ACT160 群青色の朝
ACT160
夜明けだ。
今日は霧もなく、風もない。
雨は相変わらず今にも降りそうだが、気温は北に比べれば暖かい。
あれ以上の怪異は起きず、私達は朝を迎えた。
こちらの損耗は、武器を駄目にしたカーン以外、気にするほどの事もない。
天井の抜けた玄関広間で、屋敷の瓦礫を燃やしながら朝まで起きていた。
私は真水で喉を洗い茶を飲まされた。
医者に行くべく帰ろうとする男を引き留め。
ただ、声をなくした事は伝えなかった。
喉を痛めて喋れないと身振りしただけ。それも大したことではないと伝えた。
いずれ分かることだが、今は、少しでもこの土地の事を調べたかった。
昨夜の怪異で全てが終わるとは思えない。
そして、墓守の事もある。
一夜の内に、墓守の体は蔦に全て覆われていた。
くるみ込むように包まれて、蔦は巻き付き蕾をつけた。
見たところ、墓守達の体は養分となり、息が絶えているのかいないのか。
蕾は薄い桃色で、苗床を考えなければ、可愛らしい物だ。
そして、残酷な私の思考は、彼らを医者に見せても無駄だと断じた。
なぜなら、これは不死の王の力に干渉した代償だからだ。
蔦には無邪気な力が残る。
この蔦を取り除けるのは、人ではない。
それに、私は見たいのだ。
グリモアもボルネフェルトも。
お花が咲くのが、見たいのだ。
群青色の空の下、食事の用意を始める。
館の物は信用できないと、手持ちの食料を料理する。
今朝の分で手持ちは終わる。
どちらにしろ、一度は戻る事になる。だが、今日の内に館を調べるべきだろう。
力を曲げた証拠を探したいのだ。
ボルネフェルトの欠片も、そして、グリモアも。
不死の王の呪いを曲げるなど、醜く、愚かしく、そして忌むべき事と憤っている。
彼ら、つまりは私自身となった、この者共は、人の死体などいくら見ても歯牙にもかけぬが、事、呪いに関しては許容範囲が狭い。
例えて言うなら、純白の絹織物に、泥の跳ね染みをわざとつけられた時の失望感?一滴の泥染みであろうと、完全な美を汚そうという心根が赦せない。と、いうの感じだろうか?
偏執的思考は理解しがたいが、美醜の価値観を用いれば、確かに、あの幽鬼の行軍は醜い。
本来の姿。
つまり、このコルテスの領地には、不死の王の祝福と守護が張り巡らされていた。
という事になる。
そして、不死の王に願わねばならぬほどの災厄が、コルテスの土地にはあるのだ。
では、それは何だろうか?
公王が黙認し、妹君を犠牲にしても、守らねばならない事。
難しく考える必要はない。
太古の王も言った通り、このコルテスの土地を守る。
モーデンの血をひく子孫の土地の守護。
土地の。
不死の王(神)に願わねばならぬような土地の災い。
すなわち、コルテスの災厄とは、土壌の汚染だ。
土壌の汚染で多くの生物が死んだ。
当然、人間も沢山死んだろう。
技術によって汚染は押さえられたが、領域に広がる度合いが広く深かったのかもしれない。
北の絶滅領域は、山脈地帯全域だったが、気候変動のみで落ち着き限定されて広がる事はなかった。
しかし、事は鉱毒となると地盤によっては際限なく汚染が広がったかもしれない。
特に、東マレイラは湖沼も多い。
人の技術で毒の分解に成功したが、汚濁の広がりは防げなかった。
そこで(界)そのものを別にした。
強引にも、次元軸の位置を変えたのではないだろうか。
つまり、この世から軸足を半歩異界に踏み出して留まった状態だろうか。その異界の次元が、我らの界よりも低く、その境界に霊道を通し、鎮護の道行きを歩ませたとすれば、流出する事は無い。
このようにして大陸東の、特に汚染の厳しい東マレイラを中央大陸から切り離した。と、考える事は無理だろうか?
この汚濁こそが、中央からの政治的分離や民族的対立に隠れた、真の隔絶の理由である。とは、考えすぎだろうか?
不死の王に供物を捧げ、コルテスの領地を別領域としての認識を与えて隔離した。
鎮護の道行きとは、境界をつくる呪い。
呪術を否定した王家にとっては、呪術による鎮護を主軸に据えなければならない東八貴族との関係は、非常に難しい物になったのではないだろうか。
その呪いも、何かの切っ掛けで減弱するか、消えそうになる時がある。だから、その呪いの強化に、儀式が執り行われるのではないだろうか?
ニコル姫が供物となったのは..モーデンの血を、薄くとも始祖の血を引いていたからだ。
否、血の濃さなら古参貴族の方が近い。
ニコル姫が捧げられたのは、置き換えだろう。
呪術の置き換え。
感化の更に上の様式だ。
土地を別の界として、現実の毒を押さえるように、対象を別のもので代替する。
ここで重要なのは、モーデンの血を引く、支配者の家系だ。
最初の生け贄の条件に近い者が選ばれたはずだ。
もっと穿って考えれば、姫の肖像画が、最初の生け贄の容姿に似ていたからこそ、嫁ぐ事を望まれたのかも知れない。
ここまで、考えて、気がつく。
つまり、この中央大陸の東は、呪術が生きているのだ。
閉鎖的な土地であるから、今まで分からなかったが。
この身に巣を食う者の知識を共有できる者がいる。
不死の王が施した物があるのだ。
不死の王が今もいると考える事は?
