第弐拾話 影の妖狩
酒呑童子との死闘が終わり、まず最初に赴いたのは滋賀にある小さな集落、その妖狩御用達の病院だった。右腕と左目、さすがにそれらの欠損は治らなかったが、全身の浅い傷や骨折は入院生活で完治した。
酒呑童子との戦い、アレは彼の生き様そのものだった気がする。王だから、赴くままに、好きなように戦う。負けそうになれば、矜持も捨てて勝ちにいく。彼なりの王道、それがあったからこそ、香織は生き返ることができた。
香織があのまま死んでいれば、戦いに勝っても私の負けだった。その点では、感謝もある。……いや、プラマイゼロだな。やはり感謝はしないでおこう。
「うぉお! 飛鳥、退院おめでとー!」
「ふふ、大袈裟な。……ありがとうございます」
対する香織は驚くほどの健康体。当然だ。一度酒呑童子が乗り移ったのだから。その後遺症もないようだし、むしろ羨ましいくらいだ。
それから変化があったことと言えば大きく二つ。一つは狩連の再発足、それからもう一つが妖狩の世界の在り方の変化。
まず狩連、これは言うまでもない。本部のある京都が崩壊し、もはや形を成さなくなったのだ。私たちが龍と酒呑童子を討伐したことが功を奏し、向こうの方から助けを求めてきた。退院してから数ヶ月、香織にサポートをしてもらいつつ、やっとのことで本部を立て直した。
土地は大結界のない静岡の平原。それを新しい結界で隠し、一般人は出入りできない街を作った。実際、それが形になるのはまだ少し先の話だが、覇境という最高位に至った「天嶺飛鳥」という名が、日本中の妖狩を束ねる結果になった。だから結局、ある程度の形になってからは私は名を貸していただけだ。一度やって気づいたが、やはり私は運営や統治には向いていない。
そして妖狩の世界の在り方の変化、これが一番大きな変化だろう。というのも、たった一日のうちに京都という大きな都市が滅んだのだ。もはや誤魔化せるものではなかった。結果、世界中に妖と妖狩という超常の存在が世界中に知らされることとなった。もちろん、妖や力を認識できるわけではない。ただ、不思議な力があると、それだけが周知された。
と、まぁ他にも色々と小さな変化はあったのだけれど、それを全て語る必要もない。ただ少し、少しだけ、私たちの生き方が変わったというだけ。良いか悪いか、将来どうなるかは分からないけれど、少なくとも今は、確かに前進している気がする。
「——というわけで、これが私の経験です。みんなとは違う生き方をしてきたし、これからもしていくと思います。でも、それでも仲良くしてくれたら……」
「もちろんだよ、飛鳥ちゃん!」
「可愛いよー! 飛鳥ちゃん!」
場所は東京の某所。私の姿は白いシャツ、ブレザーに黒いスカート。原稿用紙を持った私は、黒板を背に拍手に包まれていた。
「へへっ、ありがとうございます」
新しい狩連は、妖狩が普通の学校に通うことを許した。妖狩の育成機関には通う必要があるが、教育機関にも通うことができるようになったのだ。私は昔から「学校」というものには関われなかったから、こういうのは目新しい気分だ。慣れないこの服装も、金の髪とメガネをかけていればそれなりに映える……気がする。
「ねぇねぇ、噂で聞いたんだけどさ。飛鳥ちゃんって結構有名人だったりするの? その界隈ではさ」
「……ふふ、どうでしょう。見ての通り負傷兵ですから」
「ねぇ、妖ってどんな見た目なの?」
「色んな種がありますからね……」
一日の終わりを告げるチャイムが鳴った。外はすっかり赤く落ちている。初めはみんな、片腕と片目のない私に戸惑っていたけれど、今ではすっかり馴染んでくれた。ときどき、近くの店でスイーツを食べたり、あるいは服屋に遊びに行ったり。私らしくはないけれど、なかなか楽しいものだった。……いや、すごくすごく、楽しかった。
「おーい、飛鳥ー」
「っ! 香織! 今行きます!」
廊下から名を呼ぶ声に、私の表情は一層明るくなった。クラスのみんなと遊ぶのは楽しいけれど、結局のところ私は彼と二人でいる時間が一番好きだ。ウサギのキーホルダーのついた鞄を抱え、席を立つ。
「……あの二人ってデキてるよね」
「ね」
周りの喧騒を置き去りに、私は香織に飛びついた。周りからどう言われても関係ない。私の大好きな人、私のことが大好きな人。それだけで十分だから。
「今日も圭さんのところに行くの?」
「えぇ。でも……その前にちょっと」
階段を下り、昇降口を出た。ほんのり赤らんだ西の空。雲一つない……わけではないが、確かに晴れた空。坂のある道を上り、そして下り。決して大きくはない墓地に膝を折った。
「……あ、この前飛鳥が狩連に頼んでた……」
「……京都は潰れてしまいましたから」
そこに刻まれているのは四つの名。燐堂雷玄、天嶺涼、天嶺聖奈。……そして鳴雷奈々生。私を支えてくれた人たち。私の大切な人たち。……守ってくれた人たち。
