ACT151 分水嶺
ACT151
ここが分かれ道だ。
人の世を、物質界を越えようとしている。
何処であろうと踏み出せば、全ては宮の内になるのだ。
鏡の中の男は、扉だ。
恐れ、触れてしまえば、開かれてしまう。
道を開く事になるのだ。
この墓は、境界が薄い。
境界が薄いとは、あの宮へと続く穴と同質であるという事。
不味いことに鏡の中の男も、私達に気が付いている。今更、知らぬふりで済ませられようか?
周りの兵士達は、私達に、注意を払っていない。
墓を見て二人で何か考え話し合っているとでも思っているのかも知れない。
カーンは、その男が某かの動きをすれば、斬るつもりだろう。
その考えに至った時点で、負けである。
そして男が近寄って来る事に、怯えた私も同じだ。
ジェレマイアの言う、豆の法則だ。
だが拒絶して無事で済むかは、わからない。
「不用意に近寄れば、斬る」
カーンは、静かに息を吐き告げた。
それに鏡の中の男は、揺らいだ。
風に吹かれる葦のように揺れているが、どうやら、言葉は聞こえたようだ。ひっそりと、気配が薄くなる。
実際、物理的な攻撃が届くのかは疑問だが、カーンが斬れると確信している限り通じるのだろう。
暫く、睨みあいが続いた。
「団長、これからどうされますか?」
ミアの問いかけに、集中が断ち切られた。
幸いな事に、私達に詰め寄ることもなく、鏡の中の男は消えた。
その残滓のような靄は見えるが、それでも気配は消え、私達は緊張を解いた。
「岸辺に戻り、野営の準備。そして、近隣の探索を行う」
ミアは護衛と野営、それに探索に兵を分けた。
その様を眺めつつ、私達は、もう一度鏡を見た
「ともかく、何かはいるな」
「旦那、コルテス家の方に、墓の事を聞く事は可能でしょうか?」
墓を離れつつ、私は肩越しに宮居のような建物を眺めた。
「難しいが不可能ではない。まぁ、考えてみれば、必要か」
「もう一つ、ニコル姫の名が返されたとして、どうして、記章はコルテスの名で公王は作られたのか、王国の方に聞くことは可能でしょうか?」
私の問いに、カーンは暫し考え込んだ。
「姫の婚姻は無効。名は返されたが、遺骸は中途半端。公王自身が資材を持ち込み、コルテスが墓を作る。そして、従事した船乗り達に、コルテス名の記章を、公王が贈る。か..」
「辻褄があいません」
「確かに辻褄があわない。だが、そうなる理由がある筈。という訳か?」
墓が見える岸辺、その岸辺の乾いた場所を探す。
岸辺の北東側には、踏み固められた道があり、その道らしき物のところが円状に開けていた。
そこで野営の準備を始める。
「この道は、何処へ続いているのですか?」
やはり、私の側にはザムが立っている。
山猫がいるので、カーンが側にいない時は、この男が警戒にあたるのだ。
一度取り逃がしているザムに、ミアは難色を示した。
だが、近辺の探索に向かったカーンが、ザムを指名していたので、この配置になったのだ。
次に山猫を見つけたら、彼は殺すまで追いかけるだろう。再訓練になるか否かの瀬戸際だと、目がつり上がっている。
「東領の内地の筈です。コルテス家の墓守が巡回しています」
「放置している訳ではないんですね」
「この道を北に向かえば、コルテスの所有する森があります。彼らの森の中でも最大のもので、狩猟場として解禁時以外は封鎖されています」
「では、もし、彼の家の方々がいらっしゃったなら、山猫のことをお伝えせねばなりませんね。人にも危険ですが、猟場が荒れてしまいます。」
「..確かに。コルテスの森は、草食動物が主で、肉食といっても狐や鼬の類でしょうから」
そんな話をしているうちに、野営の準備は整っていく。
簡易な天幕が張られ、煮炊きの炉が組まれ。
淡々と準備がなされ、食事の下準備が始まる。
手伝いを申し出たが、やんわりと断られた。
これも訓練だそうだ。
つまり、私は置物のように、ザムの隣に据えられた燃料用の枯れ木の上に座っている。
山猫に始まり、鏡面の男と遭遇した割には、何の収穫もない。
墓に何かがあるとして、それが船の座礁や、異変に関係があるのか無いのか、もやりとしたままだ。
「今一度、墓を見に行ってもいいでしょうか?」
一人で見に行ったほうが、いいかもしれない。
「団長が戻るまで、お待ちください。」
確かに、ここで一人で向かい、何かがあって、私が消えでもしたら、彼らの責任が問われてしまうだろう。
消える?
無意識に、理解していた。
宮居のような墓は、突き進めば、たぶん、私は入れる。
これは確信できた。
何も回りくどく、コルテス家の者と対話する必要はなかった。
あの墓に行き、人ならざる者に問いただすだけでいいのだ。
だが、それをしない理由も、又、理解していた。
境界が薄れるとは、人の世界が浸食を受ける事になる。
あちらが力を増すことになれば、この不完全な世界は、簡単に人を潰すだろう。
そして、より深く、私は変化する。
厭だ。
生きたまま埋められるようで、厭だ。
では、あの墓が境界であるとすると、どう言う意味になるのか?
それぐらいは、考えねばならない。
王家の姫が置かれた。
コルテス家の領地境に。
宮居のような建物。
境界の上。
土手の墓。
鏡の男。
ニコル・コルテス。
コルテスのニコル。
もっと、単純に考える。
墓、女、境界、墓。
見たままを考えれば、
凶事を、死者で、封印しているのだ。
その簡単な答えにヒヤリとした。
つまり、亡霊は、その封印が解けて凶事が起きていると訴えている?
否、そう単純な話だろうか?
そう否定してみるが、あながち外れてはいないだろう。
姫は、死なねばならなかった。
だが、姫の死が防いでいた凶事が溢れた。
と、すれば、鏡面に浮かぶ男は、すでに、姫の命で償われた何かが、無効になったという意味だろうか?
当時の事を、誰かに聞かねばならない。
なぜ、ここに、この場所に墓を置いたのか。
確信しての事なのか、それとも偶然か?
偶然という、期待の混じった言葉に、頭を振る。
偶然、扉を塞ぐ?
姫の命で?
冗談だったら、酷いものだ。
考え込んでいた私に、兵士が茶を入れて手渡してくれた。
お茶を飲み、一端、考えを止める。
そして、葦の向こう、揺れる湖面と、突き出た柱を眺めて思う。
なんて、寂しい、場所だろう。
訪れるのは、自然の生き物だけ。
見えるのは、木々と遠い山。
土手下の河の流れや湿地は見えない。
水音と薄い陽の光りに、靄が漂い流れていく。
姫は、一人で、この場所に眠っているのか。
それとも、人ならざる者と語らっているのか?




