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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
174/355

ACT156 人の業

 ACT156


 建物を叩く雨の音。

 唸り遠吠えをする犬の声。

 寒さに息が震え。

 遠くで風が吹く。

 湖面のさざ波にも雨が穿ち、寂しい景色だろうと考える。


 目の前の男達の怯える姿は、滑稽でいて妙に悲しい。

 私はカーンの外套の下で、息を顰めている。

 息を顰めて、滑稽な告白を聞いている。



 コルテスの領主街。

 どんなところなのだろう?

 私は瞼を閉じた。

 寒いと感じて外套に潜り込む。

 彼らの声は震えて、まるで笑っているようだ。

 人の泣く姿は、笑っている姿に似ている。

 私も泣くと、滑稽で笑っているように見えるのだろうか。







 コルテス家の所有する鉱山は、代表的な輸出品である浮遊石や、高度な機械技術に用いられる金属が産出される。

 つまり、コルテス公は金持ちだ。

 だがここ数年、コルテス本家の人間に不幸相次いでいた。

 本家血筋の者が数名亡くなり、所有する貿易船が沈んだりと、どうもうまくない。

 そこで領主であるコルテス公は、同氏族に事業を権利分配し、商売上の損害を分散する事にした。

 この後、コルテス公は本拠地の城で隠居同然の暮らしを始める。

 領主は直接の執政は執り行わないが、その姿が見えなくなると、氏族の中でも力の強い者が幅を利かせるようになった。

 だが、物事がそれで落ち着くならばそれもよかったが、コルテス領そのものが不景気に傾いていく。支配する者、される者、何れもが陽が陰るように勢いをなくしていった。

 商売は活気を、働く者は意欲を無くし。

 斜陽の原因はいくつかある。

 物事の要となる人物が死に、貿易船の沈没が続いた事等だ。

 だが止めを刺したのが、鉱山の一つで事故があり崩落による死者が多数でた事だろう。

 これによりコルテス領の鉱山採掘が停止。

 東の主要貴族により、安全性が確認されるまで一時採掘の停止処置を求められたのだ。

 コルテスの採掘技術に問題があるという事は、その技術を提供されている他の領地の鉱山にも影響がある。

 こうなると、原因の究明がなされない限り、本元の鉱山は営業を続けられなかった。

 これで苦しめられるのは、末端の炭坑員だ。

 仕事にあぶれた男達がそこかしこにいた。

 国内の人族ばかり労働力にしていたので、鉱山の労働力はそのまま国内の失業者になった。


 男達は同じ鉱山の、同じ作業の組だった。

 採掘が再開されるまで、彼らに収入は無い。

 炭坑以外の働き口は滅多に無い。

 生まれた時からあって当然の場所にいられない。

 どうしようもないし、どうすればいいのかもわからない。

 付きが落ちている時は、物事の視野も狭いものだ。

 屯する口入れ屋の主人に何とか仕事が欲しいと頼み込んだ。

 口入れ屋の紹介は、何れも短期で賃金が安いものばかりだ。どうにか、賃金の良い物は無いかと頼む。

 だが賃金の良い物は、某かの技術職だ。

 安い賃金にケチをつけ、高い賃金には厳しい労苦にケチをつける。生活が成り立たないと言いながら、彼らは変化を受け付けなかった。

 行き詰まる状況で、話しかけてくる者がいた。

 口入れ屋で鬱々と考えの纏まらない男達を待ちかまえていたのか、彼らに仕事の話を持ちかけてきたのだ。

 仕事は手入れが必要な貴族の別邸の修繕。

 その手伝いだ。

 ただし、場所がオンタリオだ。

 遠く鄙びて人が集まらない。

 何、特に厳しい仕事でもない。職人衆が来るまでの間は館の掃除、人が暮らせるようにする事。職人衆が来たら、その手伝いだ。

 手当は相場よりも高く、衣食住は保証されている。

 こんな仕事は外洋船員ぐらいだ。

 その船も度々沈んでいるのだ、どちらの危険が低いと考えれば答えは出ている。

 男達は一も二もなく頷いた。

 それだけ気持ちが追いつめられていたんだろう。

 働く先が無い、金が無い、つまり、明日への希望がない。

 考え無しだと言うのは簡単だ。

 焦りが視野を更に狭くした。

 男達は相手を信用した。

 何故なら男の服と馬車には、公爵の紋章があったからだ。

 公爵の、王家に近しいコルテス家の紋章だ。

 コルテス家の紋章は、不死鳥だ。

 炎の不死鳥を偽る者など領地にはいない。と、信じたのだ。

 だが、そもそも領主が口入れ屋でくすぶるような男達を集めるだろうか?




