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冬の狼  作者: CANDY
哀歌の章
146/355

ACT129 群れとなる 下

 ACT129


 コツコツと硬い音がする。


 土砂降りの雨の中、馬が不機嫌に石畳を掻く音だ。


 馬車の小窓から眺める街は、全てがくすんで見えた。

 北領よりは高い気温だが、それも冷たい雨が相殺する。数日の馬車の旅で強ばった身体に、行火を引き寄せた。




 ここは東マレイラ領、アッシュガルト。


 首都から馬車で二週間の大きな港町である。


 領主は、東の八大貴族の筆頭三公と呼ばれる、三領主が共同統治をしている。

 アッシュガルト港を、領土が接する三領主が共有しているのだ。



「痛むのですか?」


 この旅にあたり、巫女頭のクリシィが同行していた。名目上、私が巫女頭に付いてきた形だが。


「大丈夫です、巫女頭様」


「クリシィと呼びなさい。もう巫女頭ではありませんからね」


 高齢な彼女を労るべきなのに、弱っているのは私の方である。

 巫女頭本人は過酷な馬車の旅も、至って元気だった。

 大勢を監督する仕事よりも、自分の教区を持ちたい。と、いう意気込みもあるのだろう。


 本当は、祭司長から監視を頼まれたのだろう。そして多分、頼りない私を気遣っての部分もあるのかも知れない。(彼女の態度は、どちらかというと幼女に対する物だった)



 気遣う。心配してくれている感情は伝わるものだ。それをありがたく、そして情けなく感じる。


 焦り、恐怖し、乗せられている間は、何も感じなかった。

 なのに優しくされると、不意に弱るのだ。


 不思議なもので、育った村では病気一つした事がなかった。

 ところが思い出したように、風邪を引いてしまったのだ。



 あの壁が壊れた日から、どうも身体がおかしいと思っていると、熱がでて咳が止まらずと、典型的な風邪の症状で寝込むことになった。

 それにクリシィは、心配なのは言うまでもなく怒り心頭で、私の世話を焼いた。


 曰く、あの野蛮人と無礼な男達の所為で私が病気になったと。



 実はさほど、私はカーンとオロフの殴り合いに思うところはない。


 子供の頃から原野を歩き、村で年寄りや男に混じっていたのだ。少なくとも育ちの良い令嬢のような感受性とは無縁だ。


 むしろ、ヨーンオロフという傭兵が見せた獣人特有の肉体変化に、見入ったくらいだ。

 カーンは重装備で身体が変化したかどうか見定められなかったが、唸り声は獣の声のようだった。


 動きも常人では追えぬ程で、転がり回り殴り合う様子は、音と残像しかわからず。口を開けて見ているうちに、壁が崩れ、木が倒れと、時間をかけずに目の前の物が木っ端微塵になった。


 むしろ、暢気に芝居でも見ているような気分だった。現実だとは思えなかったのもある。


 気がつけばボロ布の様なオロフを片手で引きずり、カーンが目の前に立っていた。


 私が目を丸くしていると、面貌の覆いを上げて睨みおろす。


 それからおもむろに説教を始めた。


 この男に説教されるとは、と、その方がよほど驚愕したものだ。


 要約すると、得体の知れない男と対峙するなど愚の骨頂。

 ここは田舎の暢気な村ではない。

 女子供が、夜に訪う者に気を許すなど言語道断。


 カーンが説教。それも道徳を説教。

 確かに、それで熱がでたのかもしれない。


 それに一つ二つと私の限界を試すように、心を重くする事もあった。


 コンスタンツェという人の事が一つ。

 このマレイラに来なければならなかった事が一つ。


 どちらも悩んでも無駄だとわかっている。

 わかっていながら、少し泣きそうになる自分が厭だった。身体が弱ると気持ちも弱る。


 良い面を上げれば、眷属という呪縛から距離を稼げる事だろうか?

 悪い面は、更にカーンの近くにいなければならなくなったという皮肉だ。



 どこまでも悍ましい。


 救いは、殿下は生きている。

 生きており、飢えてはいない。


 距離を置き、私がこの力を抑えられれば、少なくとも、彼の人の血を啜るような事にはならないはずだ。そう思いたい。


 祭司長の言うところ、変異した部位は肉体に馴染み、今のところ健康面での悪化は認められないらしい。

 ただ、私が側にいることで、変異が他にも及ぶ可能性は否定できない。今の段階ならば、通常の生活に支障なく、事の隠蔽は簡単だ。私は王都を出る事になった。

 死んで詫びれるものなら死にたいと思った。




 意気地無く生きながらえているのは、魂が抜けた後のグリモアが更に悪辣になるかも知れないと怖れているからだ。


 だが、本当は死んだ方がいいのではないか?


