第壱話 戦闘兵器
日本には、妖がいる。それは影の世界に生まれた存在。古来より存在はしたが、特に平安の時代から多く出現を始めたと言われ、江戸の時代には全盛となった。そしてその数はどれだけ殺しても減ることはなかった。
時は現代、東京。人間同士の争いによって日本はほとんど崩壊したものの、数少ない、人の住む土地だ。実際には妖との争いによるものもあるのだが、原因などはどうだっていい。
ここは妖の気配も少なくはないが、しばし人の気も多い。影を使うにもそう簡単ではない。妖狩にとって、一番厄介なのは人間かもしれないな。
「ねぇ、飛鳥。あんたさ、やっぱり狩連には戻らないわけ?」
「当然です。組織に入っていては動きが鈍くなる。より早く、大量に妖を殺すとなると、フリーの方がいいんですよ」
「相変わらず、戦闘兵器だね」
狩連とは、妖狩連盟、その名の通り妖狩が集まった、いわゆる裏の組織なわけだが。規則が多く、目の前の妖を殺すには少々の足枷となる。
私、天嶺飛鳥は、ただひたすらに妖を狩るのが宿命だった。指示を受け、計画を立てるなど、性には合わない。ただ目の前の怪物を殺し、殺し尽くすだけ。
「……そろそろお暇させてもらいます。妖が出そうなので」
「よく分かるね。野生の勘ってところかい? お代は半額でいいよ。その哀れな価値観に免じてね」
「感謝します。……ではまた、圭。今日のケーキも美味しかったです」
「あんた、本当にケーキ好きね」
私が京都を飛び出してから七年ほどが経過した。東京の妖を殺し、時折り圭の営む喫茶店で疲れを流す。
そもそも妖というのは、人の思念の塊だ。人が何かを思えば思うほどに、妖の数と質は上昇する。そのくせ時代が新しくなればなるほどに、妖狩は少なくなっていく。当然だ。血の匂いも遠くなり、戦える者など消えゆくのだから。
「……学生ですか」
道行く高校生を横目に一息零した。私も妖狩などでなければ、今頃あの者達と同じように、輝かしい青春を送っていたろうに。もっとも、それを悲しむ心などとうに失くしてしまったが。
「……現れたましたね」
西に一キロほど、妖力が溢れ出した。階級で言えばただの兵境、王境の私ならば苦戦するような相手でもない。しかし東京、犠牲も少なくはないだろう。
硬いアスファルトを蹴りながら、やや上り坂な道路を駆け上がった。都会の道は走りやすい。加えて高層ビルも多いから、影も濃く妖狩には好条件だ。
「ん……?」
いつの間にか、私の周辺……いや、この一帯が影に沈んでいた。なるほど、妖力をこの範囲に集中させていたのか。ならば兵境などではなかろうが、より好都合。私がわざわざ影界、つまり認識阻害の結界を張る必要もなくなった。
漂うのは血の香り、抉れた肉と砕けた骨が散乱している。申し訳ない、という感情も湧き出てはこない。十か二十か、ただそこで、人が殺されていたというだけ。
「妖虎か」
全長二メートル程度、大きな口だけの醜い顔面。妖力からするに将境の下位といったところか。敵ではないな。とっととその首を落として他の妖も殺さねば。
「さぁ、仕事の時間です」
「来い!『影冥刀』」
「グルル……ルァ?」
背筋の凍るような悪寒と共に影が揺らぎ、そこから取り出したのは一振りの黒い刀。妖狩が扱う、心の影が形成する『虚影』と呼ばれる武器。妖力を……影を纏った私の虚影・影冥刀は治癒も補助能力もない。ただ妖を殺すことに特化した、影をも斬り刻む刃。
「グル……クック……」
「さて、あなたを……?」
違和感。妖虎の意識は私に向いていない。目の前に死があるというのに、その意識の向く方向は私ではなく、その背後……。
「……っ! 妖め……!」
「グギャウ!」
「ひっ……!」
