Act93 英雄は来ない 上
ACT93
屋敷の門は開かれていた。
漸く、人と火の気配がした。
凍えた兵士が火を囲み、幾人かが見張りに立っている。
私の姿を見かけると、警戒の視線と、戸惑いが広がる。
「サーレルはいますか?」
私は手前で立ち止まると、中からライナルトが現れた。
「こっちだ」
ライナルトは片目を布で覆っていた。
「エリは?」
「一緒だ」
そのまま館には入らずに、横手に回ると奥に進んだ。
生き残った兵士達が、火を囲んでいる。
あの離れ屋敷の庭に回ると、奥の東屋にエリとサーレルが座っていた。
優美な東屋の装飾が足下のたき火になっている。
館の食料を持ち出して食べていたようだ。
「無事なようで」
私の言葉に、サーレルは笑顔で答えた。
「いやぁ、死にかけましたよ。」
「溺れでもしましたか」
「まさか、感が鈍ってなくて良かったという話ですよ」
私に座るように勧めると、サーレルは食事を続けた。
ライナルトも座るとエリを膝に乗せた。
「どういう事です?」
「ここに着た時、侯爵に一つ頼まれていましてね。侯爵の手の人間も一緒だったんですよ。」
「自分も知らなかった」
「まぁ、それはいいんですけどね」
「何を頼まれたんです?」
「侯爵は、証拠が欲しいと。つまり、持ち出した金属を一部でもいいので持って帰れと」
「まさか、本当に、彼らの物を盗りましたか?」
「えぇ」
私の驚愕と絶望が、あまりにも大きく表に現れたのを見て、サーレルは笑いながら手を振った。
「侯爵の手の者がね。私、勘がいいので、見ていただけです。触ってもいません。で、彼は戻っていったのですが、私はね」
「いろいろ、見て回って迷ったんですね」
脱力する私に、サーレルは笑った。
「いやぁ、中々おもしろい事になっていますね」
「旦那、貴方の行為は、もう一歩で呪に囚われるところだ」
「そう、その呪とはなんだ?アレンカのあの姿は何だ」
ライナルトの問いにサーレルも、食べるのを中断した。
「アレンカとは誰です?」
「グーレゴーアの妻だ。私の妹になるのか」
「では、ライナルト様は、侯爵様の」
「嫡子のイエレミアスが長男だ。そして、自分が次男。そしてグーレゴーアが三男だ。自分が生まれたのは、この地域ではない。母が死ぬまで自分の生まれは知らなかった。」
「よろしいので?」
と、サーレルの言葉に彼は頷いた。
そして布で覆われた眼が痛むのか、そこを押さえて続けた。
「イエレミアスの母と自分の母は姉妹だ。母は自分を身ごもると、遠くの修道院に密かに入った。争い事を恐れたのが理由だ。イエレミアスが生まれた後の騒動を知っていたし、実の姉に恨まれるのだけは嫌だったと話ていた。
母が死んで、自分はそのまま違う場所で生きるつもりだった。だが、侯爵から連絡をもらった。」
「何と?」
「正当な子として共に生きようと」
その言葉に、彼は悩んだのだ。
彼は祈ったのだ。
夜毎祈り、迷い続けたのだ。
「兄と弟を押し退ける気はないと、侯爵には伝えた。側にいて、支えると」
サーレルは何も言わなかった。
だが、その眼は冷たかった。
人を殺し、押しのける事で命を繋ぐ者には、甘えた話だ。ただ、彼はそれを言葉にはしなかった。
「自分は、立場としては侯爵の側に使える者として、遠縁の氏族の一人として暮らすことになった。」
「暫くして、アレンカが自分に会いに来た。グーレゴーアとの仲を取り持ってくれと」
「仲を取り持つ?親しかったのですか」
首を傾げる私に、サーレルが少し吹いた。
「子供には解り辛い表現ですよ、つまり、夫の愚痴を口実に、彼に色仕掛けをしてきたんです」
眼を丸くする私に、何故か、エリが鼻を鳴らした。ライナルトは、困ったようにエリの頭を撫でた。
多分、アレンカは、婆様あたりか、昔を知る者から彼の事を知ったのかもしれない。
そして、グーレゴーアの心は更に荒れたのだ。
ただ、この場所がいけなかったのもある。
昨夜の破壊で様々な城塞に残っていた呪陣の欠片が消え失せていた。
均衡のとれていない呪陣は心身に影響があるようだ。
「呪とは何だ。アレンカは、水に流された後、姿が見えない。皆、可笑しくなったのは、その呪とやらのせいなのか?」
それは呪というものが原因であって欲しいと聞こえた。
「今、トゥーラアモンの様子は分かりますか?」
「外に出た後、馬を走らせた。町の外に残っていた者だ。今のところ、特に変化はない」
それに、ワタシ、は違うと解っていた。
このフリュデンからは去った気配はあるが、違う。
空気に力が残っているのではない。
力が走っている。
明けた空には、胸苦しい火花が見える。
私はエリを見た。
エリは、ずっと玉を撫でていた。
友達の玉。
ボルネフェルトの知識は、それを卵と認めた。
小鳥の卵ではない。
それから、孵る生き物はいない。
だが、それから与えられるモノとそれを与えたモノの性質から、卵という認識になる。
私がじっと視線を注ぐと、それは少し震えた。
「私も、一つ聞きたいですね。貴方は、何者なんですか?」
サーレルの問いに、己こそ、その答えを知りたいと思った。