ACT130 沈没船
ACT130
灰色の空から雨が降る。
空が崩れた様に降る雨と、重い大気が身体を押す。
吸い込むと塩辛く磯の香りがした。
アッシュガルトの印象は、陰鬱。
美しい海岸線とそれに添う街並み、巨大な港、灯台。
素晴らしい景色に対峙したと言うのに、暗い影ばかりが大きく見えた。
空を写す商店の窓硝子も暗さ。
陽気な港町を想像して、その落差が逆に目を引く。
間違い探しをするように、私は車窓にかじり付く。それをクリシィは咎めず、ここが何の店か等と説明をしてくれた。
実は、彼女の故郷なのだ。
クリシィは、東公領の出身である。
彼女は、人族と獣人族との混血だ。
種族の特長は、獣人族の軽量種で、人族の特徴である長命な部分を受け継いではいたが、軽量種の短命な血も混じっていたために、年齢相応の肉体の老化を得ていた。
彼女の母親は短命な獣人の軽量種で、父親が長命種の貴族であった。
これだけ聞くと、彼女は妾腹かと思われるが、母親は第一夫人であり、東公領では名の知れた貴族の娘だったのだ。
しかし彼女が入信するとともに、その貴族籍を抜いたそうだ。
その時から実父との縁は切れて、今に至る。
度々、この東マレイラには訪れる事があり、今回の話は、彼女にしてみれば当然の行き先でもあったようだ。
街並みは美しく、雑然とした港町と言うよりは観光名所に思えた。
建物は煉瓦造りで、見るからに裕福。下水などの様子は、ここが王都から離れた場所だとはとても思えない。
豊かな街並み。整った景色。
なのに印象は、暗く心が鬱ぐ陰気なものだった。
何故だろう?
特に海が見えはじめると、頭がどんよりと曇るような気がした。
初めて目にする大海の印象としては、残念に感じた。
港町としての賑わいを期待していた私には、首を傾げる程寂しい場所にも思える。
ただ、人はそれでも行き交い、馬車も通り、繁華街の店も営業されている。
何処にも気鬱に曇るようなものは見えない。見えないのだが、やはりどことなく暗い。
天気の所為だろうか?
時折見かける人影は雨と寒さの為か、皆俯いていた。
窓辺には、季節外れの鉢植えが置かれており侘びしさを加えている。
そこまで見て取り、私は自嘲した。
遠くへ来た事が、そんなに厭だったのか?
故郷から遠すぎて、悲しいのか?
粗を探すような自分を戒める。
冬以外なら、ここも明るく楽しげなのかもしれない。
異国情緒というものは確かにあり、軒先に白い貝殻の飾りが揺れている。貝殻など、物の本で知っているだけなので、それを見つけて欲しいと思った。思う自分に、少し安心する。
結局、私の心の中の問題であり、この何時止むとも知れぬ雨の所為なのだろう。
商店街や街の役所らしき場所を抜け、繁華街の通りから外れると、港を見下ろすように上り坂が続く。
曲がりくねる道は広い。
先にある、巨大な城塞の外壁が空を覆うように聳えて見えた。
港町を振り返ると、繁華街はたいそう大きく家々が犇めいていた。だが、本当に街に暮らす人や漁に携わる人の人家が、その繁華街の外れに見えた。
何とも奇妙な場所に来た。
そんな不思議な気持ちになる。
多分、見上げるようなゴツゴツとした城塞が恐ろしげであるのと、外側が綺麗で、嘘のように身の無い街に見えるアッシュガルトの不自然さが、夢の中で泳いでいるような気分にさせるのだ。
泳ぐような、とは、大気の全てに湿気がこもる為、歩く度に見えない何かを割るような感触が続くからだ。
大気が重く自己主張をしている。
何とも初めての感覚に、遠くに来たのだと感慨深い。
やがて、城塞の外郭に馬車が停まる。
入口は非常に狭く、一見すると岩壁の何処に扉があるのか見えない。
重い歯車が軋む音と、ゴロゴロと擦れあう石の反響が終わると、岩壁に穴があく。
薄暗い穴に馬車が入ると、通り抜けた後ろの部分に、鉄の格子が落下し出口を塞いだ。
