ACT164 神の目
ACT164
猪の親子四頭、兎二羽。それに魚と山椒魚らしき物が釣果として持ち帰られた。
村中で猪の解体である。
私は老人の、村長の家で休んでいる。
室内は簡素で煤けていたが、落ち着いた木彫の家具と、彼の奥方の趣味がいいのか、繊細な刺繍が施された掛け布が飾られている。
私が疲れた顔をしていたのを見て取ると、窓辺の椅子に座るようにと、これも見事な刺繍の膝掛けをよこした。
広場での村人総出の解体と、竈を組んでの肉と魚の調理の準備が兵士も混じって行われている。
カーンと公爵は、それを見ながら、未だ話し合いを続けていた。
兵士達は、トリッシュが肉の解体と調理の組、ミア達が村の周りの警戒。そして、ザムとモルドの狩りに長けた男達が、犬狩りに向かっている。
どうやら、狩りの途中で、野犬の襲撃にあったのが腹立たしかったらしく、カーンの許しを得ると森の中に入っている。
相当数だが、本気の獣人に、犬では歯が立つわけもない。
公爵も、犬の処分に異存はなかった。
当然、何もする事が無いのは、私だけだ。
香草の茶を村長夫人に手渡される。
この村は、人族で構成されているが、多種族への忌避感は見受けられない。
貧してはいるが、子供の言動や態度も、よく教育されている。
本来は、公爵の避暑地の人員として働いていたのだろう。
私は、お茶のお礼に、金柑を取り出して渡した。
奥方は、おやおやという顔をして、私に剥いて食べさせようとしたので、それを奥方に納めていただくのに苦労した。
喋れない不自由を克服するには、何か工夫が必要である。
暫く休み、私は奥方が調理をする者達に呼ばれたすきに、家の外へと出た。
誰も彼もが忙しく、私の動向に注意は払っていない。
カーンの注意もそれている。
私が村の中にいる事を感じているのだ。
繋がる面倒な部分と、喋れない事。
善し悪しを考えながらも、私は馬の繋がれている場所に向かった。
既に中身は見えない。
絡みついた蔦は、もう少しで蕾が開きそうだ。
少女達の魂の記憶を見てから、私も、それを伝えたカーンも彼らが朽ち果てようと何ら感慨は浮かばない。
だから、今も、馬の側の藁草の上に転がしている。
気を使うとしたら、この異形の蔦が花を咲かせられるのかと、心配りをするだけだ。
ただ、一つ気にかかる事がある。
この花は、どうやって現れたのか?
少女達の記憶には、蔦が何処から現れたのか見えなかった。
唐突に巻き付き、体を覆った。
だが、その種なり苗なりがあるはずで、意志を持つ異形としても、それは何処から来て、どうして彼らに吸いついたのか不明である。
眠りの中にある公爵を守ったのはわかる。だが、彼の危機を救うのに、ああして蔦を集めるにしても、どこからどうやって現れたのか。
私は小刻みに脈動する蔦を見つめた。
呪術で生み出したものではない。
呪術により召喚された気配がある。
異界の生き物であり、異形である事はわかる。
だが、あくまでも無邪気な波動はあるが、この蔦を一つ一つ呼び出して、相手に送りつけているという術の残滓は無い。
つまり、普通の花々のように、種や苗を運ぶ何かに頼って花を咲かせようとする。
自然界ならば、虫や風や動物だろうか?
只、自然界の循環によって無作為に運ばれる訳ではない。
目的を持ち、相手を選び、運んでいる。
宗主の危機に対しては、その身を守るようにと。
少女達の無念には、下衆な者共を選んで襲いかかった。
ただし、その行いは先んじる事無く、後を追うものだ。
私は蔦に触れようと、その湿り気のある表皮に指を伸ばす。
お花が咲くよ
きれいなお花
ぎくりとして、動きを止める。
馬の様子に変わりはない。
馬小屋という程の物ではないので、柵や囲いもない。
只、馬の手綱をかける場所と、水桶、そして屋根囲いだけだ。
当然、広場の騒ぎもここからは見える。
狭い村だ、大した距離ではない。
私はゆっくりとあたりを見回した。
ねぇ、もうすぐ、いっぱいお花が咲くんだ
約束、約束、ずっと、待ってた
僕のお友達
お花が咲いたら
それは目の前に座っていた。
美しい毛並みは光り輝き、その瞳は硝子のよう
に透明だ。
私が見つめていると、山猫は耳を動かし髭をひくつかせた。
小山のような姿。
すこし首を傾げると、私を見下ろす。
ねぇ、どうしたの?
いつものように、お歌は歌わないの?
私は唾を飲み込むと、首を振った。
お話は?
