第18話 騎士
夜明け前のガルドレアを、馬の蹄が叩く。
小隊は七人。先頭を走るガレス、俺とアリア、レオ、それから騎士見習いが三人。俺とアリアはペア。レオを含む他の騎士見習いはカルテットだ。全員が紫紺の外套を羽織っていて、朝もやの中にその色が揺れている。見送りはない。ヴォリトは門の前に立って俺たちを一瞥しただけで、何も言わずに背を向けた。
ガルドレアの門を抜けると、北部の街道が南に向かって真っ直ぐ伸びている。見慣れた石畳の街並みが遠ざかっていくのを振り返りそうになって、やめた。振り返るのは帰ってきてからでいい。
「ソラ、前に出すぎだ。隊列を崩すな」
ガレスが先頭から振り返って声をかけてくる。気づけば俺の馬だけ前に飛び出していた。
「悪い」
「南部まで一週間はかかる。初日で馬を潰されたら困る」
「一週間もかかるのか?」
「当たり前だ。国の端から端だぞ。ペースは俺に合わせろ」
手綱を引いてペースを落とす。この国がどれだけ広いのか、孤児院にいた頃は考えたこともなかった。ガルドレアが俺の世界の全部で、あの裏庭が俺の戦場の全部だった。それが今、国の反対側まで馬を走らせている。
♢
初日の昼、街道沿いの草原で馬を休ませている間に、荷から木剣を取り出して素振りを始める。
じっとしていられない。馬の上に何時間も座っているのが、剣を振るより遥かに辛い。腰が痛くなるし、手が暇になるし、何より体がなまる気がしてたまらない。
「休憩中に素振りする奴は初めて見たぞ」
レオが呆れた顔で水袋を傾けながら言う。
「座ってるだけだと体が鈍る」
「お前の体は鈍らないだろ。一時間くらいで」
「一時間でも鈍る」
レオがため息をつく。でもそのうち一人、二人と立ち上がって自分の木剣を取り出し始める。レオが「お前のせいだぞ」とぼやきながら自分も木剣を手に取ったのを見て、少し笑えてくる。
「せっかくだ、手合わせするか」
レオに声をかけると、「休憩が終わるだろ」と文句を言いながらも構えを取る。他の見習いたちも打ち込みを始めて、いつの間にか草原が訓練場になっている。
木の幹にもたれて見ていたガレスが、途中から立ち上がって俺たちの手合わせを覗き込む。
「ソラ、踏み込みが深すぎる。獣人相手にそれだと、引き際が遅れて捕まるぞ」
「捕まらない」
「捕まるって言ってんだ。獣人は人間より腕が長い。お前の間合いで振ったら、抜ける前に掴まれる。浅く踏んで、速く抜けろ」
実戦を知っている者の言葉には重さがある。ガレスは獣人と戦ったことがあるのだろう。言われた通り踏み込みを浅くしてみると、確かに体の引きが速くなる。代わりに一撃の威力は落ちるが、それは魔力で補えばいい。
「そうだ。それでいい。威力が足りなきゃ天翔纏で上乗せしろ」
ガレスが頷いて、また木の幹に戻っていく。教え方が押しつけがましくなくて、必要なことだけ言って引く。この人がヴォリトの部隊で十年やってこられた理由がわかる気がする。
手合わせの後、レオが少し離れた場所で手のひらを前に突き出している。目を閉じて、息を整えて――指先に小さな炎が灯る。拳大ほどの火の玉が宙に浮かんで、数秒で消えた。
「おお、今のは長く持ったな」
声をかけると、レオが額の汗を拭きながら振り返る。
「まだ初級の火魔法しか使えないけどな。お前やアリアみたいに纏える気がしない」
「纏うのってそんなに難しいのか」
「難しいなんてもんじゃない。纏系の魔法は制御の難しさと、魔力の消費が桁違い。だから、使える奴はほんの一握りだって聞いたぞ。お前とアリアが平然とやってるのがおかしいんだ」
平然とやっている自覚はない。天翔纏は朝晩必死で練っているし、アリアだって聖翼纏を維持するのに相当な集中力を使っているはずだ。でもレオから見たら、そう見えるのか。
「俺は俺のやり方でいくさ。火属性なら火属性の戦い方がある」
レオがもう一度手のひらを突き出して、今度はさっきより少し大きな炎を灯す。揺れながらも俺たちの周囲をゆっくりと旋回してから風に散る。
「それにさ、南部に行ったら炎獄星将を見られるかもしれないだろ。同じ火属性の星将がどう戦うのか、この目で見てみたいんだ」
レオの目が輝いている。自分と同じ属性の星将がどう戦うのか、それを知りたいという気持ちはわかる。俺だって天属性の奴がいたら見てみたいが、あいにくいないと聞く。
「見るだけじゃなくて、盗めるだけ盗んでこいよ」
「言われなくてもそのつもりだ!」
レオが笑って、拳を突き出してくる。俺もそれに拳を合わせた。