 と、ここ最近、その考えが頭から離れない。



 死ぬ事で楽になるのは自分だけ。とは言い訳で、死ぬのが怖いだけなんじゃないのか?


 と、思うと何もできなくなる。


 何とも情けない。


 だが、そんなくだらない懊悩を察して、クリシィは側にいる。

 規則正しく、旅の間も食事と睡眠をとらせる。そして、身体が痛みを覚える馬車の旅に、自らを手本として色々な話を聞かせ、風景に目を向けさせる。


 そんな風に気遣いをされると、鬱々とするのも失礼に思えた。


 だから馬車の中でだけは、あまり先の事を考えないようにした。


 考えるのは、夜の眠りの間だけだ。





 アッシュガルトには軍団の拠点がある。

 とても大規模な物で、港街の北側、丘陵地帯全てが拠点になっている。


 アッシュガルトは大きな港町で、半分が漁業、残り半々が、商業と港湾業に携わっている。

 船と物資の移動で、居住人口よりも、流動人口が多い。

 港も半分は軍が利用しており、拠点に循環する兵士相手の商売も盛んであった。

 アッシュガルトはマレイラの物資輸送の要である。

 支配者である三公は、三領主兵力をアッシュガルトに展開していた。

 そして、それとは別に防衛上重要であるため南領軍団はここに拠点を置いているのだ。


 その拠点は、簡易な砦ではない。


 アッシュガルトが大きな街で港を有しているように、拠点は更に巨大な城塞であった。


 この南領軍団のマレイラ拠点の中は、町になっている。

 この拠点は、三領主の支配地ではない。

 東公領土の中の、中央軍の飛び地。

 つまり、この土地は中央直轄地と同じ扱いである。

 支配者は公王であり、公王の土地なのでマレイラの三公の支配は受けない。

 東の八貴族が領土を持つ、東公領土の中の飛び地、自治区であり、軍事施設の中でもこの城塞の中の住人はマレイラの者ではなく、首都の住人と同じ扱いなのだ。


 ややこしいが、つまり、東マレイラと呼ばれる場所には、この地方の住人である港町アッシュガルトと、首都の住人である中央民のマレイラ城塞の二つを指すのだ。


 実際、城塞の内部はそれだけで完結しており、地元住人とは完全に異質である。

 余所の国の中に別の国があるような感じだろうか?


 軍事機密上それも当たり前だが、この城塞の内部の商業施設などで、欠員がでた場合の補充は簡単にはいかない。


 現地民を雇うという事ができないのだ。


 軍事機密の保持という観点。

 東八貴族が鳩派の政治集団に属している事。

 東マレイラ軍事施設は、中立の姿勢を持たねばならないという建前。

 その他諸々の事情により、現地住民を雇うよりは、首都の鷹派の移民を選別した方が手間がないのだ。


 その他にも、現地の政情を複雑にしている下地がある。

 この東マレイラは、独特の民族主義と宗教への価値観を持つ頑迷な人々が多かった。

 神聖教会の支部が、東マレイラには一つもないというのも、その表れだ。

 そして東マレイラに、中央軍の東方軍団がいない理由も同じなのだ。


 その状況の異質さを、クリシィという神殿巫女の立場から教えてもらった。



 まず、この中央大陸に置いての王国軍は、当初、戦時下に置ける特別編成が元という成立経緯がある。


 戦争自体が、長命種三代を越える長さであったため、二大種族の臨時統合軍が、二つの王家統合と共に、公王家としての軍事力に昇格。

 だから元々は、各諸侯から編成された個別の軍事力である。その統合軍を諸侯から切り離し独立混合編成にした。つまり、公王家が各地の貴族諸侯の軍事力を殺いだのだ。その反発を納めるため、公王から元老院に指揮権を移した。


