ACT152 霧の中
ACT152
陽が暮れる頃、森へと続く道の遠く。
小さな灯が見えた。
カーンは未だ戻らず、私は歩く練習をしていた。
ザムは食事に入っていて、私の傍らにはモルドビアンという名の兵士がいる。
ザムと同じく獣狩りに秀でていて、ミアのお勧めの兵士らしい。
ザムはといえば、しとめるのは自分だからと、急いで食事をとっている。
「何で、私が餌になると思うのか」
私も狩人だ。一番弱そうな物を獲物とするのは理解できるが、私を狙うと決めてかかられると、若干の抵抗を感じる。
「大型肉食獣は、獣人の男が嫌いなんですよ。だから、それでも近寄ってくるのは、それだけ狙われているという事です」
モルドビアンの説明に、ウンザリとする。
群の弱い個体を狙うのが常套というのは知っているが、そういう理由で、ザムは私が狙われると確信しているのだ。
モルドビアンは、故郷でも狩人だったという。
主に、群で移動するココンという鹿に似た草食獣を狩る。
肉が美味で、皮は加工品になるそうだ。
大型の弓を使うそうで、実家には、様々な大弓がそろう。
私と同じく弓を作る事もあり、南領では、北と違う素材を使うようである。
「湿気が多いので、歪まぬように作るのが大変なんですよ。」
二人で弓の加工、普段はあまり他に教えない材料類について話していると、ザムが戻ってきた。
「何の話だ?楽しそうだな」
「巫女さんは、弓を使うそうだ。故郷じゃ弓で狩りをしたって話をしていたところだよ」
ザムは弓を使わない。
力が強すぎるのと、性格的にあわないと笑った。
「まぁ、そうだよな。お前の場合、殴る、斬る、潰すだ」
そんな軽口のモルドビアンの背後、遠くコルテスの森に続くという道に、小さな光点が見えた。
気が付いたザムが、皆に知らせる。
すぐさま、休憩をとっていた者も動き出した。
「巫女さんは中へ」
天幕に入るように促される。
「私達がお呼びするまで、顔は出さないでください」
ミアに言われて、私は天幕の奥へと引っ込んだ。
警戒する理由が私にはわからないが、やはり、種族、民族問題で対立しているというのは、こういう感じなのだろうか。
馬の嘶きと、人の声が聞こえた。
だが、何を話しているのか内容はわからない。
朗らかな雰囲気ではない。
言い合いになっている。と、だけわかる。
天幕にミアが入ってきた。
「コルテスの兵士と墓守です。獣人の兵士がここにいる事を、勘ぐっています」
「勘ぐる?」
「つまり、コルテスの領土内に入り、何かよからぬ事をするのではないかと」
「ですが、ここは緩衝地帯でしょう」
「彼らにとっては、獣人が嫌いなだけですよ。で、申し訳ないんですが、顔だけ見せてもらえますか?特に、話す必要はありませんから。」
天幕から、ゆっくりとミアに手を引かれて出て行く。
コルテスの者達は、六名。
見た限り、兵士と墓守の区別はできなかった。
ただ、一人だけ身なりが上等なので、その男が墓守なのかもしれない。
私の姿を見ると、彼らの険悪な表情が少し和らいだ。
だが、私が近寄らずにいると、再び彼らは顔をしかめた。
何となく、理由がわかる。
「たぶん彼らは反対に考えているんですよ」
「反対ですか?」
「彼らは貴方達が私を浚い、身代金をとるとか、売りさばくとか考えているんでしょう。」
馬鹿らしいことだが、お互いに不信の念に捕らわれているので、勘違いしあっているのだ。
仕方なく、ゆっくりと近づく。
「この場所に連れてくるにしては、子供ではないか」
「だから、我らが護衛だと言っているだろう」
「護衛だと?どう見てもおかしいではないか」
聞こえてくる会話は、すぐさま状況が悪くなると言う風でもない。どちらも争いたくは無いが、見過ごせないという所だろう。
「何をそなた等は、争うておるのだ」
嘘くさいな。と、自分でも思いながら、尊大に顎をあげた。
クリシィの真似というより、神殿に来る貴族の真似ごとを意識する。言葉など適当すぎて、冷や汗がでた。
「巫女様、この地から立ち去れと彼らが言いまして」
これ又態とらしいザムの言葉に、私は顎をあげたまま、コルテスの者を見回した。
「何故であるか?私は神仕えの者。姫の亡骸がここにあるというので、祈りに参った。賊のように追い払われる謂われは無い」
どうだ。と、ばかりに言う。
頭の隅で、勘弁して欲しいという独り言が漏れた。
「巫女とな。幼い形でそのような話を信じられるか。大方、この者らに脅されてでもいるのだろう」
一番身なりの良い男が、忌々しそうにザム達を見る。
獣人と言うだけで、嫌っているのだ。
