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冬の狼  作者: CANDY
欺瞞の章
115/355

Act105 腐った魂

 ACT105


 ゆらゆらと遺骸から影が起きあがる。

 その瞳は紅く、宿るモノは明らかに違っていた。


 それは父である侯爵にもすぐさまわかったようだ。彼は遺骸から手を引いた。


 日射しが陰り、急に室内の温度が下がったように感じる。


 遠く近く、破壊される音や地鳴りを聞きながら、私達は黙って影を見つめた。


 その暗い姿は、ぼんやりと横たわる遺骸の上に姿を定めた。


 どれほどの時間、沈黙していただろうか。ほんのわずかな時間のはずだ。

 だが、侯爵にしろ、サーレルにしろ、これが何であるかを認めるのは難しいのだろう。

 息を潜めて私達は、それを見つめた。


 彼らには、人を象る物に見える。

 そして、私には、それが様々な血肉の塊に見えた。


 赤黒く脈打つ肉の塊である。


 もはや、それが語るとは私も思えなかった。これは祟り神の、悪霊の血肉なのだろう。


 侯爵は、深く息を吸うと口を開いた。


うぬは、イエレミアスか?」


 侯爵の問いに、影は虚ろに留まる。


「汝は、我が息子か?」


 再度の問いかけに、影は赤い眼を侯爵に向けた。



 否



 軋むような応えが返る。



「では、何者ぞ?」



 それに答えはなかった。


「侯爵様、神の血肉をお聞きください」


 彼は頷くと、影に問いかけた。


「汝に使いし神の血肉。他の血肉は何処にある?」










 ない





 影は一言呟くと消えた。


 重々しい爆音が響き、この奥の間にも振動が伝わる。

 私達は卓の上の物を、落とさぬように押さえた。

 すでに、反魂により語るモノは失せたのか、冷え冷えとした何かを感じる事は無かった。


「私には意味が分からなかったのですが、君はわかりましたか?」


 私は混乱していくのを感じた。


「我も分からぬ。無いとは、どう言うことだ?」


 混乱に飲まれて笑い出しそうだった。

 外の化け物よりも、恐ろしい。

 早く、エリを探さねば。


「どうしたのです、オリヴィア」


 名を呼ばれ、私は混乱に蓋をした。


「使われたということです。誰かが、約定無しに神の血肉を使った。だから、無い。エリを探さないと。」


 部屋から飛び出そうとする私を、サーレルが捕らえた。


「私達には、何もかもが分からない。貴方が狼狽えては話も続かない。どういう状況ですか」


 もどかしさに、言葉が纏まらなかった。


「殺された者、盗まれた物、反古にされた約束。平らかな秤が憎しみや悲しみで傾いた。この天秤を戻すには、喜びや愛では戻らない。同じ数だけの犠牲と、悲しみと憎しみ、そして何よりも、盗まれた物を」


「だが、我が使った」


「残りが使われたらどうなるでしょう?」


「どうなるのだ?」


「遺体が朽ちなかったのは、御子息が貴方を、家族を思っていたからです。この結末を知っていたとは思えない。だが、お身体に血肉は宿った。だが、今となってはご遺体と侯爵を差し出して終わるのでしょうか」


「無駄か?」


「何より、エリが犠牲になりかねない。この血肉を知る者は、侯爵様以外に誰がおりますか?」


「数人。何れも今はあの化け物を相手にしている。それに、子供を浚う暇もない。」


 私は卓の上に広げられた羊皮紙の束を掴んだ。


「この近くで、儀式を行えるような場所はありますか?」


「儀式とは?」


「過去、この子供らを捧げた時は何処で行ったのです。」


 侯爵は、私の手にある羊皮紙の中から選び出した。


「子等の苦痛を和らげるため、眠り薬を盛った。そして、深い眠りの内に喰わせた。場所は、書かれてはおらぬ」


 私は、蓋をした混乱が戻ってくるのが分かった。闇雲に探しても見つからない。ならば、さらに、そこの遺骸を使うか?

 自分の正気は失われるが、エリに何かがあっては遅い。今までは、侯爵の玉が呼んだと思っていた。それか少なくとも死者が呼んだのだと。


 死者ならば、エリの身方だ。

 だが、約定を無視して事を起こす者は、シュランゲの死者達ではない。


 つまり、生きた人だ。


 どうすればいい、どうすれば?



「どのような場所を考えてるのです」


 サーレルの問いに、私は上がっていた息を戻した。


 場所、儀式の場所だ。


 力の籠もった呪具を使うには?

 そうだ、腐れた魂が寄り集まる場所だ。







 そうだね。

 祀られる事なき神がいる。

 埋葬に使われた土と悼まれる事なき骨。

 そして汚れた場所だ。


 ご褒美に、教えてあげるよ。


 頑張ったね、手遅れだけど。

 もう、皆、骨になってしまうよ。

 可哀想だね、オリヴィア。


 ワタシ、いいや、ボクは君が気に入ったよ。愚かで間抜け、面白いねぇ。

 だって、気がつかないのかい?

 簡単な話じゃないか。

 この地に残る呪術を使える者なんてそうそういないよ。


 今となっては、君ぐらいだよ。

 供物の女。

 君は、立派に力を継いだ。


 だから、分かるだろう?

 この地の神も仰ったではないか?

 腐った魂を見たではないか?




「そんな、バカな」



 お馬鹿さんは君だよ。

 フリュデンの住人は何処に行ったと思うんだい?


「だが、婆様は」


 以前の人の身ならば。

 でも、今は違う。

 おもしろいねぇ、自分では人間だと思っている。

 だけど、あれが目指しているのはなんだろうね。

 ボクはね。

 ナーヴェラトより、あの女が恐ろしいよ。

 だってそうだろ?

 化け物は約束を破ったら食べにくるけど。

 あの女は、腹なんか空いていなくたって、我が子を親を殺し、隣人を生け贄にして平気なんだよ。


 人間は、なんて醜いんだろうね。



「侯爵様、一族方の墓所は何処に?」


「案内しよう」

 胸を押さえる私に、頷くと侯爵は先に立った。



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