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冬の狼  作者: CANDY
欺瞞の章
128/355

幕間 夜明けの月

[夜明けの月]


 眠りは死と似ている。


 起き抜けの鈍った思考が空転する。

 宿舎の天井を見たまま、カーンは大きく息を吐いた。

 肉体に不備は無い。

 血を巡らせ、大きく延びをして少しだけ身体を戻す。

 ぶるりと身を捩り起きあがると、思考の歯車が噛み合う。


 窓の外はまだ暗い。


 中央の十二の組織の一つ、保安部の施設に入ってから既に十日以上過ぎていた。


 三食ついて、待遇に問題はないが、いい加減飽きていた。


 細々とした書類も書き尽くし、鍛錬もしたが、ともかく暇である。

 なぜなら、査問会まで外出ができない。

 保安部門の宿泊施設は、王都の三重外郭の二番郭にある。

 そして、広大であるが施設の周りに人家は無い。

 広大な敷地を鍛錬と狩りで存分に使用できるが、つまりは、隔離施設である。


 保安部施設というが、保安部に所属する部隊はそもそも、ここに常駐していない。

 保安本部は司令部にあるし、審判部も審問部も独立している。元老員の諜報活動でさえ、ここは利用していない。


 利用しているのは、再教育が必要な人員とカーン達のような待機者だ。


 サーレルへの伝言は行き違いなってはいないだろうか。


 村の子供を預け、そこでオリヴィアと分かれた後に伝言が届いた場合。再び引き返して彼女を捜す。

 そう考えると、中々到着しないのも納得はできる。


 できるが、胸騒ぎのようなものがした。


 呪いの効果かと、少し笑う。

 だが、混じる不安に気がついて、カーンは再び寝台に横たわった。


 何が不安であるのか?


 感情を整理すれば答えは簡単だ。


 ボルネフェルトは殺人者だ。

 それもただの人殺しではない。

 人の弱みにつけ込んで、思考を支配し自滅させる。そして、怪しげな方法で肉体を支配するのだ。

 ジェレマイアの言う呪いが、何らかの精神に作用する暗示のような物ならば、我々のような者には大した意味はない。


 不安なのは。


 煌々と夜を照らす月の光が窓から射し込んでいる。

 風一つ無い静かな夜だ。



 宿泊施設は、再教育施設でもある。

 戦闘により身体に欠損や傷害を受けた時も利用される。

 広めの会議室から眺める景色は、訓練教官にしごかれる初々しさの欠片もない兵士の姿だ。


 机の上には、マレイラの情報が束になっている。


 軟禁状態で遊ばせておくほど、統括軍団長は甘くは無い。


 その紙束は、マレイラ懸案文書とある。


 マレイラにおける治安維持活動報告とでも言うものか。

 ここ数年の、東マレイラにおける事件事故を纏めたものだ。


 何かを具体的に指示された訳ではない。だが、統括長が寄越すのだ。読んで終わりというわけでもないだろう。


 黙々と書類に目を通していると、外から一際歓声が上がる。

 ちらりと見ると、部下達が訓練に混じって無茶をしていた。

 よほど、閉じこめられたのが腹立たしかったのか、施設の備品が破壊されていく。

 訓練兵を投げ飛ばし、教官役の兵士に追いかけ回されている。



 請求書は統括軍団長宛でいいな。



 その様を羨ましげに見てから、再び書類に目を戻した。


 傾向としては、病死の者がここ数年増えている事と、海難事故も多い。


 死亡原因の一位は衰弱死とある。

 大体が成人男子で働き盛りの年代が、徐々に衰弱して死亡するとある。

 原因不明の衰弱死。

 毒や伝染病を調べたが今のところ何が原因かは突き止められていない。未知の風土病の可能性も指摘されていた。


 次に多いのが、海難事故だ。

 海に面したマレイラでは、当然とも言える。

 ここ数年どうも潮流の変化があったのか、転覆する漁船の数が多い。この為、夜間の漁が禁止されている。ただ、それでもここの所海にでて帰らない者が多く、海軍の方から調査が入るようだ。


 治安の悪化が懸念される。


 という一文と共に、マレイラで起きた未解決の殺人の記録が三番目の死亡原因だ。


 景気の方は、漁の事故原因と推察される潮流の変化により、漁獲量が減り、先細りしている。

 その為か、人心の乱れと共に治安が悪化しているようだ。


 ここまで読んで、朧気ながら統括長の言いたいことが分かる。


 つまり、今現在の駐留している第八は、クソの役にもたっていない。貴様が怠惰に過ごせる余地はない。と、言うことだ。


 クソはクソなりに抑止力とならなければならない。


 マレイラの現在の領主や権力層の名簿に目を通していると、サーレルからの連絡が届いた。


 正確に言えば、サーレルが使っている元老員の密偵からの連絡だ。


 手紙によれば、アイヒベルガー侯爵の内紛に巻き込まれたとある。


 中々に面白い事になっているようだが、問題は、彼らが足止めをされているということだ。


 なれば、ここの滞在も更に延びる。


 最初の数枚は、侯爵の家族関係と内紛の模様が事細かに書かれていた。が、読み進めるうちに、妙な言葉が混じりだす。


 呪い


 つい先日、彼らは呪われていると言われたばかりだ。

 奇妙な心持ちで読み進めると、毒の分析を統括長宛に送ったとあった。


 領地采配については、ある程度の自治権がある。事がお家騒動であっても小規模であるなら、口を挟むことは滅多にない。

 ただ、未知の毒となれば軍部も関心を寄せるだろう。


 たかだか、子供を届けるだけの話がどうしてこうなる?


 揉め事の臭いを、サーレルが嗅ぎ取ったからと言うところだろうか。


 査問委員会の動向と、審判官の召喚により早めの帰還を再度書き連ねる。それを使いの男に渡した。



 そうして単調な生活が続く。

 平坦で穏やか、滅多にない事である。

 月の満ち欠けを見ながら、何故か日増しに眠りが浅くなった。

 心が勝手に落ち着きを無くし、奇妙な気配で目が覚める。


 夢を見ない死のような眠りの中で、カーンは不意に揺り起こされる。


 目の前には、奇妙な事にオリヴィアがいた。

 オリヴィアは目を閉じて横たわっている。

 相変わらず真面目腐った表情のまま、目の前に倒れている。


 カーンは彼女が死んでいると感じた。

 膝をついて、彼女の首筋に指を当てる。

 冷たい皮膚に動きは無い。

 彼は何処かに傷は無いかと目をはしらせる。

 すると、見る間に彼女の姿が朧気になった。

 身体に茨が巻き付いて、すっと床に沈み込む。

 どれほどの時、床を見ていたのか。


 月光の帯が床を照らす。

 カーンは自分の部屋で立ち尽くす。

 夢を見た?

 と、男は考える。

 だが、夢を見るには寝なければならない。

 カーンは夢を見たのか?

 自分を誤魔化すのは難しい。



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