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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
184/355

ACT166 挿話 兵よ剣を掲げよ盾を押せ 中

ACT166


 翌日は強風が吹いていた。


 目の前の関は、ボフダン領境の手前にある。

 故に、塀は高く、その境を相当の距離で隔てている。

 関そのものは、小さな町を抱えた小砦だが、関を越えるに迂回も面倒な長さなのだ。

 監視棟は正面門を挟んで二つ。

 ボフダン側に一つである。

 通り抜ける距離は短いが、常駐するシェルバン兵は中隊規模はいるだろう。

 ただ、三百人程度なら、一人十人ちょっとを戦闘不能にすればいい話だ。

 できれば、イグナシオが火薬をばらまいてくれれば尚良し、等と私怨まみれのサーレルとしては、珍しく騒動大歓迎である。


 逆にイグナシオの興味は、排他的な人族には無い。

 彼の基準は、神の敵対者であるか否か。

 穢れた者共か否かである。




 獣人の兵士達が伝令旗を掲げて接近するのを見て取ると、関は防衛体制をとり、弓兵が配置につくのが見えた。


「うわぁ、馬鹿ですねぇ」


 サーレルの呆れた言葉に、男達は真面目な表情を崩さない。

 馬鹿でも、これがここでの当たり前、彼らは獣人を野蛮人、否、人として認めていないのだ。


「この強風で矢が届くんでしょうか?」


「強弓には見えんが、届くんじゃないか。多分」


「接近したところを射かけるとか?」


「まぁ、もしかしたら当たるかもしれないしな」


 重武装の獣人兵に、通常の鉄の鏃では刺さらない。

 爆裂弾のような火薬入りなら何とかなるだろうか?

 等と、イグナシオが考えていると、正面の門に着いた。


「あれ?飛んできませんね」


「さすがに効果の無いことは分かっているだろう。ダマスク合金の重武装だ。前線の兵士と遜色ない出で立ちに、矢なんぞ刺さるか」


「いえ、ただ、馬鹿そうだったから、お約束でやらかすかと」


「何処の三下悪党だ。関の駐留兵が馬鹿すぎたら、守りにならんだろう」


「彼らに知性は無いと私が保証します」


 本来は開門し、低い柵を二重に敷いて、門番と役人が通過する者を改めるのだが、武装集団の到来に門は閉じられている。



 大門の隣にある、覗き部分の鉄の格子からから声をかけるが、反応がない。


「王国軍伝令旗を掲げている以上、その通行を阻む場合は敵対行動と見なします。と、言う事で大門を爆破しますけど、どうします?」


 わざわざ大声で言うサーレルに併せて、荷駄から攻城戦用の火薬弾が兵士に配られる。

 頭上の弓兵からは見えるだろう。


「はははは、何だか悪役みたいですよねぇ」


 馬上で笑う男に、イグナシオはため息をついた。

 相手にしてみれば、重武装の獣人の集団が、弾薬を抱えてやってきたのだ。

 どう見ても、こちらが悪役である。

 そして、悪役に大門はゆっくりと開くのだった。





 大門から外壁の内側に入ると、通行証の確認となる。

 こちらは正式な伝令なので、書類などは全て正当なものだ。

 シェルバン兵が黙々と規定の手続きをする中、先ほどからサーレルがうるさかった。

 挑発して、お決まりの差別発言をさせようと頑張っている。

 だが、さすがに関役人は、何を狙っているのかは分かり切っているので、殺気だったシェルバン兵も沈黙を貫いている。

 そんな中、物珍しい獣人兵士の集団に、関の住人が見物にきている。

 物珍しいだけならいいのだが、男達の中には、あからさまに罵りを浴びせる者がいた。

 関内の一般市民には、重武装の中央軍兵士だろうと獣人は獣人であるのだろう。

 獣がいい気になるなという趣旨の発言と共に、投石が行われた。

 瞬間、サーレルが笑顔になる。


 イグナシオが相方の腕を鷲掴みするのと、シェルバン兵が市民を叩き伏せるのは同時だった。


「今のは、神の僕としては看過できない。」


 勿論、それはサーレルに対しての言葉だ。


「くだらん憂さ晴らしをするな」


 だが、シェルバン兵には我慢ならない言葉だったようだ。


「貴様等の所為で、こちらはいらぬ事をせねばならんのだ。畜生風情が神を語るなど烏滸がましい限りだ」


 年輩の兵士が、青筋を立てて怒鳴りつける。


「残念だが、貴様等の神と私の神は違う。烏滸がましいかどうかは、神が知っておられる。むろん、私の神はだが」


「野蛮な畜生の神か、さぞや下等な教えだろう。お前達のクサイ臭いがつく前に、さっさと先に進むがいい。元々家畜の分際で、神だと。笑わせる、よほど野蛮な神なのだろう。言葉を操ろうと元は飼われていた家畜を、人と同じに扱うとは何が神だ。偽神め、精々泥人形程度の」


