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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
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ACT148 湿地にて

 ACT148


 新兵、移動組も含めて組まれた教練の中でも、この冬の東で行われるものは不評である。


 南領の湿地帯であれば、泥の海での苦痛は倍増するが、獲物も多いのだ。それこそ肉には不自由しない分だけ、野営も楽しくなる。

 だが、この冬のマレイラの湿地行軍では、毒虫も居ないが獲物も少ない。

 多いのは、沼地や水場を生息地にする蛇だ。

 それも蚊がわくように冬に出る。

 通常ならば冬眠する時期に当たるのだが、このフォックスドレドの沼地は暖かい。泥も水も温度が高いのだ。

 湯気を上げる水面や泥を、団子のようになって蛇がうごめく。


「蛇の餌は何なんです?冬場では虫も少ないでしょう」


 ドロリと粘度の高い泥をかき分けて歩く男に聞く。

 この教練では、馬を使用せず自分の足で歩くのだ。

 まぁ、私は相も変わらず荷物である。

 今に使うべき足が動かなくなりそうだ。


「川も湿地に流れ込んでるが、この泥の下には温度の高い源泉がある。暖かい泥には様々な生き物がいる。蚊の季節ではないが、冬眠しない両生類も多く棲息している。特に、水質も悪くないから淡水の貝類、冬でも蜘蛛も多い。後はそう言ったものを補食する小動物や鳥もいる。湿地帯の生物の多様性は、どこも変わらない。南部との違いは、大型の肉食動物が少ないという事と危険生物に指定された物が、今のところ無い」


 大型肉食動物、つまり、野生の動物を相手に苦闘する事は無い。それだけでも、教練の難易度が格段に下がる。

 危険生物は、文字通り毒であったり死に至る病を有する物で、攻撃性以前に、存在するだけで害になる。それが無い、まぁ発見されていないというのなら、確かに湿地行軍も泥遊びと彼らには形容できるだろう。


「南の湿地帯に限らず、普通、肉食の動物や危険生物は何処にでもいる。自然の中での軍事行動は、現地の情勢の一つとして常に気を配らなければならない。その点、東の地域は南に比べて、環境は優しい。まぁ、それは勿論、第八に限りだが。」


「どうしてです?」


「第八は幸い人族の者が一人もいない。医務官や後方支援、作戦指揮や兵站も含めてだ。その分、教練の中で東の湿地の意義は低い。疫病、伝染病への耐性を試すには、加工後、南の湿地帯か密林で教練をしないと意味がない。」


「何だか怖いですね」


「人族の長命種と獣人以外は、種族特性の中で疫病感染抵抗が低い。なので、入隊後、伝染病等の風土病対策がとられるが、実際の抵抗値が上がっているかは、初年度の南部教練で試される。」


「いきなりですか?」


「今の軍部の技術なら、別に試す必要もないが、稀にどうしても肉体強化を受け付けない体質もある。それにまぁ、伝統でもあるし、南部教練をこなせれば、どんな場所でも生きていける」


 南部地域に対していらぬ偏見を持ちそうだ。


「この湿地帯は、南部に比べると楽という事ですか?」


「ここは非常にきれいだ。泥以外の水や湧き水も口をつけられるし、伝染病の発生も今のところ無い。風土病に関しては、お前でも生水を大量に飲まなければ大丈夫だ。蚊も冬場で少ない。そして、肉食獣も小型だ。大型の菌を媒介するような猛獣もいない。」


「でも、楽そうじゃありませんよ」


 私達は、ちょっとした丘にたどり着いた。

 丘というか、乾いた枯れ草の浮島というのだろうか?

 見渡す限りの泥と枯れ草の景色に、兵士が蠢き、ある者は力尽きて上官に罵られて蹴られ、ある者は幾度目かの死亡宣告を受けて罰則の錘を増やされている。


「今回、ここに来ているのは、教練監督官以外は新人だ。新人の兵士に新人の士官。経験が浅いからな、多少の悪条件で、未だ行動に隙がでる」


 新兵は、自分の体重分の錘を持たされている。

 そして装備は防水加工の金属装備である。

 加えて、城塞を出てからずっと走り回っている。

 新兵の教練と共に、隷下部隊への統制訓練も行われているらしく、指揮官の命令が絶え間なく伝令により伝達されている。

 つまり、延々と泥の海で走り、這いずり、模擬戦闘が繰り返されているのだ。

 私達は、それを適当に見て回っている。乾いた浮島や草の上を散歩のようにだ。

 それなりに乾いた土地もある。

 だが、教練中に乾いた土地に上がると狙い撃ちになる。

 そして、カーンや私に向けて誤って攻撃を仕掛けると、即死判定で加重が増える。

 そうなれば獣化する事になり、消耗が増えるというわけだ。


「風土病で思い出しましたが、ニコル・コルテス様の死因も風土病とありました。ですが、身分のある方が、生水を飲む機会などそうそうあるのでしょうか?それとも風土病も他に種類が?」


