Act96 蠎(大蛇)
ACT96
鳥の群は、隊列を組み空を飛ぶ。
それは急に方向を変えると、薄い陽射しの方へと飛んでいった。
この時期、渡りは既に南下している。北方より幾ばくか東の地であっても、寒さは厳しい。
ただ、この辺りを越冬地にしている冬鳥もいる。
あの雁の群は急に方向を変えたが、本来はトゥーラアモンの街の側にある湖にいたのではないだろうか?
「トゥーラアモンの水を確かめねばなりません」
私の疲れた声に、ライナルトが答えた。
「水に浸からなかった者を街に戻した。こちらの後片づけが終わり次第、戻る。街の水は一時飲食を禁じる様に伝えてはある」
それは良かった。
私が、力を抜くと、エリが空を指さした。
自然と、私とサーレル、ライナルトも天を仰いだ。
薄曇りの空、灰色の世界、そして鳥。
鳥の点々とした黒い影が空を旋回している。鳥の群は見る間に数を増した。
川の流れのように鳥の影で帯ができている。
「何だあれは」
私はすぐさま手近の木に手をかけると登った。
屋敷の外、街の塀を越えて外を見るために、比較的大きな木の天辺に向かって登る。
「見えますか?」
サーレルの問いに、私は頷いた。
トゥーラアモンの方向、そう、街を囲む森林から一斉に鳥が飛び立ち、こちらに向かって来ている。
森が揺れている。
目を凝らす。
群青色の森がざわめいている。
よく見ると、森の頭上の雲が渦を巻いていた。
灰色の重みのある雲が円を描く。
竜巻の前触れに見えた。
「トゥーラアモンの空がおかしい。竜巻のような雲が見える」
私が怒鳴ると、ライナルトはエリを膝から下ろし、兵士達の方へ走っていった。
「屋内に避難した方がいいですか?」
サーレルの問いを受けながら、私は手を翳して眼を細めた。
遠い空に、微かな揺らめきが見える。
鮮やかな緋色だ。
筆で描くように、渦を巻く空に緋色の線が描かれていく。
呪陣ではない。
出口だね。
アレの通り道だよ。
開いたんだね、何かが鍵になっていたんだ。
たぶん、持ち去られた卵に何かあったんだよ。
さて、とうとうアレが出てくるよ。
どうする?
ねぇどうするんだい?
この世の誰がアレを倒すんだい?
楽しいねぇ、あんなモノを見られるなんて。
私は空を見つめることしかできなかった。
緋色の線は、空を断ち割る。
雲が、空が割れて、稲光と共に赤黒い裂け目が見えた。
まるで天空が割れて腸が見えたような錯覚を覚える。
雲は渦巻き、裂け目からも黒々とした煙が尾を引いた。
鳴き声が響きわたる。
奇妙な、そして背筋が泡立つ鳴き声だ。
そして赤黒い裂け目から、顔が覗いた。
一つ、二つ、三つ、次々と顔が覗く。
それぞれが爬虫類特有の動きをしながら、裂け目から姿を現す。
蠎だ。
ゆっくりと空から森へ降り立ったのは、七つの頭を持つ巨大な蛇であった。
青銅色の巨大な姿。
鱗は棘を持ち、鋭い歯を持つ頭部。鶏冠のようなモノが首回りにある。
七つに分かれた頭部はそれぞれに知能があるのか、辺りを見回して、奇妙な鳴き声をあげていた。
あの地下水路で聞いた鳴き声だ。
奇妙な声が響くと、そのまわりを飛んでいた鳥が地面に落ちた。
人間が聞いても棒立ちになるだろう。
呆然と眺めていると、一つの頭が首を擡げ、大きく息を吸い込むのが見えた。
蛇は口から火を吐いた。
森が一瞬で炎に包まれた。
その衝撃と音が遅れてフリュデンに到達する。私は体勢を崩し、落下した。
転がり落ちた私にサーレルとエリが駆け寄ってくる。
「怪我は!」
「大丈夫です」
「今のは何だ?」
「トゥーラアモンの森が燃えています。」
化け物が火を噴いて?
言いかねて口を開閉する。
その時、再びの衝撃が走り、私達は体を揺らした。
「エリ?エリ!」
蹈鞴を踏む私の横でエリの足下に緋色の線が走る。
召還陣だね。
「サーレル、エリを掴んで!」
私とサーレルは陣に沈もうとするエリを掴んだ。
「何ですかこれは!」
エリは卵を抱えたまま、足を地面に沈ませていく。
彼女は、私をサーレルを、そして、走り戻ってくるライナルトを見てから眼を閉じた。
確かに彼女を掴んでいた。
だが、次の瞬間には、その小さな姿は無かった。
一足遅くたどり着いたライナルトは、膝を突くと地面を弄った。
「何故、消えた」
ライナルトは、堅く戻った地面を殴った。
「おい、何故、子供が消える!」
騒ぎ出した兵士がこちらに来るのが見えた。
私は、金臭い匂いに身震いがとまらない。
どれほど、喰えばアレは檻に戻るのか?
私は答えることができずに、背を向けた。




