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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
151/355

ACT134 木の葉の船

 ACT134


 暫くぶりに、雨が上がる。

 空を流れる雲は急ぎ足だ。



 教会の敷地は、鉄柵に囲まれている。

 小さいながらも墓地と納骨堂もあり、街の中でも敷地は広かった。


 小さい墓地だ。小さくて事足りるのだ。

 街の住人の、それもここより故郷のない人の墓であり、期間奉公や奴隷、兵士には関係が無い。その遺体や骨は、故郷の地へ運ばれるからだ。


 神殿の巫女の勤めは、この街の人々に関わる場合、予め相手との時間を合わせて行う。

 祝い事であれ何であれ、大体は朝の祈りと午前の神へのお勤めが終わり、住民の仕事や食事が終わった午後の時間が殆どだ。


 私は似非とは言え、見習いとして寝食を提供されている。この為、教会の雑事よりも、神事の手伝いを望まれる事が多かった。


 なので、私は巫女の装束でいなければならない。


 この巫女の装束というのも、中々、面倒な物だ。

 胸高に青地の帯を結ぶのだが、その下の衣服は、長袖に襟高の長衣だ。

 下はスカートでも良いのだが、私はズボンを履いている。足が冷えると痛むのだ。

 それも帯以外は白地である。

 汚れも目立つが、黄ばみを防ぐのも大変である。

 長衣は膝丈で、下のズボンの上に脚絆をつけている。これも冷えと痛みの防止だ。

 私の荷物は、この装束と下着が数枚、そして外套が一枚だけだ。


 私物は無く、手形一つ側には無い。

 似非ではあるが、現世とは断たれたという訳だ。


 ただ、本当に物を持っていない私に、ビミンは驚いたようだ。

 今までは、クリシィが貸し与えてくれたので、何ら不自由に感じなかった。

 だが、それも居が定まったのなら、もう少し身の回りの物を揃えた方がいいと、クリシィにビミンが訴えた。

 申し訳ない。と、私が言うところを、クリシィの方から謝罪を受けた。

 実は、フリュデンに残る私物をこちらによこす手配をしたはずなのに、今だ私の荷が届いていないらしい。

 なので、この辺りの生活で揃えなければならない物を優先的に買うようにと告げられた。


 冬の雨から身を守る外套も無いの?


