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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
158/355

ACT141 挿話 夜の遁走曲 下

 ACT141


 反応は極めて鈍いものであった。


 男の持ち物を調べても、特に身元を明らかにするような物は所持していない。

 財布の中身も金だけである。

 辛うじて、その帯が青い事で領兵なのではないか?と認識できるだけで、人種も人族とは言い難い。

 只、先ほどの事を考えれば、体が変異しつつあり、それにより人としての外見が失われつつあるのではないかと推察できた。

 そして、それは精神面に於いても顕著であり、このような拷問用具に拘束されていても、どんよりとした視線を変えず無反応であった。

 ここで有るべき反応は、怒りであれ、恐怖であれ、自制であれ、このような無の反応では無いはずだ。

 特にエンリケのお遊びは、普通の領兵、一般人上がりの寄せ集めの兵隊には非常に効果が有る。

 勿論、効果が無くとも続けなければならないのだが。

 効果がないのか、極端な神経の遮断が行われているのか、それとも、特殊な訓練を受けているのか、違う要素があるのか?

 エンリケは、人の体を良く知っており、拷問時も冷静な判断ができる。 なので、その有効である手段が無意味であると早々に判断していたが、淡々と男を尋問しつつ器具の捻子を緩める事は無かった。


 両手足の指を潰した段階で、痛覚と精神の異常、そして肉体の変異を認める。瞳孔の反応と筋肉の動き、そして破損部の急速な修復が認められたからだ。

 ここでエンリケは、拘束具を獣人用の物に変えた。

 肉体の変異が獣人並と考えれば、容易く引き千切られる可能性があるからだ。

 ちょうど拘束具を変え終わった時、モルダレオが戻った。

 見張りを二人残し、隣の部屋に移動した。


「どうだ?」


「痛みでは反応が無い。体内を調べた方が情報は得られるだろう。それより、残してきた斥候は戻ったか?」


「否、集まった奴らがどちらに流れるか見届けるだろうから時間もかかる」


「で、どうする兄弟?」


 いつもの呼びかけに、モルダレオは肩を竦めた。

 彼らは軍の中では同輩だが、部族ではエンリケはモルダレオに仕える一族である。なので、今でも何かを考える時は、モルダレオが先に口を開く。そして(兄弟)とは、彼らが乳兄弟であり、彼らの守護精霊も兄弟であるからだ。


「もしもだ。我々の考えが更に外れていた場合を考えねばならない」


「うむ、確かに」


「暫くは、上に戻らぬ方が良かろう」


「街に潜ませた者はどうする?」


「モンデリーでよかろう。それから、上の連中にも一時禁足をかけようと思う」


「ならば、上の方も一度洗った方がより良かろう?」


「確かに」


 こうしてお互いに会話をしていると、一人頭の中で対話をしている様に錯覚する。違う女の腹から産まれたというのに、彼らは双子のようにお互いの思考が同調するのだ。

 だが、ありがたい事に女の趣味だけは違う。

 そんな皮肉をエンリケが考えた時、不意にモルダレオが顔をしかめた。


「不味い」


「何がだ兄弟?」


「例の娘が下に来る。巫女もだ。」


「昼間、領兵のいる場所を避ければいい。モンデリーの奴らに伝えておこう」


 どの娘かは言わずとも知れていた。

 呪われた娘、カーンが守ると言った娘。

 今は、ニルダヌスの所にいる。


「卑怯者にあの娘を預けているのは不安要素だ」


「表だっては何もすまい。兄弟、あ奴は狡猾だ。」


 ニルダヌスは、義理の息子の謀反のあおりを受けた。そして第一師団の筆頭百人隊長の座を失った。

 だが、謀反といっても義理の息子が犯した罪であり、その謀反の相手はウルリヒ・カーンだ。本来ならば、全てを失う事はなかった。

 だがまぁ、潔白では無いのだから仕方がない。

 カーンは南領獣人領の広大な土地を所有する領主だ。浄化作戦後は、疫病発祥地となった元からの所領の西部と更に加領され大貴族となった。

 今は大公家から領地監督官が派遣されているが、歴とした御貴族様だ。

 本人も悪い冗談だと思っているだろう。殺し殺され生き残ったのは血筋も定かではないカーンのみ。飾りの領主と言うわけだ。

 謀反は、そのカーンの代わりに領地を実質支配していた氏族を殺害し、支配権の奪取を目的とする一部民衆と、支配氏族と対立する同氏族が蜂起し起きた..だけの容疑なら南領では良くある事で、ニルダヌスが連座で罰を受ける事はない。