 東マレイラの風土病は、飲料水の中に含まれる虫が原因である。

 その水が体内の消化吸収と病原抵抗を下げる。

 下痢、腹痛、嘔吐、発熱と一般的な感染症の病体を示す。多くの者は、これを数度繰り返すと、体内に一定の抗体を作り出すことに成功する。

 抗体を作れない場合は、現在だと薬剤で治療が可能だ。

 ただし、抗体を作れない者の中で、稀に虫その物に寄生される場合がある。

 前者の感染症病体の場合は、水中の虫が出す毒素に、免疫が反応した結果であるが、後者は、その虫その物が体内に留まり害を為す。

 本来は体内に残る事は無い。

 消化器官から排出されてしまうからだ。それに虫に寄生されても、初期の段階なら薬剤で治療が可能だ。

 現在では、死に至る事は稀なのだ。

 だが、他にもそのような病が無いとは言い切れない。

 ただ、ニコルは下々の貧しい者ではない。


「虚弱であれば考えられなくもない。だが万に一つも、そんな馬鹿な話はないだろうな。当時も、わかりきってはいた。ただ死因を暴き、東方との関係を悪くするには時期が悪かった」


「時期がですか?」


「南領の戦略地域を支援する領土一帯で、困難な事態が持ち上がった。当時、南方から直ぐ海を渡った群島地域と緊張状態が続いていた。当然、その南領の軍事境界線を維持する軍事力を削ぐことはできない。だから、東、つまり後ろを盗られる事は避けなければならなかった。」


「つまり、ニコル様は」


 殺された?






 戦闘模擬演習は昼夜無く続く。

 基本、新兵はこの間不眠である。

 戦闘交戦中という仮定の下、限界を試しているのだ。

 この間、演習部隊には監督官が付くが、総合評価を与える上級士官は模擬指揮本部にて、新人士官の運用評価をしている。

 指揮本部の天幕には、その作戦指揮を執り行う両陣営が隣り合って指示を出している。勿論、敵味方がそんな状況になるわけはない。あくまでも、評価する上級士官が、両方を見るために同じ天幕にいるからだ。

