ACT163 五年分の空白
ACT163
何故という問いに、コルテス公は答えた。
私こそ何故と問いたい、と。
塔に眠っていた男は、ターク・バンダビア・コルテスと名乗った。
第14代バンダビア・コルテス公爵というのが、マレイラでの公式名という。
姫の夫と考えて良いのでしょうか?
姫の亡き後代替わりはなさっていないのですよね。
「バンダビアは宗主しか名乗れない。次代は娘、女公爵の予定だ。キリアンの母とは別の妾の娘だ。確か、公は姫以外正妻をもたなかった筈だ」
なるほど。キリアン某は、全く相続から外れているようだ。
公爵は、トリッシュから水と携帯食を受け取ると口にしている。
さすがに体は弱っているようで、立ち上がろうとするとふらついた。
公爵はお幾つなのでしょうか、姫との年齢差が気になります。
「当時、既に成人し姫も子供では無い。長命種と準人族としては釣合はそれなりに取れていたと思うが。それが?」
いえ。
「なるほど、お前を見て姫と言い出したからか。姫が幼かったので起き抜けに見間違えたかと思ったか?」
そこまでは。
ただ少し、公は。
「本当に本人かどうか疑わしいと?」
実は、もっとご年輩の男性を想像していたので。
「まぁ、あんな浮ついた外見の男が、金主で有名なコルテス公だとは、普通は思うまい」
食事をとり、一息ついた公爵に話を聞く。
としても、この場所に留まるのは良くない。
まず公爵に饗する物が無い。
私達は、彼を馬に乗せると館を後にした。
公爵は焼け落ちた別邸と、馬上の墓守たちを見たが、特に何も言わなかった。
ただただ、不思議そうに辺りを見回している。
館の門の扉だけは閉じた。
あの儀式の場所に供養の物を建ててもらいたい。
そんな事を考えていると、馬上からの凝視に体が固まる。
カーンがため息をつきながら、抱える腕を反対側に変えた。
視界が遮られて良いのだが、これでは剣が抜きにくいだろう。
まぁ、腰だめで抜くのなら、私を一旦下ろすことにかわりはないか。
「冬なのですね」
公爵が呟いた。
「何であんな場所にいたのか思い出せないというのなら、最後の記憶は何だ?」
カーンの面倒そうな口調に、公爵は薄く笑うと考え込んだ。
「執務を終えたところまででしょうかね。暑いので、窓を開けて」
暑い?
「いつの話だ」
「いつ、いつと言われても。今日は何月何日ですか?」
厭な感じに、私は思わず傍らの男の腕に手を置いた。
「何月何日だと思っている?」
答えずに問い返し、受け取った答えに、私は奥歯を噛んだ。
彼の言う記憶の最後は、五年前の夏だ。
愚か者が憎いと、私は初めて思った。
蛮行の意味が理解できて、憎いと思った。
彼が生きていたのは、多分、蔦が少女達を養分とし、結界をつくっていたのだ。
本来なら、彼はあの塔で死に、一気にこのマレイラの鎮護の道行きは絶たれていた筈だ。
それでも中々術が壊れないので、塔に死体を投げ込み続けた。
穢れるように、悲しみと、憎しみで溢れるように。
五年もの月日を費やした。
カーンの視線に、私は頭を振った。
息の根を直接止めなかったのは、少女達の内臓を抜いた理由と同じだ。
この偉大な術を穢す事を恐れたのだ。
反動を恐れ、罪に見合った犠牲を厭うたのだ。
だから、眠らせ、閉じこめ、誰に殺されたかも悟られずに、餓死させるつもりだったのだ。
卑怯者の浅知恵だ。
だが神は、花は、供物の願いを数多受け取り続けた術は、宗主の身を守った。
図らずも、蛮行のお陰で生きながらえたのだ。
では、宗主不在のコルテスはどうなっているのだ?