「話を持ちかけて来た男は、どんな風体だった?」


 ミアの問いかけに、男達は答えた。


「普通だ」


「年は?」


「若くはないが年寄りでもない」


「髪の色や目の色は?人族だったのか」



 彼らの答えは曖昧だった。

 記憶から、ぽっかりと穴が開いたように仕事を持ちかけた男の姿が抜けているのだ。

 髪の色も目の色も、皆、様々な色を言うが確かではなく、人相も年の頃も、思い出せないぐらい普通だという。

 そもそも、それが普通ではない。

 と、誰も思わないのが異常だ。


 彼らは、その(普通の)男の言われるまま、領主街の外れにある、古びた寺院へと集められた。

 東マレイラの寺院と言えば、神聖教の枝葉を名乗るものだ。つまり、神聖教とは関係の無い、土着宗教の寺である。

 その寺は長く遺棄されているため、坊主や神職を名乗る者は住み着いてはいない。

 その場所に待つように言われた彼らが向かってみると、そこには彼らの他にも同じ様な男達がいた。

 彼らも含めると五十は下回るが、ちょっとした人数が集められた。

 この時は、数台の幌馬車が来ると、あっという間に男達を詰め込んでオンタリオに向け出発とあいなった。

 彼らが雇い主と思しき男から話を聞くのは、旅程が終わりに近づき、この館まで後一日と迫った頃だ。

 数日の旅で、幌馬車による野宿であったが、食事は普通に提供されていたのと、同じ境遇の者が大勢いたので不安は覚えなかった。

 そして、その後一日という晩に、彼らが野宿する場所に彼らがやってきたのだ。



 家令と護衛の兵士、そして、主らしき男。

 男は目深に頭巾を被り、口元だけがのぞいていた。

 口元をみる限り人族の若い男と伺えた。



 あなた方が払うであろう、血と労力に感謝いたします。



 男は自らをコルテス家の医者と名乗り、彼ら一人一人を見て回った。これからの仕事に向かない者はいなさそうだと、彼らを触診しては声をかけた。




「では、その男がどんな風体か、近くで見たのだから覚えているだろう?」


 ミアの再度の問いかけに、男達は首を横に振った。

 側に寄り言葉を交わしたのに、男の冷たい指先は覚えているが、顔がわからないと言う。

 若い男。

 若い人族の男としかわからない。


「名前はどうだ。名乗らなかったのか?」


 男達の一人が答えた。


 名乗らなかった。

 だが、多分男の名前だろう言葉は聞いた。


 その男は幌馬車の中でも端に座っており、外からは見えないが、隙間のある外板のところに座っていた。

 その場所に座っていると、外の話し声がよく聞こえたのだ。

 男達は、馬車の中で夜を過ごす者が寝静まると、再び、馬に乗り夜に消えていったが、その時に聞いたのだ。

 家令が医者を名乗る男に



 キリアン様、後どれぐらい必要でしょうか?




「キリアン、それで、男は何と答えた?」


 ミアの問いに、男はぼそぼそと返した。


「全部は聞こえなかったが、女が足りないと。男は、これで大丈夫だといっていた」


 女がたりない。

 どうやら、このキリアンと家令、否墓守が、例の少女や赤子の狩り集めを同じく行っていたようだ。




 やがてオンタリオの自然豊かな、そして、冬の荒涼とした景色に飲まれた場所に馬車はたどり着いた。

 男達は館に降ろされると、馬車はあっと言う間に帰って行った。

 そして、男達は荒れ果てた館へと入ったのだ。

 それが一月もたたぬ前の事。

 待ち受けていたのは、墓守と数名の護衛である。

 食料と水は豊富にあった。

 寝泊まりする館は、荒れ果てていたが暮らせないわけではない。

 墓守は、館の一階部分の右側の部屋の鍵を開けて、彼らに掃除をして暮らすようにと言った。

 後は炊事場等を案内すると、ここでの暮らしの決まりを告げた。

 職人衆が来るまでの間、この館から外に出てはいけない事。

 門を閉じて、盗人などが入り込まないようにする事。

 昼間は、一階の掃除をしても良いが、階上と階下、そして鍵のかかっている場所に入り込んではいけないこと。

 そして、日没後は、館の外に出てはいけない事。




「理由は何だと言っていた」


「オンタリオは僻地だ。野生の動物も多いが、盗人が出ても自分で対処するしかない。防犯の為だと言った。後からもっと人が増えたら、又、決まりを変えるともいっていたよ。だから、陽が暮れて館に入り、飯がおわると皆部屋に入る。そうすると奴らは扉に鍵をかける。最初は金だけもらって逃げるのを防ぐためだと思った」


「違うのか?」


「待遇に不満がなかった。すくなくとも食う物が食えて、雨露が凌げて金がもらえる。だから、夜は大人しくしていた。だが、そんな暮らしも移動も含めて半月も立てば飽きる奴もいた。」