お話をしようよ。
私はどうしたものかと、喉を押さえた。
じゃぁ、かわりにお話してあげる。
お友達のお話。
山猫は、尾でぱたりと藁を叩く。
すると忽ち、私は暑い夏の陽射しに焼かれていた。
青く高い空に、南から雲が流れてくる。
入道雲を見上げていると、水辺で遊ぶ少女達の歓声が聞こえてきた。
海辺も良いのだが、夏は、この睡蓮の水辺で遊ぶのが涼しい。
森の美しい木々も、狩猟をする親族達も、皆、晴れ晴れとしている。
私は幸せだ。
皆、優しく、例え、それが哀れみだとしても、優しく。
私は、初めての家族を持つ意味を実感する。
私の家族。
色々な事情がある。
困難な感情も。
だが、得たものは、大きく私を満たした。
例え、血の繋がりなど無くとも、幻であろうとも、私の心は満たされた。
日々の会話、食卓を囲む顔ぶれ、喧嘩をするのも良い。笑いあう時は切ないほど嬉しい。
今日あったこと、明日への期待。
何もかもが幸せで、その幸せを続かせる事ができるなら、私は何でもしようと思う。
だから、これは使命でもなく、義務でもない。
「私の可愛い人、今日は暑いから一緒にいるよ。狩りをするほど、若くないからね」
この人はいつも、微笑みながら、泣きそうな顔をする。
「あら、大丈夫ですわ。この位の暑さなら、穴だらけの心臓も調子よく働いてくれますもの。貴方は狩りに行ってらっしゃいな」
「おや、私が邪魔なのかい?寂しくて森へなど行きたくないよ。君のそばにいたいんだ。私は寂しいと元気がでないからね」
「あらあら、テトと同じですの?困りましたわね」
そっと抱き寄せる貴方の肩越しに、夏の空が見える。
青く、高く、貴方の瞳と同じ色。
貴方を残していくのが怖い。
貴方が心配で、同じくらい悲しい。
貴方が忘れて楽しく生きてくれたら良いと思う。
綺麗事ではない。
忘れられるのが寂しくて厭と思う時期は過ぎた。
貴方が生きて充実した人生を送ってくれる事が、私の希望になった。
強がりではない。
誰かではなく、貴方が生きてくれる事。
そして、誰を愛するのでも良いし、誰かを憎むのでもいい。元気に年老いてお爺さんになって、生きるのが楽しかったと思って欲しい。
毎年の夏、この場所で空を見上げてくれたなら、それが私の救い。
夏の空は消え、暗い窓辺に彼は立っている。
「私が殺した。私の命を自分で殺した」
彼は泣きもせずに、表情を無くしたままだ。
「次に捧げるのなら、私にしてくれ。もう、疲れた」
「宗主。公王様からの提案をお受けいたしますか?」
左利きの男は、堅い表情をしたまま、手に持った書類に目を落としている。
「何故、私を殺さない?憎いだろう」
「貴方の惰弱さなど理解したくは無い。その弱さを我が君に背負わせる気ですか?」
「どうして生きていけるんだ」
「生きてもらわねばなりません。我が君の望みです」
「望みだと?自分を殺した男に何を望むんだ」
その問いに、左利きの男は手の中の書類を引き絞っていた。
「私の言葉で確認なされるつもりですか?私は私の心を縫い合わせるので精一杯です。皆、悲しい。皆、憎しみと怒りで一杯だ。だが我が君が望まれた。この土地の平穏と貴方の命、そして、家族を守る事を。ごく普通の女としてだ。
せいぜい生きて足掻いてください。存分に意地汚く生き抜いてください。決して、自害などという無様な真似はしないでいただきたい。」
堅い男の表情の、その瞳には薄い水の膜が張っていた。
歯を食いしばり、呻くように続けた。
「宗主、姫の願いを叶えてください。どうか、この地に安寧を約束してください。」
彼は、男の顔を見つめたまま頷いた。
それから、その手の書類を受け取ると、素早くペンを入れた。
目を開くと、暗闇の中に、座る者がいた。
長い長い黒髪、青白い面。
疲れたように目を閉じている。
いかがなされましたか?
問いかけると、その方は目を閉じたまま呟いた。
(汝、苦役をにないし者か?)
苦役とはなんでしょうか、お教え願えますか?
すると、男はゆっくりと目を開いた。
涼しい目元に、暗い色の瞳が見返す。
(人の業を宥め、無情を慰め、魂を背負う。
欲に沈みし者を引き連れて、鎮護の道行きを行う。
昼無く夜無く、人の罪を背負い、痛みの中を歩き続ける。)
何故、何の為にですか?