馬車の検査検分の為だ。
薄暗い穴の中で待っていると、武装した兵士が馬と御者、馬車と確かめていく。そして、中に乗る私達を見て頭を下げた。
身を探るのに許可をもらおうとして、クリシィを見た兵士が下がった。
ごそごそと兵士が何かやり取りをしている。
彼女の表情を見たが、いつもの無表情だ。
馬車が止まっているのは、薄暗い隧道のようだ。
全てが暗く、何処に何があるか、兵士が何処から出てきたかわからなかった。
多分、色々な仕掛けが施されているのだろう。
そんな事を考えていると、私達を改めていた兵士の背後からもう一人現れた。
女性兵だ。
どうやら身体検査に、クリシィの様子を見て配慮したのだろう。
彼女の服装は、高位巫女の装束だ。
ここで検査をするのは当たり前であるが、高位の巫女に無礼があっても困る。
女性兵士は、クリシィに丁寧に許可をとると、身体検査をした。
私もついでに検査を終えると、やっと馬車は動き出した。
因みにこの馬車は軍のものだ。
行き先が東マレイラという事で、全てが軍の手配になったのだ。
教会に人をやるにしても、城塞へ入る者は全て軍の手を通らなくてはならない。
暗く長い隧道を抜けると、そこは高い壁に囲まれた街が広がり、奥には、雨に煙る巨大な戦城が聳えていた。
不思議なことに、アッシュガルトの陰気な雰囲気とは別世界という感じだった。
物々しい男達が行き交うと言うのに、中の街は皆活気があり、行き過ぎる人も家々の灯りも暖かく明るく見えた。
戦城という血生臭い場所ながら、その城塞内の街は、洗練され賑やかでさえあった。
ここが王都の飛び地であるとは、屁理屈だけではないらしい。
「兵士以外の住人だけで千五百人前後、常駐兵が二千人、巡回時期に城塞に入る兵士が一万五千人以上だそうよ。つまり、ここは、地方都市よりも人がいるのね」
兵力は一兵団以上が城塞にいる状態を維持していると言うことだろうか?一旅団は常時城塞の通常業務なのか。
「多いのか少ないのか、私にはわかりませんが」
「これでも少ない方。どんなに住民を優遇しても、ここから外へと気軽に出られる訳ではないから。兵士以外が増えない」
私達はまず、ここの監督者である、今現在駐留している軍団長に挨拶をするようだ。
「アッシュガルトの街は、どの位の住人がいるのですか?」
ふと陰気な印象の街を引き合いに出す。
「地元住人は千人いるかいないかね。後は、三公領主の兵と、商売で一時的に留まっているか、貿易の窓口に腰を据える余所者か」
北領の出身としては、普通が良くわからない。
寒村ばかりで、小さな宿場でさえ大きな街に見えたのだ。
トゥーラアモンは領主の居城があったので、兵士も住人の数に入っていた。なので、簡単には、この港町の人口に対する比較にならない。そして、主産業や気候も違いすぎる。
「一般的な農耕地域の村の人口からすれば、多めに見えるけど、実は、東公領の港町としては少ないのよ。」
私の疑問にクリシィは少し眉を寄せた。
「彼らは東公領の中でも昔から閉鎖的で。マレイラの中でさえ孤立しているのよ」
馬車は戦城の門についた。
騎馬等が通過する正面の門ではなく、一般の訪問者用の門だ。
此方は、城下から細い馬車道が引かれており、敵の侵入を困難にする為、曲がり、そこここに弓を射る場所が置かれていた。
直線で進むことができないので時間がかかる。それに馬車一台で通路がギリギリだ。交換できる停車用の位置まで進まないと、行くも引くもできない。
幸いにも、道を利用して坂を上がるのは私達だけだった。
何もかも、目に映る物が珍しい。
いつの間にか、憂鬱な雨に降られているという事さえも忘れて、私は車窓から外を見ていた。
「昔から思っていたわ。アッシュガルトの人々は、波に飲まれるのを待っているかのようだとね」
皮肉げな口調も、雨音に消えた。