「外に出たか」




 昼間は仕事をしているが、仕事といっても大したものではない。崩れかかった館のゴミを運び出し、雑草を刈るぐらいだ。炊事当番も持ち回り、規則正しく門番の真似事をする。だが、こんな暮らしも続けば、退屈を持て余す。

 夜になり、鍵がかけられる事。

 それに疑問をもった者が数人いた。

 鍵をかけられるという事に、酷く、違和感を覚える者もいた。

 今、この場に残っている者は、どちらかと言えば平穏を好む方だ。

 だが、今、姿の見えない者達は違った。

 繰り返された鍵の儀式の後、数名の男達が、扉の鍵をこじ開けると外に出た。




「出たからと言って、夜に盗み食いでもして終わりか、近在の村にでも酒をもらいに行くぐらいだろう」


 トリッシュの言葉に、男達はひきつった笑い声を絞り出した。


「最初の内は、そうだった。でも、俺達は仕事を干されるのが怖くて部屋にいた。毎晩、夜になると歩き回る奴らはいたけど、俺達は家族がいるから、扉は閉じてひとかたまりになっていた」



 だが数回、夜の散歩が続いた後、帰ってこない者が出たのだ。



「それに彼らは何と?当然、厳しい言葉が出たのではないか?」




 帰ってこない者に対して、墓守は何も言わなかった。

 だから、男達は拍子抜けした。

 更に出歩く者が出て、そして、一人二人と帰らない。

 だが、それが数日続いて仲間が減れば、自ずと、おかしい事に気がつく。


 荷物も金も持たず、何処に行くのだ?


 だが、こんな田舎だ。

 無情にも、門の外にまで出てしまい帰るに帰れないのだろうと、誰も探さなかった。

 でも、どこかで警戒する気持ちも出てきて、夜の出歩きは減った。

 減ったはずだった。

 ところが、墓守が部屋の鍵をかけて遠ざかり、皆が眠りにつく頃。

 館を歩き回る者がいた。


 足音がするのだ。


 それは不自由な足を引きずるように、床をずるずると擦りたてるように聞こえる。

 それが何処とも知れぬ方角から始まると、一晩中、廊下を上階を、そして外の庭から聞こえ続けるのだ。


 その足音が聞こえた次の日、朝になり墓守が鍵を開けてまわると、男達はすぐさま話し合った。

 誰が昨日は外に出たのかと。

 だが、誰も昨日は出なかった。

 それがわかると昨夜の足音は、帰ってこずにいた男の誰かが悪戯をしたのではないかという話になった。

 だから、今晩は、皆で待ちかまえて確かめようと。

 戻るに戻れないのなら、皆で



「悪戯を咎めずに、仲間に戻ってくるように言うつもりだった」


「で、どうなった?」


 そこまで語ってから、男達は、口を何度も開け閉めして言葉を探していた。

 やがて、一人が言葉を引き継いだ。

 疲れ果てたような顔には、どす黒い隈があった。


「昔から俺達の地元では、夜にする物音は、悪霊の仕業だという言い伝えがある。だから俺達は、他の奴らとは、話を合わせていたけど、いたんだけどよぉ」



「怖かった」



 漏らした言葉に、彼らは驚いたように私を見た。

 半ば外套に埋もれていたので、どうやら、私の事は見えていなかったようだ。

 多分、抱える男が恐ろしげなので、あえて視界にいれなかったのもあるだろう。


「怖くて嘘をついた。皆で、夜に、外に出るのを、拒んだ。そして、何かあった。何があったの?」


 一言をゆっくり区切って問うと、男達は、子供のようにしくしくと泣き出した。

 それはミアが苛立って、一人をはり倒すまで続いた。


「俺達は、やっぱり、夜に歩き回る事ができなかった。怖くなっていたんだよ。ここは街の明かりから遠くて、餓鬼の頃と同じで夜が怖くなったんだよ。だから、俺達は、やっぱり、同じ部屋に固まって、鍵をこじ開けもせずに寝たんだ。」




