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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
161/355

ACT144 孤独の岸辺 上

 ACT144


 瞼が持ち上がらない。


 泣いて寝て起きれば、当然、悲惨な状態になる。

 瞼は腫れ、体が冷え切って痛む。

 それでも、ごしごしと顔を擦って起きあがる。

 部屋は薄闇に包まれ、静かな雨音が聞こえる。

 城下では、何処からか、風と波音が忍んできた。だが、ここでは囂々と大気が流れ叩くような雨音が聞こえる。

 起き上がり、体の強ばりがとれるのを、動かずに待った。

 窓から見える水平線は、微かに緋色を残している。

 まだ、黄昏が過ぎたばかりのようだ。

 いつまで、ここに居るのだろう?

 いつまで、ここに居て良いのだろう?

 不確かな事ばかりだが、教会に戻してもらう事ができれば、いろいろと調べねばならない。

 ここに居れば、何もできないという言い訳がたつのが嫌だった。

 私は頭を振ると、洗面台で顔を洗った。

 洗面台に、小さな石鹸、そして手拭い。

 下々の宿よりも行き届いている。

 何しろ、簡易な便器もあれば、曇っているとはいえ、洗面台には小さな鏡が壁に据えられている。

 貴人の使う鏡には足下にも及ばないが、十分に姿を映した。

 私がしみじみとのぞき込むと、不機嫌そうな顔の自分が見返す。

 意気地無しの役たたずめ、泣いている暇があるなら、頭を働かせるんだ。

 髪を解き、水で指を湿らせると手櫛で梳く。

 風の音、雨の音、それ以外は静かだ。

 髪を二つに編むとそれを更に束ねて頭部に巻いた。

 あの占い師の少女に買わされた髪飾りのお陰で、頭頂でくるくると帯のように巻き付ける事ができた。

 薄闇の中で、もう一度鏡を見ると、白い顔が闇に滲み、頭部の髪飾りが小さく光って見えた。

 ふと、その小さな薄紫の光を見て、思い出す。

 鈴はどうしたろうか?

 カーンに渡した鈴、花の形の薄紫の鈴を思い出した。

 今、この世は、不思議に満ちていると、知っている。

 確かな物は少なく、不確かな物こそが当たり前である。

 今日あるもの明日またあるとは限らない。

 見えないものが嘘とも限らない。

 それは、我が身の内の物でさえ、その不思議、不確かさを全て知るわけではないのだ。

 だから、今日見たことが、全て私が知る、グリモアが知るとは限らない。

 知っていたとしても全てではない。

 そこに人という存在が関わることで、完全な物には絶対にならないからだ。

 人、こそが、完全という面白味の無い予定調和を崩すのだ。

 鈴、魔除けの鈴。

 記憶を封じる為に、鈴は消えたのだろうか?

 それとも、カーンは持っているのだろうか?

 あの男の事を考えると苦い思いがわく。

 嫌な物を見せてしまった。

 私の世界にいる物を見て、さぞや厭わしく思った事だろう。

 情けない顔をそらし、私は扉に向かった。

 内側の取っ手を握り回す。

 やはり、閂が扉の向こうにかかっているようだ。

 扉の隙間に目を当てると、うっすらと明るい。

 気配を探るが、人が居るのか居ないのか迄はわからなかった。


「誰かおられますか?」


 声をかける。

 だが、答えはなかった。


「いつまで、ここに居ればよろしいのですか?」


 思った以上に、私の声はか細かった。

 情けなく震えている。


「誰か、私は教会に戻らなくては」


 一人で暮らしていた頃の自分が思い出せない。

 あの冬の日々が思い出せない


「誰か、私は」


 どうすればいい?


「私は」


 どうしたいんだ?