「宗主の失踪という事態に、事を公にできない何かが起きた。普通に考えれば次代を立てるのが相応だが、それができないほど混乱しているか、内分裂している」
宗主がいない。
つまり、この土地の守護を神に願う者が不在だとして、軽々しく他の者は立てられはしない。
次代に次がせるといっても、公の生死が曖昧である。
簡単に引き継げるという保証もない。
守護の行軍、鎮護の道行きの術がある限り、公は生きている筈だからだ。
だが、その公の行方を探す者が、この僻地まで来なかった。
来なかったと言うより、来れなかった。
あの元炭坑員達の言葉を信じれば、公の領地内は暗く荒れ、そして、何か良からぬ雰囲気になっている。
そして、公爵の紋章を掲げた輩が、蛮行を表だって行っている。
つまり愚かな輩は、公爵の勢力の内深くにいるのだ。
だが、一概に謀反だと決めつける事はできない。
権力が欲しいのなら、コルテス公の血を飼い殺しにすればいいだけだ。
術をぶち壊しては、何もかもが台無しだ。
もし、術が必要なくなる時があるとしたら、土壌が全て回復した時だろう。完全な回復が為されれば、自然に術は消えていく。
術を破壊する事は、権力を欲する者にとっても不利益である。
では、目的はなんだ?
「恨みか、恐れか。氏族の娘達の姿が無いという話だったが、あの館の肥やしになっている可能性が高い。だとすれば、公の氏族の殆どが、既に殺されているだろう」
娘達の姿が見えないから、死んだとは限りませんよ。
「少なくとも、公爵を支持している勢力は劣勢だろう」
こうは考えれられませんか?
もし、この地が危機に瀕し、公爵の存在が失われた時、救う者が現れたとしたら。
民衆も支配勢力も、他貴族も、王国も、その存在を支持するのではないでしょうか?
「キリアンか」
そうです。
彼が公爵の血を引き継いでいるのなら、契約を再度取り付ける事は可能と考えた。
「なるほど、公爵が死ねば、キリアンが受け継いでもいいはずだ。そして、この土地がどん底なれば、救い主として、その生まれも問題ではなくなる」
まぁ、それを狙っても無駄なんですけどね。
「違うのか?」
太古の王は、ちゃんと言い残していかれましたよ。
「何か言ってたか?」
呪術の契約とは、基本単純ですが、繊細でもある。
今、この地を守護する力は、誰の命で購われていますか?
「姫だ」
つまり、キリアン某が術を引き継ぐのなら、姫と同じかそれ以上の物が必要です。
「だから殺しているのか?」
まさか!
蛮行は穢れです。
姫は、少なくとも死因はわかりませんが、この地の守護を願い殉じた筈です。
そして、姫が願っているのです。
あの道行きを先導する男の首には、何が下がっていましたか?
馬に乗る娘の顔は穏やかでしたでしょう?
今でも、姫に願えば、姫は答えてくれるでしょう。
死んだ後の船員達も、姫を頼り、ああして協力している。
そのような心を持ち、キリアン某に仕える者は、果たしているのでしょうか?
卑怯者で臆病者、年若い女や子供を殺し、内臓を抜くような輩が集まる者に、そのような供物の犠牲を理解する者が一人でもいると思いますか?
「もしかして、氏族の娘を使う気か」
質より量と、守護が消えたら使う気だと思います。
まぁ、予想ですがね。
公爵の状況から考えればですが。
後、公爵の娘姫様がご無事かどうか。
まぁ、多分、公爵が死んでから凶事の一つとして、娘姫様を殺すという筋書きかもしれませんが。
神と不死の王との契約をしているのは、コルテス公と見て間違いは無いだろう。
その血により守護を得ているのだ。
だからこそ、その身がこの地にて、姫の近くで朽ちるようにし向けたのだ。
公爵を帰すにしても、このままだと敵にみすみす渡すような事になります。
「今までのこちらの経緯を説明してからだ。本拠地は山脈地帯だ。一番近くの領主街でも馬車で十日前後。城塞に招待するしかなかろう」
領主街とは幾つもあるのですか?