 ウルリヒ・カーンは、その謀反の相手と従兄弟だ。

 ニルダヌスの連座よりも、普通ならカーンの失態となる話だ。


 だが問題はこの謀反により、広大な南領の土地に疫病が広がり、多くの民が死んだ事にある。


 結果として、ウルリヒ・カーンは殺し、火を放ち、領地の建物を破壊して、その疫病をくい止める。

 大虐殺を為したカーンは領主の座に残り、小さな野心若しくは安っぽい義憤から領土をぼろぼろにした男は処刑され、その義理の父は座を追われた。


 ニルダヌスの罪は、義理の息子を止めなかった事と、娘と孫を先に逃がした事だ。

 そもそも疫病の広がりの原因は、領地を預けた氏族を民衆が殺害した事から始まる。その氏族が絵に描いたような屑であったため、やむなく蜂起したのが始まりだ。

 理由は真っ当だが、稚拙な行動により破滅。

 まず、兵役義務を果たしていた領主に直訴という方法をとらなかった事。蜂起を先導し武力衝突へと先導し謀反へと悪化させた男が馬鹿だった事。

 モルダレオとエンリケからすれば、カーンの従兄弟は馬鹿だった。

 踊らせるつもりが、自ら踊り足を滑らせたのだ。

 ただし、この馬鹿な男は、体裁を取り繕うのがうまかった。詐欺師のような口振りと、面だけは人並み以上に良かったのだ。

 だがその中身は、安っぽい誰かの正義をありがたがり物事を小さな局面でしか見れない幼稚な男。地に足のついていない厄介者。権利には義務が伴う事がわからない者ともいうか。

 屑は屑なりの社会の役割があり、何故、屑を据えたのかを問わずに、唐突な武力蜂起をおこした場合、蜂起した側も屑であるという考えにはいたらなかったようだ。

 只、仮の領主が据えられた理由が思い浮かばない男には、政治的展望など求めても無駄だ。

 仮の領主、権利ある者がカーン以外にいないとはどういう意味か?

 そして、カーンが失脚すればどうなる?

 取って代われるのなら、仮の領主など置かない。

 殺せば終わる?冗談ではない。

 勿論、屑を放置した罪も有ろう。

 だが、短絡的な武力蜂起の先にあるのは、いつも同じだ。

 殺害するという目的が達せられた瞬間から、蜂起した者達は只の暴徒になったのだ。

 では、扇動した者の目的は何なのか?

