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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
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ACT137 野良猫

 ACT137


 海風に吹かれて、頭が冷えた。


 悪意が何処かで育まれているとして、私に何ができるのか?

 何もできない。


 だが、選ぶ事はできる。


 また、あそこに戻り、聞く。

 どんなに、嫌でも。

 寄り集う者の言葉を拾いあげる。


 誰かが罪を犯しても、それは私の罪ではない。

 だから、その罪の重さに傷つくのは私ではない。

 後悔し、懺悔し、恐れるべきなのは、私ではない。


 言い聞かせる。


 そうしないと、恐れに圧倒されて、あの場所に戻れない。



「腹がへったな」


 砂を洗う波を無言で見ていると、カーンがぼやいた。

 大きな体は燃費が悪いようだ。


「旦那、弁当があるんで戻りましょう」


 だいぶ遠くまで歩いた。

 勿論、のしのしと歩いたのはカーンで、私は荷物だったが。


「あんな辛気くさい場所で飯がくえるか。あっちの方に飯屋がありそうだ」


 指さした先は、浜沿いに小さな店が並んでいる。どれも街の中央を通る大通りの店とは違い、潮風に晒され鄙びていた。

 塗装の剥げた壁に木造の家もある。どれも屋根が低く、海風から守る為に不揃いの石積みの壁が家を取りまいている。


 近付くと、早朝の漁から帰った後なのか、道具の手入れをする男達が見える。魚の加工をしている女達、子供達も某かの作業をしているようだ。


 カーンが私を抱えたまま近付くと、皆、顔を上げて驚いたように口をあけた。

 それを面白そうに見据えると、カーンは飯屋は何処だと訪ねた。



 浜からほど近い飯屋は、漁師の店らしい。

 開け放たれた表戸に木の食卓が並んでいる。どれも潮風に洗われて白っぽくなっていた。

 軒先には、奇妙な海藻と網の袋に入った黒い生き物が干してある。

 私がまじまじと見ていると、店の者も、私をまじまじと見ていた。

 お互いに目が合い、気まずい。

 注文の品書きが見あたらない。が、それよりも私は無一文である。

 それを伝えると、カーンは何とも言えない表情を浮かべた。

 かわいそうな子供を見たという感じだ。


 カーンは店員を呼ぶと、適当に注文した。

 適当に、火を通し暖かく腹の弱い子供でも食える物と、自分が食べる腹にたまるもの。

 本当に適当だ。

 適当なのに、店員は頷くと厨房に何か大声で叫んだ。


 何が出てくるのか不安だ。


 店の奥には数人の客がいた。

 いずれも漁師らしく、陽に焼けた男達だ。既に今日の仕事は終わったのか、その前には酒の瓶が立っている。

 何かの煮込みがツマミのようだ。どす黒い汁がちょっと不気味である。だが、まぁ、酒の進み具合から魚介類の何かで美味しいのかもしれない。食べたら歯が黒くなりそうだ。

 私が店内を見回している内に、カーンは飲み物を注文していた。

 見ると、水だ。


「ここいらでは、塩気の無い水のほうが酒より高い。ただし、お前は上以外で生水は飲むな」


 水が汚いのだろうか?


「地下水に塩分が多い。それに北の者は、ここらに含まれる虫に腹が保たない。上の水は、城の浄化施設から汲み上げている。間違っても、加熱していない物は飲むんじゃない。」


