ACT140 挿話 夜の遁走曲 中
ACT140
退路を断って囲む。
相手の反応は無い。
男達はどんよりとした表情のまま、道を塞がれて足を止めた。そんな中で少し後ろに立つ男は、突然現れた男達をゆっくりと見回していた。
この男は、歓楽街の店主達の間で、特に噂になっている男だ。
この男が誰かを連れてくると、その連れが、例のおかしな事になる。
この男に女をあてがうと、女がおかしな事になる。
三公領主と取引のある大店の息子で、領兵。
特徴のない人族の男で、のっぺりとした無表情。
以前は、よく冗談を言う男だったが、最近は無口だ。
無表情?
モルダレオが見たところ、人族の特徴よりも別の種の血が伺えた。
眼と眼が離れ、だらしない口元、緑がかった青い皮膚。
毛髪も薄く、人族の男だと言われなければわからない。
ぎょろぎょろとした眼が辺りを伺うと、やにわに怒鳴った。
違う、鳴き声だ。
ギャーともグゲェとも聞こえる奇妙な鳴き声を上げる。
すると、五人の男が頭を抱えた。
何事かと顔を見回す憲兵達を制すると、モルダレオが一歩進み出た。
「言葉はわかるか?」
言葉を解する人であるはずが、男は眼を動かすばかりで何も答えない。それでも一応の言葉をかける。
「我々と同道してもらおう。逆らうでない」
手勢に合図をする。
取り囲む仲間が近付いた、その時。
五人の男が膝を付き四つに這った。
人の気配の急激な変質。
辺りの匂いに風を読む男の項が逆立った。
「下がれ!」
エンリケの警告と共に、皆が飛び退く。
見る間に四つに這った体が膨れ上がる。
不気味な肉と骨の千切れる音。
生木を裂くようなメキメキという音と歯軋り。
人の体の輪郭が次々と蠢き、衣服を布切れに変える。
見届けるつもりで、手出しはせずに、追跡者達は見守った。
肩の肉盛り上がり、ずるりと皮膚が剥がれて肉の層が見えた。
肋や背骨蠢き、人を粘土のようにこね回しているかのようだ。
手足は太く長くなり、急激な成長に外皮が間に合わないのか、覗くのは破れた皮膚の下の筋肉と脂肪の層だ。赤黒い肉が醜い。
顔はまるで、魚のように目玉が丸くつきだし、口元は深海の生き物のように細かな牙が見えた。
モルダレオが抜刀すると、エンリケや他の者も得物を抜いた。
不思議な感慨がモルダレオの内にわく。
何の薬にせよ獣人を嫌悪する彼らが、まさに獣人のような肉体の変異を遂げている。
誰が考えたにせよ、歪で邪悪な魂の持ち主に違いない。
忌避する対象の紛い物に変身させたのだから。
「ひとまず、これらは捕獲して調べねばなるまい?兄弟よ」
エンリケの言葉に我に返ると、モルダレオは頷いた。
「手向かうようなら、殺せ」
捕獲すべく男達は得物を構えた。
肉体の変化に比して知能が低下したような素振りが見えたが、肉体は変化したばかりなのに、野獣に等しい動きを見せた。
常ならば、容易く制圧されるはずの獲物が、獣人の攻撃を悉く避けた。そして捕縛しようとした彼らに対し、変異した者達は楽々と回避し、あまつさえ反撃をした。
只、彼らも某かの武器を携帯していたはずなのだが、知能の低下と共に、野蛮な攻撃を仕掛けてきた。
つまり鋭い爪と口である。
もちろん慎重を期して、獣人二人組で目標に組み付いたのだが、動きが人を越えていた。
変異者は、獣人の初撃を回避し刃物のような長い爪で反撃した。
爪の攻撃を受けた者は、想定していた人族の攻撃を上回っていたため、距離をとる結果となった。
喰いつかれた者が二名。
一人は肩、もう一人は左腕上部だ。
いずれも、防具の上からであったが、引き離すまでに時間がかかった。そして恐ろしいことに、食いつかれた部分の防具が腐食したのだ。
もちろん、この間に変異者にも相当の痛手を与えていた。
だが、殴ろうと蹴ろうと、変異者は何も感じていないかのように向かってくる。
そこでモルダレオ達は、時間をかけて容赦なく相手の無力化につくした。
ここまで抵抗の構えを見せているのは、五人の男達だけだ。
エンリケ達が彼らを叩きのめし押さえつけるのを見計らい、モルダレオは件の男に近付いた。
「抵抗は無駄だ」
男は、ニタリと笑った。
引き延ばされた紐のような口を開くと、再び、醜い鳴き声を上げた。
ゲッゲッゲギャァァァ..ゲギャァァァ
男は鳴き声を上げた。
高く低く、奇怪な鳴き声が辺りに響く。
すると、それに答えがあった。
グゥゥギャァァァ..キギャァアアアァ
遠く近く、無数の鳴き声が返る。
それを聞いた瞬間、モルダレオは命令を変更した。