 後に語られる謎もそこである。

 本来なら、氏族殺害と同時に、某かの政治的声明だすか、秩序回復に勤め実質の支配体制を速やかに敷くのが得策である。

 ところが、無秩序状態のまま何の施策もとらなかった。

 単純に集団を取りまとめる能力が無かった。

 若しくは、想定外の何かが起きた。

 例えば、伝染病が。

 伝染病は、その無施策結果である。

 初期、制圧した城の下働きに、病の者が多数出た。

 屑なりに政治的安定が残っていれば、栄養状態の低下による感染症など、初期の段階で治療をすれば完治するような病だ。

 だが、城の占拠と同時に近隣の制圧を開始した彼らは、病の者を殺害、遺棄してまわるだけであった。

 この時、地面に穴を掘り遺棄したとされるが、感染者は既に領内全域に広がりつつあった。だが指揮する男、謀反人は自分自身の兵隊以外に注意を払はなかった。

 遺骸からか、既に感染していたのか、やがて水場も汚染した。

 この水源の汚染が始まった辺りから、伝染病の性質が変化したという。変化、獣人の健康な男が嘔吐と下痢と発熱を引き起こすという強毒型の伝染病にだ。

 獣人の成人男子が伝染病にかかる等、滅多にある事ではない。

 獣人の成人男子が死ぬのなら、普通の女子供も死ぬし、人族も亜人も一溜まりもない。

 そして保菌者が派兵されれば、その先の村や町も病魔が蔓延るだろう。

 この伝染病がなければ謀反は成功し、カーンは間抜けな男として首を狙われていたかもしれない。結局、権力が欲しかったのか、民衆の要求が先にあったのか、それとも別の意義があったのか。病の猛威により、最後は曖昧に帰した。

 だがカーンを殺す必要は無い。

 速やかに領地差配の権利を獲得していれば、蜂起も簡単に終わったのだ。そこに余計な事柄を持ち込んだのが、首謀者の従兄弟なのだ。

 元々の所領はカーンが実父から与えられたものだ。実父との縁が薄い男は、財産分与にも興味を示さなかった。そこで領地の差配は氏族の者達で回されていた。カーン自体は名ばかりの領主で、権利も収入も氏族で分配されていた。

 カーンからすれば、誰が領地を支配しても、彼自身はどうでも良いのだ。今回のような騒ぎにならなければ、領地で悪辣に専制的な差配を行おうともだ。


 彼はある貴族の頭領の息子のひとりだ。だが、彼の母親が見も知らぬ男との間に作った私生児として育った。その見も知らぬ血族が上に幾人も居たため後継者として興味をもたれる事もなく育った。そして、育ての親である義父からは疎まれていた。なので成人前には独立し傭兵となっていた。

 そして成人後は中央軍に移った。実父一族は各地の差配を、氏族を領主としてたてた。しかし、南領西部の正当な継嗣は、どこをどう操作してもカーン以外にはない。カーン自身も領地も縁の薄い一族も面倒であり、相続放棄をしたいと一度申し出る。が、ここで南領の領主達が従う獣人王家の法度が阻む。


 領主、それも大領主と呼ばれる者は、権利を得た者のみが座る。


 この権利とは血統ではない。

 兵役を最低二十年以上中央で勤めなければ、獣人の人としての権利を得ていないという意味だ。ここで言う権利とは、隷属民から人へとなった中央軍への兵役労苦により得られる人権だ。

 最低二十年。

 獣人にしろ長命種の人族にしろ、ほんの一瞬の時ではある。だが、軍役となれば生きていられる者は少ない。

 そして同年数の中で一番地位の高い男と言えば、現役のカーンだけなのだ。こればかりは誤魔化すことができない。

 余程血統という意味では実父の氏族で近しい従兄弟も、残念ながら中央軍では長という役職のつく地位には昇れなかった。


 口先だけの理想主義者は、軍人としては腰抜けの役立たずと同義だからだ。


 もちろん、これはモルダレオやエンリケの意見であり、結果的には本人が証明してくれた訳だが、当時は誰も彼を馬鹿だとは思っていなかった。単に運がないだけだと。

 カーンにしてみれば、謀反であろうと成功していれば文句はなかったのだ。あの男の性格からすれば、勝手にやってくれと言うだけだろう。

 だがしかし、謀反どころか事が疫病拡大では話が違う。公王からの勅命として、南領全軍での疫病の拡大を封鎖すると共に謀反鎮圧を命じられる。この時の陣頭指揮が、カーンであり自領虐殺実行の署名も彼の名で行われたのだ。


