ACT161 花が咲く
ACT161
私はひとまず、一人で館を歩かせて欲しいと頼んだ。
不思議なことに繋がってしまうと、何処にいようと存在がわかる。
お互いにだ。
過保護になるなと言うと、あからさまに私の脆弱さを論う。
だが、それでも最後に私は勝った。
小さな勝利だ。
つまり、お互いにどの程度離れていると、分からなくなるかを試す事にした。
益々、常人の枠からはずれていく。
苦々しい私の呟きに、笑いが返った。
私が固執する普通という概念が伝わったようで、鼻で笑われたのだ。
まぁ、旦那が神経質な男じゃなくて良かったですよ。
徐々に辺りは明るくなっていく。
ゆっくりと歩いていると、周りの者の反応がおかしい。
今にも転ぶのではないかと、カーンが離れた意味が無いほど集る。
集るのだ。
「一人歩きさせているところだ。かまわんでいい」
左の部屋を探る男の声で、やっと集るという表現に相応しく集まっていた者が離れた。それでも、振り返るとザムが後をついてくる。
それは仕方がない。
さすがに、転んでも今の状態で助けは呼べない。
ふと、この状況が、エリと同じである事に気づく。
なるほどと、喉を押さえた。
声を喪う意味は、単に代償ではないのだ。
異なる者どもと繋がれば、人の言葉は喪われる。
それこそ、半歩軸足を異界に置けば、私という存在が薄くなるのだ。
この世にあって、この世に無し。
言葉を喪うだけで、今は済んだ。
あのボルネフェルトの欠片が伝えたかった事の意味がわかる。
何れ、来る事。
何れ、来る時に、耐えられるだろうか?
私は振り返り左の部屋にいる男を見て、思う。
だが今、強い思いを抱いては伝わる。
私はザムを見上げると、鍵のかかった扉を開いてくれと身振りした。
男達が隠った部屋からは、物音一つしない。
ザムが鍵で扉を開く。
そして、開こうと押す。
開かない。
そこで、ザムが蹴りつける。
蹴破れずに扉は撓んだ。
扉そのものには、ヒビがはしった。
「どうした?」
炊事場の方からトリッシュが顔を出した。
「奴らの部屋の扉が開かないんだ」
「壊せ」
「蹴ったらヒビったんだが、感触が堅い」
どれどれと、トリッシュはやってくると扉を見回した。
「..隣の部屋の扉を見てみろよ。」
私とザムは隣の扉を見た。
それから、開かない扉を見る。
扉は反転していた。
気がつかなかったが、扉は反転しており、押し開こうとしたので開かなかったのだ。
ザムはヒビの入った扉の、反転して位置が逆になった取っ手を、手前に引いた。
壁だ。
逃れられなかった男達は、何れも刃物で切りつけあって絶命していた。
刃物は男達自身の物で、状況だけ見れば同士討ちしたように見える。
まぁ、そんな訳がないが。
己で漆喰で出入り口をふさいで死ぬ。
という仮定も馬鹿らしい。
一晩で、漆喰を乾かすのも無理だし、元より何処から漆喰を持ち込むのだ。ましてや扉が反転する訳がない。
つまり今も、鎮護の道行きを乱そうという力が働いているのだ。
死体を部屋から引きずり出し、館の正面の庭に集める。
そこで一気に油薬で火葬した。
「建物ごと焼いた方がいいか?」
まだ、仕掛けが何処にあるか、どんな状況かを確かめてから焼いて清めないと。
残るとまずい。
「何処だと思う?」
調べてない場所でしょう?
「まぁ、そうだな」
尖塔は石積で、苔むしていた。
ぐるりと塔の根本を回るが入り口は無い。
見上げると館から空中に通路が架かっている。
元は見晴らしよく楽しめる場所なのだろうが、今は崩れかかった石の山にすぎない。
塔の中に何かあるか?と、思ったが、下手に壁を崩すと生き埋めになりそうだ。
石壁を触っていると、視界に何かが見えた。
花だ。
可愛らしい薄桃色の花だ。
冬だというのに、この塔の先、荒れ果てた庭から果樹の林の方向に花が見えた。
藪と雑草の間に、点々と咲く。
点々と、この館を回り込むように裏の炊事場の先、雑草で覆われた東屋の方向へ向かっている。
花壇が荒れて残った花。
では、無い。
薄桃色の花は、アノ花だ。
私達は、その花の側に向かった。
花は地面から突き出た物に絡んで咲いていた。
人の四肢の一部だ。
既に、半ば干からびている。
お花。
きれいな花は、人の千切れた四肢に咲いていた。
開いた花は、花心がほんのりと黄色く、咲いて蜜を含んでいた。
お花が咲いたら?
