ACT115 暫の凪
ACT115
腕に乗せられ、視界が高くなる。トゥーラアモンだった場所は、焦土と瓦礫だけになっていた。
美しい街並みも、落ち着いた緑も、すべて瓦礫になっていた。
故意に壊したのもあるが、ナーヴェラトが焼き払い溶かした痕もあった。
街の住人の姿は無い。
侯爵が言っていたように、フリュデンへと逃れたのだろう。
「侯爵様は、生きておいでですか?」
今更ながら、思い出す。
「あぁ、片手がダメになったが、生きてる。息子と二人で今は後始末に翻弄されているだろう」
どの息子だろうか?
と、答えがわかっているのに、つい、皮肉が浮かぶ。
侯爵は忘れるのだろうか?
あのイエレミアスの犠牲を。
少なくともライナルトは、夜毎祈ってくれるはずだ。
「旦那、エリが何処にいるか知ってますか?」
それにカーンは、短く否と答えた。
誰に聞けば良いのかは、わかっていた。
ただ、私は少し、もう少しだけ、見ない振りをしていたいと思った。
カーンに運ばれながら、私はぼんやりとする。
この地の調和は保たれた。
あの最後、ナーヴェラトは神に戻ったのだ。
化け物ではなく、婆様の呪陣と沢山の生け贄により、神に戻った。
祟る災厄ではなく、理の輪の中に戻った。
残酷で残虐な罪を喰った。
酷い頭痛と共に、その為に犠牲になった者を見る。
もっと他に、救われる手段は無かったのだろうか?
トゥーラアモンの西側の一角は、家が少し残っていた。数軒の人家を軍が臨時の拠点にしているようだ。
馬と物資が置かれ、見張りがついている。
神官の姿も多く、人家の周りに仮設の小屋が建てられていた。
カーンは私を、神官の一人に引き渡した。彼らと一緒に医者がいるそうだ。
後で迎えに来ると言い残して、私は仮設の小屋に引き入れられた。
けが人よりも死人の方が多いという話を、中年の医者が治療の途中でこぼす。
何人かはフリュデンへ行き、けが人の少ないこの場所には、彼一人なのだそうだ。
同行している薬師は、化膿止めを調合している。
私の折れた足よりも、他の擦り傷や切り傷が膿み始めているのだ。
頭痛は疲労と化膿の所為で、発熱を始めている事。手渡されたのは水で、意識のない数日間を何も飲み食いせずにいたから、手始めに白湯を渡されたのだ。
彼らは、私を子供と思ったようで、神官の一人が湯桶を抱えてやってくる。
身体と傷を洗うというのだ。
私が神官の顔を見て、何も言えないでいると、聞き覚えのある声が助け船を出した。
「その子は女の子で、たぶん成人しているはずです。手伝いの女集に頼んで下さい」
仮設の小屋に、サーレルがいた。
彼は顔と見える範囲は全て包帯が巻かれていたが、自分の足で立っている。
「大丈夫ですか?」
「城の火薬に吹き飛ばされまして、眉毛まで燃えましたよ。」
「寝てなくていいんですか?」
「見た目は酷いんですが、どこも折れてませんよ。隊長殿など、消し炭がなんで生きてるんだですよ」
「火傷は」
「この程度なら問題ないです。私、これでも準重量種ですから」
準重量種という意味が分からず、首を傾げる私だったが、治療前に洗浄しなければならず、そのまま神官に女達の所へと運ばれた。
女達、たぶん、この街の女性達だろう、年輩の女性が炊き出しや、後かたづけをしていた。
布の天幕が張られた場所には、大量の洗濯物と湯が沸かされていた。
女性達は、傷だらけで足の折れた子供に..正確には、怪我をした子供に見える私を、丸洗いすべく湯桶に入れた。姦しく添え木を残して洗われる。濡れた添え木は治療の時に交換するそうだ。
体にある異様な入れ墨よりも、衰弱した子供を皆、労って気にかけてくれた。
痛みと熱で朦朧としながらも、そんな女性達が思ったよりも元気で安堵した。
これ以上悪くなる事は無い。そして、侯爵自身が生きている事が、彼女たちの気力をわずかでも残すことができているようだ。
一つに編んである髪が解かれて、丁寧に石鹸で洗われているうちに、私は意識を失った。
どうやら、気絶していたようだ。治療も終わっているらしく、体中が薬臭い。気がつくと、見たこともない女児の服が着せられ寝かされていた。
女児の服とわかるのは、それが胸のあたりで切り替えが入った、北の子供の民族衣装だったからだ。
室内には重傷の兵士が数人寝ていた。
その間を神官達が行き来しており、彼らの世話をしていた。
私の側にも年輩の人族の神官が椅子に座っており、私が目覚めると調子を聞き、水を飲ませてくれた。
治療は終わり、後は、熱を下げることと、肉が落ちないように食べること。足が動かせるようになったら歩くこと。そして咳をして力を込めない等と、細々と薬を渡しながら注意をしてくる。
失礼にも、何故か村の爺様連中を思いだし苦笑いが浮かぶ。
しかし、体力が殆どないのか、起きあがると身体が震えてまともに喋れなかった。
まだ少し髪が濡れていた。
手ぬぐいを借りて髪を乾かそうとしたが、両手に力が入らない。
もどかしい思いをしていると、寝かされている場所にカーンが来た。
ジタバタとしている私を見て、にやにやすると再び私を持った。
荷物のように腕に乗せると、もう片方に薬の包みを掴み仮設の小屋を出る。
「食事をとる場所に火がある。そこで髪を乾かせばいい。手洗いは大丈夫か?」
そこまで聞かれてうんざりとする。
力の入らない今の状態では、手洗いもままならない。
なんとしても、食事をとり、折れていない方の足で立つことを考えねばならない。
私の不機嫌をどう解釈したのか、カーンは楽しそうだ。
炊き出しは火を使う部分は屋外で行われていた。その隣に、防水布で屋根を作り、食事の場所が設けられている。
風は通るが雪は直接あたらない。
木の箱や建物の廃材が置かれており、簡易の食卓になっていた。
辛うじて残っていた人家の側には、簡単な手洗いも並んでいた。
疫病を防ぐという目的もあるのだろう、それを私もありがたく利用した。
手伝うというカーンを押しのけて、食事をもらいに行くように追い払う。
親切心なのか、意地悪なのかわからないが、いかに身体が震え、痛みが脳を揺さぶろうと、そこは譲れなかった。
だが、考えてみれば、血塗れで垂れ流しの状態を掘り起こされたのだ、今更といえば今更である。
しかし、今は、違う。
歯を食いしばり、曲がらない足なりにどうにか用をたすと、最後の力が尽きたらしく、がくがくと震えて手洗いの扉にすがりついたまま動けなくなった。
それに顔は笑っていたが、何も言わずにカーンは私を抱えた。
何か言ったら、ただではすまないという顔をしていたのか、情けない震えに哀れまれたのかはわからない。
ともかく、私達は食事をするべく天幕の下へと入った。