高校生、恐らく私とさほど歳の変わらぬであろう少年がそこにいた。まだ生き残りがいたとは……。確かにこの妖には目がない。血の匂いが充満していれば生き残りがいても見つけるのには時間がかかるか……。
「影閃!」
「グッ……!?」
「くっ……」
妖虎の前脚を斬り落とし、その少年を抱えて少々の距離を取った。まったく……なぜこうもつまらぬ命を助けてしまうのか。どうせ助けたところで、この者が他人を助けることはないだろうに。
「あ……ありが……」
「黙りなさい。あなたは黙ってそこに座り込んで」
「で、でも傷が……!」
「この程度、傷とは呼びません」
すれ違いざまに肩を削られたのか。こんな程度の妖に手傷を負わされるなど……あってはならない恥だ。そしてそれ以上に……。
「ふぅ……」
「グッグッ……ガ!」
「闇堕!」
懐から刃を一振り、妖虎の身体は崩壊し、影に沈んだ。魂……と言うべきなのかも分からないが、妖が死せば肉体を維持できず、影にその肉体を溶かすのだ。
「はぁ……」
妖虎の展開していた結界も共に崩れ去り、私たちはすっかり明るい世界に放り出された。面倒な戦いだった。弱い敵のくせして……いや、今はいいか。
「少年、私のことは忘れてください。どうせ何が起こったかなど知らないでしょうが……」
「ま、待って! なんなのさ! あの怪物は!」
「……っ。見えていたんで……」
普通の人間は妖を認知することはできない。そもそも、あれほどの妖力に耐えることなどできない。……妖が見えているならば、無意識ながらに妖力を保有しているということか。そうなるとまた話が変わってきてしまう。
「……少年、話があります。大事な話です。ついてきて」
「なっ……ちょっ!」
「あなたに拒否権はない」
うるさい少年だ。厄介なことになったものだ。……? いや、何も厄介なことなどないはずだ。私は……私は何をしようとしてる? 何を感じている? なぜ今、ここで……。
「あなたが見た怪物、アレは妖という。影の世界の住人、人の思念によって生まれる存在です。そして私は妖狩、アレを殺す存在」
「あ……アヤカシ?」
「妖は妖力を持つ者、つまり妖狩でなければその存在を認知することはできません。妖力とは心の影の力……」
「ま、待ってください! 一体、何がなんだか……」
勘の悪い。さっき目の前で見ていただろうに……いや、それも仕方ないか。つい先ほどまでは量産型の男子高校生だったのだろうから。超常の怪物など信じられんか。
「圭、申し訳ない。また少し席を借りる」
「っ! 飛鳥! あんた、怪我してるじゃん!」
「この程度、何の問題もありません」
「問題ないって……。まぁ……あんたがそう言うなら何も言わないがさ……」
よもや一日に二度も、この喫茶店にやって来ることになるとは……。こんなことをしている暇もないのだが……いや、もはやどうでもいいか。
「改めて……妖力を持つ者は妖狩と言われる。しかし、力をコントロールできなければ、その妖力を喰いに妖が寄ってきてしまう。まぁ、ただの餌だとでも思っておけば構いません」
「……」
「つまり、妖力をコントロールできない妖狩は殺すのが決まりなんです。あなたが戦うだけの力を持ってるなら別ですが」
「そんな……! なんで……僕は襲われただけじゃないか……。どうして……!」
息を詰まらせながら、吐き気を抑えながら言葉を紡ぐその様をただ黙って見つめていた。なんだ……この苛立ちは。彼の弱さにか? いや……。
「……私は飛鳥、天嶺飛鳥です。あなた、名は?」
「……柳……香織……」
「女々しいのはその性格だけじゃないのですか」
……私は今、何を言おうとしている? それは、あってはならないぞ。好物も何も知らないような少年……香織のために、それだけはダメだ……。
「香織、あなたが妖力を扱えるようになるまで……いや、妖と戦えるようになるまで、私があなたを守ります」
「……え?」