「怖い」


 怖い。


 本音は、結局、こんなところだ。

 誰かを救う?烏滸がましい。

 私が怖いからだ。

 誰かを見捨てて、平気でいられるほど芯が無い。

 確固たる自分が無い。

 だから、誰かが苦しむと嫌だし、誰かが罪を犯せば苦しい。

 誰かの絶望が怖い。

 誰かの痛みが怖い。


「何が怖いんだ?俺か」


 とり縋る扉の閂が引き抜かれた。

 薄い明かりの向こうから、不機嫌な男が見下ろす。


「俺が怖いんだろ。だから何も言わない」


 苛立たしげに男は続けた。


「お前は何を知っている?」


 私の両肩を握る。


「オリヴィア」


「駄目だと言った。言うなと言った。本当は、嫌なんでしょう?」


 反論しようした男は、一度開いた口を閉じた。

 それから、決まりの悪そうな表情を浮かべた。


「死人に近しい私を厭うのは当たり前。貴方が、私を嫌悪するのは当然だ。」


 私の言葉に、決まりの悪そうな表情が苦笑いになった。


「違う。それは違う。馬鹿だな、お前」


 肩から手を離すと、私を小部屋から引き出した。

 明かりのついた扉の外は、今までの部屋の倍以上あった。

 部屋の暖炉の火は消えていた。

 だが、こちらは冷え切ってはいない。

 長椅子座らせると、カーンは机に寄りかかった。


「嫌悪?お前を抱えて閉じこめる理由が嫌悪。そんな訳あるか。誰が見たってわかる。」


 意味を計りかねていると、カーンは暖炉に近づき火をおこした。

 火種が燃え上がる迄、灰をかきまぜる。


「わからないか?本当はわかってんだろ。まぁ、今更だが」


 振り返った顔を見つめ返す。

 言葉の意味が分からずに、私は眉を寄せた。

 それに何ともいえない表情を返すと、つぶやいた。


「確かに怖じ気づいたんだよ。」


 つぶやきは、軋む風の音と一緒に私に届いた。


「死人なんざどうでもいい。誰でも死ぬんだ。だが、お前の視線が怖かった。」


「私が」


「違う。お前が怖いんじゃない。お前の目に映る自分が怖かった。餓鬼みたいにな。」


「何故」


「俺が何に見えるか聞きたくなかった。」


 驚きに打たれた。


「死人が見える。俄には信じ難い。だが死人が動く世の中だ。そういう物だと割り切れる。だが」


 大きく息を吸い込むと、顎を撫で考えながら喋る。


「お前の視線を受けた時、ふと思った。俺は、どんな風にお前に見えるのだろうか?死人が見えるのだ。だったら..」


 彼は肩を竦める。

 それから、普通の笑い顔が浮かんだ。


「今まで何処にいたと思う?お前を部屋に押し込めて、それから下へとって返した。俺の頭がおかしくなったと騒ぐ奴らに囲まれて、お前を何処にやったと巫女頭に怒鳴られて。ニルダヌスの娘は、俺がお前を殺したと思って顔を青くしていたしな。荷物をとりに帰り、暫く城で預かると伝えるのに苦労した」


「私はこれからどう..」


「オリヴィア、腹を割って話そう。」


 私の逡巡にカーンは真剣に言った。


「お前の考えを知りたい。信用が無いのも確かだ。お前から見れば、俺は恐怖の対象だろうしな。だが、嘘を混ぜないと誓えば、どんな話も信じる。俺は、お前の言葉を疑わないと誓おう。」


「どうしてですか?」


「知りたいからだ。」


「何をですか?」


「死人の声、お前の嘘、俺が何を忘れているのか、何が起きているのか、そして」


 カーンは袖口を捲り上げた。


 私は小さな悲鳴を上げていた。


「お揃いだな、オリヴィア」


 肘から手首にかけて、藍色の紋様が取り巻いていた。

 私の体を取り巻く紋様と同じものだった。


「なんて事だ!」


 私は立ち上がると、その腕にとり縋った。

 表面をまるで泥を落とすように落ちないかと擦った。


「落ち着け」


「これが落ち着いていられるか!」


 我を忘れて怒鳴りつけ、相手の顔を見てから、正気に返った。


「お前にある物が俺にあったとして、何がいけないんだ?さぁ、話してみろ」


 薪がはぜて、炎が大きくあがった。



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