「ニルダヌスさんやクリシィ様は知っているのでしょうか?」


「巫女頭は地元だし、獣人の血が半分あるなら大丈夫だろう。ニルダヌスは南領出身だ。泥水でも平気で飲める。娘と孫は混血だが、体のつくりは俺達と同じだ」


「知り合いなんですか?」


「レンテの番は、俺の従兄弟だ」


 レンティーヌ、レンテはビミンの母親の名だ。

 つまり、ビミン達はこの男の親類なのか。

 驚いて男を見ると、人の悪い笑いを顔に浮かべていた。


「その番を殺したのは、俺だ」


 ビミンが恐れる理由も判った。

 判っても、何もいいことはないが。


「何も聞かないのか?」


 何を聞くというのか。

 私は、壁際の机に並ぶ貝殻を見つめた。


「皆、知っているのですか?」


「だから(御奉仕)には、行かなかった。さすがに、子供が怯えるからな」


「なぜ、あそこに」


「ニルダヌスは元々、あの教会に身を寄せていた。息子の所為で地位を失い行き場が無かった。レンテは娘と共に、第八の移動についてきた。彼らも戻るに戻れない」


 人にはそれぞれ事情がある。

 ビミンに父親の事を問うのを避けていたが、この男に結びつくとは思わなかった。


「お前を隠す時、ジェレマイアは俺からも隠すつもりだった。」


 再びの驚きに、私は相手の瞳を見返した。

 冷たい輝きの中に、私の間抜けな顔が見えた。


「なら何故、ここに?」


「本当は、ここから更に奥地にある、東の寺院にお前は行くはずだった。東公領の寺院だ。建前は神聖教の分流になっている異教だが、ジェレマイアが懇意にしている。お前にかかる呪いに詳しいそうだ」


 潮風と店の中の喧噪が、私達を囲んでいる。


「お前にも良い話だ。俺にしても厄介払いになる。」


 カーンが漏らす小さな声は、私にだけ届く。その声と表情から、訝しさと忌々しさが伺われた。


「多分お前には、そこへ行く方が良かったはずだ。だが」


 続きを聞く前に、料理が来た。


 カーンの前には、深皿に盛られた煮込みに、焼き目も鮮やかなパイだ。籠に盛られたパンが一山。私の前にはどろりとした粥だ。

 粥というと、良い思い出がない。

 だが、ここでの支払いは目の前の男なので、渋々と匙を手に取る。

 と、一掬いカーンが食べた。


「毒味だ。食べて良いぞ。熱も通っている」


 食べたかったのかと思った。とは言えずに、私も口を付ける。


 生臭くない。


 魚貝の粥で、出汁が利いており美味だった。


「当たりだな」


 確かに、店の外装に比べて、中の食事は旨かった。




 食事を終え外に出ると、薄曇りの空が少し暗い。


「旦那、戻らないと降りそうだ」


「巫女は、泊まり込みになる。ニルダヌスは娘達を上に戻すだろう。」


「クリシィ様お一人では、大変でしょう」


「ウォルトと何人か一緒だ。お前は、このまま俺と一緒に上に戻るだけだ」


「では、又、明日、クリシィ様が必要な物を揃えて伺います」


「何故?」


「え?」


「お前は本当の巫女ではない。あんな場所で、怪我人の相手をする前に、己の体を治すべきだ。」


 確かにそうだ。

 己は、何を勘違いしていたのだろう。私は見習いではない。虜囚だ。

 だが、それでは私に優しすぎるのではないだろうか?


