【2】終わらない戦い
『苗字を強制するなんてグローバル化に反することだ』
『苗字のおかげで家柄や社会的地位が固定されてしまう』
『苗字を守ることは暗黒の封建社会を復活させることに等しい』
『犯罪者の家族や子孫が同じ苗字のせいで罰を受けなければいけないのか』
『どれだけ極悪人であっても元を辿れば政府や社会が悪いせいだ』
『外的要因なのに罪を背負うなんておかしいじゃないか』
『支配者はそうやって階層を固定している』
『そこまでして独裁を続けたいのか』
「その独裁者がここにいるのよ」
慈が、ここにいる全員が、軽蔑の指差しの集中に恢復がいた。
無数の書き込みでSNSは大炎上していた。
『こんな奴の小説がデビューするなんて信じられない』
『差別主義は叩き潰さないと』
『もっともっと拡散させて、こいつを社会から追放しよう』
『出版社に苦情のメールを入れました』
『出版社だけじゃだめだ。スポンサーにも報告しないと』
「青年部や婦人部総出で拡散しただけのことはあったわね」
あの違う階層に生きる学生も、あの居酒屋で毎日たむろする老人も、スマホやタブレットでSNSを使ってくれたことが功を奏したと、慈は得意だった。
恢復のことを煽り散らす連中はほかにもいた。
突然見知らぬ番号で着信して、恢復は思わずスマホを取った。
「よう。お前が那賀 恢復か」
その声と喋り方に聞き覚えがあり、恢復は目を見開いた。
「勝浦 壮哉」
「よく解ったな。会ったことはないはずだが」
僕はお前を知っている。
「どうやってこの番号が解ったんだ」
「どうもこうも。ネットでお前の住所や出身高校、家族構成や電話番号まで全部出回ってるよ」
「まさかそこまで」
想像以上の特定班の活躍に恢復は冷や汗をかいた、電話口では平静を装った。
「お前こそ。なろう小説は落ち目なのに、こんな暇なことしてる場合なのか」
「暇じゃないさ。これもプロモーションの一環さ」
「どういうことだ」
なろう小説なんてもう古い。これからはレイシストを倒すヒーローの物語だ。
これなら無条件で女の子にモテても誰も文句は言わないからな。
まずは手短な奴から始末する。
「俺もいるぜ」
「お前は三好 要」
スマホの向こうからのもう一つの声に恢復は驚いた。
「おい要。いまは俺が話しているんだ」
「いいじゃないですか壮哉さん」
「どうして一緒にいるんだ。お前と壮哉は仲違いしたはずだ」
「それを知ってるなんて。俺もネットで特定されたかな」
要は深刻どころか軽く笑い飛ばした。
「どこで聞いたか知らないけど、その情報は古いぞ」
俺も壮哉さんのグループに入れてもらったんだ。レイシスト撲滅小説は奥が深くて、一人じゃカバー仕切れないってね。
「ほかの奴らが真似する前に、大量の新作でこのジャンルを支配するってわけ」
壮哉はそう言って自信たっぷりに笑った。
「那賀 恢復。徹底的に叩いてやる。覚悟しておけよ」
呆然とする恢復だが、すぐに次の着信があった。
嫌な予感がして編集部からの電話に慌てて出る。
しばらくして恢復の声が詰まった。
出版は中止。
「どういうことですか。これは特別な契約だって。スポンサーも納得してるって」
「それとこれとは話が別です。作品ではなくてきみ個人がSNSで炎上したらまずいでしょう」
「苗字の件は差別発言なんかじゃありません」
「きみの見解を聞いていません。スポンサーにどう思われるかが重要なんです」
「そんな勝手な」
「炎上が収まるまで出版は中止です。それじゃ」
まるでダブルスタンダードだと恢復は憤った。非通知の着信が響く。切っても切っても無限に掛かってくる悪意。慈たち嘲笑や両親の嘆きが恢復を逃げ出させていた。
――――――――
街は外国人で溢れていた。作業服に身を包んだ底辺から地位を奪った労働者がいた。それに混じって高級なスーツと車を持つ同じ国の人もいた。
居酒屋では老人たちがジョッキや猪口を手に今日も楽しんでいた。
「政治はプロレスみたいなもんだ」
「本気の戦いのように見せることで熱狂的な観客を作る」
「奴らは自分たちの言動があたかも社会を動かすように錯覚する」
「政権奪取などすぐに叶うわけがない」
「押したり引いたりして、一つづつ目的を達成するものだ」
「外国人を大量に入れられただけでも十分な成果だ」
「マスコミは政府与党を潰そうとしているが、それはパフォーマンスだ」
「放送免許は彼らが握っているからだ」
「そして政府与党の中にも外国から支援を受けている者がいる」
「儂等の議員とどこが違うと言うのか」
「議員は矢面に立つのが仕事だ。もっと働け」
「青年部はどうだ」
「あいつらは愚民を啓蒙したいだけだ」
「今度の惨敗で少しは現実を思い知っただろう」
「年功序列だぞ。SNSとやらを武器にして地べたを這いずり回れよ」
笑いが起こった。
「政治はプロレスだ。本物っぽく見せているが筋書きは決まっている。熱狂した挙句、現実と虚構との区別がつかない奴がいるみたいだがな」
――――――――
怒りに塗れ、恢復はアパートのノブを引きちぎるように開いた。
ここに来る途中、着信を止めたくて思わずスマホを地面に叩きつけていた。割れた画面を畳に放り投げ興奮したままで横になる。生活感のまるでない古びた和室の部屋が、久しぶりの、そして今の唯一の居場所だった。
同じ時間、すぐ隣の部屋には慈がマットレスを隅に追いやった。
襖一枚挟んで二人同時に目をつぶる。
絶対に勝つために。
あいつらに勝たなければ夢が潰えてしまう。
戦いは始まったばかりだ。
――――――――
「なんて速い」
中世のヨーロッパふうの町の中で、ハリボテの家や城や住人を背景に戦っていた。男子のアバターは、連続して確実に狙ってくる矢、鋭い輝きの矢を折れそうな細い剣でどうにか弾いてゆく。女子のアバターは弓に矢をつがえ放ち続けた。
男子は照準を定めようと足を止めた女子に一瞬で詰め寄った。
剣が弓を弾いた。
「ここまでやって、どうして」
驚く女子に切っ先が突き立てられそうになる。
勝ったと思った男子だが、女子は短剣でそれを受け止めた。
鍔迫り合いの二人は長時間の戦いで息を切らせていた。
もう限界だ。
そう感じた瞬間。お互いの体がこのニセモノの中世から消えていた。
――――――――
恢復は汗びっしょりで目を覚ました。
脇には洗っていないマットレス。日焼けした畳から恢復が見渡したのは、物が何もない生活感を逸したアパートの部屋だった。
「何回戦っても決着をつけられない」
あの壮哉の屋敷で一度は両断した女子のアバターだが、こうして再会すると別人のような強さだった。彼女はただの読者や作者ではない。自分と同じような過程であの世界に入り込んでいるのかも知れない。自分と同じように信念を貫き多くの味方をつけたように。
疲れで頭がぼやけ、恢復は無意識のうちに二間続きの襖を開けていた。
向こうからカギが掛かっているはずなのに開いてしまった。
するとそこには同じようにやつれた顔の慈が立っていたのだ。
お互いの存在に二人は声を失った。
(おわり)




