魔法書について
学園へ戻る頃には、空はすっかり夜色へと変わっていた。
寮の談話室には暖かな灯りがともり、静かな紅茶の香りが漂っている。
ソファでは、レオとアリスが優雅にティーカップを傾けていた。
レオはいつものように落ち着いた表情で脚を組み、アリスは上品な所作で紅茶を口に運んでいる。その光景だけで、談話室全体がどこか高級なラウンジのような雰囲気になっていた。
「ただいま戻りました」
ルカが声をかけると、アリスが穏やかに微笑む。
「お帰りなさい。街はいかがでしたか?」
「とても新鮮で楽しかったです。マリアさんに紹介してもらった魔道具ショップも凄く良かったです!」
その言葉を聞いた瞬間、レオがふっと笑った。
「あぁ、“ハートプリティパラダイス”の店主か。……納得だな」
「納得?」
首を傾げるルカに、レオは静かに視線を向ける。
「以前より魔力の質が高まっている。恐らくあの店主に何かされたんだろう」
「な、何かされたって言い方怖いんだけど!?」
アクアが慌ててツッコミを入れる。
レオは紅茶を一口飲みながら淡々と続けた。
「だが悪い変化ではない。魔力の流れが以前より滑らかだ」
ルカ自身も、どこか身体の内側が軽くなったような感覚はあった。
そんな中、レオの視線がルカの抱えていた本へ向けられる。
「……それはなんだ?」
ルカは少し迷いながらも、テーブルの上へその本を置いた。
古びた装丁。
深い紺色の表紙。
そして刻まれた見知らぬ紋様。
「古書堂で見つけた古代文字の魔法書です。触れた瞬間、俺の魔力と共鳴して……もしかしたら、自分の魔法に関係するものかもしれないと思って」
その言葉に、アリスの目がわずかに細められる。
「……なるほど」
彼女は静かに本を見つめたあと、ゆっくりと口を開いた。
「その古書……もしかすると、あなた自身の魔法に関する“魔法書”なのかもしれませんね」
「魔法書……?」
談話室には静かな空気が流れていた。
テーブルの中央に置かれた古びた魔法書は、まるでそこだけ異質な存在感を放っている。
誰も触れていないにも関わらず、時折その表紙に刻まれた紋様が淡く脈打つように光っていた。
ルカは無意識に息を呑む。
「……やっぱり普通の本じゃないんですね」
その呟きに、アリスは静かに頷いた。
「ええ。恐らく“継承型魔法書”に近い存在でしょう」
「継承型……?」
聞き慣れない言葉に、アクアが首を傾げる。
アリスは指先でカップをなぞりながら説明を続けた。
「古代の魔法使いたちは、自身の研究、知識、魔法理論、あるいは秘術そのものを一冊の魔法書へ封じ込めることがありました」
レオも静かに口を開く。
「強力な魔法ほど口伝では残せない。故に“選ばれた者だけが読める形”で後世へ遺した」
ルカは再び本へ視線を落とした。
古びているはずなのに、不思議と朽ちた感じがしない。
まるで長い眠りについていただけのようだった。
「じゃあ……この本を残した人がいるってことか?」
「可能性は高いですね」
アリスは静かに頷く。
「そして魔法書があなたの魔力へ反応した以上、少なくとも“適性がある”と判断されたのでしょう」
「適性……」
「魔法書は持ち主を選びます」
その言葉に、談話室の空気が少しだけ張り詰めた。
「適性のない者が開いても、ただの古い本にしか見えません。中には拒絶反応を起こし、精神を壊される危険な魔法書も存在します」
「怖っ!?」
アクアが素っ頓狂な声を上げる。
だがアリスは冗談を言っている様子ではなかった。
「特に古代魔法文明期の魔法書は危険です。当時は現代より遥かに高度な魔法技術が存在していたと言われていますから」
レオが腕を組む。
「今では失われた属性や体系も多い。夜魔法もその一つかもしれんな」
ルカの胸がざわついた。
夜魔法。
自分だけの、得体の知れない力。
「この本……もしかして夜魔法について書かれてるのかな」
そう呟いた瞬間――
パラ……。
誰も触れていないはずのページが、一枚だけ勝手にめくれた。
「っ!?」
アクアが飛び上がる。
ルカの瞳が見開かれる。
開かれたページには、複雑な古代文字と共に、月のような紋章が描かれていた。
そしてその瞬間、本が再び淡く光を放つ。
ルカの魔力が呼応するように揺れた。
ズクン――。
胸の奥が熱く脈打つ。
まるで本が何かを語りかけてくるようだった。
「……なるほど」
レオが静かに目を細める。
「完全に認識されているな」
「認識?」
「魔法書側がルカを“継承者候補”として見始めている」
アクアは青ざめた。
「候補ってなんか怖いんだけど!? 呪われたりしないよな!?」
「可能性はある」
「あるの!?」
即答するレオにアクアが悲鳴を上げる。
しかしアリスは少しだけ微笑んだ。
「安心してください。少なくとも今のところ、敵意は感じません」
「今のところって付けるのやめてもらえます!?」
アクアは半泣きである。
ルカはそんなやり取りを聞きながらも、本から目を離せなかった。
不思議と怖くはなかった。
むしろ――知りたい。
この本に何が記されているのか。
夜魔法とは何なのか。
自分自身の力とは、一体何なのか。
その答えが、この本の先にある気がした。
ルカはそっと表紙へ触れる。
すると、かすかに温もりが返ってきた。
まるで長い年月を経て、ようやく主を見つけたかのように。
ルカが呟く。
アリスはティーカップを置き、静かに説明を続けた。
「高位の魔法書には、古代文字による封印が施されていることがあります。誰にでも読めてしまえば、魔法書としての意味がありませんから」
静かな声が談話室に響く。
「解読には“ピース”となる知識や条件が必要です。古代文字の知識、魔力波長、血筋、属性……様々な要素が噛み合って初めて読むことができます」
アクアが驚いたように目を丸くした。
「そんな複雑なのか……」
「ええ。中には何十年とかけても解読できない者もいます」
そう言ってアリスは、ゆっくりとルカを見る。
「特にあなたのような“レアな魔法”の持ち主であれば尚更です」
ルカは無意識に本を握りしめていた。
自分の魔法。
夜魔法。
まだ何もわかっていない未知の力。
その答えが、この本の中にあるのかもしれない。
アリスは静かに微笑む。
「ですが――もし解読できた暁には、あなたの魔法への理解は飛躍的に深まるでしょう」
一拍置き、紅茶を口に含む。
「更なる成長も期待できます」
その言葉に、ルカの胸が小さく高鳴った。
未知への不安。
そして、それ以上の期待。
ルカは膝の上の魔法書へ視線を落とす。
(……俺の魔法の秘密が、この中にあるのかもしれない)
すると隣から、明るい声が響いた。
「大丈夫だって!」
アクアがニカッと笑う。
「解読、俺もいつまででも付き合うよ!」
「アクア……」
「図書館も行くし、読めそうな人探すし、徹夜だってしてやる!」
「最後のは嫌だな……」
思わず苦笑するルカ。
その表情を見て、アクアも嬉しそうに笑った。
未知の魔法書。
解読不能の古代文字。
先の見えない道ではある。
だが――一人ではない。
そう思えたことで、ルカの胸にあった不安は少しだけ和らいでいた。