「ニルダヌスさんが下に行く時にお供をして、食事を運んだり、クリシィ様が何か必要な物があれば運ぶのは、迷惑でしょうか」


「ニルダヌスが下に行くのなら、同道する意味がない」


 確かに。


 確かに、私が動く必要は無かった。私はここで必要とされる働きをしていない。そして、私が純粋に彼らと同じく奉仕をする為に、あの場所に行くわけではない。


 だが、見て見ぬ振りも難しい。


 私が言葉を探している内に、アッシュガルトの繁華街の方に来ていた。


 昼食や間食の為に、様々な飲食店に人が入っている。観光地らしい華やかな店構えだが、何故か先ほどの漁師の飯屋ほど、美味しそうには見えなかった。


「何か食うか?」


 もう入らないと伝えたが、飲食店の通りで、何故か猫の群れる店先があった。私の興味を持った様子に、カーンはつられて歩き出した。


 魚屋かと思ったが、乾物が並んでいる。


 その乾物屋と隣の店の間の路地で、猫達が餌を食べていた。

 どうやら、誰かがここで野良達に餌をやっているようだ。

 北でも猫はいるが、冬の厳しさに家猫以外は滅多に見かけない。

 なめらかな毛並みや、面白い色合いに手を出したくなる。下ろしてもらおうとした時、餌に頭を突っ込んでいた一匹が振り返った。


 猫も驚いたという顔をするのだなぁ。


 私が暢気な感想に頷いていると、次々と猫が顔を上げて、口を小さく開けたまま動きを止めた。

 よく見ると、何匹かの猫の尾が毛羽立っている。どうやら食事を邪魔してしまったようだ。


「旦那、行きましょうか」


 片方の前足が持ち上がったままの猫もいた。

 ゆっくりと離れながら振り返ると、猫達が何故か見送っているのが見えた。


「旦那の所為ですかね?」


「知らん」


 通りは高級な店もあり眺め歩いた。暫く歩くと中央の通りから、枝葉の道が行く筋かあった。目をやると、そちらの方が賑わっている。


「そっちは行かない」


「何故です?」


「女子供が行く場所じゃない」


「酒場とかですか」


「酒場に娼館に奴隷商、ついでに違法賭博と何でもある。船員相手の歓楽街だ」


 歓楽街という物は見たことがない。

 私がしみじみと、暗い路地を見つめているとカーンが笑った。


「坊主だと思っていた頃なら、連れて行ってやるところだが、女が行く場所じゃない。一人で行けば叩き売られるのがオチだ」


 なるほど、恐ろしい場所だ。


「子供でも売れるのですか?」


「子供だから売れるのさ。因みに、俺とお前を見たこの街の奴らは、どこかから拐かして来たか、金に詰まって売りに来たと思っているだろう」


 嫌なことを聞いた。


「まぁ、領兵は子供を売る者なんぞを咎め立てはしない。むしろ、奴らの商売だからな」


「どういう事ですか?」


「ここの奴らは御立派で、獣人なんぞ人だとは思っていない。そんな奴らが、貧しい女や子供を人と同じに扱うか?」


 私を流し見た後、カーンは唇を引き上げた。そうすると鋭い犬歯がよく見える。


「第八はな、冬のマレイラなんぞ来たくない。来たくないが、巡回に年一度は回される」


「南領の軍隊が順繰りに全部来るんじゃないんですか?」


 カーンは頭を振った。


「俺達を蔑み恐れる奴らは、言葉なんぞ通じない。だから、圧倒的な力で道理を判らせないとならない。それも獣人によってだ」


 見た目よりも荒廃した土地柄のようだ。

 カーンはバカにしたように、綺麗な街並みを見つめた。


「三公領主は獣人を隷属民から人に引き上げた事を今でも不服に思っている。」


「でも、王国は」


「王国は、獣人を同格と認めて人とした。獣人は戦う事で権利を得た。人族の王家は隷属民だった獣人を人として戦力として引き上げた。それまで使役していた獣人を引き抜き、人としての権利を与えた。だから我々は戦うし、改宗にも応じた。だが、未だに東公領の三領主だけは、それを認めていない」


 そうして彼は、私に向かい噛んで含めるように説明した。


 中央は様々な民族を滅ぼしたが、獣人も亜人も少数の異種族も、知的に同格の人と認めている。それを示すために、王家は血を混ぜた。様々な弾圧をしたが、それも最低限の人としての生を保証するためだ。もちろん、勝者の理屈だ。だが東公領の三領主は建前も何もない。

 獣人も亜人も人ではない。下等で野蛮な生き物。純血の血筋以外の女は家畜と同じで、知性のない生き物だ。だから、彼らは女と子供に権利を与えない。鳩派と標榜しながら、極端な保守であり人族主義者の地域である。物騒どころではない。一応、中央王国内であるにも関わらず、ここは酷い。道理で軍団長が、御奉仕に彼らを回すわけである。


「だから、もし、私が浚われて売られたとしても、東の領地では気にもされないと?」


「そうだ。理由が判ったら下には来るな」


「ならば、何故」


「何故、お前をこんな土地に隠したか?決まっている。俺が嫌だからだ」


 呆気にとられて、傍らの顔を見る。


「お前が知らぬ間に野垂れ死ぬのは、後味が悪い。」


「野垂れ死ぬというのは」


 あんまりな表現だ。


「勝手に死なれると不愉快だ。だから、俺の移動先にするように押した。」


「死ぬという前提が嫌すぎます」


「お前は馬鹿か、俺がいれば死ぬ訳がなかろう」


 その理屈に口が開く。

 野良猫の驚愕の表情と同じく、私は暫く口がきけなかった。

 横顔は冷たく聞いた言葉も素気ないが、意味を考えると泣きそうになった。


 あぁ、この人の方が、馬鹿だ。



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