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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
168/355

ACT150 挿話 煉獄への道程

 ACT150


 彼の中では、全て、整合性がとれていた。

 義理の息子へ与えた事も。

 娘によって、運び出した事もだ。





 だが、それでも、私は...











 死んで楽になりたいと、ふと、思った。



 途端に意識が濁る。



 なぜ、自分に与えられたのか、なぜ、自分は与えてしまったのか。

 理由を考えても分からない。

 分からないと言う事に気が付いて、やっと理解する。


 私という個は、死んでいた。

 感情も思考も檻に入れられ、私という器が勝手に動き。

 そして、誰に殺されたのかも忘れ。




 或朝、鏡を見て気が付く。



 お前は誰だ?



 見知らぬ他人となった顔を見て、薄ぼんやりと気が付く。

 長い間、自分を失っていたことを。

 そして思い出し、見回し、取りこぼした人生に絶望する。

 ところがその絶望も、よくわからない。

 長い間、自分が支配された奴隷だったからだ。

 長い間。


 そこから足掻く事は、酷く面倒に感じた。

 ぼんやりとした意識の奥底で、私は絶叫する。

 だが、日々生きているように見える自分は、喋り、食し、眠り、勝手に動き。自分という肉体の檻の中で、弱り切った自我が、出口を探して這いずるだけ。

 無力で無気力。

 この中途半端な状態が暫く続いた。

 実が弾けるように全てが駄目になるのを、内側で見続ける。

 ところが、ある日、その支配が弱まった。

 徐々に意識が戻る。

 それと共に、操られて為した事が、毎晩自分を苛む。

 そして、次に何が起きるのかと怯えた。

 自分が死ぬのは簡単だ。

 もう、半ば死んでいるのだから。

 だが、死んで救われる訳ではないと、毎朝、悟る。

 そして



「お爺ちゃん、きょ、狂化した人、狂、外に、いる」


 青い顔で孫が扉の前を塞ぐ。

 隣の若い男も、椅子や家具で扉を押さえている。


「巫女様を奥へ、危なそうなら商会へ運び込めや」


 ウォルトが商会の者に指示を出した。

 扉の向こうから、うなり声が聞こえる。

 徐々に、それは大きくなり、今では耳を聾せんばかりだ。


「おう、おめぇ。外にいんのはぁ、何処の誰だ」


 ウォルトが控えの部屋から大振りの鎚を取り出した。

 大工仕事に使う物ではない。

 彼の体に見合った、戦鎚だ。

 まるで、分かっていたように武器を置いていたようだ。


「テリーチルカ、領館側の町の」


 泡を食う領兵の青年というより、少年を見据えて武装船員が首を傾げた。


「そいつ人族だろう、おかしいじゃねぇか。」


 扉を押さえる少年を退けると、障害物をはらった。


「入って来ちゃうよ」


 ビミンの言葉を無視して、ウォルトが顎をしゃくった。

 私は剣帯の留め金を外した。

 そっと扉を開ける。


 狂化とは、獣人が肉体の調整をできない状態になる事を指す。

 狂人となり、凶暴化する。

 肉体が精神を裏切り、暴走する事。を、指す。

 獣人が隷属民として扱われていた過去には、こうした狂化した獣人の姿を恐れ忌避し、蔑んだのが始まりと考えられている。

 精神失調が、即、暴力行為になる訳ではないし、肉体変化が思うようにならないからと、全てを破壊するような事は滅多に無い。

 それでも、狂化する獣人が皆無になることは無い。

 故に、そのような者を見かけたら、手近の獣人が始末する。

 狂化した獣人は、仲間以外にはしとめる事は無理だ。



 集会場の前の広場を見回す。

 誰もいない。

 ただ、一匹猫が死んでいる。

 酷い有様で、猫の頭部が黒々とした血の中に転がっているのが見えた。

 気配を探る。



 微かな震える息づかいが聞こえた。

 私とウォルトは外に出て扉を閉めた。



 ぜぇぜぇと息をする男は、木々の後ろにしゃがんでいた。

 ゆっくりと近寄る。

 猫の血にまみれた男は、怪異な容貌に変化していた。

 裂けた口、濁って黄緑色の目、そして頭部が少し前に延びていた。

