Act105 腐った魂
ACT105
ゆらゆらと遺骸から影が起きあがる。
その瞳は紅く、宿るモノは明らかに違っていた。
それは父である侯爵にもすぐさまわかったようだ。彼は遺骸から手を引いた。
日射しが陰り、急に室内の温度が下がったように感じる。
遠く近く、破壊される音や地鳴りを聞きながら、私達は黙って影を見つめた。
その暗い姿は、ぼんやりと横たわる遺骸の上に姿を定めた。
どれほどの時間、沈黙していただろうか。ほんのわずかな時間のはずだ。
だが、侯爵にしろ、サーレルにしろ、これが何であるかを認めるのは難しいのだろう。
息を潜めて私達は、それを見つめた。
彼らには、人を象る物に見える。
そして、私には、それが様々な血肉の塊に見えた。
赤黒く脈打つ肉の塊である。
もはや、それが語るとは私も思えなかった。これは祟り神の、悪霊の血肉なのだろう。
侯爵は、深く息を吸うと口を開いた。
「汝は、イエレミアスか?」
侯爵の問いに、影は虚ろに留まる。
「汝は、我が息子か?」
再度の問いかけに、影は赤い眼を侯爵に向けた。
否
軋むような応えが返る。
「では、何者ぞ?」
それに答えはなかった。
「侯爵様、神の血肉をお聞きください」
彼は頷くと、影に問いかけた。
「汝に使いし神の血肉。他の血肉は何処にある?」
ない
影は一言呟くと消えた。
重々しい爆音が響き、この奥の間にも振動が伝わる。
私達は卓の上の物を、落とさぬように押さえた。
すでに、反魂により語るモノは失せたのか、冷え冷えとした何かを感じる事は無かった。
「私には意味が分からなかったのですが、君はわかりましたか?」
私は混乱していくのを感じた。
「我も分からぬ。無いとは、どう言うことだ?」
混乱に飲まれて笑い出しそうだった。
外の化け物よりも、恐ろしい。
早く、エリを探さねば。
「どうしたのです、オリヴィア」
名を呼ばれ、私は混乱に蓋をした。
「使われたということです。誰かが、約定無しに神の血肉を使った。だから、無い。エリを探さないと。」
部屋から飛び出そうとする私を、サーレルが捕らえた。
「私達には、何もかもが分からない。貴方が狼狽えては話も続かない。どういう状況ですか」
もどかしさに、言葉が纏まらなかった。
「殺された者、盗まれた物、反古にされた約束。平らかな秤が憎しみや悲しみで傾いた。この天秤を戻すには、喜びや愛では戻らない。同じ数だけの犠牲と、悲しみと憎しみ、そして何よりも、盗まれた物を」
「だが、我が使った」
「残りが使われたらどうなるでしょう?」
「どうなるのだ?」
「遺体が朽ちなかったのは、御子息が貴方を、家族を思っていたからです。この結末を知っていたとは思えない。だが、お身体に血肉は宿った。だが、今となってはご遺体と侯爵を差し出して終わるのでしょうか」
「無駄か?」
「何より、エリが犠牲になりかねない。この血肉を知る者は、侯爵様以外に誰がおりますか?」
「数人。何れも今はあの化け物を相手にしている。それに、子供を浚う暇もない。」
私は卓の上に広げられた羊皮紙の束を掴んだ。
「この近くで、儀式を行えるような場所はありますか?」
「儀式とは?」
「過去、この子供らを捧げた時は何処で行ったのです。」
侯爵は、私の手にある羊皮紙の中から選び出した。
「子等の苦痛を和らげるため、眠り薬を盛った。そして、深い眠りの内に喰わせた。場所は、書かれてはおらぬ」
私は、蓋をした混乱が戻ってくるのが分かった。闇雲に探しても見つからない。ならば、さらに、そこの遺骸を使うか?
自分の正気は失われるが、エリに何かがあっては遅い。今までは、侯爵の玉が呼んだと思っていた。それか少なくとも死者が呼んだのだと。
死者ならば、エリの身方だ。
だが、約定を無視して事を起こす者は、シュランゲの死者達ではない。
つまり、生きた人だ。
どうすればいい、どうすれば?
「どのような場所を考えてるのです」
サーレルの問いに、私は上がっていた息を戻した。
場所、儀式の場所だ。
力の籠もった呪具を使うには?
そうだ、腐れた魂が寄り集まる場所だ。
そうだね。
祀られる事なき神がいる。
埋葬に使われた土と悼まれる事なき骨。
そして汚れた場所だ。
ご褒美に、教えてあげるよ。
頑張ったね、手遅れだけど。
もう、皆、骨になってしまうよ。
可哀想だね、オリヴィア。
ワタシ、いいや、ボクは君が気に入ったよ。愚かで間抜け、面白いねぇ。
だって、気がつかないのかい?
簡単な話じゃないか。
この地に残る呪術を使える者なんてそうそういないよ。
今となっては、君ぐらいだよ。
供物の女。
君は、立派に力を継いだ。
だから、分かるだろう?
この地の神も仰ったではないか?
腐った魂を見たではないか?
「そんな、バカな」
お馬鹿さんは君だよ。
フリュデンの住人は何処に行ったと思うんだい?
「だが、婆様は」
以前の人の身ならば。
でも、今は違う。
おもしろいねぇ、自分では人間だと思っている。
だけど、あれが目指しているのはなんだろうね。
ボクはね。
ナーヴェラトより、あの女が恐ろしいよ。
だってそうだろ?
化け物は約束を破ったら食べにくるけど。
あの女は、腹なんか空いていなくたって、我が子を親を殺し、隣人を生け贄にして平気なんだよ。
人間は、なんて醜いんだろうね。
「侯爵様、一族方の墓所は何処に?」
「案内しよう」
胸を押さえる私に、頷くと侯爵は先に立った。




