幕間 暁の棘
[暁の棘]
急使は暁に訪れた。
大規模な兵の放出は控えられたが、一大隊がトゥーラアモンに送られる事になった。
一大隊は百五十の騎兵と補給込みの五百で編成され、オーダロンから送り出された。
手筈は統括長が執り行ったため、急使からわずか半日での出兵であった。
何しろ、一貴族の内紛ではない。
南東の腐土領域と同じく異変が起きたという話だ。
つまり、常識外の事象の出現で、古都が破壊されたという。
領域汚染の懸念から、後続隊に神殿から神殿兵がでることになった。
だが、査問待ちのカーン達は、この出兵から外されている。
ざわざわとした不可解な感覚と一緒に、彼の眠りは更に浅くなった。
そんな彼を迎えに来る者がいた。
ジェレマイアである。
彼は神殿兵と共に、異端異形の出現地の調査に向かうのだ。
腐土領域が飛び火して広がる様ならば、今後、この国土の防衛、ひいては価値観の転換をはからねばならない。
「よう、死体を焼きにいこうぜ」
顔を見せるなり、この挨拶である。
「査問待ちで禁足だ」
「禁足ねぇ、お偉方の関心はな、一兵卒の去就なんぞにねぇのよ。ボルネフェルトが死んだ筈なのに、腐れた場所が広がるようなら、査問会なんぞ開いたって無駄な訳。奴は死んだんだろ?」
無言のカーンに、ジェレマイアは続けた。
「最後まで責任持てよ、掃除屋。どっちにしろ、お前等呪い憑き全員が揃わなきゃ査問なんざできねぇのよ。とっとと仲間呼んで支度しな」
神殿兵の構成は、神兵と呼ばれる神官兵である。こちらは軍の中央組織とは別の、神聖教独自の武力集団になる。ただし、貴族の抱える領兵とは違い、あくまでも神殿の神官の護衛である。
このため、彼らは熱心な教徒であると同時に神官と同じく神事に通じている。
その装備も剣などの刃物よりも槌矛などの戦棍である。
装備の上に装着する外套の意匠は、すべて神聖教の神の文字が記されていた。
無骨な装備を隠す外套は白と青で、埃まみれの行軍には向いていない。と、その隊列を眺めてカーンは思った。
カーンと仲間達は、再び、首都を出て道を戻る。
軟禁状態よりは余程気が晴れるらしく、イグナシオ以外は元気が良い。
そのイグナシオは、既に今から憎々しげな気配を醸しだし、向かう先の群青色の空を睨んでいる。
彼にとって、腐土領域は神に逆らう邪悪な者共の象徴である。
無駄に火をつけて回らないように、スヴェンとオービスには止めるように言ってある。
輿ではなく、馬に乗るジェレマイアがカーンの隣に来た。
本来祭司長は、輿でゆっくりと向かうのだが、向かう先は祭りではないので騎乗している。
「で、ここ最近調子はどうよ?」
普段の挨拶というより、何をもっての調子なのか分からない。
しかし、カーンの無言にジェレマイアは、フンフンと頷いた。
「あいつ等は、それほど太い力が憑いちゃいないからな。いつも通りのようだ。だが、お前はどうだ?」
「別段目立った変化は無い」
「んじゃ、ちょっとは違うんだな?」
祭司長の期待がどの辺にあるのか、カーンは少し笑った。
「もとより、正気と常識は無い」
「嘘つけや、お前、根っこは一番の常識人だろうが。一番質が悪いんだよ。正気で鬼畜っつーのがな。」
「で、どうした。話があるんだろう?」
「今、例の場所での対処法を国を挙げて探しているのは知ってるな?」
「あぁ」
「んでだ、王国統一改宗前の宗教文献を探している。」
「統一以前の諸民族の文化宗教は、焼却された筈だ」
「馬鹿だよな。もったいない話だ。だが、ボルネフェルトみたいな者が一端出てしまえば。その失われたとされる諸々が重要になる」
「どういう事だ?」
「つまりだ。お偉方も馬鹿ばっかりじゃなかったってことよ。ボルネフェルトが引っ張り出してきた怪しげな技はな、その昔々の技術って奴なのよ。つまり、国が否定し続けてきた野蛮な輩の邪悪な技って訳だ。」
「その口振りだと邪悪ではないとでも」
「技術は悪なのか?んじゃ、剣を振る輩は全て邪悪の徒だな。」
「その通り」
「否定しろよ。でだ、邪悪な者が技を持っていて、こちらは無手だ。馬鹿でも分かる。ボルネフェルトを殺したとて、腐土領域は残った。次に何が起こる?」
「何が起こる?」
「考えろよ、お前、面倒くさいって顔に出てるよ。つまりだ、何時又ボルネフェルトのような輩がでるかも分からない。何しろ、腐土領域に入ると、皆おかしくなるからな」
「だから、封鎖している。国境を新たにもうけ、間に緩衝地帯を置き、常に兵を配置した」
「で、その配置した兵士は、皆、頭が狂うんだぜ。どうするよ」
「それこそ、お前達の出番だろ」
「その通り。で、呪い憑きの御同輩に頼みがあるんだよ」
暁に群青色が混じる。
胸苦しい空の色を見ながら、カーンはずっと考えていた。
不安と焦燥の原因は、あの小さな娘にあると認めるのが嫌だった。
大したつき合いもない無い娘が死ぬのが、嫌だった。
それも何故か、彼女は孤独に死ぬような気がして、珍しく、本当に珍しく憂鬱だったのだ。
自分は確かに変だ。
「..を見つけたら俺の所へ持ってきてくれ。..何だよ、聞いてんのか?」
聞いていなかったと答えながら、カーンはイグナシオと同じく空を見た。
それから心の棘を無視すると、祭司長の要求に耳を傾けた。