 これと共に中央幕僚組織を発足。その組織頂点を軍の内部から選出。元老院直接指揮から、軍事部門を独立し、元老院は監視という立ち位置にした。

 この後、王国中央軍は公王家や諸侯の軍事力とは別になり、元老院主導でありながら、軍という巨大組織として国そのものあり方を変えていく。


 この二大王家の統合による混乱は、王家と元老院と軍部の三つの権力が一定の合意を見るまで、相当の年月がかかった。

 その間も大陸統一の戦争や、民族紛争は続いていた。


 転換期は、やはり、北の絶滅領域の出現と宗教統一である。


 北の絶滅領域の出現と、精霊種と呼ばれる種族の喪失により、大規模な軍事展開を北に限り停止。

 理由としては、絶滅領域という生物の限界生息域に無用な人員の配置はできないという建前と、精霊種に対する虐殺の噂の流布を恐れた為だ。


 これはクリシィの論説である。


 実際は、北方地域の冬が、環境変化により長く厳しいため、軍事的に監視のみで十分という理由だと思う。後で、カーンに聞いてみよう。

 この様に、北の中央軍編成は無く、代わりに西方軍団が有事には事に当たる。

 南方は言わずと知れた中央軍一の規模で、中央軍と言えば南の事だ。


 さて、東は本来中央軍から東方軍団を編成し置くことが普通である。


 だが、ここは南方軍団が巡回している。


 なぜなら、東八貴族は中央軍への資金の援助をしないからだ。

 彼らは中央軍の軍事力を必要なしと意思表明をしている。

 その理由として、中央軍編成時の戦時体制のおりから人を供出していない事。独自の軍事力を保有している事。この二点だ。

 ただし、王家の属国として義務は果たしている。

 王国軍への資金提供と人員の供出を拒否する代わりの巨額の違約金と、鉱物の輸出である。

 貴重な鉱物が、この東公領の特産である。この収入により彼らは大陸有数の資産を保有しており、違約金を払うという事で恭順の態度を一応示している。

 違約金に関しては、軍事費への納入以外の利用を公表する事で合意が得られている。これを一部でも利用した場合は、東公領の鉱物資源の輸出を止めると脅したらしい。


 因みに、鉱物は南方戦略地域の動力船などに使われる燃料だそうだ。


 つまり、この東マレイラは、中央大陸王国内の厳然とした反体制地域なのだ。


 ただし、鳩派を標榜している事と彼らが広大な土地と人民、その収入故に、中央の公王も元老院も、そして軍部もあえて見ない振りをしているのだ。


 そして、見ない振りをしつつも、特に武威を誇る軍団を直轄地に循環駐留させている。



 固有戦力の基地ではない。

 巡回地点である。

 つまり、東マレイラには基地はない。

 この城塞は、中央首都の一部であり、南領軍団が通過巡回しているだけなのだ。


 もちろん、屁理屈である。

 わざわざ、南領の軍団を季節毎に入れ替えているのは、単なる嫌みだと、私は思う。

 一般人の私がそう思うのだから、東の貴族もわかっているだろう。




 では、本来の東方軍団は無いのか?


