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『伝説の剣も魔法もなし! 営業カバン片手に異世界営業、仲間は胡散臭い商人と肉食獣人少女!』  作者: じろう


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第30話 空の賢者と産地直送

『帳簿記録:どんなに優れたプレゼン資料も、たった一つの真理には敵わない。すなわち、「顧客の生の声(VoC)」である』



1.「保証する」――VIP顧客との邂逅


『お前が手に持っているそれは……美味あまいか?』


直接脳髄を揺らすような、人知を超えた存在の問いかけ。

 肌を焦がす熱波の代わりに、議場には息が詰まるほどの絶対的な「静寂」が降り下りていた。

 床に押さえつけられたベルンも、記録係の若き研究者も、そして隣に立つライルやミナでさえ、石のように固まって動けない。強大すぎる魔力の重圧プレッシャーが、本能に「動けば死ぬ」と告げているのだ。


だが、俺の胸の奥では、商人としての血が激しく沸き立っていた。

 恐怖よりも、目の前の「気難しい超VIP顧客」に対する商魂が勝る。俺は、ひび割れたクリスタルの奥で渦巻く巨大な『瞳』を見据えたまま、商人袋の持ち手を強く握り直した。

 革の軋む音が、静まり返った空間に小さく響く。

 乾いた唇を舌で舐め、俺は一歩、前へ出た。


「保証する」


俺の声だけが、円卓の並ぶ大空間に真っ直ぐに落ちた。


「今まであんたが食わされてきた、鉛入りの粗悪なジャンクフードとは次元が違う。俺が直接産地へ足を運び、自分の目で確かめて仕入れた、最高純度の特級品だ」


媚びず、怯まず。しかし、最高の敬意を持って。

 俺は一人の商人として、目の前の気難しい超VIP顧客に、極上の商材を提示した。



2.「注入口がある」――現場人間だけが知っていること


クリスタルの明滅が、僅かに速くなる。

 だが、亀裂の入った外殻は分厚く、オイルを注ぐ隙間が見当たらない。


「健二さん!」


静寂を破ったのは、ひきつった声だった。

 見れば、眼鏡の若き研究者が、胸に抱いた本物の黒魔銀を震える手で掲げながら叫んでいた。


「クリスタルの右下……台座の裏側です! そこに、緊急整備用の手動注入口バルブがあります!」


分厚い整備マニュアルの末尾に記載されていながら、デスクに座るだけの上層部は誰も読もうとしない項目。現場で這いつくばり、油と煤にまみれてメンテナンスを行ってきた彼のような人間だけが、その正確な位置と重いバルブの開け方を知っている。


「上等だ。ライル!」

「へっ、人使いの荒い雇い主だぜ!」


ライルが床を蹴り、熱を帯びた台座の裏側へ滑り込む。ギチチチッ、と錆びついた重い金属音が鳴り、蒸気とともに古びたバルブが開かれた。

 俺はすかさず、ドゥラン特製の耐熱ガラス瓶を傾ける。

 星空のように深く澄み切った『純度100%の黒魔銀オイル』が、滑らかな弧を描いて注入口へと吸い込まれていった。


――カァァァァァッ……!