「では、偽りだと申すのか?」
「脅されているのなら、我らが保護しようといっているのだ」
それに思わず鼻で笑った。
親切なお人だ。
だが、無理がある。
本当にザム達が賊であるなら、とうに彼らは死んでいる。
六人の人族に倍の獣人の兵士。
もちろん、東ご自慢の技術で武器の威力はあるかも知れない。だが、どう見ても助けて頂くには力不足だ。
ミアやザムが、怒らずに対処しているのは、それがわかっているからだ。力ずくでは彼らに勝ち目は無い。
さて、どうしたものか。
コルテスの者に、墓の事を聞く良い機会だ。
だがもとより東公領の人族は、神聖教を信仰していない。
詩篇の一つもそらんじればいいと言うわけでもない。
「ここに留まる事の何が良くないのか、問うて答えてもらえようか?」
我々が何者であっても信じないと言うのなら、何が問題であるのかを聞くしかない。
「この場所は、コルテス家が守る墓である。何人もむやみに近寄る事はゆるされない」
答えとしては無難だが、理由にならない。
立ち入りを禁じるなら、墓に渡れないように道を塞げばいい。
道は塞がれず、あの浮き石の通路も人が渡れる。
つまり、湖から行き来できるようにしていなければならないのだ。
近寄るべからず、というのに塞がない。
そして正しくはコルテス家の墓ではない。
ニコルの墓である。
屁理屈にもならない返答に、やれやれと態とらしく頭を振る。
子供と思っての適当な答えに、馬鹿らしいと見下して返す。
それぞれに立場があり、彼らにも彼らの事情と責務があるのだろう。
ただ、人も中々に立ち寄らぬような場所に、墓を放置しているのは事実だ。
如何に言おうが、彼らは姫の墓を放置している。
もちろん、ただ、放置しているのではない。
厳重に箱に詰めて、置くべき場所に置き、なるべく、近寄らぬように。それでいて近寄れるように。
それを否定するなら、仮の墓でも内地や公王につくらせればいいのだ。仮の墓を豪華に祀り、本物を隠せばいいのだ。
だが、それができない何かがあるのだ。
言わなければならない言葉を組む。
偉そうに演説するのは嫌だが。
「ならば何故、このような場所に墓をつくる?近寄ることが許されぬという理由は何か?ましてや、墓に祈りに来たというだけで、追い払うというのなら、コルテスの者であるという、その方等こそ偽り無き者と証明できるのか?」
男が何かを言う前に、私は続けた。
「この場所に置かねばならぬ理由を言わば、その方等は我を信じるのか?」
表情は変わらなかったが、男は私の言葉に微かに反応した。
「理由とは何だ。特に理由など無い。おかしな事を言うな」
どうやら墓を守る事情も、少しは知っていそうだ。
だが、直截に聞いても答えられないだろう。
「墓所に、気配があった」
聞きたいことを聞くまでだ。
「気配?何を馬鹿らしいことを」
「その者は、お主ぐらいの背の高さで、襟高の服を着ていたぞ。左利きなのか、その剣は主とは反対に帯びていた。」
鏡の男の事を話すと、コルテスの者達は、あからさまにたじろいだ。
「顔は定かではないが、髪は肩口まであり服は紺色。それが鏡の中におった。そして」
「嘘を言うな!」
墓守の声は震えていた。
ぶるぶると体を震わせ、両手は拳に握られていた。
「嘘?では、お主等がコルテスの者ならば、今から一緒に参ろうではないか。」
「ならん、お前達は墓に行ってはならん」
「墓が立ち入り禁止とは聞いておらん。それとも王の許しを取り付けてくればよいのか?コルテスの者に、神殿の者が祈ることを阻まれたと言えばよいのか?」
男達は、何事かを相談している。
「一つ、言うておく」
墓守に向けて、私は言った。
「もうすぐ、ここに残りの護衛が来る。全員そろえば、主等の三倍以上の数だ。言いたくは無いが、力ずくで追い払う事は無理である。脅すわけではない。ただ、祈る事を何故そう阻まれるのか、理由を話してもらえれば、ここを速やかに立ち去らない事もない」
と、脅した。
「私は神仕えである。無闇に争うことも、又、不要な話を外に漏らすこともない。その判断ができぬと言うのであれば、コルテスの方にお伺いを立ててみてはくれないだろうか?」
脅し、宥めた。
墓守は私を見つめ、ため息をついた。
疲れた様子で、暗くなり揺らめきばかりが見える、湖に視線を逸らした。
「何も言う事は無い」
墓守は繰り返した。
だが、我々が立ち退かない事もわかったのだろう。
「今宵は、ここに留まるがいい。だが、墓に立ち入るのは止せ。」
彼らは野営をする私達を押しのけるように、無理に通り抜けた。
