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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
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ACT159 夏の空に言葉を喪う

 ACT159


 再び、時が引き延ばされたように感じた。


 一つ咳をすると血の泡がこぼれる。

 苦しさに意識が途切れるのを恐れて、私は傍らの男を見つめ続けた。


 瞳の中の私は、小さな子供のように目を見開いている。


 すると不思議な事に、見えないはずの部屋の様子が細切れに脳裏を過ぎていく。




 カーンは、両刃の剣を右手で一気に引き抜いた。


 私を抱えるようになってから、剣を背負っている。

 腰に下げる剣帯とは違い金属製だった。


 火花。


 素早く引き抜いた大剣が、金属の枠に擦れて火花が散る。


 外套の黒に火花が散って、屈んだ姿勢から一息に振り抜く。


 片手で鋼鉄の固まりを振り抜くと、異形の刃を弾き上げた。


 そのまま体を入れ替え、その胴体へと叩き込む。


 だが、異形の鎌はそれを受け止めた。


 距離を取ると、カーンはクルリと手首を返した。


 私と一緒では戦い辛い。

 降ろせと伝えたいのだが、息が苦しく言葉が出ない。


 その間にも、獣人達の姿が浮かぶ。


 ザムは剣から手斧に変えて、骨を粉砕している。


 ミア達は円陣を組んで死角埋めて攻撃を続けていた。


 モルドは数人と連携して、油薬を撒いている。


 トリッシュは徐々に移動して追いつめられないように仲間を動かし。


 ガツンと重い音。

 そして、火花。

 引き絞るような金属の音。

 感覚が失われていく中で、何度も火花が見える。


 やがて目の前が暗くなると、奇妙なことに墓守の姿が見えた。

 墓守の体を覆う蔦だ。

 蔦は蠢き広がり、小さな花を咲かせる。

 人間を喰い、可愛らしい小さな花を咲かせる。






 お花


 お花


 きれいなお花






 蓮の花

 少女

 小さな子猫

 約束



 あなたの肩越しに見た青い空



 どうか、どうか、皆をお赦しください



 輝く夏の陽射しと青空を見た。

 美しい世界。

 私とあなたの美しい世界。







 そして視界が戻る。



 カーンの剣が、幽鬼の王の胸元に深々とのめり込んでいた。

 力を込めて抉り込む。

 しかし、その身に触れた場所から、金属は腐食しサラサラと崩れた。



 それを見て、私は敵ぬと悟る。

 この異形は、神が呼び出したしもべだ。



 滅する事敵ぬのなら、どうすれば良いのか?



 本来は幽鬼の王に、同じく願わねばならぬのではないか?

 どうか、どうか、愚かなる者共の欲や嫉みをお許し願えまいか?と。



 崩れた剣から手を離す。



 距離を取る前に、鎌の一薙を避けると部屋の隅へと転がった。

 仲間から剣をもらうと再び構えた。




「旦那、おろせ」





 やっとひねり出した言葉は無視された。

 聞こえなかったのかと、痺れる手で腕を叩く。



 すると突然、カーンは吠えた。

 うなり声ではなく、独特の声だ。

 すると獣人達は、それに答えるように大きく吠えた。

 女も男も耳を立て、大きく高く吠え返した。


 それからカーンは、大きく息を吸い込んだ。

 その頬に獣の紋様が浮かびあがる。

 それは私の体の呪いにそっくりだった。

 同化して腕に現れた印と、その顔に浮かぶ獣の紋様は、不思議とそっくりで、どうして?と思う間もなく、男の姿を変えた。


 男の姿は、ザムと同じく膨れ上がると獣面へと変わっていく。

 今まで、このような姿を見たことがない。

 あの宮の底でさえ、体を変える事はなかった。



 男らしい眉も、高い鼻の形も、薄笑いに歪む口も、そうと見分けがつくのだが、よりその姿は変化し、




 毛並みも全てが、あの冬の生き物にそっくりで




 私は血反吐を吐きながらも、あぁ、すごいなぁと感嘆していた。

 ふと思い浮かんだ疑問に、私は笑ったまま意識を失っていく。

 死ぬ前に思うことが、彼らの肉体への疑問とは、誠に、私も馬鹿者である。














 獣人が本能的に擬態を解く時は、理性が焼ききれる程の感情に支配されているからだよ。


 だってそうじゃないか。


 誰だって、自分が殺されそうになったら、頑張るだろう?


 君が死ぬ、それは自分が死ぬことだからね。


 君と彼は、表と裏だよ。


 同化した魂は双子だ。


 片側が死ぬと、同じだけの恐怖と痛みと憎悪に支配される。


 まぁ、その感情が絶対ってわけじゃぁ無いけどね。




 でも、まだまだだね。

 まだ、たりないよ。


 その為に、僕が一緒なんだからね。



 さて、慈悲深き森の民よ。

 太古の王に、内緒で口を利いてあげよう。

 もちろん、これは狡だよ。

 宮への御招待したい者が、今回は中々狡猾だからね。


 代償は、今回は君の声でいいそうだよ。


 君はもう、可愛らしく喋ることはできない。


 まぁ、代わりにより深く魂が結びつくからね。


 さて、アレが正気を失う前に戻すよ。





 オリヴィア、可哀想な供物の女

 でも、本当に可哀想なのは誰だろうね?