次の瞬間、議場全体が眩い白光に包まれた。

 赤黒く濁っていたクリスタルの亀裂が、内側から溢れ出す清冽な青白い光によって次々と塞がっていく。

 鼻を突く鉛の悪臭と焦げ臭さが嘘のように消え去り、代わりに、深く澄んだ魔力の風が俺たちの頬を撫でた。船体を揺るがしていた異常振動が、ピタリと止まる。



3.「胸焼けが消えていく」――顧客の声(VoC)という武器


ギィィ……。

 重厚な両開き扉が、恐る恐る外側から開かれた。

 顔を覗かせたのは、先ほど我先にと逃げ出していったガリウスたち教授陣と、モーカリ共和国の視察団だ。彼らが警戒しながら議場へ足を踏み入れた、まさにその瞬間だった。


『……ああ。胸焼けが、消えていく』


議場全体を満たす、圧倒的なテレパシー。

 入り口で立ち止まった幹部たちの顔から、一瞬にして血の気が引いた。


『私はずっと、食事が不味かった』

「ひっ……!」


空の賢者が、ぽつりとこぼした不満。それはどんな雷撃よりも恐ろしい響きを持って、教授たちの鼓膜を打った。


『ベルンの持ってくる報告はいつもつまらんし、退屈で少し高度を下げただけで酷く怒られた。私は己の不調を知っていたが……誰も、私の声を聞こうとはしなかった』


静寂の中、入り口で硬直していた教授の一人が、引きつった顔で小声で囁いた。


「……我々が戻ってくるのは、まだ早かったかもしれん」

「それはそう」


ミナが腕を組み、深々と頷く。


俺は何も言わず、ただ黙ってその光景を眺めていた。

 小賢しい言い訳も、教授会の権威も、この場では一切通用しない。なぜなら彼らは今、特等席で「学院の心臓トップからの直接のクレーム」を突きつけられているのだから。



4.「この商人の品だけを食べる」――購買決裁権者の宣告


『ベルン。そしてグランツ商会』


クリスタルが、床に押さえつけられたベルンを冷たく見下ろすように光を瞬かせた。


『私は今後、貴様らが持ってくる不味い泥水を一切受け取らない。……私は、この商人の品だけを食べる』


絶対権力者による、既存ルートの完全な契約破棄。

 俺は間髪入れず、懐から魔導スクリーンの映写機プロジェクターを取り出し、空中に光の図面を展開した。


「現在の供給経路サプライチェーンは、獣人の村からグランツ商会が不当に安く買い叩き、ベルン助教授がさらに水増しをして学院に納品していました。中抜きが二段階も存在しています」


俺は光の図面を指先で弾き、新たな経路ルートへ書き換える。


「俺からの提案はこうです。獣人の村から『アカツキ商会』が適正価格で直接買い取り、そのまま学院長様へ直納する。中抜きが二段階消えるため、学院の仕入れコストは半減。品質は今さっき、学院長様ご自身が身をもって証明された。完全な産地直送ダイレクト・トレードです」


背後で、ライルが鼻で笑う気配がした。


「……懐かしい計算ロジックだ」


俺は振り返らず、ただ短く頷いた。孤児院育ちの元・裏社会のスカウトと、現代日本で泥水をすすってきた元・営業マン。二人の無言の呼吸が、確かな相棒としての信頼を繋いでいる。



5.「モーカリの条件」――外圧という最後の鍵


「素晴らしい……!」


バンッ! と円卓を叩き、立ち上がったのはモーカリ共和国の視察団代表だった。

 彼は興奮に頬を紅潮させ、俺の展開した光の図面を食い入るように見つめている。


「透明性のある取引! 確かな品質保証! そして適正価格の実現! これぞまさに、我が国の党首が提唱する『持続可能な商取引サステナブル・トレード』……我々の出資理念に最高の『シナジー』をもたらす提案だ!」


ピクリ、と。

 俺の頬の筋肉が、無意識に引き攣った。

 サステナブル? シナジー?