……私は何を言っているんだ。それは狩連の規定違反、つまり狙われることになる。なぜ私は、会って間もない男のために命を賭けようとしているのか……。分からない、分からないが……。
「妖狩は血に塗れた仕事です。狩連に所属しなかったら稼ぎも簡単ではないし、フリーの妖狩なんて力がなければただ死ぬだけ」
「……それなら……」
「さっきも言いましたがあなた、狩連に行ったら死にますよ」
「……っ」
香織はまだ妖力を得ただけ、虚影を取り出せなければ扱えもしない。規則に則り、確実に殺される。兵境の雑魚にすら手も足も出ないはずだ。
「でも、狩連? だって……もっと戦力を成長させたいんじゃ……」
「……まともな組織なら、ですね」
妖力を扱える者は少ない。それこそ古くから妖狩を生業としている家を除けば、一切ないと言っても過言ではないほどに。
だからこそ、現代に生まれた妖狩は貴重なはずだ。しかしそれ以上に、その害を嫌っている。訓練場にわざわざ妖の餌を置いて、それを将境か、あるいは王境の妖が喰いに来る、なんてことはあってはならないからだ。
「しかし合理的だとも言えます。狩りに情など不要、狩人を減らさないために餌は先に消す、というのはね」
妖力を扱えない妖狩を殺す、そのおかげで一部が生き残り、強い妖狩に成長するのも事実。そして妖に襲われる人が減るのも事実。確かに非情ではあるが必要な組織だ。
「選びなさい。妖力の扱えない、ただの妖の餌としてここで私に殺されるか。あるいは妖狩になるべく、私とともに地獄を歩くか」
私はバカだ。同情心も、哀れみも、ずっと昔に捨てたろうに。……いや、失ったはずなのに。どうして香織を見捨てられないのか、それはたぶん、今の私のようになってほしくないからだ。幸せな道を生きてほしいからだ。
「分かんないけど……選択肢がないじゃないか。……行くよ。行かせてくれ、飛鳥。僕を妖狩の世界に……」
「えぇ、分かりました」
もっとも、ここからどう転んだとしても、幸せな道などなかろうが。せめて生き抜く道を、私が歩かせてやろう。
「まずはここを離れます。情報などどこから漏れるか分かりませんから。そういうわけですので、圭。申し訳ないけど、あなたを信用します」
「……あぁ、そうだね。あたしは何も見ちゃいない。だからせめて、二度とここに戻ってくるんじゃないよ」
「世話になる」
圭とは長い付き合いだった。東京で右も左も分からぬ私の手を引いてくれて……。心の底では感謝の情も別れの悲しみも湧いてはこないが、少なくとも彼女がいなかったら私はどこかで野垂れ死んでいたことだろう。
「香織、東京を出たことはありますか?」
「ないよ。だって周りはどこも荒廃してるし、危険だって言うじゃないか。……もしかして……」
「はい、東京の周りは妖が蔓延ってます。一般市民は知らないでしょうが」
「……なんでこの辺は無事なの?」
「……それはまた後で話します。今は一旦結界を出てしまおう」
東京の中心を囲う、半径五十キロ程度の超大型結界。それは妖力で張ることができる最大規模の魔除けの結界だ。これがあるから外から妖が侵入せることはないし、妖が結界内に現れることも少ない。
私たち妖狩はこの結界外の妖を狩ることが主な任務なのだ。だからこそ、今回のように結界内に妖が現れた場合は私のようなフリーの者でないとスムーズには動けない。
「……これから待っているのは過酷なものです。死にたくなったら言いなさい。私が殺してやる」
「……優しいのか優しくないのか、分かんないよ。飛鳥……」
「でしょうね。優しさなどとうに捨てた」
それは本心だ。が、事実かどうかは分からなかった。確かに私の感情や人を慮る情などはずっと昔に失ったものだと思っていた。けれど今、私が香織に向けているそれは、昔失ったものの片鱗だとも思う。