 イグナシオは、ゆっくりと正面から男に向き直った。





 ふと、サーレルが問いかけるように自分を見ている事にイグナシオは気がついた。


 背後の部下も、いつもの無表情が崩れていた。


 そして、自分の槍を持たぬ側の手が、サーレルではなく、神を持ち出した男の喉笛を握り潰しているのが目に入った。


「おぉ、すまん。つい神を貶める言葉を聞いて手加減を忘れた」


 そういうと釣りあげていた男を地面に落とした。


「この位では死ぬまい?」


 首を傾げながら周りに問いただすが、シェルバン兵はイグナシオの動きが見えなかった事に呆然とし。関の住人は、その淡々とした凶暴さを目の当たりにして、人垣が遠のいた。

 返事が無い。

 ため息をつくとイグナシオは、白目を剥いた男をもう一度片手でつかみ上げると、関役人に投げ渡す。渡された役人が二人ほど、意識のない兵士に押しつぶされた。


 実際、シェルバンの奥地で本物の重量獣種などと相対する住人など皆無だ。目にするのは軽量獣種の奴隷位だろう。

 森閑とした沈黙に、今更獣人を罵る言葉を吐く者はいない。

 人族との違いを差別ではなく、実際の違いとして初めて目にしたのだ。それだけ、外との交流がない閉鎖的な環境である。差別や低い文明度は致し方ないものだ。等と、己の暴力的問題解決方法を棚に上げて、イグナシオは、もう一度ため息をついた。


「手続きは済んだようだな、関の順路はどちらだ。おい、そこのシェルバン兵。俺達の後ろに立つなよ。無意識に殺しちまうからな。何しろ、俺達は、野蛮な獣だから」


 ごく真面目に返しているつもりのイグナシオの発言に、部下達が耐えきれずに笑い出した。


 関の順路とは、態と真っ直ぐではなく迷路のように歩かせる物だ。その経過時間内に、観察が行われる。

 不審な物を改めたり、書類を再度見直したり。

 勿論、伝令旗を掲げた集団の武装解除はできない。

 相手もしたい処だろうが、通り抜けるだけであるし、これがボフダン側からの入りならばできようが、すでにコルテス領と自領の関を越えての事だ。

 何かを持ち出す事があったとしても、補給の荷駄に手を出すシェルバン兵はいなかった。サーレルは不満であるが。


 そうして、一名だけ不満のまま順調に事が進み、出口の大門が見えた処で、関の鐘が鳴った。


「何の鐘だ?」


「貴様等には関係ない」


 案内の兵に聞くが取り付く暇もない。

 だが、鐘は忙しなく鳴り、案内の兵の歩みが早くなる。


「大門が閉じますね。我々を閉じこめるつもりか?」


 サーレルの言葉に、案内の兵士が上擦った声で返した。


「そんな事をするか!あれは警報だ。」


「襲撃ですか?」


「違う、関内で何か起きた時の鐘だ。大門を閉じるのは念の為だ。」


「通れるんだろうな。」


「急げ、こちらとて、出て行ってもらいたいのは同じだ」


 だが、通路を急ぐも、ボフダン側の大門は閉じた。

 閉じた門の前で立ち往生する一団に、案内のシェルバン兵が門番の詰め所に駆け込む。

 詰め所は監視棟に続いており、兵士達が忙しなく行き来をしていた。


「何なんだ?」


「我々を閉じこめる、というか捕らえるつもりでしょうか?」


 現実味のない事を言い合うも、門を背にするようにして背後を見る。

 順路と建物、そして、それを囲む内塀。

 視界は建物で塞がれている為、関の住人達が住む町は見えない。

 見えないが、遠く、微かに悲鳴が届く。

 か細い悲鳴、何かが壊れる音、馬の嘶き。


 顔を見合わせる。


「切っ掛けは何でしょうねぇ」


「どういう意味だ」


「つまり変異の切っ掛けは、分かっていないんですよ。感染するとしても、寄生虫の卵が、孵る要因が分からない。普通の生活をしている中で、何が切っ掛けで病気が発症するのか?感染条件とは別に、発症要因がわからない。」


