Act95 英雄は来ない 下
ACT95
「問題は、昨夜の騒動で死体が動いたという事です。で、加工をしたのは誰だと思いますか?」
サーレルは茶を口にしながら、私に問いかけた。
「推論になりますが」
私にとっても、この話題は慎重にならざるおえない。
呪術とは、ボルネフェルトの行いに重なる部分が多々ある。
「犯人は特定の誰かを標的にした訳でも、死体を使役している訳でもない。あれは事故です」
「それはおかしい」
「おかしいでしょうか?何かを守る為に罠を作る。今回は多分、獲物の逃げ足が早かったので外に広がっただけ」
「論点が違います。仕掛けを誰がしたかです。その力が問題なんですよ」
「少し違うのです」
「何が違うのですか?」
「奥方が言っていました。呪陣は本来一瞬で命を奪うと。つまり彼らは、奥方の干渉で留まったのです。」
「では、アレンカが?」
ライナルトは、すべてが信じられないのだろう。
「要因の一つでしょうか。呪陣は最初シュランゲで広がった。あの旧街道の土砂崩れは、力の広がりの痕跡だったのでしょう。本来なら、盗人を殺して終わった」
サーレルは頭を振った。
「そんな力があるのなら、とっくにこの世は終わっていますよ」
「あったとしても早々使われる手段ではありません」
「何故だ?」
「そこで話が戻るのです。呪とは何か?簡単に言えば、対価を必要とする祈りです。対価、つまり、生け贄ですね。今の宗教儀式から人柱などがなくなったのは、祈りが呪に傾くのを忌避したからです。」
「生け贄が野蛮だからじゃないのか?」
ライナルトの言葉に、笑いが漏れそうになった。
野蛮とは、笑止。
人こそ野蛮の極み。
笑い出すワタシをねじ伏せると、ボルネフェルトの講義を再び広げた。
「建前はそうでしょう。ですが、倫理的な意味からではありません。この世の理、秩序を崩す恐れがある呪を、人は忌避したのです。」
「理ですか?久しぶりに聞きました」
「カーンの旦那は、神学好きの嫌な子供だと思ったようですが」
サーレルは、先を促した。
「理とは人の思考の規範によって影響を受けます。極端な蛮行も人の争いのうちならば、収まりもつくのでしょうが、そこに呪を加えると理は薄れます。これが、ライナルト様の問いの答えの一つです。
奥方は、人の世から足を踏み外したのです」
「つまり、悪い、呪術?を使ったから?」
言い慣れないと言うより、馬鹿らしい言葉に、ライナルトは口ごもった。
「悪い行いです。では、呪そのものが悪であるのか?これは否定できるでしょう。呪、は言祝ぎと同じ祈りでした。ですが、呪は、ある力と結びつきやすいものでもあったのです。」
「ある力ね。昨日、水攻めにあってなければ、寝言と言い切れるんですけどね」
よほど毒水を飲まされたのが嫌だったようで、サーレルは胸をさすっている。
「それは、貴方方が理解しやすい言葉で言えば、悪であり、私のようなものには、悪と言うよりも、この世とは相容れない存在である、魔というものでしょうか」
「魔ですか」
サーレルは殊の外、その言葉に眼を細めた。
「そして、呪が頻繁に使われない理由は今度の事を見れば明白です」
ライナルトは疲れたのか両目を閉じた。エリはそんな男の頭を今度は撫でていた。
「被害が甚大だからですか?」
「長い戦争をしてきた人間が、そんな事で有用な力を放棄しますか?」
少し、考えてからサーレルが答えた。
「費用が高い?」
私が頷くと、彼は笑った。
「こんなに詳しいのに?関係ないと」
誰かの妄執に、私自身の悩みは関係がないのは断言できた。
「逆に聞きたい。中央大陸の民族が幾つあるとお思いか?伝統や文化を否定し続けた結果、無知になっているとは思わないのですか?」
「言ってくれますね、確かに、私はこの北の歴史や文化は門外漢ですね。それに貴殿も」
サーレルの言葉に、ライナルトは冬曇りの空を仰いだ。
空には雁が飛んでいた。




