表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
162/355

ACT145 孤独の岸辺 中

 ACT145


 それは供物の印。

 宮の主の供物。

 生きる娯楽、魂は糧。

 我が魂は供物となり、死した先は宮に堕ちる。

 血肉は愚かなる書に捧げ、幾多りの罪を見聞す。

 供物とは罪業深い者の事。

 償いの岸辺は遠く、血の河に腰まで浸かり足は屍にとられ。

 故に、望んではならない。

 その岸辺には、ただ一人で行かねばならない。

 だから嘘偽りを廃そうと、私は何も言えないのだ。

 何かを言えば、一人ではなくなる

 一人で抱え込んでしまわなければ、誰かが苦しむかもしれない。

 だが、印は彼の者の腕に浮かぶ。

 それは逃れる事を許さぬという証。

 私の罪の証。

 このままでは、この男は供物ともに闇の中。

 では、どうすればよいのか?

 男の嫌う嘘偽りを並べれば良いのか?

 一言も与えず、遠ざければ良いのか?



 暖炉の前に椅子を置くと、私は座らされた。

 部屋は先ほどの場所が寝室で、こちら側が書斎のような作りだ。

 床には臙脂の敷物や乾燥した薬草が置かれていた。

 石壁にはやはり綴れ織りの壁掛けが置かれ、全体的には清潔で落ち着いた部屋に思えた。

 ただ、装飾品は無く、長椅子にしても足置きにしても、専用の座布団は実用的な物だった。


「何故、あの扉には閂が」


「こちら側に閂と鍵がついているのは、あの部屋が本来は寝室ではないからだ」


 急かせば頑なに口を閉ざすのを分かっているのか、問わずにカーンは答えた。

 椅子に座り炎に炙られながら、私は腕を未だに放せずにいる。

 そして腕を取られたままカーンも敷物に座り込んだ。


「この部屋以外が空いてなくてな、寝台を運び込んで体裁を整えた。ここは城の上階でな。出戻りの部屋を下に持って行くのは良くないと、無理矢理物置を開けた訳だ。」






 会話が終わり、私は沈黙に懊悩した。

 もう、黙っていれば災厄は避けてくれるとも思えない。


「旦那、これは印だ」


 私は、せめて忘却の呪いが薄れないようにと祈った。


「約束の印。還る場所に、迷わないようにつけられた印。媒介したグリモアが私にある限り消えない。旦那の腕に印が出たのは、多分」


 宮の主に知れたから。

 私が何を考えたか。

 そして、カーンが何を考えたか。

 だから、少し加えたのだ。

 私が離れようとした分だけ、カーンを引き寄せ招いたのだ。


「同調した副作用だと思う。強い力が染みを広げたように」


 逸れないようにと契約を広げた。

 同調して魂の境目が薄れたから。

 良い意味を探せば、これで危険が良く見える。

 悪い意味ならありすぎて、目の奥が痛い。


「こいつがあるとどうなるんだ?帰る場所とは何処だ。俺もそこに帰るのか?」


「還るのは、私一人だ。旦那には、この印のお陰で、多分、嫌な物が見えるようになったと思う」


「嫌なもの?」


「今日、見たような物だ。グリモアは死人に近しい。だから、化け物が見えるし、この世の物ではない物が見える。」


「お前は、いつも見えるのか?」


 上唇が震えて、上手く笑えなかった。

 あぁ、いつも見える。

 だが、見えないようにしている。

 いつも聞こえないふりをしている。

 そうしなければ、怖いからだ。

 自分が怖い。

 普通じゃない事が嫌だ。

 これまで以上に私は一人だと感じるのが寂しい。


 私は頷く事で答えた。


 腕の紋様は、私の物とは少し違って見えた。

 私は細い蔦が細かな花を咲かせるように皮膚を這っている。

 カーンの腕には、同じ蔦でも強く吹き付けるような波の形にも見えた。

 未練がましく、擦る。


「他にはどうなる?」


「時々、痛む」


「他には?」


 擦る手を、宥めるように握りしめられた。


「後は、分からない。旦那」


「何だ?」


「すまない」


「何で謝る?」


 何で謝るのか?