「あぁ、一つではない。発展し開発をした場所場所にな」
カーンが一方的に話すので、事情を知らぬ者からは不思議に見える。
案の定、公爵は首を傾げた。
「姫の騎士が獣人とは知らなんだ。」
私のかわりにお願いしますよ、旦那。
「一つ聞いてもいいか?」
「何でしょう」
「姫というのは、誰だ?」
「貴殿が抱えるお方だ」
「馬鹿らしい質問だが、どこの姫だ?」
「もちろん、ランドール殿の妹君ですよ」
「何処をどう見たら、そうなる?髪も目の色も違うだろうが」
姫は因みにどのような?
「俺の知る限り、姫君は金髪碧眼の人族だ。少なくとも種族も違うし、この娘は貴様の姫ではない。」
馬鹿にした声で言われても、公爵は余裕で微笑んだままだった。
私がカーンの陰から見ていると、彼は嬉しそうに目を細めた。
「それに姫君は亡くなり、この先に墓がある。貴様が建てた墓だ」
それに馬上の男は、微笑んだまま前を向いた。
「そうですね。私の可愛い方は逝ってしまわれた。お花の咲く場所へ、テトと一緒に」
お花?
暫く、公爵は馬の揺れに身を任せ、冬の景色を黙って見ていた。
「昨日、ではないのでしょうが、私は窓を開けた。暑いのもそうだったが、歌が聞こえてね。姫の声が聞こえたような、そんな気がして窓を開けた。寝てしまったのか、何なのか、そこから何もわからない」
冬の景色を見つめながら、公爵は微笑みを浮かべ続けた。
「楽しい夢を見ていた。夏の、姫と一緒の夏の夢だ。あれからずっと見ている。幾夜もね。ずっと眠って、そのまま目覚めなくてもいいような気がしていたよ。」
それから、カーンの陰にいる私を見ようと身を乗り出すと続けた。
「姫はいつか又、と仰った。私は、その言葉を忘れない」
美しい思い出を語っている筈なのに、怖い。
なだめるように私を抱え直すと、カーンは私を外套の下に隠した。
「昔から姫の騎士には嫌われたものだが、今度もとは」
「子供を怯えさせるような振る舞いは慎め」
「そんなつもりは無いのですが」
「そのつもりがなくとも、コイツ等の前で、巫女を怯えさえると只では済まんぞ」
「貴殿の前でもでしょう?」
懲りた様子もなく、公爵は笑った。
程なく、あの村についた。
相変わらず、戸口は閉められていた。
だが、それも公爵の姿を認めると、村人達は外へと飛び出し、額ずいた。
狩りや避暑で、彼らは公爵の顔を知っていた。
どうやら、本人のようですね。
「派手な外見だ。偽るのも難しかろう」
公爵は不思議そうに、寂れた村を見回した。
彼の記憶の中では、これほどの貧しさではないだろう。
あの老人と言葉を交わしている。
老人は泣き、公爵の顔は徐々に血の気を無くしていった。
五年分の空白。
「幸運としか言いようがない話だな。生きていただけ儲け物だ」
そうでしょうか?