王がいたとして、なぜ悪意をそのままにしているのだ?
否、まて、不死の王は人ではない。
その王に願って安寧を求めた(人)は、どうしているのだ?
安寧を求めた者。
家族を、氏族を、己を捧げた者は?
焚き火の側で、ぼんやりと考える。
群青色の空、炎、動き回るカーン達。
神に善悪は無い。
あくまで、争い、愚かしいのは人間だ。
考えるのに疲れて、私は目をこすった。
最近、思う事がある。
炎の向こうに動く姿。
この世界に必要なのは、彼らだと。
オルタスという世界において、環境に馴染み、種として強く、そして繁殖数が一番多い彼らこそ、この世界の住人として相応しいと。
人族は、一見すると環境に適応し、高度の文明を制御しているかのように見えるが、環境適応能力を考えると、彼ら獣人には劣る。
それが顕著に現れるのが、個体としての生命力だ。
獣人の個体と人族の個体が、同じ環境で生き延びる可能性を考えれば、よくわかる。
その生存率から言えば、亜人も絶滅に近い精霊種とやらも、個体の能力は低い。
もちろん、これは極論である。
種族特性の能力値を生存能力だけに限定すれば優れているという話である。
ただ、そう、難しい言葉をやめれば。
彼らは美しいのだ。
美しい呪と同じく。
彼らは、力に満ち、命が強く輝き、美しい。
滅びようとする、私のような種族とは違い、美しい。
夜明けの色と同じく、この世界に必要とされている美しさだ。
何を考えているのやら。
私は、眠気に瞼を閉じる。
すでに、私は、以前の私とは別人だろう。
美しいと思う物さえ違ってしまった。
感情まで変質してしまっている。
この心の中心に灯る物も変わってしまった。
嘘も本当も、こうなると意味がない。
私が考えているのか、いないのか。
全てが私であると許容するのはいやだ。
これは私ではない。
醜い、汚い、これは私ではないと、否定したい。
でも、やはり、これは私なのだ。
少し眠っていた。
目が覚めると、食べ物を手渡される。
暖かいお茶でパンを流し込む。
具は何か肉のペーストだ。
野菜の欠片も入っている。
神妙な顔で食べていると、ザムが側に立った。
見上げると、にっこりと微笑まれた。
昨夜の面影はない。
体変化に合わせて彼らの装備も変形すると知って吃驚である。
体の大きさが変わっても、首も締まらなければ破れた服で過ごす事もない。それはそうだ。彼らは職業軍人だ。その装備が獣人専用なのは当たり前だ。
普通の鎖帷子のように見えても、触ると全く素材が違う。
鎧も継ぎ目が伸縮するらしい。
「午前中、ここを調べて午後に出立です。」
私が墓守達を指さすと、ザムは肩をすくめた。
「いったん戻ってからですね。得体が知れない物を持ち込むのは危険ですから、ここに置いていきます。それよりも、巫女様の方を先に医者に診てもらわないと」
大丈夫と手を振ると、真面目な顔で返された。
「団長の不機嫌の元ですから、あきらめてくださいよ。それに俺たちも心配ですし」
何を言うのやら、と、私はあきれ顔で返した。
表情でやりとりするのは、体力がいるものだ。
「そりゃ、心配ですよ。化け物を退治したのは、巫女様ですからね」
退治はしてないし、戦ってもいない。
「腐土領域だと、昨日の晩みたいに妙な事が起きるんで、皆、なれてるんですがね。ああして一晩中、化け物を焼いてると、最後には、こっちの頭の中身がおかしくなる奴もいて。巫女様がいるだけで、ああして成仏するんなら、救われるもんなんだなぁと。俺達も嬉しいというか、安心したんですよ。」
私は、困り果てた。
似非の身で、信心されるとは思わなかった。
「皆、死んだ後があんな具合じゃぁ厭だなってのは、バカな奴ほど思うもんで。巫女様が化け物に触って、しばらくしたら、あぁでしょ。俺ら、否、俺は本当に、アレ?何言ってんでしょうね」
喋れない弊害がこんな所にあるとは。
否定したい、大声で。
感謝をされて落ち込む。
もそもそとパンを飲み込み、神妙にする。
神妙にしていたら、カーンが火の側に戻ってきた。
「アイツ等、いつまで部屋にこもっている気なんだ?」
まだ、朝の一番鶏が鳴いてないから、じゃないですか?
「一番鶏なんざ、ここで誰が飼ってるんだ」
たぶん、明るくなって扉の隙間から光が入らないと出てこないかもですね。昨日の騒ぎで、きっと、私たち死んだことになってますよ。
「馬鹿らしい」
何だか、話をしているような感じで、カーンとのやりとりが続く。
首を傾げると、ザムが感心したように言った。
「以心伝心ですか?団長と巫女様は本当に仲がいいんですね」
「はぁ?」
カーンは呆れたように、ザムを見た。
見てから、驚いた顔をした。
何を驚いているんでしょうか?
「いや、お前、喋ってないな..」
喋れないですからね。
それにしても、このパンの具は、何の肉なんでしょう。少し臭いがあって美味しいような、美味しくないような。
「鴨の肝臓だ」
おぉ、中々高級だ。
「おい、気がつけ」
はい?
お茶を飲んでから、傍らの男を見上げた。
便利ではあるが、面倒な事になった。
代償は、喪う事だけと思ったが、違ったようだ。
話しかけようと思わぬ限り、聞こえぬようだが、これで益々隠し事が難しくなった。