 結局、逃せなかったから。


 暫く、私達は薪が燃えるのを見ていた。

 炎の芯は目に痛いが、その下の灰が赤く染まるのをじっと見ていた。

 お互いに手を取り合って見ていると、やがて、私達が何を恐れているのかが感じ取れた。

 お互いが、己を恐れているのだ。

 私達は、これほどかけ離れているのに、恐れるものは己なのだ。

 そして怖いと思うのは、それほど間違いではないと分かった。

 荒れ狂う風の音を、この世の大きさを思えば分かる。

 どんなに強い男だろうと、身の内に魔を飼う我が身であっても、我々は脆い命しか持ち合わせがないのだから。


「他に言うことは無いのか?この印はボルネフェルトがつけたものなんだろう?」


 もう、ボルネフェルトはいない。

 本当に怖いのは、供物としての役割を違える事。

 違えた時、悪いこと、人を悲しませる事が起きるから。


「この印は違いますよ。だから大丈夫。これで死ぬことはない」


 誓約の印、グリモアを介した供物としての恭順の印。


「お前はどうなるんだ?」


「どうにもならないですよ。見たくないものが見えるだけ。聞きたくないものが聞こえるだけです。印は、約束だけだ。」


 私が選んだ事に対する答えを示すこと。


「何処へ帰る?」


「故郷に帰るだけですよ。ただ、故郷の神様が招いているからね。変わった印が出た」


 異形の神が、供物を。


「何故、俺の腕を見て..悲しむんだ」


「普通じゃなくなるからですよ」


「普通?」


「普通です」


「俺が?」


 確かに、この男に普通という言葉は間違っていた。

 私がやっと自然に笑うと、男も笑った。


「死した人ほど、お喋りですよ。旦那、これから一人になるのも大変だ。」


 それにカーンは首を傾げた。


「それは違うと思うぞ。死んだからと俺に親しげに話しかける者がいると思うか?」


 立ち上がると、袖を戻す。

 そして、ゆっくりと伸びをした。


「つまり、俺は妙な物が見えるようになった。お前と同じに。これで少しは秘密が減るなオリヴィア」


 視線を合わせてのぞき込む。

 私達は、恐れている。


「俺はどんな風に見えるんだ?」


「私はどんな風に見えますか?」


 暫く見つめ合い、再び両手を差し伸べ握る。


 私達は、孤独で、怖がっていると認めあった。

 強さや弱さではない。

 生きているという事が、私達が怯えるにたる理由になるのだ。

 自分が悪であると認める事は辛い。

 自分が悪であり、他人の人生を刈り取る道を歩んでいるのは苦しい。

 一片の慈悲も持たぬ炎なら良いが、私達は未だに人なのだ。

 そして、自分が雪のように白く、朝陽のように正しいと信じられる事が羨ましい訳ではない。そんな馬鹿者でなくてお互いに良かったと思う。


「今日の事をどうお思いか?」


「どれを指してだ?」


「金の記章は見えましたか?」


「見えた。あれは何だ?」


「警告でしょうか」


「怨んで化けて出た、訳じゃないんだな」


「彼らからは不安を感じました。悪意があり不安だと。彼らの船は沈み、悪意があるというのなら」


「故意に沈めた。だから、何かを示そうとした。」


「記章に記された言葉が、船長の言いたかった事に近いのでしょう」


「ニコル・コルテスの金の記章か」


「名前をご存じか?」


 その時、鐘の音が響いた。

 教会の鐘だ。

 ニルダヌスが戻ったのか、手伝いの者が鳴らしたのか。


「戻らねば」


「駄目だ。まだ話がある。いいな」


 私は渋々と頷いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