「悲鳴が聞こえたからと言って、ここにも変異体が出たとは言えんだろうが」


「ここはシェルバンです。神のお導きがあるやもしれないでしょう?」


 獣人兵達が耳をそばたてる中、シェルバン兵らは慌てだした。


「お前」


 いよいよサーレルの顔に笑みが浮かぶ。


「戦闘用意」


 神のお導きは無いが、間諜の謀略はありそうだった。

 柄にもなく挑発をしていたのは、関内にいる時間を引き延ばしていたのだろう。


 イグナシオは手甲の金具を締め直した。

 それぞれに武器の用意をする。


「感染が見受けられなくとも、不用意に人族には近づかないように。変異体と接触後、最短で三日。変化が出たという証言があります」


 監視棟から、案内の男が駆け戻ってくる。


「ここにいてくれ。今は大門を開けられない」


 獣人達を置き去りにしそうな男の襟首をつかむと、イグナシオはつり上げた。


「何があった?我々は伝令として任務を遂行せねばならない。その邪魔立てをするモノは、全て排除する」


「何が起きているのか、こちらも分からないんだ。アンタ等はおとなしくここにいてくれ」


 暴れる男をそのままに、イグナシオ達は順路を戻った。

 咎め立てするシェルバン兵はいない。

 彼らの周りを、武器を持って駆け抜けていく。


「どっちだ?」

挿絵(By みてみん)

 半ば首を絞められている兵士が、呻きながらも順路の右を指さす。

 そちらが、うっすらと明るい。

 どうやら、外へ続いているようだ。

 半円を描く天井をくぐり、趣のある煉瓦の通路を進む。

 東独特の建築様式の通路を抜けると、高い塀に囲まれた関の町が広がっていた。

 塀の圧迫感さえ見なければ、実に風情のある町で、緑と明るい煉瓦の家が建ち並ぶきれいな景観だ。

 一般的な町の作りと同じく、中央広場に水場が設けられている。

 それを囲むように放射状に町並みが作られていた。


「何だあれは」


 そう呟いたシェルバン兵を解放する。

 水場の周りに、点々と人が倒れていた。

 逃げ出したろう人が、向かいの大きな建物に寄り固まっている。

 それをイグナシオ達が出てきた場所から直ぐ側で、兵士達が水場の方向へ武器を向けたまま、こちらも固まっていた。


 獣人の兵士達が出てきても、誰も注意を払わない。

 皆、一点を凝視している。

 水場の、ありふれた円形の噴水が置かれた場所には、女、子供、男、年寄りと、人が倒れ伏している。

 倒れ伏した者の足に縄のようなモノが巻き付いて、ずるずると水場の方へと引っ張っていた。


 イグナシオはそれを認めると、腰から火薬を計り切り分ける短刀を抜いた。目盛りのついた短刀は、両刃で切れ味が良い。

 距離を目測すると、手首の力で回転をかけ投擲した。

 軽い動作で、狙ってもいないような投げだったが、回転がかかる毎に速度をあげると、吸い込まれるように突き刺さった。


 遠目には、縄に見えた。


 それに軽い音を立てて短刀が突き通る。


 耳障りな絶叫と共に、水場の水が空に向けて吹き上がった。


「シェルバン名物ですか?」


 ヘラリと笑いながら、サーレルがシェルバン兵に向けて馬鹿にしたように問いかけた。

 だが、誰もそれには答えず、水しぶきの中から這いだそうとするモノに目を向けている。


「うわぁ、当たりですかねぇ」


「計量用の短刀が勿体なかったな」


 それぞれの暢気な感想とは別に、関の住民から悲鳴があがった。


 腸のような物が集まり、蚯蚓のように蠢いている。


「あぁ、何でしたっけ、アレ。アレにそっくりなの見たことあります」


「..釣りの餌」


「そうそれ!」


 獣人達の場違いな会話が続く。

 だが、それも赤黒い肉の塊が水からでるまでだ。

 実に大きく、その腸のようなものは触手の如く蠢き移動した。

 蠢きながら倒れた人を巻き込んでいく。


 漸くシェルバン兵が剣を抜いた。

 次々と関の兵が集まる。

 イグナシオ達は彼らの邪魔にならぬように後ろに下がった。


「あれが元か?」


「微妙ですねぇ」


「どういう事だ?」


 矢を射かける攻撃から始めたシェルバン兵を眺めつつ問うと、サーレルが苛つく笑顔を消して答えた。


「殺られた者からの報告にあったんですが、シェルバン領内での奇妙な騒ぎは、三つほどの種類があるそうです」


「騒ぎというのは、これか?」


「一つ水場の汚濁。一つは例の変異体。あぁ、弓矢は駄目ですね」


「それで三つ目は?」


「鳴き男と呼ばれる奇妙な声を出す男です」


「おいおい、怪談か?」


「いいえ、エンリケの見解は、子供向けの怖い話ではありませんでしたよ。どちらかというと、大人向けですか」


 見物人という風情の獣人達を余所に、化け物とシェルバン兵の攻防、否、化け物の捕食行動は激しくなっていく。

 住民が一目散に家屋に逃げ込む。

 まぁ、関を住居にするのだ、損害を受ける可能性を知らないわけではない。イグナシオにしてみれば、同情はわかなかった。


「動植物は雄と雌で繁殖します。または、雌雄同体の物もいますね。そして、例外的に役割を個体分散する物もいます。」


「何だ急に」


「今、目の前にいる釣り餌ですけれど、これが水場の汚濁の原因だとしたら、面白いんですがねぇ。特殊な分泌物を生産する生き物だとします。水から出現しているので、水生生物でしょうか?」