 部屋に入り、何が聞こえても外に出ない。

 次の日、他の奴らに何を言われてもいい。と、決めて布団を持ち込んで一部屋で休むことにした。

 これなら、そう、これなら、怖くない。

 子供の頃、子供同士で遊び夜に泊まり込むように、一部屋で固まった。

 そして夜が深くなり、昨日の晩に聞こえた音が、再び何処とも知れずに聞こえだした。



「雨が降ってた。あの晩も、こんな風に雨漏りの音がした。だから、最初は、館の雨漏りの音だと思った。それが、だんだんとこの場所に近づいてくるのがわかった」



 男達は布団の下で、耳を澄まし息を殺した。

 あの独特の引きずる音だ。

 そうして集中して聞いていると、それが足音ではなく、何か長い物が床を擦っている音だとわかった。

 足音と聞き間違うのは、ちょうど、長靴の金の金具がこすれるような、かすかなチャリチャリという金属音が続くからである。



「金属音?」


「鎖がこすれるような音だ」



 やがて、音は廊下を過ぎて外へと出た。

 正面の玄関が開いた音がしない。だが、その音は外へと向かったのだ。



「部屋の扉を開ける音がした。皆、いなくなった奴らの名前を呼んでいた。そうしたら、館の外から、答える声が聞こえたんだよ。」




 あぁ、こっちだよ

 おれは、こっちにいるよぉ




 部屋から忍び出た男達は、雨の中を外へと向かった。

 だが、それはここにいる男達が耳で聞き取っただけである。

 複数の足音が、外へと歩き出した。

 暫く、雨の音だけが続いた。

 ざわめく人の気配。

 それから更に、この玄関広間に残っていた者も外へと出ていく気配がした。


 静寂。


 雨の音と静寂に、部屋に残っていた男達は恐怖で震えていた。

 すると、微かに、聞こえた。


 悲鳴だ。


 遠く微かに、悲鳴が幾つも聞こえた。


 助けてという言葉も、確かに聞こえた。


 殺さないでくれという、言葉が聞こえた。


 やめてくれ


 やめてくれ


 やめてくれ



 部屋に固まり、男達は耳を塞いだ。

 聞こえない。

 聞こえないふりをした。




「次の日、いつも通り、こいつらが鍵を開けた。俺達は起きると、いつも通り、食事を作って、何にも言わずに作業をした。こいつらは、人が消えても何も言わなかった。俺達は、夜が怖いんだよ。」



 薄い扉の向こうには何がいるんだ?

 見殺しにした奴らのいるこの場所で。

 夜を迎えるのが怖い。

 自分たちを引き入れた男達は、この有様だ。


「頼む、夜になる前に、この場所から出ていきたいんだよ。だけどよ、俺達だけじゃ、無理なんだよ、助けてくれ、助けてくれよぉ」



 一通りの話が終わる。

 雨漏りは相変わらず、湿気った寒さが肌を刺す。

 私は暫し、この話の意味を考えようとした。

 だが、それよりも先に、呆れたようなため息が耳を過ぎた。


「ミア、トリッシュ、手順通りに進めろ。馬鹿話につきあうのもここまでだ」


 カーンの言葉に男達が顔を上げた。


「嘘じゃねぇんだよ、本当なんだ」


 それにカーンは心底呆れたように返した。


「それがどうした。死んだ奴らが大きな顔をして歩き回る世の中だ。いちいち、化け物話に怖じ気付いてたら兵隊なんぞやってられん」


 カーンが気になるのは、あくまで人間の方だ。

 人こそ邪悪であり、異形の蔦に巻かれる墓守にしろ、この怯えた男達にしろ、信用はしていない。


「夜まで待ってみる気ですか?」


 私の問いに、カーンは暫し考え込んだ。


「ともかく、この場所を一通り調べたい。だが、あれを放置するのもな」


 墓守のいる部屋の方を顎で指した。


「城塞の医者に診せるのですか?」


「持ち込みはしない。呼ぶしかないな。気になる事がある」


「何です?」


 男達をそれぞれの兵士に振り分けて、一階の探索をミア達は始めた。

 渋る男達を叱咤し、昼間の内に粗方の部屋の中を把握するのだ。

 私とカーンは、ザムとモルドを従えて、墓守の寝ている部屋に移る。

 彼らは相変わらず、蔦の抱擁を受けていた。


「医者の名前だ」


 キリアン


「心当たりがあるのですね」


「マレイラに来る前に、この辺りの支配者層と社会的地位を築いている者の名簿に目を通しておいた。」


「ちゃんと仕事してるんですね」


 それにニヤリと笑うと、カーンは肩をすくめた。


「俺は見かけより真面目に仕事をしている」


「なによりです。では、キリアンとは紳士録に載る方なのですか?」


「医者で、キリアンという名前を覚えている」


「凄い記憶力ですね」


「違う。医者でキリアンという者が特別だったからだ」


「何者ですか?」


 カーンは、墓守をしみじみと見下ろした。


「人間てのは、罪深いもんだ」


 それから私に、愉しげに教えてくれた。


「医者のキリアンと言えば、コルテス公の非嫡出子だ。狂死した元婚約者、まぁ、姫と結婚する為に婚姻無効にされた元妻の子供で、実質の長男だ。本来の次期コルテス公という訳だ」


 驚く私に、カーンは不思議そうに続けた。


「どんな化け物話より、この名前の意味が、俺には恐ろしく感じる。俺は間違っているか?」

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