 目を見開くと、再び、カーンは剣を異形に突き立てていた。

 異形は、不思議そうにこちらを見ている。

 振り上げられた鎌は、中空で止まり、傍らの男は唸りながら剣先を抉る。





 さぁ、王に願ってごらん供物の女。

 だんだん、君が差し出せる物がなくなっていくね。

 でも、大丈夫だよ。

 グリモアの取り分も、主の取り分もちゃんと渡してあるからね。

 最後の君の取り分が少なくなるだけさ。






 私は左手だけが動くのを不思議とも思わず、異形の体に手を置いた。

 冷たい。

 氷に触れているようだ。

 そして、掌から、死の気配が滲む。





 王よ、

 お怒りをお鎮めください

 この場の者達は、未だ彼岸の岸辺に向かう者達ではありません。

 お連れ頂く者は、別におります。

 どうか、刃をお納めください。

 迷える魂をお連れください。

 我らは、岸辺から見送る者。

 お連れいただく、モーデンの民は、直ぐ側におります。


 幽鬼の王よ

 太古の王よ

 モーデンの民の守護者よ

 どうか、愚かな民をお導きください。








 焦りから、言葉が所々で途切れた。

 言い終えるのとカーンが離れるのは一緒だった。

 再びの鎌の攻撃に備える。



 だが、幽鬼の王は鎌を振り上げなかった。



 カーンが壊れた得物の代わりを捜す。

 それを腕を叩いて止めた。



 獣人達の攻撃を受けて、死霊の兵隊が崩れるも、彼らからの反撃は止まっている。


 止めろ


 心で念じてカーンを叩く。

 唸りながらも、彼は動きを止めた。

 兵士達も距離をとる。



 足下の血の川は未だ流れ、開け放たれた扉の先で消えている。

 ここに黄泉への通り道が交わっているのだ。

 彼らが迎え入れるべきは生者にあらず。

 生者を死者に変える必要はない。

 死体なら、ここにはいっぱいあるのだから。


 幽鬼の行軍に相応しい者達を私は指さした。


 何も言わずとも、異形の足下から暗い影が持ち上がる。

 それは骨の兵士とは異なり、干からびたような皮膚をした屍鬼であった。

 奇妙な装束の死骸は、すこし、体を傾けてギクシャクと歩く。

 獣人達は距離をとり、武器を構えたままそれを見守った。

 屍鬼は、私の指さした左側の扉に向かう。




 開かれた扉から、頭をたれて俯く男達が現れた。

 朧な姿は、幽鬼の王の後ろにと並ぶ。

 それを死霊の兵士が隊列を組んで続く。


 殺された男達を見やり、幽鬼の王は武器を下ろした。

 それから、私を見ると微かに頭を傾けた。



 モーデン ノ コ

 イカイノ モノ ト マジワリ

 シュゴノ 道程 ヲ、ミダス


 願ニテ

 朕、トドマリテ クエキヲツグ


 モーデン ノ コ

 フドヘノミチヒラク


 願 キエ

 朕モ、マタ、キエヌ

 オロカナリ、ワレノチ

 オロカナリ、モーデンノ コ




 一時の、それでいて長く引き延ばされた時の中で、幽鬼の王の姿が変わる。


 それは一人の男の姿になり、片手の武器は天をつく槍になり、片手の綱は罪人に繋がる鎖になった。

 鎖の先には、やはり、老若男女が繋がれてはいたが、傷ましい死骸ではなく、頭を垂れて立っている。

 幽鬼の王、太古の王の顔は異形の仮面ではなく、青白い人族の男の顔になり、そして続く骨の兵隊は、古い衣装の人族の兵士になった。



 同じく力の配列が置かれているが、その足下の川は靄を纏った水になっていた。


 私達が身構えて立つのは、崩れかけた館と、幻の水の流れの中であった。


 すると、開け放たれた扉の先からカチカチと音がした。


 カチカチと、あの金の記章と微かな馬の蹄の音だ。


 それが聞こえると、太古の王の行進が再び始まる。


 ゆっくりと死者を従えて、鎮護の歩みを再開した。


 彼らは外に向かい靄となり消えさった。








 皆の意識が現実と結びつくのに、時がかかった。

 私は喉に残る血を、行儀悪く床に吐いた。

 慌てたカーンが、荷物の置かれた墓守の部屋へとはしる。


 否、私は大丈夫だと告げようとして、言葉が出ない事を思い出す。


 そうだ。

 幽鬼の王に語りかけたのは、頭の中の話だ。

 あぁ、喋れないのだ。

 私は、ぼんやりと思う。

 まぁ生きているのだから、良しとした。

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