 相手の戦略が少々聞こえるのはご愛敬である。そして、新人らしく、周りが見えないので、多少の耳情報は大した影響はない。

 そして、そんな彼らの後ろで上級士官達は、情報資料からの戦略、作戦、戦術から交戦への流れの評価をしているのだ。

 戦闘において、実質の運用に彼らが携わる事は無いが、不測の事態、つまり、作戦指揮本部が壊滅した場合の、現場の動きに慣れさせておくのも必要という訳だ。



 場違いである。

 もちろん私が。



 戦略図を挟んで新人士官が、激しい論議を交わしている。

 彼らの白熱の議論と、あげられる情報を伝達する兵士。

 その隣の簡易の机で茶を飲む私。

 茶を飲み食事をとり、薬を飲めと言われている。


 非常に嫌だ。


 そして、のんびりと状況と何をしているのかを解説する男。


 何様だ私。


 泥と傷だらけの兵士を眺めて、不眠でろくろく水分も採れない彼らの前でご飯である。


 嫌だ。


「まぁ、後半日待ってくださいな。その位で一応の結果がでますんで」


 と、声をかけてきたのは、昨夜食堂にいた髭の男、バットルーガンである。

 上級士官の一人で、今回の教練の総監督官である。

 今年度の新人を扱う一人で、この軍事教練での受け持ちは、一大隊六百人である。

 本来は、連隊指揮をしているが、新人教育に当てられている。

 その補佐がモルガナである。

 彼女も通常は第八で三人いる筆頭百人隊長であるが、バットの補佐として新人教育の方へ割り振られている。

 何しろ、中央大陸を王家が統一宣言して以来の停戦時期である。

 戦時体制保持とはいえ、彼らの仕事も内容は戦時中とは違ってくる。

 そして、何事にも真正面から取り組むモルガナが新人を受け持つとなれば、結果は私にもわかる。

 現に、指揮本部にいる筈の彼女は、率先して泥にまみれているらしく姿は見えない。

 監督官と一緒に走り回っているんだろう。


「半日?」


「中隊二つに分けて戦わせてますが、後半日もすれば無傷でいられる者が一握りになるはずですんで」


 どういう意味かと、暇そうにしている傍らの男を振り仰ぐ。


「この後、その生き残りを連れて、俺達は川の上流に行く。まぁ、生き残ったご褒美だな。残りの死人は、この後も泥で泳いでもらう。今度はちょっとした運動競技だ。」


「夜間訓練に移行しますんで、まぁ、今度は仕込みで新人以外が攻撃を仕掛けるんで。いやぁ、不意打ちの夜襲ですから楽しいですよぉ」


 どのあたりが楽しいのかは不明だが、夜間の移動をするのだろうか?


「オンタリオの河川を遡るのですか?」


「こちらもちょっとした散歩だ。領土的には問題ない位置関係だが、少し人数をそろえていった方が無難なんでな」


「物騒なんですか?」


「前にも説明したが、この土地で声をかけてくる人族の男は人攫いだと思え」


「いや、それおかしいですよカーン。それにオンタリオの上流に人家は無いですから」


 バットの突っ込みに、カーンは方眉を上げた。


「だが、あの場所だとしたら、誰がいるかもわからんだろう。どうせ、難癖を付けてくる。つまり、お前を人攫いから守る為に、俺と何名かで護衛を請け負っているという体裁が必要なんだ」


「肝心な事を聞き忘れていた気がします」


「何だ?」


「何処が最終目的地なんでしょう?」


「決まっている。ニコル・エル・オルタスの墓所だ」


 オンタリオ公主なのだ、墓はオンタリオ河川の近くなのだと納得する。だが、そこでハテと首を捻った。


「コルテス家の墓では無いのですか?」


「ニコル姫の結婚は、無かった事になっている。結局、あれほど固執した東との関係は、姫の死でも切れなかった。情勢上お互い切ることができなかった。公王は姫を王家の籍に戻した。それにコルテス家は、あくまでも遺骸を戻す事も、コルテスの籍から抜く事にも抵抗した。そして、妥協点は、遺骸を渡さずマレイラに墓所を置くことだった」


「そして、名は王家に戻ったと」


「姫はコルテスに嫁ぐと共に、神聖教とも離れた。だが、籍が戻ると共に教義に戻り、名前も戻された。だから墓所は、公王が資材を持ち込みコルテス家が建設した」


「ですが何故、河川の上流に?」


「資材運搬の面からとコルテス家の要望という話だが、真実は、人の足では中々参る事ができない場所で、コルテス本家から遠く、それでいてコルテスの領地に近接している場所という選び方だ」


「悪趣味と思うのは不敬でしょうが、何だか嫌な感じですね」


 私の言葉に、カーンは同意するように頷いた。


「姫が何をしたと言うわけでもない。彼女が望んだわけでもない。まぁ、庶民にはわからない話だが。でだ、ここからが重要だ。耳をかせ」


 獣人の耳に内緒話は無駄であるが、そう言ったカーンを見て、バットは作戦指揮をする新人の方へと離れた。


「その墓所の建設に携わった船方には、公王から姫の名で記章が送られたそうだ」


 内緒話に、私も同じく手を口にあてて返す。


「よくわかりましたね」


「何、サーレルに調べさせた。あいつの得意分野だ。で、墓所はここから徒歩で半日。野営して早朝出発だ。つまり、巫女のお前が、姫の墓所に墓参する。それを俺達獣人の兵隊が護衛しているという体裁だ」