そして、あの浮き石と柱の入り口で、馬を下りると墓に渡る。
小さな角灯が柱の合間からちらちらと見えた。
夜の闇に薄灰色の柱が浮き上がり、湖の中心にある建物も浮かんで見えた。
滑る水面、浮き出る姿。
それは草原に浮かぶ蜃気楼のようで、殊更、人の世から離れて見えた。
「墓守なんぞ、ぞっとしねぇな」
ザムの言葉に、ミアは肩を竦めた。
「臆病風に吹かれたかい?」
それにザムは、少し頭を傾げた。
「昔は怖くなかったが、今は怖いな」
獣人の男にしては、素直に答えた。
ミアもからかわず、なるほどと返している。
「昔は、死んだ奴が動き回らなかったからね」
アイツ等、気配が掴みにくいんだよ。と、ぼやいた。
「封鎖前に東南にいたんですよ。空気も悪いし、焼かなきゃ動くし。おまけに半死半生の奴と、完全にくたばってる奴の区別が中々」
ザムが嫌そうに補足した。
「東の貴族の墓なんて、土葬が殆どでしょう?そんな場所を夜に巡回するのは嫌ですね。それにしても、さっきの話は本当なんですか?」
「何がです?」
「見たって言うのは」
「はったりですよ。そもそも、私は巫女見習いです。神意を語るは、烏滸がましい限りです」
暫く、墓に漂う明かりを見ていたが、中々彼らは戻ってこない。
私は天幕で休むように促された。
夜明け頃、カーンに起こされるまで目覚めなかった。
夢も見ずに眠ったようだ。
起き出して、昨夜の事を聞く。
すると、墓守は、こちらの道には戻ってこなかったという。
たぶん同じ道を戻らずに、原野の方向か川下の方へと行ったのだろうという話だ。
それならば安心なのだが。
朝霧の中、霞む湖を見つめて私は震えた。
霧の中が光っている。
中央の墓の辺りだろう、明滅する光が見えた。
私は忙しく朝食の用意をする者、これから暫し休む者を眺め見てから、もう一度湖の方を見た。
明かりは、ぼんやりと不規則に明滅しているが、その色は灰色がかった霧とは違い、赤かった。
炎の照り返しではない。
朝陽の方角でも無い。
赤くどす黒い光が霧を染めている。
不安になるような、赤い色だ。
「誰か墓守が馬でどちらに向かわれたか、見ておられるか?」
私の問いに、岸辺で顔を洗っていたトリッシュが側に来た。
「団長と帰ってきた頃は、まだ、入り口に馬があったな。一人馬番に立っていた。」
「いつ頃です?」
「真夜中過ぎかな。近寄るな、の一点張りだった。団長も事を構えるのは面倒って事で、それ以上は何も。後で正式にコルテスの方へ渡りを付けるという話ですよ」
霧が視界を遮り、墓への通路は見えない。
不安が大きく心にのしかかる。
重苦しい感情に臍をかむ。
二度寝の後の食事をとっている男を振り返る。
その様子に、気がついていない事がわかった。
まだ、そこまでの力の共有は認められないのだろう。
あからさまな驚異は感じ取れるのだろうが、前兆や痕跡は辿れないようだ。
それに安堵する一方で、これが珍しくもない現象なのか、それとも、何か予想外の事が起こりつつあるのか、判断に迷う。
この現象を見られたくなくて、コルテスの者は帰れと言ったのか、それとも、これは彼らにとっても不測の事態なのか。
風が西から吹き付けて、徐々に霧が流れていく。
私は岸辺に歩み寄り、霧が湖から消えるのを待った。
ザムとモルドビアンは、その間に交代し、朝陽の気配が確かにする頃には、カーンが側に立っていた。
朝陽が東の空を染めている。
今日も曇りか雨なのだろうか。
弱々しい陽光が湖面にスッと降り立つ。
「探索はどうでした?」
「土手にあった墓と同じような物が、二カ所みつかった。コルテスの墓守は、何も喋らなかったようだな」
「お家の事情もあるでしょうし、そうそう口の軽い家臣も信用されないでしょう」
「そりゃそうだ」
「ただ、あの鏡の男には、心当たりがありそうですよ。やはり、コルテス家の方と一度話さなくては」
「中々の巫女ぶりだったそうだな」
「二度とごめんですね」
無駄口を叩き合いながら、私は霧の流れを追う。
霧は晴れた。
落胆と不安に、私は目を閉じた。
「ザム、警戒に当たれ。ユベル、準備だ。トリッシュは俺に続け。ミアは撤収作業。移動に備えていろ」
深呼吸をして、目を見開く。
墓守の馬達は、岸辺で途方に暮れていた。
人影は見あたらない。
場合によっては争いの種になる。
カーンはトリッシュの隊を引き連れて、視界が戻りつつある岸辺を歩き出した。
今更、急いだ所で状況は変わらないだろう。
私は食事をするようにと、ザムに手を引かれた。
気も漫ろで、あまり食べる事ができなかった。