 そして、カーンが領地を焼き払い虐殺をし尽くすだろう事を知ったニルダヌスは、疫病の地から娘と孫を逃した。


 結果、彼ら二人は感染が認められなかったが、もし、感染していれば南領以外の、人族や他種族の土地で、獣人の男をも殺す強毒の病を広げた事になる。


 この罪により、ニルダヌスは全ての権利を剥奪された。


 市民としての権利、獣人としての権利、ただし、それまでの功績と温情により生きる権利だけは守られたのだ。


 只、生き残った娘と孫に、周りは冷たかった。


 何故なら、カーンの行った虐殺は、年齢も性別も、そして(感染の有無も)関係なく一律に行われた。感染が余りにも広く激しく素早かった為に、容赦なく町ごと村ごと焼き払い破壊し、遺体さえも残さなかったからだ。


 カーンを恨むのは筋違いだと、生き残った者は考えた。

 恨みたくとも、あまりにもその行いは辛いものであり、殺し火を放った者だとて自らの家族を殺しているのだ。


 だから元を作った男と、逃げ出した者には誰も容赦はしなかった。


「どう思う?」


 モルダレオの問いに、エンリケは首を振った。


「カーンは、奴に機会を与えるつもりだ」


「俺は信じていない。一度、裏切り逃げた者は、信じない」


 二人はお互いの眼を覗きあった。

 そして、にやりと笑いあった。


「あぁ、あの爺いは、本当は、謀反を支持していたな」


「どちらが、損害を受ける可能性が低いかだ」


「仕方がない、禁足を城塞の町の住民に拡大すればいい。」


「そうだな。今度、あの娘が死んだら、ニルダヌスは死んで詫びても追いつかない。せっかく助けた自分の子供も死ぬ。理解しているはずだ。」


 二人は笑った。


「期待はしている。俺もお前もな」


「是非とも裏切ってくれるといいな、兄弟」


「まぁ、カーンにしてみれば、どちらでもいいのだろう」


 一頻り笑い小突きあうと、二人は部屋を出た。

 通路の先で、城塞から来る筈の医者と医務官を迎えに行く。

 彼らの妻も子も、疫病で死んだ。

 幸い、己の手で殺す前に生き絶えていた。

 その遺骸を灰にして先祖に祈った後、淡々と故郷を焼いた。

 娘や孫を助けたいと思う気持ちも分かるが、一人の我が儘を許せば、多くの者が死ぬと、皆、決断したのだ。

 生き残った者を責めはしない。

 だが、死んだ謀反人よりも、ニルダヌスを彼らは嫌悪した。何故なら、娘や孫を助けたかった等という言葉が信じられないからだ。


 娘や孫を故郷から脱出させた..のでは無い。

 娘や孫を隠れ蓑にして、何かを持ち出したのだ。

 娘達を偽装にし、彼は故郷から何かを持ち出したという噂があった。

 財産、情報、謀反の証拠、様々な憶測が為された。

 だが、その噂を否定するように、私財を国に差しだし娘と孫の命乞いをしたのだ。


 だが、何かを持ち出した。

 と、二人は確信している。


 謀反の時期より以前に、度々、故郷に戻っては義理の息子と会っていた。そして、蜂起の直前にもだ。これで義理の息子の本意を知らぬと抜かすのは都合が良すぎる。


 モルダレオもエンリケも、ニルダヌスは真っ黒だと確信している。

 そして、今でも密かにカーンを憎んでいる筈だ。

 だが、証拠は無い。

 そして、カーンは娘をそのニルダヌスの所に置いた。


 娘は餌だ。


 可愛い餌には、大きな人喰い鮫がひっかかるかも知れない。

 おもしろいが、同時に、餌は大事に守る必要もある。


 アッシュガルトの奇妙な事とは別に、様々な事が同時に進む。


 確かに、あの娘は庇護下に入った。

 だから、餌にも使うし守りもする。


 ニルダヌスの腹の底と同じく、二人も決して忘れない。


 そして、二人は夜に笑った。

 良いことを思いついたのだ。

 運の悪い事、たまたま、偶然居合わせる事もあるだろう。

 それには、少し細工がいる。

 気がつかれぬように、取りはからうのだ。

 そう、餌だ。

 今度の事には餌を使おう。

 城からの者を迎えた時も二人は笑っていた。

 お陰で大層、医務官を気味悪がらせた。



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