよ」


 聞こえないように、内緒話の体を装っているが、当のサックハイムは苦笑いだ。


 シェルバン兵は、渋々水筒を受け取ると関の奥へ。


「毒でもいれてくれると面白くなるんですがね」


 期待しているようだが、ボフダンの貴族を連れている上に、獣人に人族の毒は効かない。

 知らずに入れる可能性はあるだろうが。


 水を手に入れると、特に何もなく関を抜けた。

 今回は見物の町の者もいない。

 この異臭でそれどころではないのだろう。


 関を抜け、大門が遠く見える位置まで来ると、サーレルが馬を止めた。

 目の前はシェルバンの森の際で、来る時に野宿をした場所だ。


「如何致しましたか?」


 サックハイムの問いに、サーレルは水筒を差し出した。


「呑まないで、匂いを嗅いでみてください」


 青年は、蓋の開けられた飲み口に顔を寄せる前に、鼻を覆った。


「腐っています!」


 イグナシオにも差し出されたので、確認すると、あの砦の中の匂いと同じであった。


「水は、関砦奥から持ち出しています。わざわざ腐った物を汲んだ可能性は否定できませんが、多分、彼らには、もう、感覚として分からないんでしょう」


「どういう事だ?」


 険しい顔の相方に、サーレルは頷いた。


「今夜はここで野宿です。サックハイム殿にも聞いていただきましょう」





「騒動の発端を探るべく、私の仲間をシェルバンの村落に忍び込ませました。何れも人族の者です。彼らの報告で、暴力事件、まぁ、変異体による物を重点的に追わせました」



 シェルバン公爵領の八割は森林である。

 水源は地下水が殆どで、新しい鉱山の近くには領主の城がある。

 昔は主要な氏族の街々が点在していたが、最近の純人族による人狩りが横行し、大きな街は二つに減った。

 その二つの街は、何れも公爵の息子達が治めている。

 さて、シェルバン公爵の本拠地と二人の息子の街に入る事は、ほぼ不可能なので、近隣の村々へと入る。

 行商を装い、渡り歩く。

 その内、事件の共通点らしき物と、シェルバン公爵についての、ある話が幾度も耳に入るようになった。


「と、ここまで知らせた所で、始末されました。旅の行商だというのに、純血の人族ではないという理由でですよ。野蛮ですね、本当に」


「前から不思議に思っていたのだが、血統を見極めるなど、普通の者には無理ではないか?」


「そうですね。まぁ、血統、言い換えれば名付けの儀式を執り行えるのは、神聖教でいう神官様や巫女様だけですからねぇ」


「どうやってマレイラでは名付けを行っているんだ?」


「普通に、氏族や村の長が名付けるだけですよ。別段、何の血が混じっている何種の子かなんて見極めはしません。何しろ、マレイラの住人は人族ですし、異族は一握りです」


「案外、一番血統を気にしてなかったのは、マレイラの先祖かもしれません。名は、親の物を与えて、種族は見たままを受け入れていくだけです」


 サックハイムの言葉に、獣人達も感慨を覚えた。

 そう、多民族の中央王国の人間こそ、一番気にしているのかもしれない。ボフダンは人種と言うより、異文化や移民の流入の方を忌避しているようだ。


「だが、シェルバン公爵の土地では違う。それとも、本当は血統は口実に過ぎないのか?」


「まぁ、そうかもしれませんが、血統の話はこれくらいにして、本題に入りますよ」


 今回も目立たぬように、森に皆で潜んでいる。


「聞き取りから、変異を起こす前に、井戸の水が濁るそうです。それから、頭のオカシイ男が現れる。それを見た後、住人の内、数人がおかしくなる」


「その頭のオカシイ男というのは何だ?」


「まぁ、これは大ざっぱに言えばという事です。そこでエンリケに報告書を渡しました。エンリケというのは、医務官の資格も持つ兵隊です。エンリケが言うには、この生物には、三つの形態があるのではないかという推論を出しました。推論です、その辺はご理解ください」