 彼らは王都と東北地域に展開し、有事に際して対処する事になっている。ただし、正式名称は、今のところ公王治安維持軍である。


 まとめると、中央軍は、維持軍の東方、最大規模の南方、貴族が多い西方の三軍になる。


 ただし、東に武力衝突があったのは、中央軍ができあがった直後ぐらいで、今は特に目立った動きはない。


 そして、この中央軍事の状況が、なぜ、神聖教の布教に影響があるかと言えば、つまり、中央軍団をまとめるにあたり、国の教義を一つにする宗教統一が行われたからだ。


 そもそも東八貴族は、この宗教統一に関しては、最初から異議を唱えていた。

 ただし、神聖教を否定するのではなく、この教義を宗教の一つとし、他の宗教も認めるべきであるという立場らしい。

 この為、神聖教としては、別段東八貴族の領民に対して悪感情はない。

 人々にしてもそうであろうとも、教会を置くことは、つまり、中央軍の成立やその他を認める事にもなるため、教会の設置を拒否しているだけなのだ。


 しかし、教義自体は否定されていないため、教会の強硬派も、不信心等という誹謗はできない。

 何しろ、八貴族と呼ばれる彼らは、裕福である。教会に対しては、表向きは別として、浄財を積んでいるようだ。これもクリシィの愚痴、ならぬ、信心のお話である。


 ある意味、神聖教は正直なのだと感じた。


 彼らは、政治に不介入などという綺麗事は言わない。

 人を救うのに、権力と金は必要なのだ。

 ただし、それが正しいとまでは言えないが。


 そして、この東マレイラの状況が、私が馬車に揺られている理由である。


 東マレイラには神殿の勢力は無い。

 ただし、東マレイラにある城塞(正式には、東公領マレイラ地区アッシュガルト港ミルドレッド城塞)には神聖教の教会がある。

 教会とは、神殿の教えを広める為に信者が集う場所である。

 本来は、小神殿を置き、そこの住民が神殿に参拝すればいいのだが、神殿を建立するにも手続きと金が必要になる。

 そこで小さな町などには、小神殿ではなく、教会と呼ばれる家を建てて、神官か巫女を呼び寄せるのだ。


 ミルドレッド城塞は、規模が大きく、一つの町が城塞内にある。当然小神殿を置いても良いのだが、軍事拠点内で有事の際を考えると神殿よりは教会を設置したようだ。

 どうやら、軍人以外の住人の避難所として、建物を大きく作り上げ居住空間や備蓄倉庫を設けたそうだ。


 そこの神官を永年勤めていた方が、今年の春に体調を崩し、なかなかお勤めをこなせなくなった。


 この為、代わりの神官をすぐに送った。


 だが、その神官が突然の病で亡くなり不在が続いていた。


 マレイラには教会が無いのだから、補充神官もいない。そして、教区としては一番旨味が無いのだ。なり手が無い。



 更に、一人前と見なされる聖神官位を持つ者が、南領に多く出されており、全体的には人手不足の中、未だに本神殿は神官を送れずにいた。



 では、どうするのか?


 神事を執り行うには、神官が必要だ。しかし、別段名付けの儀式に男性神官が必ずしも必要と言う訳ではない。


 実は、これも戦時下の特別な処置故だったのだ。


 国教になる以前は、女性神官という名称の役職もあったのだ。


 女性が神事に関わる事を禁忌とした訳ではなく、他宗教の弾圧の側面もある宗教統一時に、女性を各地に送る事を憂慮した為だ。

 本来、地域に根ざした活動には、巫女等があたるほうが問題は少ない。そして、神事に携われる者の選定に性別は関係がない。

 神事を行える、つまり神の声をとらえる者、神の声、種族の名を見る事ができるか否かが問題というわけだ。


 種族の名を見るとは、名付けの儀式を執り行える者という事だ。

 親や国が個人に与える名ではなく、その人間の本質の形の事だ。


 ジェレマイア祭司長は、この名を見るという行為も、実は呪となんら代わりのない技術であるという。

 名を隠す行為は、つまり、呪からの防衛であり、今現在の言語に、個人名を入れない会話の形態こそが、その呪を忌避する為であるらしい。


 呪が名を支配し捕らえる技術とする。


 そう考えると呪に対して抵抗するなら、前提としてまず名を知らねばならない。


 つまり今現在、呪への耐性や浄化の技術を得られる可能性の高い者とは、神官達という事になる。


 今、南領に祭司長や、その他の神官が使わされているのもその為だ。


 では、この人手不足を補うには、如何すればよいのか?


 簡単である。


 神官一人に付き、助祭司という立場の巫女は少なくとも四人はつく。

 彼女達は、正式に名を見る力を持つ者が半数以上いる。


 そこで、治安の良い場所から、神官を巫女に置き換えているのが現在の状況だ。


 ただ、未だに女性神官という役職は無い。信者の方に馴染みが無いからだ。だが、この状況が長引けば、何れ役職名が復活するだろう。



 そして、行き場のない私と、神殿でもっとも力のあるクリシィが何処に行くかと言えば、


「城塞に着いたら、徐々に巫女の仕事を教えましょう。多分、事務方の仕事も滞っているはずです。中々、忙しくなるでしょうから。身体を早く治しましょうね」



 城塞の空きを埋めるべく、巫女頭を退任し、教会巫女になるクリシィ。

 付き人である見習いという立場を、どう受け止めるべきか、私は戸惑うばかりだ。


「人の群へと加わり、生活するのも楽しいですよ。人は誰かと一緒に生きてこそ、人らしくなるのですから」


「群ですか?」


 私の葛藤を見越して、静かに彼女は続けた。


「まぁ、無人の教会にたまったお勤めを片づける迄は、私につきあいなさいな。」


 さぞかし、山と仕事があるでしょうから、無駄に考える事も無いでしょうよ。と、彼女は珍しく笑うのだった。



 黒い羊は群れとなることができるのだろうか?

 不安に胸が少し苦しかった。



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