Act91 水没
ACT91
人間の本質は、異常な時ほど露わになる。
へらへらと笑った男は、あっという間に目の前の死体の首を落とした。
カーンは首を大剣で撥ね飛ばすが、サーレルは擦り斬ると言う感じである。
サーレルの剣は、細く鋭いもので、右手にその細身の剣を握り、もう一方の手には短剣が握られている。
突き抜いた後、擦り斬る。
細く長い剣なので、腕が悪ければ、剣が折れてしまうだろう。
それを身の軽さで移動して、頭部を斬り落としている。
「何をしているんです!国から死体はきちんと処分しろと通達がでているでしょうに」
論点がずれている。
と、私は思ったが、兵士はようやく動き出した。
数人がかりで、向かってくる死体を解体していく。
当たり前だが、元は普通の村人だ。その中にグーレゴーアの私兵もいるだろうが、大した相手ではない。
死体に対する忌避感さえ押さえ込めれば、制圧は容易だ。
それに婆様は、彼らを操ってはいないし、彼らに兵士を殺させようとしているのではない。
私もそれはわかっていた。
だから、膝上まできた水をかき分けながら、エリの元へ、ライナルトの元へと向かった。
もちろん、死体と兵士の諍いの間に入っていくことになる。
だが、死体は私を傷つけないので、誤って兵士に斬り殺されないようにゆっくりと歩いた。
水死か毒で死ぬか。
婆様の狙いは、生け贄の量産だ。
だが、腐れた男達は、掃討されつつある。
赤い水をかき分けて進む。
水は腰の位置を越えた。
ライナルトは、エリを抱え上げている。
「サーレル、サーレル!楽しんでないで、こっちへ来てください!」
動きの鈍い死体を切り刻んでいる背中に怒鳴る。
少し、不満げに男は振り返った。
「このままでは、溺れ死にます。溺れなくとも、この水は毒だし、凍えて死ぬ」
水路の水は、冬にしては温度が高く、今の時点では浸かるにも耐えられた。
だが、毒の水を呑むのは避けたい。
「毒なのか!そうとう呑んだし」
サーレルは嫌そうに、口を手で覆った。
「長期に呑まなければ死なないでしょう。それよりも」
私は穴蔵と化した水路を見回す。
呪だ。
青白い光が壁をはしる。
仕掛けそのものは単純だ。
力を溜めて解放する。
天井の壁に向かって放出する様に描かれている。
トゥーラアモンの頭上に、フリュデンと同じ輪を作るのだよ。
急に、私の四肢から力が抜けた。
フリュデンの呪陣よりも強力だ。本来の呪陣だよ。出来損ないが干渉した物じゃない。
浴びた者は、その場で生き腐れるぞ。
「どういう事だ?」
私の問いに、ワタシが答えた。
何、簡単なことさ。
ここにいる人間の命を奪い怨嗟を上乗せするんだ。
そして、アレの毒を混ぜる。
アレは、盗人を許さない。
腹もすいていよう。
昔から、アレを倒すには人間では役不足だ。
収めるには、トゥーラアモンの住人で丁度いい。
さて、どうする?
可哀想な私。
かわいそうだね、ワタシが代わりに生きてやろうか?
笑うワタシに、私は吐いた。
水を飲んだ様だ。
赤黒い水は既に首まで達している。
「サーレル、水に浮けるように体を軽くしろ」
兵士達も金物を脱いだ。
水嵩は増え、浮かびながら渦巻く水に顔を出す。
「出口は、天井の穴ですかね。」
このまま水が増えて溢れるに任せればいい。と、そんな都合の良い話はない。
私の中で、ゲラゲラと腹を抱えて笑う者は知っている。
水嵩が増えて、この部屋一杯になり、あの穴に人間ともども水が押しあがったら。
その先に刃は無くとも、城塞の魔法陣がある。
その魔法陣は人肉を粉砕し、丸ごと毒水と混ぜる。
婆様の仕掛けが、きっと外にあり、それがトゥーラアモンまで運ぶ手筈だ。
「吸い上げられたら、死ぬ。開いている水路を遡る」
「無理ですよ。息が続かないし、私が吐き出されたのみたでしょ。泳いでなんて無理ですよ」
すると、その話を聞いていたように、水に浸かる兵士が数人、巻き上げられた。
水没するまで、まだまだ、時間ありそうだと思っていたのに。
巻き上げられた兵士は、赤黒い水と共に天井に吸い込まれていった。まるで、竜巻に巻き込まれたように。
絶叫が響く。
そして、天井の穴から、残りが落ちてきた。
衣服の切れ端や、骨の欠片。ただ、元々、赤黒い水に見えている私には、ぼたぼたと落ちてくる血はわからない。
「壁に張り付け」
ライナルトが怒鳴る。
慌てて壁の煉瓦に指をかける。だが、一人二人と穴は吸い込んでいく。
皆、それぞれに近くの者の手や腕を掴んで支えた。
その間にも水嵩は増え、巻き上げられる間でもなく、何れ穴に押し上げられるだろう。
私はサーレルと共に、天井を睨んでいた。
彼は短剣を壁に突き立てては、どうにかしようとあがいている。
兵士達も、どこか、逃れられないかと、水に潜り、壁を探る。
ライナルトは、エリを抱えて水をかいていた。
音が消える。
水音も、悲鳴も。
英雄は、間に合わない。
では、何をすべきか?
人を救うには、それなりの代償が伴う。
お前の差し出せるものは何か?
壁にはしる、呪陣を見る。
大がかりである故に、奇妙にも、おかしな繰り返しがある。
数を数えると七つだ。
これは、頭上にあり、地面に落ちた呪陣と同じ構成だ。
呪陣の七つの転換点を思い出す。
「壁から離れては危ない」
サーレルの言葉を背に、私は泳いだ。
吹き荒れる人を浚う波をかき分ける。
七つの転換点の起点を探す。
頭上にある時、一番ゆっくりとした動きだった。
それと同じ小さな丸い円を見つける。
手を当てると、囁きが答えた。
ワタシにお前をよこせ。何、少し、人を殺せばここも落ち着く。
「うるさい、黙れ」
私は、転換点を逆に揃える。古代の文字が軋んで並びを変えた。
一つ力の配列を変えると、次の転換点の動きが鈍る。私は水をかき分けて、同じ手順を繰り返した。
七つ目の転換点を逆にする。
すると、呪陣の動きが一時止まった。
だが、これだけでは駄目だ。
呪陣を更に細かく眺める。
すると、水路の壁にヒビがある。
小さなものだが、呪陣がそこを器用に避けていた。
私が気がつくと、私の中のモノも気がついて笑った。
やれやれ、お前、中々しぶといね