 ……なるほど。噂に聞く「異世界転生者の2代目党首」とやらが、生前どんな業種で働いていたのか、手に取るように理解わかってしまった。

 ……コンサルか、あるいはIT系の企画職か。どちらにせよ、合掌。


「……ケンジ、今なんか変な顔したぞ」


不審げに耳打ちしてくるライルに、俺は素早く表情を作って答える。


「気のせいだ」


俺が視線を戻すと同時に、代表はガリウス教授へ向けて高らかに宣言した。


「ガリウス殿! 我々モーカリ共和国は、このアカツキ商会との新ルート契約締結を、次期追加融資の『絶対条件』といたします!」

「……っ!」


最大の金主スポンサーからの決定的な外圧。

 実利派トップのガリウスは、ゆっくりと目を閉じ、そして深く息を吐き出した。


「……見事だ、行商人」


事実上の降伏宣言。

 直後、空中のクリスタルから一筋の光が放たれ、俺の商人袋の革表面に、ジュッと音を立てて『アルカの魔導刻印』が焼き付けられた。

 正式な契約成立の証だ。



6.「図書館の閲覧権と、リアの涙」――商人が本当に求めた対価


「あ、あの……!」


ガリウスの後ろから、コンプライアンスを重んじる理想派の教授たちが、土下座に近い姿勢で俺の前に進み出た。


「学院を救っていただき、本当にありがとうございます! 謝礼はいかほどご用意すれば……金貨ですか? それとも名誉ある称号を……」

「金なら、これからの正当な取引でたっぷり稼がせてもらう」


俺は教授たちの申し出を遮り、入り口の影で心配そうにこちらを覗き込んでいる、小柄な少女を指差した。

 事態を聞きつけて駆けつけてきた、リアだ。


「俺が求める対価は二つ。この学院の図書館にある『すべての古書の閲覧権限』。それから……リアを、その図書館の管理責任者に任命することだ」

「えっ……?」


リアの丸眼鏡が、ずり落ちた。

 『本がかわいそう』。

 以前、埃をかぶった本を見て彼女がぽつりとこぼしたその言葉を、俺が忘れるわけがない。


「な、なんてことを……由緒ある図書館の責任者に、そんな若輩を……」

「嫌なら、次のオイルの納品は半年後になるが?」

「に、任命いたします! 直ちに!」


手のひらを返す教授たち。

 リアは両手で口元を覆い、大きな瞳からポロポロと大粒の涙をこぼした。


「それから、もう一つ」


俺は、俺の隣で呆然と立ち尽くしている眼鏡の若き研究者を振り返った。


「あんた……名前は?」

「え? あ、エリオットです……理想派の、末席研究員で……」

「エリオット。あんたの現場での知識と勇気がなけりゃ、この商談はまとまらなかった」


俺は呆然とするエリオットの肩を叩き、教授陣に向き直る。


「彼のような『現場を知る人間』を、魔導炉の管理責任者に据えること。これが、品質を保証するための絶対条件だ」

「わ、わかりました! 彼を主任に昇格させます!」


エリオットが、信じられないものを見る目で俺と、そして自分の胸に抱いた黒魔銀を交互に見つめていた。



7.「断る」――矜持の宣言と、二つの影


『クククッ……面白い男だ』


クリスタルの瞳が、愉快そうに揺れた。


『どうだ人間。お前を、この私の「特別顧問」に任命してやってもよいぞ?』

「断る」


俺は即答した。


「面倒だからな。俺は商人だ。組織の窮屈な椅子のコレクションには、一切興味がない」


議場の全員が息を呑んで凍りつく中、ひび割れたクリスタルから、空の賢者の笑い声が響き渡った。

 鼓膜を心地よく震わせるその笑い声は、いつまでも静かな議場を満たし続けていた。


――だが、ビジネスにおいて、一つの契約の成立は、次の戦争の始まりに過ぎない。


処理を終え、議場を去る間際。

 すれ違いざまに、実利派トップのガリウスが、俺の耳元で冷たく囁いた。


「商談は見事だったぞ、商人」


首筋を撫でるような、冷徹な殺意。


「……だが。商品を『運べなければ』、その立派な契約書もただの紙切れだ」


ガリウスは足をとめることなく、俺を一瞥することもせず、静かに去っていった。

 俺は商人袋の革表面に残る、焼き付けられたばかりの『アルカの魔導刻印』の熱を手のひらで確かめながら、静まり返った議場を見渡した。

 勝利の熱狂は冷め、次の戦争の足音が、もうそこまで迫っていた。


時を同じくして。

 ノワルマルシュ、グランツ商会支部。

 薄暗い執務室で、策士ヴェルナーはベルン失脚の急報が記された羊皮紙を無造作に暖炉へ放り投げた。


「地方の駒が一つ、盤面から消えただけだ」


ヴェルナーは長い指先で、盤上のポーン(歩兵)のチェス駒をパタリと倒す。

 そして、壁に掛けられた巨大な大陸地図を睨みつけると、羽根ペンを手に取り、獣人の村からアルカ学院へと続く交易路ルートに、太く黒い『×』印を引いた。


「思い上がった素人に教えてやろう。モノを『売る力』より……それを『運ぶロジスティクス』の方が、はるかに強大で無慈悲であるということを」


燃え上がる暖炉の炎が、ヴェルナーの歪んだ笑みを赤黒く照らし出していた。

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