「似非見習いですが?」


「わかりゃしねぇよ。どうせ、信心深い奴は、この辺りにはいない。それに雲を掴むような話だ。墓に行って何がわかるか、まぁ、わからないと考えるのが正しいだろうがな」


 この日は、日没まで戦闘訓練は続いた。

 無傷で罰則の錘が増えなかったのは、二十三人。

 本当に一握りだが、並べられた兵士は、どう見ても新人には見えない。

 カーンに聞くと、第八に流れてきた移動組で、傭兵崩れや他の師団で扱い難い兵士で、大凡新人という言葉が不似合いという者ばかりとか。

 それを聞くと楽な墓参が、実際は困難になると男が予想しているようで不安になった。

 彼らを加え、私達は演習から離れて野営をした。

 今夜の夜襲の対象から外された訳である。

 こちらで堂々と焚き火を囲む私達の向こうでは、物騒な叫び声が聞こえた。

 私が驚いて飛び上がると、焚き火を囲む彼らに笑われた。


「大丈夫ですよ。死にはしませんから、どこの教練もこんなもんですからね」


 大柄な女性兵が、食事をしながら宥めるように言った。

 ちょうどカーンはバットとモルガナの所へ行っている。

 この後の予定を話しているのだろう。

 この生き残りには、女性兵も六名含まれていた。

 声をかけてくれた彼女は、緋色の髪をした、やはり大型の重量獣種である。私に気を使ってくれたのか、野営の準備が終わり、食事に移ると隣にきて世話をやいてくれた。

 カーンが頼んだのだろうか?

 ただ、どちらかというと男が側に来ないようにと彼女自身が気をつけているようだ。

 何か話したさそうにしている他の兵士を、あからさまに威嚇する。


「おい、ミア。あんまり巫女さんにかまうなよ。団長に殺されるぞ」


「うっさいね、トリッシュ。アンタがいなけれゃ安心なんだよ、屑。」


 トリッシュと呼ばれた男は、黒髪黒目、獣人には珍しく垂れ目の優しい顔をした男だ。


「巫女さん、あの屑には近寄っちゃ駄目ですよ。女誑しですからね」


 あまりの言いように答えられない。

 すると、トリッシュの隣で食事をしていた白髪の男が笑った。

 白髪だが、地毛の色らしく若い獣人で、こちらは見るからに荒んだ雰囲気の少し細目の男だ。右頬に入れ墨が入っている。


「ついでに、その隣は気狂いですから、もっと駄目ですよ」


「ミア、じゃぁここには、マトモな奴はいないぜ」


 その気狂いと言われた男は笑いながら周りを示した。


「そこの三人は特にオカシイですから、近寄っちゃ駄目ですよ」


「俺もかよ!」


 一緒に座っていた隣の男が怒鳴って返した。

 吹き散らかされたような金髪で、南領獣人の浅黒い肌とは対照的に、サーレルと同じ白い肌をした男だ。


「そりゃそうか、お前変態だもんな。ユベル」


 周りの男達が同意している。

 そして、女性兵士六人の視線は、汚物を見るようだ。

 私も思わず、ミアと呼ばれた彼女の後ろに隠れた。


「酷い、俺は変態じゃねぇ」


「そうなのか?」


 カーンは戻ってくると食事を受け取り座った。


 すると起立して全員が礼をとった。

 座っているのは私だけだ。その私を抱え上げるといつものように、膝に乗せた。

 座っていた石が微妙な傾斜で、足が痛かったので助かる。

 人間座椅子は、他諸々の外聞を除けば痛くない。

 礼を解いて周りの兵士も食事を再開した。


 二十三人を、ミアを隊長に据えて小隊する。そして、それを半分に分け分隊とし、先ほど会話をした黒髪のトリッシュと右頬の入れ墨の男ザムを分隊長とした。その中で金髪の名前はユベルが、伝令という役割に。

 今回の、ニコル姫の墓参は教練の一つとして扱われるそうだ。

 貴人の警護の模擬訓練。

 あくまで訓練であるから気が少し楽になった。

 その説明の間に、金柑を取り出す。

 すると無意識にカーンは手に取ると皮を剥き、実を私に渡した。


「質問、いいですか?」


「何だユベルノート」


「巫女さんは、団長の隠し」


 凄い音がした。

 金柑に気をとられていたが、顔を上げると土煙が上がっていた。


「えっ、何?」


「気にしなくていい」


 カーンの向こうで、笑顔のミアが拳を構えていた。


「気にしないでください。屑を始末しただけです」


 土煙の向こうで呻き声が聞こえる。

 私の目線を辿った周りから、気にしなくていいという再度の言葉をいただいた。

 皆、笑顔だ。

 私は聞くのを止めた。



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