「解説は後にしたほうがいいんじゃないか?増殖し始めたぞ」


「お得意の焼きでいいんじゃないですかねぇ」


 やる気のない返事に、イグナシオはシェルバン兵に向けて怒鳴った。


「焼け!デカくなる前に火を放て」


 斬撃が通用せず触手に引き倒されて巻き付かれている地獄絵図に向かって一応の助言をする。


「おぉ、一人喰われましたね。水質汚濁の原因をある程度は予測していましたが。すごいなぁ、エンリケが見たら喜びそうだ」


「話は後だ。焼くぞ」


 どうにも埒があかない様子に、イグナシオは火薬を撃ち出す筒、神槍を持ち出す。火薬を筒に詰め込み、撃ち出して爆破する。

 先の焼き討ちにも使用したが、一発の打ち出ししかできない。だが、この化け物位対象が大きければ効果はある。


「逃げられる者は離れておけ」


 一応の警告の後、轟音が響き渡る。


「シェルバンの関二つを焼却した男として、有名になりますね」


 一瞬にして肉塊は燃え上がる。

 奇妙な鳴き声をあげると腸のような触手が広がる。


「何だあれは?」


 燃え上がり先から炭になっていく。

 だが、その腸のような物が蠢き解れていくと、肉塊の芯が見えた。

 赤黒い血溜まりの中に、白い物が見える。

 醜い肉の中心に、ありえない物がおり、瑠璃色の目を周りに向けると牙を剥いた。


 あり得ない物。


 人間の女の頭と胴体だ。


 否、人間ではないだろうが、あの臓物の中心、生き物の芯は人間の、血塗れの女の姿だった。

挿絵(By みてみん)








 化け物が燃え尽きた後、住民が外へと出てくる。

 呆然とする兵隊の一人に、イグナシオは声をかけた。


「後始末を手伝おう。しばらく、我々が留まった方がいいか?」


 それに対しての答えは、住民の死体に集まる者達が答えた。




 お前達のような化け物が来たから、それに釣られてこんな奴が出てきたんだ。

 人間様と同じようなつもりでいるだろうが、お前等なんぞ人間じゃない。凶暴で下等なケダモノだ。

 この化け物と同じだ。

 公爵様の言う通り、神に逆らう悪魔の使いめ。

 早く、ここから出て行け。




 特に怒りはわかなかった。

 恐怖の後の事だ。

 イグナシオは肩を竦めると大門に向かった。

 むしろ、最初いきり立っていたシェルバン兵の方が温和しかった。











 関の混乱から離れ、ボフダン側の街道に出た一行が、野営を組んだのは深夜の事だ。

 シェルバンを抜けてから、遅れた分を取り返そうと馬を限界まで走らせたので、ボフダンの中心都市には、後半日の距離までたどり着いてた。

 この辺りならば、火を使い天幕をはっても問題がない。

 久しぶりに煮炊きをすると、一行は休息に入った。


 問題は、サーレルが上機嫌な事である。


 その顔を見れば、何か良からぬ事が成功したか、これからやり抜けるかという所だろう。

 そして、大概イグナシオにすると迷惑な話になる。

 当のサーレルは、イグナシオの視線を無視すると、鼻歌を歌いだした。


 癇に障る。


「何を企んでる?」


 間諜に企むも何も無いのであるが、癇性のイグナシオに我慢は無理だった。


「いえ、楽しみだなぁと思いまして」


 グフフフと不気味な笑い声を上げる男に、イグナシオの額に筋が立つ。


「しょうがないですねぇ、少しだけ手がかりをあげますよぅ」


 小馬鹿にした口調で、彼は言った。


「最短で三日です」


 分からない相手に笑いながら、続けた。


「これから我々はボフダン公に面会し、親書を渡します。順調なら二日もかからないでしょうね」


「だから何だ」


「順調で良かったなぁという話ですよ」


 絶対嘘だ。


 嫌いな相手だが付き合いは長い。


「火薬の補充はボフダンでした方がいいですよ」


「あぁ」


 では、おやすみなさい。


 先に寝たイグナシオには見えなかったが、サーレルは笑いを消すと、シェルバンへと続く街道を振り返った。







 ご愁傷様。神のお慈悲がありますように。

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