 ウォルトと私は、木を両側から回り込むように近づいた。


「俺達の血が混じったにしちゃぁ、妙な顔つきと色だな」


 肌の色が青い。

 鱗を纏う者も確かにいるが、皮膚にそういった鱗は見えない。

 むしろ透き通り中の血の動きが見えるような、不健康な様子だ。

 男はしゃがんだまま、荒い息をして動かない。

 このまま近寄って

 捕らえようかという時、不運にも町の住民が行きあわせた。

 集会場は町外れ、商会のある岬の灯台が見える位置にある。

 普段ならそれほど人が行き来する場所ではない。

 だが、それでも町の中心へ続く本通りの最後がこの場所であるから、散歩や誰かのお喋りの為に人がやってくる事もある。

 そして、その偶々現れた町の住人に、男は気が付くと一息に襲いかかった。

 町の住民、若い男と女は、手荷物を抱えて談笑していた。


 最初に女が殴り飛ばされた。


 何が起こったか分からない内に、連れの喉笛が噛み切られた。


 深く噛みつかれたのか、男の首から血しぶきがあがるが、声は出なかった。

 もがいて暴れるのは痛みと驚きだろうか。

 躊躇い無く食いつき引きちぎり、深く深く噛むので、恐怖に男の口が開くが声は出ない。


 ウォルトが殴られた女に駆け寄るのと、私が剣を引き抜くのは一緒だった。

 倒れ伏した女は、その一撃で首が捻れていた。

 絶命しているがそれでもウォルトはうなり声をあげると、女の体を引き寄せた。


 檻の中の私は、この出来損ないを不愉快に感じた。

 そして、私を動かす誰かも、この不始末を嫌悪した。


 私は全てを失った時、加工を施された。

 獣化する術を失っている。

 だが、成人の人族男子と遜色のない筋力を有している。

 男に近づくと、その四肢の腱に向かって刃物をふるう。

 まるで、金属装備のような手応えだが、足の一本を駄目にすることができた。

 その動きのまま、食らいついた男の延髄に剣を叩き込む。


 絶命も気絶もしない。


 そこで、一端引くと突きの構えをとった。


 男が振り返る。


 その手には、未だに食い物が握られており、顔中を赤黒い血で染めている。顔も、体も、全身赤い。


 私を見ると、男は笑った。

 汚い歯をむき出しにして笑う。

 それはまるで、仲間を認めたかのように、やけに親しげだ。


 不意に、この男の顔を見て気が付く。


 義理の息子、愚かな私、そして。


 利き足で踏み込むと、突きの一撃を放つ。

 何年も鍛錬を続けた突きは、狂い無く喉笛を突き破る。

 すると、剣の突き通った場所から、血管が盛り上がり、皮膚の表面を覆った。

 醜く盛り上がる皮膚のまま、喉を突かれた男は静かになった。

 頽折れていく体を地面に縫い止める。

 ウォルトは女の死を確認すると、狂化したという男を見下ろした。


「何だこりゃぁ」


 絶命した男は、暫く痙攣していたが、口から何かが溢れてきた。

 蛆のような白い細かな虫である。


「おい、誰か、油と火種を持ってこい。早くしろ!」


 ざわざわと這いだすと、蛆のような虫は、小さく鳴いて私に向かってきた。

 私は、ぼんやりと、それを見下ろす。


 汚いな。

 汚い。


 虫は私の足に触れる直前で、商会の者が運んだ油を浴びた。


「下がれ」


 ウォルトが火を放つと、一気に炎が吹き上がった。


「どうして遺体を焼く油薬があるんだ?」


 私の問いに、彼は肩を竦めた。


「死んだら直ぐに焼かねぇと。だろ」


 難破船の船員の事だろうが、手回しの良さに、何となく四肢から力が抜ける。


 死んで焼いたら、さようなら。


 ふと、正気の頃に誰かが言った言葉が浮かぶ。

 私と、息子と、誰か。


 つかみ取ろうとした、主導権が再び逃げていく。

 その微かな意志に縋りつく。

 怯えた孫の顔を見て、どうにか助かる道は無いかと考える。

 考える側から、意識は濁り、そして、汚らわしい行いを続けるのだ。


「人族も狂化するの?」


 ビミンと少年は、炎を見て顔をひきつらせている。


「するわけねぇよ。おい、役人呼んで来いや。二人でだ。そこの餓鬼、一緒に行って説明しろ。こっちの所為にされたらかなわねぇからな。おう、おめぇさんは、巫女様と一緒にいろや」