本能的な判断だ。
それぞれに組み伏せていた変異者を絶命させる。
頭部や頸部を潰し引き裂く。
それから、鳴き声を上げる男に皆で襲いかかった。
確かに複数の刃が、男に突き刺さった。
首を深々と刺し貫いたエンリケにしても、これで男の始末がついたと確信していた。
だが、男は黒い血を吹きだしながら、ゲロリと口から何かを吐いた。
それは青白い子供の腕ほどもある何かだ。
エンリケにしても、他の憲兵にしても、それが何であるかはわからなかった。
只、しばらくは腸詰め肉は食えないと、頭の隅に浮かぶ。
腸詰めに口と虫の手足がついている。
一番近いのもを無理に探せば、密林の湿った場所に生息する蛭だ。
蛭にしては、百足のような足が蠢いている。
それが馬鹿のように開けられた男の口から溢れたのだ。
得物を突き刺したまま、一瞬、眼をそれに奪われる。
と、その何かは、素早い動きでエンリケの隣の兵士に飛びついた。
得物は相手に刺したままだった兵士は、咄嗟に手を離し飛びついて来た物を手で払った。
だが、ソレは振り払われず兵士の手に巻き付くと吸いついた。
瞬きする程の間の出来事だったが、吸い付いたソレは手甲から剥がれない。
剥がれないだけでなく喰いついた男達と同じく、装甲を溶かし体をねじ込み始めた。
咄嗟の判断で、他の兵士が手甲を引き剥がし、他の者が引き剥がした手甲ごと得物で粉砕した。
「不味い!」
エンリケが先に殺害した男達を指さした。
損傷部分以外の主に頭部から、同じく何かが出てこようとしていた。
口、鼻、耳、頭部に損傷があれば、そこから、小さく大量の白い虫がざらざらと蟻が這うように出てこようとしている。
「燃やせ」
命じられた兵士が、携帯している火種等を使い遺骸に火を放つ。
特殊な油である。
本来なら偽装に使うのだが、白い虫の動きが早く調べるより先に焼き払う方が身のためと判断した。
何より、彼らの耳には、彼らを囲むように何かが押し寄せてくるのを聞き取っていたからだ。
「こちらの損害は?」
「装備がだめになった者はいるが、特に問題ない。」
「相手は?」
モルダレオの問いに、エンリケは耳を澄ました。
「三倍程度だろう」
死体を検分したい所だが、迎撃地点としてはよくない。彼らは風下に向けて移動した。
追って来るものとばかり考えていたが、近寄る気配は、死体の方向へとずれて行く。
モルダレオは、エンリケに耳打ちすると先行した。
移動方向から来たのは、やはり領兵である。
あの腸詰めを吐き出した男と同じく、眼がぎょろつき肌が緑がかっていた。
それがふらふらと目の前を横切る。モルダレオは素早く近寄ると首に一撃を入れた。
殺さなかったか口元に手をあてる。
先ほどの争いを考慮して、人族に対する力加減を獣人並に奮ったからだ。加減はちょうど良かったようで、白目を剥いた男の呼吸はあった。
ぞわぞわと厭な気配が蠢くのを感じつつ、エンリケが頷いた。
気付かれぬ内に撤収だ。
次は、腐土領域と同じく死体を焼く準備をしてから襲撃をしようと二人は決めた。
そのまま城塞には戻らず、遠回りをして浜に向かう。
商会の裏手にある数件の長屋が、今の所の彼らの塒だ。
見た目は潮風に吹きさらされた貧しい木の小屋である。
小さな小屋の中には漁で使う網や縄が積まれているだけだ。
その奥の樽を押しのけると、床には扉がある。
扉を潜ると長々と掘り抜かれた地下道に出る。
商会の船渠、城塞の近くの堀、後、数カ所に出口がある地下道だ。
その途中にある地下室に男を運び込む。
簡易ながらも、牢と拘束具一式と、拷問施設が備わっている。
そして何より、ここならば、叫び声も聞こえない。死体の始末も楽である。
只、先ほどの事を考慮し、モルダレオはエンリケに男の見張りを頼むと、城に鳥を飛ばした。
城には医者がいる。
師団と共に来た軍医と、城塞の常駐医官、それに城塞の町医者だ。
モルダレオとしては、何に犯されているにせよ、早期に原因を突き止めたい。あれが故意に広がっているのか、統制を失っているのかを知りたいのだ。
薬であれ何であれ、敵が管理しているのなら対処もできるが。
何者かが使用し、その管理下から勝手に離れている場合が困るのだ。
薬という想定で進めるのと、生物を介した感染では、対処の方法が違ってくる。
モルダレオとエンリケそれに部下達は、医者の到着まで、この地下道から出る事はできない。
接触者を減らす為、手紙と共に二カ所に鳥を飛ばした。
それから捕らえた男を尋問する為に腰を上げた。




