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 伊織が着替えを持って風呂場へ戻った間、美恵子が最低限三人が座れる程度にまで片付けたことで、やっと会話が出来る状況になった。

 ズル休みをした伊織に説教するために来た美恵子は、説教のせの字も話す前にげっそりとした顔を浮かべている。


「わ、綺麗になってる」


 髪をタオルで拭きながら戻ってきた伊織が、部屋の変化に声を上げた。

 テーブル周りの物を一時的に別の場所に移しただけ、けれど何も物が乗っていないテーブルはいつもより広々と感じられた。


「……何があったのか知らんが、無断欠勤は許されんことだ」


 伊織が座るのを待って、難しい顔をした雅史が口を開く。

 長らく大手の会社に勤め、管理職にまで就いた雅史だからこそ、今回息子の起こしたことは許せなかった。

 静かに怒りを燃やす雅史に、伊織は溜息を吐く。


「電話、したよ。ほら」


 自身のスマートフォンで通話履歴を出すとそれを二人に見せる。


「……だが、お前の会社は連絡はきてないって言ってたが」

「熱が三十九度あって休むって連絡したら這ってでも来いって。来ないなら無断欠勤ってことで給料引くってさ」

「なんだそれは……」

「あんた、熱があるの!?」


 履歴を見ても半信半疑だった雅史。伊織の説明を聞くと項垂れるように頭を抱えた。

 逆に息子に熱があると聞いた美恵子は、飛び跳ねるようにして伊織の頭に手を当てるとその熱さに驚いた。


「熱っ! 薬は!? 何か食べたの!?」

「いやさっきまでそこで倒れてたから……朝から何も」

「はぁ!? 何か食べるもの……あんた冷蔵庫何も入ってないじゃない!」

「あ、その下にカップ麺あるよ」


 冷蔵庫の中には何もない代わりに、大量にストックされたカップ麺に美恵子は愕然とした。「こんなものばっか食べてるから体壊すのよ!」と言いつつも、ないものは仕方ない。とりあえず一番野菜が入ってそうなものを選ぶことにしたようだ。

 伊織が食べ終わり、薬を飲むまで待つと、美恵子は口を開いた。


「あんた辞めるって言ったって、次も決まってないのにどうするのよ」

「辞めてから探す。今の所で働いてる間は時間取れないし」

「……俺は辞めるのは反対だ。たった半年で辞めたら次に響くぞ。ただでさえなかなか就職先が見つからないというのに。……俺だって若い頃は沢山苦労してきた。若い内の苦労は買ってでもしろって言葉があってな。そうやって皆成長していくんだ。お前の会社だって、お前に期待して厳しくしてるのかもしれんぞ? 何事も三年。じっと待ってみないか」


 辞める方向で話をする伊織を改めようと諭す雅史。説得はしてみたものの、本当に期待しているなら熱があっても来いとは言わないのではないか、と薄らと感じ取り自分の言葉の矛盾に苦笑している。

 それでも言うのは、管理職から見て「半年」というのが余程ネックになるからなのだが。


「俺も頑張っていきたいって思ってた。けど、気付いちゃってさ。毎日毎日身を粉にして働いて、上司からは不当に扱われて……どれだけ頑張っても報われない。ずっとそれが社会なんだから、会社のためなんだからって我慢してきたけど、もう無理。無理なんだよ……」


 伊織自身ついさっき、倒れる前まで辞めることなど考えてもみなかった。

 一度自覚すればあとは堰を切って溢れるだけ。

 初めて自分達の前でぼろぼろと涙を零す息子に、美恵子は衝撃を受けた。

 目の下にくっきりと隈が出来、やつれた伊織を改めて見ると、気が付けば、納得していない様子の雅史に向かって「いいじゃない」と声を掛けていた。


「お前は分からんだろうが、短期で辞めたってことは後々響いてくるものなんだ。そんな軽々しく認めてどうする!」

「軽々しくなんかないわよ! 見てよ伊織の顔を。あなたはこんなにやつれた息子を放っておけって言うの!? 伊織は前の会社だって辞めたいって言ったことなかったじゃない。確かに大企業には難しくなるだろうけど、仕事なんていくつもあるの! ここで人生潰してしまうくらいなら、少しでもこの子が生きやすい場所に行くのを応援するのが親なんじゃないの!?」


 次第に夫婦喧嘩に発展していく二人。

 止めようと開いた口から激しく咳が出て、結果的に伊織は喧嘩を止めることに成功した。


「……ゴホッ。俺も親父が言うことも分かるんだよ。けど、誰かを悲しませるための仕事をするのはもう嫌だ。親父は、もし俺が捕まったら……」

「ちょっと待て。何の話をしているんだ!?」


 ただの小売業としか聞いていなかった雅史が伊織の話を聞いて愕然とする。

 そんな会社ならば辞めて正解なんじゃないか、と雅史が納得したところでこの話は終わりとなった。


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