点々と、花は続く。
雑草を切り分けて進む。
東屋を越えて、赤茶けた地面が円を描いていた。
花は、その円を囲んでいた。
赤茶けた地面には、何も無い。
雑草も小石も無い。
誰も入らないでください。
「中には入るな」
さて、不死の王の呪いを乱す者は、置き換えを行うらしい。
ここには花が咲き、円を描いている。
たぶん剥き出しの土が、儀式の場所だ。
そして本来の儀式に重ねて、違う儀式を行っている。
では、何を行うのか?
鎮護の道行きを反転させる。
災いや戦乱をおさめる儀式の反転。
供物として身を捧げた姫の儀式の反転。
反転の儀式をするとして、私なら何をする?
擾乱の呪陣、であろうか?
擾乱の呪。
擾乱の呪なる物には、何が必要か?
鎮護の道行きと同じ行為をしながらも、意味が逆になる行いだ。
では、不死の王の行いは何だ?
「どうするんだ?」
できうれば、
「できうれば何だ?」
穢れを清めたい。
「化け物がでるのか?」
いいえ、何があったのか教えて頂くのですよ。
いかがです?
「すぐできるのか?」
私は必要な物を答えた。
土は軟らかく、その中心に歩むと足跡がついた。
カーン達には円を描くように、花の外に立ってもらった。
何が見えても手出しはするなと伝えてある。
私は柔らかい土に片手を突きだし、もう片方の手で小刀を構えた。
「刃をあてるだけで切れる。引くんじゃないぞ、切れすぎて手が落ちるからな」
皆の心配そうな顔を見て、肩をすくめると、私は掌に刃を当てた。
良く切れる小刀は、刃先を皮膚に沿わせただけで、ざくりと切れた。
血を絞るように拳を握る。
柔らかな土に、血がしみる。
供物の我が血を混ぜて、ここに沈む魂を呼ぶ。
何があったんだ?
ダクダクと血がしみていく。
静まりかえったこの場所で、お花が咲いたこの場所で、私は土に呼びかけた。
何があったんだ?
赤黒い土から白い指が見えた。
土をかき分け、白い指がいくつもいくつも生えてくる。
やがて土に汚れた掌が、そして手首が見えてくる。
沢山の土に汚れた手が、足首を膝を上着をつかんで這いだしてくる。
なのに、その先は見えない。
肩から上は見えず、たくさんの白い手がとりすがる。
何があったんだ?
繰り返すと、手が苦しそうに震えた。
ゆっくりと瞬きを繰り返す。
湿った大気、冬の朝。
囲む人影と、小さな花。
残酷で憂鬱な世界。
斜めに切り取るように、視界が色合いを変えていく。
「オリヴィア」
大丈夫。
怖いことは無い。
話してくれ。
この世の果てのような孤独と苦痛。
この世の果てこそが、私の中心。
高く、低く、鳥になり、虫になる。
草の陰、露を含んだ木立。
瞬きを繰り返す。
大丈夫。
怖くない。
私は土に倒れ、空を見上げる。
胸苦しいような夜明けの空。
大丈夫。
怖くない。
切り取られた場所を見つめる。
君達は、いいや、君は誰だい?
話してくれるのかい?
悲しいお話を聞かせてくれ。
私にも、君の悲しい話を聞かせて欲しい。
そうしたら一緒に、この世の果ての音を聞きにいこう。
私も何れ来る時に、皆をおいて逝かねばならないから。
私の言葉と重なるように、円が浮かび上がる。
ザラザラとした一重の輪。
小さく単純な紋様に見えた。
赤く黒く。
忌まわしく、呪わしい、怨嗟の輪。
迷うように延ばされた、泥まみれの手を握る。
教えてくれ、何があった?