(迷いし者どもを歩かせて、やがて三世を越えて禊ぎとす。
この苦役を行い、この地を平らかにたもつ。
これすなわち、浄化の行なり。)
(汝、苦役をにないし者か?)
私は震えた。
喜びの震えだ。
この地が平らかであることを願い、その苦役を担いましょう。
三世を越えて、痛みを喜びとし、願い続けます。
(汝の願いとは何か?)
この地に人が暮らし、希望を持ち生きる事。
夢のように儚くとも、輝かしき明日を願う。
そして、私の大好きな人たちが、幸せであるように。
私は願います。
男は疲れたように笑った。
(夢のようにか。)
(では、モーデンの子の願いを受け入れ、汝は夢に揺られるが良い。
夢にたゆたい、三世を巡り、いつか旅立つがよい。
我は痛みの道を進み、汝が夢を守ろう。
汝が願いに値する、子等の行いが続く限り。)
汝が願いに値する、子等の行いが続く限り。
雨が降る。
湖面に雨が降る。
静かに雨が降る中で、眠り馬に揺られる姿。
追いかけて、追いかけて、いつしか、闇の道を辿る。
追いついたと思うと、どこにもいない。
だから、悲しくて泣いていたら、お花を見つけた。
寂しいよぅ、会いたいよぅ。
泣いていたら、お花が言った。
泣いては駄目よ。
泣いていたら、見失ってしまうから。
だって、いないんだ。
どこにもいないんだよぅ。
泣いていたら、お花が言った。
それじゃぁ、お友達になりましょう。
私とアナタはお友達。
ほんとう?
お友達?
えぇ、お友達。
だから、アナタのお友達ともお友達。
お友達が通る場所に、お花をいっぱい咲かせましょう。
お花は暗い所できらきらした。
お花がいっぱい。
そのうち、お花のお陰でお馬と一緒に歩けるようになった。
うれしいうれしい
お花さん、ありがとう。
いえいえ、どういたしまして。
これで寂しくないね。
お友達がいっぱい、お馬さんも一緒
なのに、ある日、お花の道から姿が消えた
びっくりして、驚いて、悲しくなった
どうしよう、どうしよう
いなくなっちゃったよぅ
お馬も、皆も、いなくなっちゃったようぅ
泣いていたら、お花が言った。
大丈夫、私のお友達。
私には、沢山のお友達がいるの。
だから、見つけてあげる。
約束よ。
約束?
アナタのお友達は、私のお友達。
道に戻れるように、沢山、お花を咲かせましょう。
お花をいっぱい咲かせましょう。
お花が咲いたら?
帰ってくる?
帰ってきて、アナタの頭をなでてくれる。
そうして、優しく名前をよんでくれるわ。
大丈夫。
大丈夫、絶対に逃さない。
この地を穢す者共を、誰が見逃し赦すものか。
案ずる事はない、小さき者よ。
この地を守り糧となりし我らは、報いて裏切り者を成敗す。
花を咲かすは我ら。
花を咲かす事も忘れた裏切り者は、悔いても元には戻らない。
花を失い、救いを失い、闇の安らぎも失う。
さぁ、王に逆らう愚か者、我らが花にて印をつける。
裏切り者の目印を。
業火に焼かれ続けるがいい。
お花さん、
お花
お花、
僕のお友達
僕の大切なお友達
お花が咲いたら一緒なの。
だから、たくさん種をまく。
お水にいれて、種をまく。
もうすぐ、お花がいっぱい咲くんだよ。
そしたら、お名前よんでくれるかな。
お名前呼んで、頭を撫でてくれるかな。
お名前呼んで、ねぇ、僕の名前しってるでしょ?
目を見開くと、私は藁の間に座り膝を抱えていた。
傍らの、小さな姿が鳴いた。
硝子のような目を向けて小さく鳴く。
それは小さな姿だが、一つだけ町中で見た物とは様子が違う。
額に閉じた目があった。
三つめの目は閉じていて、そこだけフッサリと毛がおおい、撫でて掻きあげねば見えない。
他は普通の猫と変わりなく、見事な蜂蜜色の毛並みに、靴下のように足先が白かった。
尾は見事な多毛で長い。
胴体よりも長い尾を、座ると体に巻き付けている。
私は名を呼んだ。
嘗て娘が、優しく呼んだ名を。
名を呼ぶと、猫は鳴いた。
鳴いて私に登りあがると、膝の上で丸くなった。
私は空を見上げる。
故郷の空は、人を拒絶する冬の景色だった。
故郷の空は、神の威を纏い、人の心に静寂をもたらす。
ここの空は、悲しくてぼやける。
ここの空は、心の熾火をかき立てて、人の心を混乱させる。
カーンが言う、砂漠の空が見たいと思った。