「改めて! みんなにね、紹介したい人がいるんだ。雷玄さんは知ってるだろうけど、ママとパパ、奈々生は知らないからさ。奈々生は嫉妬しないでよね? 私にとっては今でも奈々生は大切だからさ」
いつもより少し、高い声。不思議と口調も変わっていた。どうしてかな。普段から何も、気にしているわけではないのだけれど……彼らの前に立つと、背伸びしていた踵を無理やり地面につけられている気分だ。でもそれが、心地良くもある。……かな。
墓石を前に、私は色んなことを話した。父と母が亡くなってからのこと、奈々生が亡くなってからのこと。香織と出会って、香織と乗り越えたこと。香織の性格。良いところ、悪いところ。支えなきゃって、支えてほしいなって……。
「……だから見守っててよ。私たちを……お願いね」
右手がないから合掌はできないけれど、それでも気持ちが天国まで伝わるように……。ふふ、天国なんてあるのかな。分からないけど、あった方が嬉しいよね。
「……飛鳥」
「ひゃっ、か……香織?」
背後から、香織が右手を、私の左手と合わせてくれた。歪……だけれど、確かに合掌はできている。香織ってこんなに大胆だったか。……と思うと、数秒してから彼は私の隣に座り直した。真剣な眼差しで、でも彼をよく知っている私からしたら、どこか頼りなく、頼りたくなる眼差しで。
「柳香織と言います。飛鳥には助けられてばっかりだけど……いつかちゃんと、僕が彼女を助けられるくらい強く……強くなりますので。……だから安心して、どうか見守っていてください」
「香織……っ」
私を守れるほど強く、それがどれほど途方もないことか。どれだけ無謀で……どれだけ嬉しいことか。すでに助けられているというのに……でも彼の頑張りを止めたくない。
「……また来るね、みんな。ありがとう、おやすみ。……さっ、行こ! 香織!」
そこを去る足取りは重く、軽かった。圭の喫茶店に向かう途中、私たちの会話は多かったわけではない。無言でもなかったが、心地良いくらいの静寂。近所の夕ご飯だろうか、煮物の匂いを楽しめるくらい、とにかく落ち着いていた。
「いらっしゃ……おぉ、飛鳥か! 香織も、よく来たね」
「うん、墓参りも終わりましたから」
「そうか、まぁま! 座れ座れ」
促されるように、圭の目の前の席に座った。木の香り、奥から溢れる甘い匂いと、コーヒーの渋い匂い。落ち着くような、楽しみを感じるような。
「しかし驚いたよなぁ。規定違反の『戦闘兵器』とそいつの庇った少年が……強くなったもんだ」
「ふふ、何を今さら。……アレ以来、会えないと思っていましたか?」
「そうだな、会うつもりはなかったよ。あんたが死ぬのは知りたくなかったから……まさか狩連の方が滅ぶなんざ、予想しないよ」
「ははっ、でしょうね! 私も同じですよ」
圭の言葉に、私は思わず吹き出してしまった。そうだよな。そうだよ。波瀾万丈、そんな言葉が似合う旅だった。よもや東京に帰ってくるなんて、思いもしなかったけれど……でも結果オーライってことでいいかな。
「でも、『戦闘兵器』なんて言わないでくださいよ。私の二つ名、今は違うでしょう?」
「なんだ、気に入ってるのか?」
「……えぇ、もちろん。誉れですもの」
酒呑童子を討った妖狩。妖の祖だとか、王だとか言われるが……何より、「影の妖」酒呑童子を討った妖狩の称号。まず間違いなく、最強を表す……父と母が死後に得た二つ名と同じ。
「そうだ。夕ご飯、食べてかない? 何かリクエストがあれば作るが……」
「僕は飛鳥に任せるよ。あ、でもなかったら僕が決めるけど」
「おい、香織。飛鳥に任せたらケーキになるぞ」
「ははっ、それもそうですね」
香織と圭が私をいじって笑う声。不快はない。そりゃあそうだろう。私に食事のことを聞けばそうなると。……むしろよく、私のことを知ってくれていると感心する。でも……本当の、本来の私のことも知ってほしいな。特に香織には……。
「あの……圭」
「うん?」
「よかったら、ハンバーグ……お願いしてもいいですか?」
「お、おぉ! あんたがリクエストなんて……あるもんだな」
圭の目が開かれ、分かりやすく驚愕していた。目が点になる、とはこのことだろう。こんなことで点になってもらっても困るが。……仕方ないか。
「珍しいね、飛鳥」
「ふふっ、そうですね。好きなんです」
「へぇ……初めて聞いた」
「……初めて言ったもん」
ママ、パパ。雷玄さん。……奈々生。私は今、幸せだよ。色んなことがあった。辛いこと、苦しいこと。泣きたいこと……死にたくもなった。それでも、それらを経て……私は今を生きている。兵器じゃないし、今この瞬間は妖狩でもない。ただの十七歳の女の子。確かに幸せを感じています。