美しい世を醜く変えた、その事実を私に。
赤い光に飲み込まれようとする、小さな光を捕らえる。
すると、粘つく悪意が押し寄せた。
それは白い手を握りつぶすと、かわりに腐りかけた色の細かな毛の束になって絡んできた。
髪の毛ではない。
何かヌルヌルと湿った生き物の手足に見えた。
それが手首に巻き付くと、そこから焼けるような痛みが伝わる。
ビリビリと痺れ、毒のように痛む。
愚か者!
愚か者め!
くだらぬ欲にまみれた俗人め。
美を知らぬ哀れな醜い者め。
その愚か者に仕える卑しき者よ。
その醜い姿を恥ずかしげもなく晒すとは、なんたる増上慢。
月の光でさえ、その卑しい姿を隠すことはできぬと言うに、陽の光の元に現れるとは!
さぁ、その卑しい手を外すのだ。
さもなくば、跡形もなく消してやる。
否、外さずとも消す。
我らの前に、出来損ないの身を晒すとは、誠、笑止千万。
消滅に値する愚挙なり!
傍若無人に私の方へと押し寄せた力を、グリモアと死霊術師の欠片がはねのけた。
完全なる調和を乱す者よ。
供物の犠牲を軽んじる輩よ。
それほど望むのなら与えよう。
絶望を、苦痛を、愚か者に相応しい末路を。
望む快楽のかわりに、肉と血に沸き立つような痛みを与えよう。
望む栄華のかわりに、骨を砕くような恥辱の末路を与えよう。
さぁ、そのほうらを唆した愚かな輩の名を、告げるのだ。
死者の声をきく我らが、そのほうらの無念をすくい上げよう。
そして、恐怖を喜びとする主に、愚か者どもを捧げるのだ。
忌まわしい力を、怒りと共に退ける。
だが、その怒りもまた厭わしい。
私の体から出て行こうとする怒りの力を、そっと押さえる。
押さえる手にある小刀を地面へと落とした。
私は、震える手を握り、もう一度問いかけた。
君の話を聞かせて欲しい。
最後にお別れを言いたい人の事でもいい。
何があったか苦しくて言えないのなら、言わなくていい。
ただ、このような醜い出来事を断ち切る事ができるように。
君の話を聞かせて欲しい。
手が、私を掴み握り返す。
すると、目の前には、無惨な姿の娘がいた。
暴力の嵐にあい、痛めつけられた姿。
顔が体が、殴られ、蹴られ、そして、切り刻まれて、痛まぬ場所など何処にもない。
まとう物も無く、亡者の姿で震えている。
冷たい両手は震え、重なった場所から、恐怖だけが伝わってくる。
恐怖。
私は、その暴力の記憶と痛みに圧倒された。
ぶるぶると震え、私は手を握りながら歯ぎしりした。
私の人生での暴力の記憶は少ない。
幸いなことに、殴られ蹴られ脅された事も少ない。
無いとは言い切れないが、それでも少女の受けたような残虐な行為は受けたことがない。
だから、初めて感じる圧倒的な暴力の記憶は、私を打ちのめした。
なぜなら、笑っていたのだ。
彼女を切り刻んだ者も、殴った者も、そして、死ぬまで暴力を振るう存在達は、笑っていた。
彼女の記憶の中で、暗い世界で、彼らは笑っていた。
這い蹲る彼女を蹴りながら、涙を流す姿を笑う。
恐怖と苦痛で叫ぶ声を、嘲り馬鹿にして笑う。
なんという記憶だ。
この化け物達は、本当に人なのか?