♢
三日目の午後、馬を並べて走りながらアリアに聞く。
「なあ、ヴォリトって騎士を何人抱えてるんだ」
「五百人以上よ」
「五百人!?」
「そう、今の轟雷星将軍は星柱が二人、騎柱が十人、上位騎士が五十人、騎士が五百人ってところね。星将の中では最も多いわ」
想像がつかない。俺が毎日顔を合わせていたのは騎士見習いと、屋敷に詰めている数人の騎士だけだった。残りは北部国境に散らばって、帝国への警戒に当たっている。五百人以上の騎士を束ねて、そのほとんどを顔も見ないまま指揮しているということか。
「星将というのは、ただ強いだけじゃなれないの。五百人の騎士を束ねて、万の軍勢を指揮できる器がなければいけない。戦うだけじゃなくて、育てて、導いて、守る。それが星将よ」
「育てる、か」
「そう。騎士も同じ。騎士になったら、今度は従士や見習いを育てなければいけない。自分が強いだけじゃ、騎士止まり。その上に行きたければ、人を育てられるようにならなければならないの」
「育てなきゃ上がれないのか?」
「そうよ、もちろん武功も求められるけどね」
人を育てる。正直、考えたこともなかった。俺はずっと自分が強くなることだけを考えて、剣を振り続けてきた。
「お前が俺に色々教えてくれるのも、そういうことか」
アリアが少し黙る。風が銀髪を揺らして、黒い髪留めがちらりと光る。
「……半分はそうよ。私もいずれ騎士になる。その時に人を導ける力がなければ、上にはいけない。あなたに文字を教えて、知識を教えて、戦い方を教えてきたのは、あなたのためだけじゃない。私自身の修行でもあるの」
「半分は?」
「残りの半分は……余計なお世話よ」
素直じゃないな、と思ったが口には出さない。でもアリアが「半分」と言ったことは覚えておこうと思う。
「だから下積みを大切にしなさい。武具の手入れも、馬の世話も、報告書も、全部意味がある。一人で強くなるだけなら、あなたは孤児院の裏庭にいればよかった。ここにいるのは、それだけじゃ足りないからでしょう」
言い返せない。アリアの言うことはいつも正しくて、それが悔しいのと、ありがたいのが半々だ。
「……覚えとく」
「覚えるだけじゃだめ。やりなさい」
「やる」
「本当に?」
「やるって言ってる」
アリアがため息をつく。でも目の奥は笑っていた。
♢
四日目の夕方、街道の分岐点で別の部隊と合流する。
五十、六十人ほどの一団だ。中には騎士と思われる者が二十名。他は纏う雰囲気からして見習い。統一された外套は着ておらず、装備もばらばら。星将に属さない一般の騎士たちで、王国の各地から召集されて南部に向かっているのではないかと、隣でアリアが教えてくれた。
「あんたらは?」
一団を率いている三十代くらいの騎士が声をかけてくる。俺たちの紫紺の外套に視線が止まって、少し目を見開く。
「轟雷星将の部隊だ。南部の合同作戦に参加する」
ガレスが前に出て答える。上位騎士としての落ち着いた物腰で、背中の雷の紋様が日を受けて浮き上がっている。ガレスの胸に光る徽章を見ると、騎士たちの顔が引き締まる。
「轟雷星将の部隊は上位騎士も参加するのか……騎士以上は一人か?」
「ああ。本隊は北部の国境警備を解けない。俺と見習いの小隊だ」
騎士の目に怪訝な色が浮かぶ。
「……いくら上位騎士とは言え、一人か」
それ以上は言わなかったが、後ろの騎士や見習いたちがざわついているのは聞こえる。どうやら俺たちを侮っているようだ。
合流してその日の夕方、野営の準備を終えた後に騎士たちが訓練を始める。木剣を持ち出して、二人一組で打ち込みをしている。中には見習いに稽古をつける騎士もいたが、見習の動きはてんでダメ。しかし、騎士はさすがに実戦を経ている動きで、踏み込みの深さも振りの鋭さも見習いとは一線を画している。
が、俺はその上をいく。
荷から木剣を取り出して、騎士たちの隣で素振りを始める。一振りに力を込めて、速く、鋭く。騎士たちの動きに負けたくないという気持ちが自然と腕に乗る。
騎士の一人がこちらを見て、目を細める。
「見習いにしちゃ、いい振りをするな」
声をかけられたが、振りを止めずに答える。
「見習いだからって弱い理由にはならない」
騎士が鼻で笑う。だがその後、素振りの速度を少し上げたのが見えた。負けるつもりはないということか。上等だ! こっちも合わせて速度を上げる。いつの間にか俺と騎士の何人かが、木剣の音を競い合うように響かせていた。
結果は俺の勝ち!