 ビミンは、これが無くちゃ体がもっと弱っちゃう。等と、声を上げた。


 体が弱るは禁句である。

 お勤めの手伝いの途中で、私は連行された。





 ビミンの祖父ニルダヌスは、亡くなった神官の最後を看取っている。

 彼は、風邪と咳に神経質になっていた。

 そこで彼は、私を馬車に乗せると街の服屋へと連行した。

 まさしく、その手並みは連行である。あっという間に馬車に放り込むと、次には服屋の主に渡されていた。


 荷物扱いである。


 この扱いに覚えがある。

 穏やかな笑顔の御老人は、確かに獣人族の男である。


「時間はありますから、ゆっくりと選ぶんですよ」


 何気に子供扱いである。

 店主は私を受け取ると、店の奥へと運んだ。..彼女も獣人だ。

 古着でいいと申し立てたが却下される。

 見習いといえど、身なりにはそれなりの注意が必要。古着を売りつけた店とも言われたくない。お手頃な物を見繕うから安心しろと、言い渡された。

 今回の買い物は、神殿巫女の必要経費になる。つまり、掛け売りでクリシィに支払いが行く。気が気ではない。

 だが、ニルダヌスが支払いのやり取りをしているので、口が出せなかった。


 採寸を終えると、色見本を渡され生地を選ばされ、と、次々と目の前に見本が広げられる。しかし、中身は獣皮を纏う狩人だ。

 まったくの門外漢である。

 お任せしますというと、何故か、店主の気炎があがった。

 ただ、外套の名前代わりの裏刺繍は、自分で選ぶように言われた。

 刺繍見本を渡されて、どれにしようかと迷う。

 すると、深い紺色の物が目に付いた。


「あら、それですか?それなら裏地の裾に小さく回すように縫いましょう」


 小さな花の模様だ。


「公王の妹姫様も、お好きだった紋様ですよ。」






 店の表で待っていたニルダヌスは、にっこり笑うと私を馬車に乗せた。

 四人乗りで、幌が上がるものだ。

 今日は雨が降っていないので、ニルダヌスは私を乗せると、街を案内しようと申し出た。

 どうせならと彼の隣に移動する。

 すると、膝掛けの毛織物でぐるぐると巻かれた。

 どちらかというと暑いが、馬車が動き出すとちょうど良くなった。

 城塞内で、全てが賄えるようになっていた。

 全てを回ると、殆どの職種が営業しており、どれも非番の兵士で溢れている。

 城に常駐する兵士の家族もいるので街の住人以上に、沢山の人が生活していた。


 ニルダヌスは一通り案内を終えると、城からの道、軍馬の通りに近い家へと案内した。


「ここは?」


 落ち着いた煉瓦造りの家は、冬場でも青々した葉が茂る植物を窓辺の鉢に植えている。


「医者です。ついでですから、体も診てもらいましょう」


 もしかしたら、これが本題だったのかもしれない。



 小さな待合室には、二つの長椅子が置かれていた。一方には忘れ物なのか、草臥れた人形が放置されている。

 奥の部屋へと続く廊下は薄暗い。

 匂いは薬草と、何か湿気った感じの奇妙な匂い。

 ニルダヌスは、勝手にはいると奥の方へと行ってしまった。


 暫くすると、ニルダヌスは女性を一人伴い戻ってきた。医者の助手である。

 彼女は、ニルダヌスを待合室に残し、私を奥の部屋へと促した。



 奥の部屋、診察室は全体的に薄暗かった。


 診療台と仕切、そして様々な器具が並んだ戸棚。薬の類が置かれた小卓。

 医者は人族の男。顔色の悪い、むしろこの男の方が健康面に問題がありそうだ。

 私を横目で見てから、机に向かい何かを書き付けている。


 名前、年齢、既往歴、飲んでいる薬。


 一般的な問診と診察を受ける。

 神殿医から処方された薬を聞き、医者はあえて付け加える治療は無いという。


 その様子から、神殿医の診察に口出しをしたくないと言う様子が見て取れた。


 飲んでいる薬が切れたら、この店で買うようにと、街の薬屋を紹介をうける。

 待合室で待つニルダヌスの方へ女性が行ってしまうと、医者は声を小さくして言った。


「まだ、お調べなんですか?」


 意味が判らず黙っていると、彼は続けた。


「あんな場所を調べようとなさるから、胸をやられるんですよ」


 思い当たるのは、亡くなった神官だ。


「いくら哀れだと思われても、アッシュガルトに赴かれるのは、控えた方がいい」


「何故です?」


 答える前に、助手が戻り話は終わった。





 その晩、小さな流れの夢を見た。

 小さな煌めく水に、木の葉が一枚落ちて、くるくると同じ流れを回る。

 流れ去る事ができずに、くるくると同じ場所を回るうちに、木の葉は水に沈むのだ。






 深夜、城から開門の銅鑼の音が響きわたった。

 不安になるような音が響きわたり、城から外壁への公道を、軍馬の一団が駆け抜けた。


 私やクリシィ、ビミンと母が驚いて寝室から廊下に飛び出す。城の灯火が次々とつけられていくのが見えた。

 ニルダヌスがゆっくりと起き出してきて、窓の外を伺った。それから鳴り響く銅鑼の音を、耳に手を当てて聞き入る。


「大丈夫ですよ、戦闘の準備の音では無い。まぁ、兵士を外に出す用意をしてはいますが。」


「何があったのでしょうか?」


 クリシィが、また、軍馬の一団が駆け抜ける様を見て眉を寄せた。


 それにニルダヌスは、逡巡し言葉を飲んだ。

 不安そうに彼を見つめ続けると、根負けしたように彼は微笑んだ。


「ここ数年、船が沈むのですよ。マレイラの海軍はいつも遅い。そこで、ここの兵士が救助に向かうんですよ。」


 海戦の権利、海上の活動は東の貴族の義務だ。中央軍の進出を拒絶しているので、この城塞には海軍はいない。

 だからといって、ここに陸上軍だけを置くのは戦略上おかしい。

 つまり、アッシュガルトには、中央軍の軍船も兵力もある。

 だが、それも大きな物ではなく、表向きは公王の貿易船だ。

 公王の船は重武装が可能であり、海兵を載せる事も可能だ。


 そして、この公王の貿易船は、アッシュガルトの街とは反対側の灯台の近くに、交易港を作っている。


 そして、海難救助の名目で出港すると、城塞から支援の兵が出るのだ。



 暁に歩兵が出るまで、銅鑼は鳴り続けた。



 外洋大型船が二隻、アッシュガルトの湾からすぐ側で沈没した。

 二隻が、湾の浅瀬を迂回するのに方向を誤り激突したと見られていた。だが、片方の船は大破し、もう一隻も海水に浸る様子から、誤操作による接触にしては被害が大きいと、二隻をできる限り陸に引き上げる事になった。引き上げは東公領の海軍の仕事だ。

 この為、東公領の領兵が船を出す準備が整うまで、中央軍が遭難者の捜索を始めた。


 だが、潮流の所為か、死体があがらない。


 陸地から程近い場所での事だというのに、生存者も数人だけだった。


 その唯一生き残った数名も、口の利ける状態ではなく、生存も危ぶまれるほどの怪我という。

 ただ、その中で比較的、軽傷だった航海士の一人が、何か堅いものに衝突した後、船が軋んで大破した。しかし、船同士は距離を持って操船を続けていたので、夜間とはいえ船同士が衝突したわけではないと証言した。




 その衝突から二日後。

 教会を訪れる者がいた。

 アッシュガルトに駐留する、東公領の領兵であった。



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