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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
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ACT142 金の記章

 ACT142


 集会場が見える場所まで戻って来た。


 カーンの馬は退屈そうに桶の水を飲んでいる。

 湿気の増した空気は、辛うじて涙を流してはいない。

 溜息をつきそうになり、代わりに大きく息を吸い込んだ。

 集会場の前の通り、細長い椅子が置かれている。

 そこにビミンと母親が座っていた。

 仲の良い親子の姿。

 ぼんやりと私が見ていると、カーンが何気なく言った。


「あまり、他人を信じすぎるな」

 意味を測りかねて、傍らの男を見返した。

 だが、次の言葉はなく、そのまま集会場に入った。




 既に、三人の比較的軽傷な船員との面談は終わっていた。

 ウォルトとクリシィの二人が、事務室らしき場所でお茶を喫している。

 私達が入って行くと、クリシィは微笑んで会話を止めた。


「街はどうでした?」


 そうだ。私がカーンと出歩いてしまった為に、ビミン達が街へと行くことができなかった。

 私の慌てぶりに、何故かウォルトが答えた。


「大丈夫でさぁ、これから暫く、巫女様はこちらにお泊まりだ。そのお世話にあの親子が通います。街なんぞいつでも見れますよ。」


 そして、私が何か言う前に、私だけ、先に戻る事で話ができあがっていた。


「クリシィ様、私も何かお手伝いを」


「では、貴女は私が留守の間、教会の資料の整理をしてください。もちろん、急いでないから、貴女の調子を見ながらね。私への取り次ぎは、手紙にして朝ニルダヌスに渡してくださいね。後は、御奉仕の方々に手入れを頼んでおくから大丈夫よ」



 どうする?



「では、今日だけお側に」


「いいえ、貴女は先に戻って頂戴。ニルダヌスも遅くなるわ」


 渋る私は仕切の向こう、病人たちの天幕を透かしみた。


「気になるのはわかるわ。でも、ここに留まるのは私だけ。」


 クリシィの瞳は冷たく輝いていた。


「大丈夫、神は知っておられる。そして、神を知る者は、その答えを受け入れるでしょう」



 どうする?



 持ち帰る荷物を纏める。

 私は帰る準備をするからと、一人になる機会を待った。

 クリシィとウォルトは話し込み、カーンは馬の用意に外へ。

 集会場の手伝い、モンデリー商会の者達も忙しげに動き回る。

 彼らの注意が全て余所に向かうのを待ち、私は静かに移動した。

 私は天幕へと近づき、そして..

 そっと指をかける。


 だが、その手を掴み押さえられた。


「何をするんだ?見る必要は無いし、かけた言葉もわかるまい」



 どうする?



 伝えてはいけない。すがってはいけない。

 私は一人だ。

 一人で歩いてたどり着く。

 たどり着くのは、あの占い師の言う眠りだろうか?

 宮の主はいるのだろうか?


 私は掴まれた手を解いた。

 一度戻り、明日ニルダヌスについて行こう。

 カーンが居なければ、何とかなる。

 明日は、きっと居ない。

 私は天幕を見つめ、今日は諦めた。









 カーンは何も言わなかった。

 只、踵を返す私をすくい上げた

 片手で私を引き寄せると、天幕をもう片方の手でサッと捲った。

 そこには相変わらず、痛み苦しみ横たわる姿があったが、意識は既に途切れており荒い呼吸の音だけがあった。

 睨み据える男を余所に、私は、奇妙な感覚を覚えた。




 熱い?




 触れる場所から繋がるような気がした。

 側の男の呼吸、鼓動、血の脈動。

 皮膚が繋がり肉が一つになったように感じた。

 ドクドクと血管が繋がり、お互いの血が巡る。

 皮膚が痛み、体の芯が熱い。

 私の身の内の力かと思う。

 視界が揺れ始め、体から力が抜けていくのと併せて、男の体が震えているのも感じた。

 私は、名を呼ぼうとした。

 だが、男は身を強ばらせ牙を剥いていた。

 そして私を抱えながら、ある一点を睨みつける。

 この異変は男の方にもあったようだ。

 身の内は沈黙している。

 グラグラと煮え立つ血の流れに朦朧となりながら、ぽつりと心に落ちるものがあった。




 私を、信じてしまったのだ。




 だから肉体は共有され、ここにある常識からの逸脱を許したのだ。


 これはグリモアの感化ではない。


 これは宮の主の呪いだと自覚した。


 そうで無い訳が無い。

 我々は見て回らねばならない。

 人の世に起こる事を。

 醜く欺瞞に満ちた、人らしい世界を。


 だから私達は見た。


 死んだ男達の姿と、彼らの渦巻くような不安と懸念を。

 では、何が不安なのか?

 私達は凍り付き、彼らを見つめた。



 すると、あの年老いた男。

 今ならわかる、船長が私達に何かを言った。

 私達には、激しい雑音だけが耳に届く。

 何度か、彼は私達に語りかけるが、それが届かない事に気がつく。そして何かを周りの者に言った。

 すると、後ろの方にいた陽に焼けた男が船長の肩を叩いた。

 身振りで、船長が、あぁわかった。と、答えたのが想像できた。

 それから船長は懐から、小さな革の手帳を広げた。

 何かをサラサラと書き付ける。

 それを私達に向けた。


 文字は滲んで見えない。

 たぶん、疑念が邪魔をするのだ。

 私達は、恐れと、疑念に支配され、彼らと繋がる事ができなかった。

 より単純な事ならば通じるのだろう、彼らの表情や気持ちだけは、届いていた。


 船長は、考え込んだ。

 そして、傍らの年若い水夫に手帳を手渡した。

 水夫は手帳を受け取ると、隣の壮年の男に手渡した。

 手渡された男は、少し笑うと、胸元から首飾りを引き出した。

 首飾りの先端には丸い金の記章がついており、それを指さした。

 指さして、私達に見せた。




 貴方方の航海の無事を祈る

 オンタリオ公主ニコル・コルテス




 ニコル



 男は繰り返した。



 ニコル



 それから、不意に彼らは消えた。

 立ち尽くす私達を置き去りにして。






「私は」


「駄目だ!」


 カーンは私を抱えたまま、外に走り出た。

 荷物も何もかも残したまま、馬を走らせる。

 そしてカーンは繰り返した。

 何も言うなと。駄目だと繰り返した。






 教会には戻らず、城へと入った。

 そして私を一室に閉じこめると、カーンは出て行った。

 彼は、私を見なかった。

 私は、彼を見つめ続けた。



 カーンは、私を恐れたのだ。


 私という化け物の本性を知り、嫌ったのだ。

 部屋で一人になると、何だか涙が出た。

 何で泣いているのか、わからない。


 わからない。


 そう思わねば、生きていけないような気がした。



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