人の尊厳を貶める行為を笑いながら行う。
なんと醜い。
と、そこまでの少女の感情の中に、奇妙な物が見えた。
花だ。
笑う化け物達に蔦が絡み、あっという間に花が咲いた。
少女は死にかけながら、それを見ていた。
花が咲く。
きれいな花だ。
彼女を、少女達を苛んでいた者達は、全て蔦に覆われ花になった。
彼女の記憶はここで途切れた。
するとまた、別の手が私にすがりついた。
小さな手だ。
切った掌を差し出すと、指先を握りこむ。
やせ細った女の子だ。
外見に暴力の痕跡は見えない。
彼女からは驚きが伝わる。
彼女が見たのは半ば食われる男達、少女に暴力を振るっていた者達が異形の蔦に覆われていく姿だ。
そして、その身は呑まれていく。
どのくらいの時が流れたのかは、わからない。
やがて女の子の視界に違う男達が見えた。
墓守達だ。
彼らは仲間を呼んでいたが、件の男達は既に蔦の肥やしになっている。暫くすると諦めたのか、少女の死体を切り始めた。
狂気の沙汰の行い。
よく見れば、他にも沢山の死体がある。
それを切り刻み、内臓を取り出している。
取り出した内臓を、この円の土地に埋めて土とこねている。
あまりの事に女の子は、泣いて笑う。
すると最後の仕上げとばかりに、そのこねた土の真ん中に、彼女を埋めた。
生き埋めだ。
ざくざくと土が上から降ってくる。
やめてと何度も叫んでいるが、喉にも鼻にも土が入って苦しくなる。
苦しくなって。
私も苦しくて喘いだ。
酷い話だ。
狩り集められた少女達の末路がここだ。
グリモアよ。
彼らは何をしたのだ?
擾乱の呪陣などではない。
死霊術といえども、このように原始的な行いをとる事は少ない。
死霊術とは、死者と語り、その力を借りる事。
魂と神を取り持つ技だ。
こんな洗練とは、ほど遠いものではない。
これは単なる殺戮に過ぎない。
否、だからこそなのか?
呪術師なのか?
知識はあるのだろうが反転の行いをするとしても、このような蛮行を大真面目に執り行うのは、どうしてか?
誠、愚か者か、真実、憎悪と狂気にまみれているのか?
だが、単なる愚か者では無い。
現に不死の王の呪いが干渉を受けている。
では、どうするか?
腑を分けたのは、呪術の反動を恐れたからだ。
呪術とは、行いが大きい物ほど代償が必要だ。
命の支払いに供物や生け贄の命で購うように、人を呪うという事は、己も呪われるという事だ。
呪い(まじない)と呪い(のろい)は同じだが、心のあり方に差がある。
命の借財を購うのは、命だ。
ならば奪う者にも、同等の報いがある。
それでも願うのならば、強くあらねばならない。
覚悟を決めねばならない。
だが愚か者には、そんな覚悟などないだろう。
代償を払わずに奪うつもりで、臓腑を抜いたのだ。
唾棄すべき行為は、殺した者の怨嗟を誤魔化す行為なのだ。
一見するとより冒涜的であるが、臓腑を混ぜ合わせ土に残すのは、呪いを避ける為なのだ。
その土が依代の役割をし、魂を混沌に堕とす。
混乱する魂は、呪詛の代償を求める迄に至らない。
自分達を殺した者に目が向かないのだ。
苦しみと悲しみが幾つも混じり、同じ場所に留まる。
彼らは混じり、寄り集まった悪霊と同じように混乱を続ける。
そして、鎮護の道行きを乱すのだ。
穢れた物が、怨嗟の呼び声に惹かれて。
改めて赤黒い呪陣を見る。
言葉だけを見れば呪術として、齟齬は無い。
しかし、よくよく言葉を追えば、そこには精霊語も古代語も含まれていない。乱雑な共通語の古語だ。
輪の紋様、言葉の一つ一つに手を触れる。
術を分解しながら、私はようやっと理解する。
私が行うとすれば、理の秤を戻すこと。
神にお慈悲を願うこと。
彼女達を助ける事ができないと言うこと。
分解した言葉を換えていく。
一つ一つ、言葉を変えて輪に乗せる。
言葉は簡単に、古語を使って書き換える。
神への許しも混ぜ、理の秤に乗る者とする。
理を乱した者の持つ秤に乗る者。
助ける事ができない。
臓腑を抜かれた遺骸は失われている。
そして、彼女達の魂は癒着して離れない。
だから
呪詛をかえした。
相応の報いを受けよ、愚か者め。
如何に罪科を逃れようとしたところで、神は、そして因果の理は、その身を逃すものか。
自然に私が笑むと、少女が女の子が笑う。
白い手は私を離れると、土に消えた。
流れを阻害する穢れは消えた。
花が咲く。
たぶん、どこかで花が咲いた。
報いの花だ。