 ウォルトの指示に、商会の者と少年兵が町役場へと駆けだした。そして孫は、巫女と一緒に建物の奥へと入った。


「面倒な事になった。上に戻るのは、ちょっとまってくれ。ケリがつくまで、アンタ等ここでお泊まりだ。何、寝床も何でもあるからよ」



 燃え上がる肉と油、毛が焼け焦げる異臭が辺りに広がる。

 もくもくと黒煙が上がり、その向こうでは死んだ男女を道の端に寄せた。

 私は剣に付着した、血糊と油を拭った。

 燃え上がる炎を見ながら、支配が弱まる理由を考える。

 徐々に、意識が戻ったのは、この土地に来てからだ。

 この土地に来て、目隠しが徐々になくなり、いつの間にか、ここにいた。

 確かに、今までも自分自身であったのに、全て知っているのに、魂は檻の中に閉じこめられ、何もできなかった。


 囂々と燃える炎に肉が落ちて骨が見え始めた。

 時々、手渡された油薬をかける。

 火傷するほど近くに立ちながら、漸く思い当たった。


 悪魔の手を握る者が他にいるからだ。

 没落し、奴隷になり、失敗した者を、悪魔は見捨てた。

 何故なら、もう、その手を握らなくとも、終わりだからだ。


 炎はやがて小さくなった。


 そして、ぼんやりと考える。

 救いたいと考えて、一歩を踏み出した。

 だが、気が付けば、皆、死んでしまっている。

 あれほど大切にしていた全てが無い。

 根こそぎ消えたのは、自分が願ったからだ。


 後悔する。


 と、忠告は受けた。

 手にした者は滅びるとも。


 悪魔は、最初に言ったではないか。




 死者は眠らせるに限る。

 それでも、貴方は望むのか?

 器に、依戻す。

 その意味をおわかりか?

 もし、この実をお使いになる時は、約束事をお忘れなきよう。



 約束は、三つ。



 私は態と破った。

 永遠が欲しいと望んだから。


 与えられた者は、望んだ。

 そして、不完全さに狂った。

 狂い、人の腹を割き探した。

 私は、慌てて戻した。

 戻して、全てを失った。


 あぁ、恨むこともできない。

 悪魔でさえ、恨むことができない。

 選んだのは、私だ。



 人族も狂化するの?



 狂化ではない。




 臨界点は近い。



 今度は逃げ出せないだろうと思う。

 早く、楽になりたい。

 早く、早く。




 あの手帳を、私は何処へ隠したのだろうか?

 ぼんやりとする頭を割って記憶を探したい。

 あれに書かれている筈だ。

 新しい悪魔の名前。

 新しい苗床。

 あぁ、思い出せない。

 だが、それも当たり前だ。

 大切な人の名も忘れ、顔も姿も思い出せない。


 早く、楽になりたい。






 それから三日後の朝。

 アッシュガルトから内地の三公貴族の合同領主館へと続く街道に、奇怪な男達が現れた。

 奇っ怪な男達は、領主館とその町の住人を襲った。

 襲撃から程なく、内地の領兵が駆けつける。そして即座にミルドレット城塞へと抗議の使者が送られた。

 獣人による、マレイラ人族地域の襲撃としての抗議だ。

 これに城塞の駐留中央高官が対応。

 獣人による襲撃という事実無根の抗議に対して、治安回復名目の派兵をマレイラに行う用意があると対応する。

 そして、襲撃犯とされる数名の男を三公に引き渡した。

 三名の(人族)である。

 その三名の人族は、獣人の混血と当初思われていたが、彼ら三名が正式な東マレイラの東公領の住人であり、領兵の成れの果てであることが確認される。

 重要なのは、彼らが(人族)であるという事だ。

 しかし、それでも強硬な姿勢で、獣人による陰謀であるという抗議を、東の貴族から示される。

 だが、時を置かずに抗議の声は無くなる。

 それよりも深刻な事態、内地から支援に向かわせた兵隊が、まるで獣人のように肉体を変異させ殺戮を行い始めた。と、現地の三公領主より東公領中央に伝えられたのだ。


 獣人のよう。


 野蛮な行為を為しているのは、東マレイラの人族であり、そのような行いをしてもいない獣人を引き合いに出すことは、侮辱行為である。

 この東公領主の中央、政治母体に届けられた伝令文が、中央の幕僚本部にも届けられた。伝令文は対応をした高官が手に入れた物だ。最初の抗議文と共に届けられた高官の文章が、公王と元老員の目に触れる。



 結果、東の今回の騒動に対して、中央軍は、静観する姿勢をとる事となった。


 静観、つまり、見せしめの為に、見殺しにする事を決めたのだ。



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