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冬の狼  作者: CANDY
欺瞞の章
105/355

Act95 英雄は来ない 下

 ACT95


「問題は、昨夜の騒動で死体が動いたという事です。で、加工をしたのは誰だと思いますか?」


 サーレルは茶を口にしながら、私に問いかけた。


「推論になりますが」


 私にとっても、この話題は慎重にならざるおえない。

 呪術とは、ボルネフェルトの行いに重なる部分が多々ある。


「犯人は特定の誰かを標的にした訳でも、死体を使役している訳でもない。あれは事故です」


「それはおかしい」


「おかしいでしょうか?何かを守る為に罠を作る。今回は多分、獲物の逃げ足が早かったので外に広がっただけ」


「論点が違います。仕掛けを誰がしたかです。その力が問題なんですよ」


「少し違うのです」


「何が違うのですか?」


「奥方が言っていました。呪陣は本来一瞬で命を奪うと。つまり彼らは、奥方の干渉で留まったのです。」


「では、アレンカが?」


 ライナルトは、すべてが信じられないのだろう。


「要因の一つでしょうか。呪陣は最初シュランゲで広がった。あの旧街道の土砂崩れは、力の広がりの痕跡だったのでしょう。本来なら、盗人を殺して終わった」


 サーレルは頭を振った。


「そんな力があるのなら、とっくにこの世は終わっていますよ」


「あったとしても早々使われる手段ではありません」


「何故だ?」


「そこで話が戻るのです。呪とは何か?簡単に言えば、対価を必要とする祈りです。対価、つまり、生け贄ですね。今の宗教儀式から人柱などがなくなったのは、祈りが呪に傾くのを忌避したからです。」


「生け贄が野蛮だからじゃないのか?」


 ライナルトの言葉に、笑いが漏れそうになった。


 野蛮とは、笑止。

 人こそ野蛮の極み。


 笑い出すワタシをねじ伏せると、ボルネフェルトの講義を再び広げた。


「建前はそうでしょう。ですが、倫理的な意味からではありません。この世の理、秩序を崩す恐れがある呪を、人は忌避したのです。」


「理ですか?久しぶりに聞きました」


「カーンの旦那は、神学好きの嫌な子供だと思ったようですが」


 サーレルは、先を促した。


「理とは人の思考の規範によって影響を受けます。極端な蛮行も人の争いのうちならば、収まりもつくのでしょうが、そこに呪を加えると理は薄れます。これが、ライナルト様の問いの答えの一つです。

 奥方は、人の世から足を踏み外したのです」


「つまり、悪い、呪術?を使ったから?」


 言い慣れないと言うより、馬鹿らしい言葉に、ライナルトは口ごもった。


「悪い行いです。では、呪そのものが悪であるのか?これは否定できるでしょう。呪、は言祝ぎと同じ祈りでした。ですが、呪は、ある力と結びつきやすいものでもあったのです。」


「ある力ね。昨日、水攻めにあってなければ、寝言と言い切れるんですけどね」


 よほど毒水を飲まされたのが嫌だったようで、サーレルは胸をさすっている。


「それは、貴方方が理解しやすい言葉で言えば、悪であり、私のようなものには、悪と言うよりも、この世とは相容れない存在である、魔というものでしょうか」


「魔ですか」


 サーレルは殊の外、その言葉に眼を細めた。


「そして、呪が頻繁に使われない理由は今度の事を見れば明白です」


 ライナルトは疲れたのか両目を閉じた。エリはそんな男の頭を今度は撫でていた。


「被害が甚大だからですか?」


「長い戦争をしてきた人間が、そんな事で有用な力を放棄しますか?」


 少し、考えてからサーレルが答えた。


「費用が高い?」


 私が頷くと、彼は笑った。


「こんなに詳しいのに?関係ないと」


 誰かの妄執に、私自身の悩みは関係がないのは断言できた。


「逆に聞きたい。中央大陸の民族が幾つあるとお思いか?伝統や文化を否定し続けた結果、無知になっているとは思わないのですか?」


「言ってくれますね、確かに、私はこの北の歴史や文化は門外漢ですね。それに貴殿も」


 サーレルの言葉に、ライナルトは冬曇りの空を仰いだ。

 空には雁が飛んでいた。



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