騎士が先に剣を置く。平静を装ってはいるが、息が上がっているのは明らかだった。それに同じ時間素振りをしても、俺のほうが振った回数は圧倒的に多い。それだけ俺の剣の方が速いということだ。
素振りの後、騎士たちの何人かが魔法の確認を始める。火属性の騎士が人の頭の炎を放ち、風属性の騎士が刃のような風を木立に叩き込む。見せつけているつもりはないのかもしれないが、見習いの前で堂々とやっている以上、示威の意味はあるだろう。レオが横で「あの火、俺のよりでかい……」と悔しそうに呟いている。
確かに同じ魔法でもレオのよりはでかいし、精度も高い。自由自在とまではいかないが、人の頭の大きさほどの火の玉が動き回っている。だが纏系の魔法を使っている者は一人もいない。レオが言っていた通り、纏系は一握りの者にしか扱えない領域らしい。
そこに、白銀の光が灯る。
草原の端で、アリアが静かに【聖翼纏】を展開していた。白銀の光が全身を包み込み、翼のような魔力が背中に広がる。纏った状態で木剣の型を繰り返す。展開の速さ、光の安定感、動きの滑らかさ。さっきまで火や風を放っていた騎士たちとは次元が違う。
気づけば、騎士たちの手が止まっていた。
火を出していた騎士も、風を放っていた騎士も、騎士に従事している見習いも、全員がアリアの方を見ている。纏系を使える者がほんの一握りしかいないということを、騎士たちの顔が証明している。それを見習いの少女が涼しい顔で操っている。
ガレスが腕を組んで、少し離れたところからアリアの動きを見守っている。その口元にかすかな笑みが浮かんでいるのは、弟弟子の実力を誇らしく思っているのか、騎士たちの顔が見もので面白いのか、たぶん両方だ。
先頭の騎士が腕を組んで、アリアの動きを見ている。さっきまでの「見習いの頭数合わせ」という空気が、少しずつ変わっていくのがわかる。
「……轟雷星将の部隊、か」
騎士が小さく呟く。その声に、さっきまでとは違う重みがあった。
アリアが聖翼纏を解いて、何事もなかったように木剣を片づける。俺に目を合わせて、かすかに口の端を上げた。
「見せつけたな」
「何のことかしら」
とぼけた顔をしているが、わかってやっている。こいつなりの矜持の示し方だ。
♢
六日目の夜。焚き火を囲んで、ガレスが地図を広げる。
「明後日には南部の前線に着く。炎獄星将の部隊と合流したら、すぐに配置が決まるだろう。それまでに言っておくことがある」
全員が顔を上げる。焚き火の明かりがガレスの顔を照らしていて、いつにもまして真剣な表情が浮かび上がる。
「獣人は魔法を使わない。だが身体能力は人間の比じゃない。腕力、脚力、反応速度、全部が騎士と互角かそれ以上だ。しかも今回の相手は精鋭揃いだと聞いている。正面からぶつかって力で押し切ろうとするな。特にお前だ、ソラ」
「なんで俺だけ名指しなんだ?」
「お前が一番やりそうだからだ」
レオが吹き出す。アリアが無言で頷いている。反論できない。
「連携を忘れるな。一人で英雄になろうとする奴が、戦場で一番先に死ぬ。俺がいる間は俺の指示に従え。それだけ守れば、全員生きて帰れる」
ガレスの目が全員を順番に見る。見習いたちの顔が引き締まっていくのがわかる。この人が言うと、脅しじゃなくて事実として響く。戦場を知っている者の言葉だ。
「ガレス、全員生きて帰る。それは約束する。でも俺は戦場で引くつもりはない!」
ガレスがしばらく俺を見て、ふっと息を吐く。
「……ヴォリト様がお前を送った理由が、よくわかるよ」
それだけ言って、地図を畳む。焚き火の向こうでアリアが膝を抱えて俺を見ていて、何か言いたそうな顔をしている。でも何も言わない。言わなくても、わかっている。
明後日、戦場に立つ。
俺たちの紫紺の外套が、どこまで通用するのか。見習いだと見下されるなら、剣で黙らせる。獣人が騎士と互角だというなら、俺はその上を行く。
焚き火が爆ぜる音だけが、夜の闇に響いていた。