「この生物、それは寄生虫の事だな」


「えぇ、この寄生虫には、卵から幼虫、成虫の三段階がありますが、それ以外に、集団としての群の役割があると考えました」


「群?」


「寄生された者達が集団行動を見せるのですから、おかしくはない。つまり蜂で言えば、働き蜂や女王蜂など仕事の役割を群の中で分散している。つまり、産卵するもの、卵を孵すもの、

 そして、集団行動の指揮をとるもの。この三つの役割を果たすものが存在するのでは、とね」


「何が産みつけるんでしょう?」


 嫌そうなサックハイムをサーレルは宥めた。


「まぁ、推論ですから。まず、水が腐る。この腐るという事が、ある種の引き金になり、幼虫が産まれるのではないかという事です。この水をエンリケに渡せば、ある程度推論を埋める事ができるでしょう。」


「水か?」


「腐っていると我々は感じますが、彼らは感じませんでした。さて、この水に何かがあるとします。それが卵が幼虫になる切っ掛けになります」


「あれ?卵はどうやって産みつけられたんですか?」


「おや、気がつきました?元々、体内にあった。では、駄目ですか?」


「おかしいじゃないですか。異物が体内にあるんですよ」


「イグナシオ、貴方はわかりますよね。何故、体内にあるのか?」


「水が濁る前から、体の中にある。それが親子間や、土地を離れた者にも現れるということは、ごく普通の体質として受け継がれている。卵というが本来は無害。なのではないか?」


 言いながら、前から感じている違和感が強くなった。

 眉を寄せる男を見つめながら、サーレルは言った。


「そうですね。本来は無害。この間、イグナシオが焼いた化け物も、本来は水生生物のくくりにあるとします。その水生生物は、水の中で産卵をします。卵は本来水の中にあり、簡単に言えば分泌物を放出し、卵を孵します。幼虫は蛋白質を必要とし、元は水中の」


「待ってくれ」


「はい?」


「その説明は何処かで聞いた事がある」


 イグナシオの制止に、サックハイムも青い顔で頷いた。

 それを見て、サーレルはニンマリとした。


「あんな化け物では無いですが、マレイラではごく普通に存在しますね。エンリケの話を最初に聞いたモルダレオは、他の医師にも確認したそうです。」


「俺の考えは間違っているはずだ」


「どうしてです?これはマレイラの風土病と言ったじゃないですか。つまり、今のところはシェルバン人限定ですが、下手をすればマレイラの全人族にも感染の可能性はあります」


「推論ですよね?」


 恐る恐ると言ったサックハイムの問いに、サーレルはにこやかに答えた。


「南方浄化作戦と同じく、東方も焼くかもしれませんね。イグナシオ」


 言葉を失い、イグナシオは天を仰いだ。

 風土病、つまり、重金属汚染を除去する寄生虫が変異したのだ。


 人族が変異したのではない。


 無害とされる水の中の虫が、変化したのだ。

 最初から、皆、虫だと、寄生虫だと口にして、風土病だと医者は言い。サーレルが笑う意味が今更分かる。

 皆、無意識に言い当てていた訳だ。


「ですが、シェルバン公爵の土地の者が変異した。これは公爵が攻撃を受けた。という考え方にもとれます。」


「加工をした者がいると?」


「そして、もう一つ。公爵が何らかの実験を行い失敗した。私はこの線を押しますね」


「どうしてですか?」


「それを今夜確かめるのですよ」


 指さした先は関の境界壁だ。


「知っていたのか?」


「推論だと言ったでしょう?化け物にしても、関の状況にしても、私が仕組んだ訳ではないですよ?」


 無言でにらみ合うも、イグナシオの方が先に目をそらした。


「あの時、彼らに私たちが忠告をしたとしましょう。彼らは獣人の我らの言葉を信じたでしょうか?焼き払った我々をボフダン側に追い出したのは彼ら自身です。勿論、私は確信犯ですから。今まで以上に嫌っていただいて結構ですよ」