彼の家族はどうしているでしょう。
大事なものは無事でしょうか。
裏切られた辛さは、さぞ苦しいでしょう。
「普通はそうだろうな」
違うという口調ですね。
「お前の世界は優しいんだ。俺や、あの男のような人種は、そんな世界を羨むが、それだけだ。どれだけ甘い言葉を吐いたところで、あの男は自分の手にある世界の為なら、どんな犠牲も厭わない。無垢で愚かだから塔に生きたまま落とされたと思うか?冗談じゃない。」
私の視線にカーンは囁いた。
「お前が怖がるのは正解だ。あの手の男は外見は甘っちょろいが、中身は強情で執念深い。あれを塔に入れたのは、殺せなかっただけだろう。」
私を辛辣と言いましたが、旦那も酷い。お会いしたばかりでしょう。
「起き抜けの対応を見たろう。俺たちに敵わないと悟ると透かさず剣を手放した。肝心な話も口にださない。動揺も皆無だ。どれだけ、あの頭の中で計算してやがるのか」
そりゃそうでしょう。
目が覚めたら、獣人の兵士に囲まれてるんですよ。
「それで最初に、お前に笑うか?」
普通は笑いませんね。
「頭の緩んだ男のように振る舞って、お前に話しかけた。お前が普通の娘なら、とうにあの顔で油断したところだろう。」
はぁ、そうですか。普通じゃなくてすみませんね。
「笑いかけられる度に震え上がってるだろうが。誉めてやる」
誉められても。
只、なにやら怖い方です。
本当に、微笑んでいらっしゃると思うのですが。
背筋が寒くなるような感じです。
「お前が大人の女なら、さぞや喜んだだろうよ」
ミア達も喜んでませんよ。
「重量獣種の女に男の媚びが通用するか。それにお前が怯えるから、あいつ等の機嫌が悪かろう?」
そうなんですか?
特に見た限り、表情に変化はない。
「よく見てみろ。立ち位置がザムとモルドを押しのけて、いつの間にか女どもが囲んでいるだろう」
あれ?
そういえば、配置が変わっている。
公爵の周りにザム達がいる。
外套の間からミアを見上げると、にっこりと笑顔が返された。
「子供にちょっかいをかける男を、特に重量獣種の女は嫌うんだよ」
何だか、前にも誰かに言われた記憶が。
村で一時足が止まる。
公爵が村人の話を聞きたいというのだ。
そこで夕方までをここで過ごし、姫の墓の所で野営をするという事になった。
そこで兵士達は晩ご飯を用意すべく、森にはいる事に。
ミアの班が残り、それ以外は狩りへ。
野犬も狩りつつ狩猟をして来るというので、あの道案内の少年と数人の村人が同行する事になった。
そして、森に行きたかったが、公爵との情報交換をせねばならないカーンと私は村に残る事になった。
寂れた村の申し訳程度の外囲いを見ながら、私は村の広場らしき場所に座っている。
正確には、ミアの膝の上にだ。
どうしてこうなった?
カーンと公爵は、広場の水場の側で腰を下ろしている。
会話は聞こえないが、カーンのやりとりの大凡は感じられた。
これまでの我々の行動の経緯と、コルテスの領地に関する噂、あの館での事。ここ数年の船の沈没、奇妙な出来事等々の状況を説明している。
公爵にしてみれば、文字通り寝耳に水の状況だろう。
表情を見る限り、感情が読みとれる動きはない。
只、粗末な石の水囲いに腰を下ろして、腕を組んでいる。
優雅に足を休めているだけだ。
だが、その顔色は白く、長命種が血の気を薄くする様子は、アイヒベルガー候と同じく、酷く衝撃を受けている証拠だろう。
そして多分、キリアンという名が語られれば、渦中の公爵には、我々部外者とは違い全て理解のうちになるのではないだろうか?
「足は痛みますか?」
ミアの問いかけに頭を振った。
久しぶりに足を使ったせいなのか、骨の芯が痛むような感じがした。
私が難しい顔をしていたので、カーンがミアに預けたのだ。
そして、ミアはその辺の切り株に腰掛けると、冷えると言い出して、この体勢に。
いやいや、私は見た目と違い幼児ではない。
と、カーン経由で訴えたのだが、聞き入れてもらえなかった。
ついでに髪の毛までとかされている。
土に転がり、煤にまみれていたので、気になったのだろう。
器用に編み込みを幾つもしている。
周りを警戒している女性兵が、ここを編んだら左に回したほうがいいとか、言い始めた。
お仕事しようよ!と言っても、彼女達は真面目に仕事はしている。
なぜか女性兵は今回、皆村に残った。
食い物を調達するのは男の仕事だという良い笑顔の答えだった。
因みに、獲物を捌き料理するのも男だ。
少し、今までの厭な事が薄れた感じがした。