「そんな事はいっていない」


 サーレルを責めるつもりは無い。

 この男は職務に忠実であるだけだ。


「水に触れた様子のない、そう、腐った水を呑んでいない者も変異したが、それはどう説明するんだ?」


「さぁ、他にも条件があるのでしょう」


「どうして、あの関に出ると知っていた?」


「最初の関は予定外でした。予想の参考にしたのは、地下水脈の地図ですよ。水が原因と推測し、水源と騒ぎを照らし合わせる。すると騒ぎは徐々に、水脈の上流から下部へ移動していたと言うわけです。今回の旅程で訪れる先の中で、騒ぎの起きていない場所はこの関だけでした。たぶん、貴方の神のお導きかもしれませんよ」


「水脈地図などあるのか?」


「シェルバン公爵は、新規の財源確保の為に、土地を調べ尽くしました。その時に作られた水脈地図、鉱山の採掘にも必要な物ですから。それを手に入れました」


「機密だな。よく手に入ったものだ」


「えぇ、何人も死にましたよ。だからね、私も成果を出したいんですよ。その地図上で公爵の居城と繋がっている大きなものが、あの関の真下を通っています」


「我が領地にも向かってますか?」


 サックハイムが思わず聞く。


「安心してください。ちょうど領境に堅い岩盤の地層があります。地下水脈は遮られています。」


 それからサーレルは言葉を選ぶように続けた。


「公爵には噂があります。」


「どんな噂だ?」


「公爵の孫が、鉱山を手土産に帰ってきた。彼のお陰で公爵は金持ちになった。純人族を尊ぶ公爵は、その孫が進める純血の血の保護に賛同している。サックハイム殿、公爵に男子の孫などいましたか?」


「いいえ!直系で男子の孫はいません。公爵は、息子以外の血族を抹殺済みです」


 おやおやと呆れてみせる相方にイグナシオが釘をさした。


「関の者を見殺しにするのは、承伏できない。兵士だけならまだしも民もいる」


 途端に脱力したのか、サーレルが額を指で揉んだ。


「そう言うと思いましたよ。私が良いと言う迄は助けに入るのは止めてください。相手に気取られると、それだけ浄化作戦の現実味が増すと肝に銘じて。」


「神の御心のままに、行動するだけだ」


「今回は、神もお許しになります。元を絶たなければ、東マレイラ人族虐殺の任務が入りますよ」


 サックハイムが更に顔色を悪くした。


「人族の、それも発症すれば治療不可能な伝染病という証拠が出たら、中央政府は即座に浄化作業を実行します。そうなると感染の有無は確認不要、全住民虐殺命令が布告されます。今回も我々が対処する確率は高いでしょう。」


「なれば仕方のないことだ」


「ですが、伝染病ではなく、馬鹿な奴らの策略であったら?」


「そうなのか?」


「それを確かめるんですよ。人族を獣人が殺害する行為は、お互いに不利益なだけです。ですから、そのような不幸を避ける為に、状況を見極めて、相手方にこちらの動きが漏れないと確信してから動いてください」


「...」


 イグナシオの沈黙に、サーレルは何度も念を押した。

 内心では、サーレルも見殺しにする気は無いのだが、どうしても、確認したい事があるのだ。その時間稼ぎには、多少静観する必要がある。


 そのやりとりの側では、人族の青年が顔色を悪くしたまま、ぐったりしている。

 そして、改めて、この状況が思った以上、マレイラにとって悪い事に焦った。

 南方の疫病封じ込めが行われた南方浄化作戦で、獣人の民族構成が大きく変わった。多くの部族が消滅したのだ。

 この東で同じ事が起きる。と、想像できる人族がどれほどいるだろうか?

 と、青年は恐怖に襲われていた。

 やるとなれば、中央大陸王国軍はやる。

 マレイラの全面積を焦土にするだろう。

 腐土領域ができて以来、荒廃地域をそのままにするという選択は無い。

 それも平等に、全てを焼くだろう。


 その考えが一端浮かぶと、シェルバン公爵の愚行の巻き添えがボフダンに向かうのは間違いないと思えた。


 狼狽える様を見て、サーレルがイグナシオをつついた。


「神に少し妥協をお願いしてください。可哀想に小動物みたいにガタツいてますよ、彼」


「..善処する」

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