第4話:サキガケ堂結束! 彬子の決意
小豆畑は眉間に深い皺を寄せ、永露は唇を尖らせ、久多良木は拳を固めている。
日本松はやるせない表情を浮かべ、ひっそり泣く彬子を見ていた。
「二度と、会えないと思っていました…」
話し終えた彬子は、手の甲で目元を押さえ涙をそっと拭う。
「あれからもう8年も経ったのね。――こんなに大きくなって」
直秀を優しく抱き寄せた。
(別れたときは、まだ赤ちゃんだったのに。逢引き宿で感じた懐かしい感触は、直秀だったからなのね)
愛おしむ様に、何度も頭に頬ずりする。
「あ……」
突然、黙っていた直秀が、とろんとした目をして声を発した。
「直秀!?」
驚いて顔を覗き込み、彬子は思わず大声を出す。
「ねむい…」
ぽつりとそう呟くと、彬子の膝に倒れ込んで寝てしまった。
室内がシンッと静まり返る。
「ぷっ」
永露が「あはははっ」と腹を抱えて笑い出した。
つられて久多良木も肩を震わせる。日本松はニヤリと笑った。
「ははっ、もう晩飯時だな。今日はお開きにするか」
「そうですね」
小豆畑がカーテンを開けると、空はすでに夕闇に染まっていた。
「その子は彬子の部屋で寝かせといてやれ」
「はい」
「どれ、今日は出前で牛鍋を奢ってやろう」
日本松の粋な言葉に、
「やったー!!」
「牛鍋!」
永露と久多良木が、両腕を挙げて大喜びした。
「私は妻子が待っているので帰ります」
小豆畑は眼鏡をクイッと押し上げて、軽く会釈した。
「おう、また明日よろしくな」
「はい。お先に失礼します」
「おつかれ~」
* * *
喧騒は静まり返り、ガス灯の明かりが闇の中に浮かび上がっている。
ビルの屋上で夜風にあたり、薄く濁った空を見上げて彬子は小さく息をつく。
「私の直秀……ああ、夢みたい。会えたなんて。とんでもない場所でだったけど。――こんな偶然ってあるものなのね」
最愛の息子と離されて8年。母だった余韻を引きずりながら、独立した職業婦人として生きてきた。
(もう一度、直秀の母に戻れるかしら…)
「なおちゃんの傍にいてあげなくていいの? あきちゃん」
「春になったとはいえ、まだ冷えるよ外は」
永露と久多良木が、寒そうに腕をさすりながら上がってきた。
「伊久磨くん、美桜さん」
小さく微笑みながら、2人を振り向く。
3人は暫し黙して、夜の街を見つめた。
「おいらがサキガケ堂に入社したのは3年前だけど、あきちゃんは先輩なのに、ドジでおっちょこちょい」
「まあ、そんなことないわよ!?」
からかい口調で永露に言われて、彬子は反射的に否定する。
「でも、今を生きる職業婦人! って感じでさ。――世間知らずっぷりもあったしね」
彬子は情けない顔で、口をへの字に曲げた。
「でも今は、母親の顔をしてる。あきちゃんのそんな顔、おいら初めて見た」
「あたしもそうさ。凄く良いよ」
久多良木も頷きながら言う。
「母…そう」
頬に片手を添え、彬子は照れくさそうに顔をほころばせた。
「ねえ、あきちゃんは元亭主のこと、どう思ってるの?」
「どう…って?」
唐突に話題を変えられ、彬子は返答に窮す。
「虚偽で家を追い出されて、なおちゃんとも離されて。憎いでしょ、復讐したい?」
「あたしだったら、一物を握り潰してあげるよ!」
久多良木は白い拳を、ギュッと鷲掴むように握る。
「……追い出されたときは、憎いという感情はなかったんです。直秀にもう会えない、そう思って絶望感しかなくって」
乳房が張るたびに、直秀を思って涙に暮れていた。林太郎への気持ちよりも、大きく勝っていた
「そうですね……、何故あんなことをしたのか、その理由は知りたいです」
「理由かあ」
腕を組んで、永露は空を見上げる。
「浮気してたんじゃない? 仕事ばかりで家空けてたんでしょ」
「う、浮気ですか!?」
久多良木の指摘に、永露は大きく頷く。
彬子の顔が戸惑いの色を濃くしていった。
「跡継ぎを作るとき以外は、そういえば、あまり家にいませんでした…」
当時の記憶が蘇り、彬子は眩暈に襲われる。
「でも証拠が…」
「調べればいいじゃん。おいらたち、浮気調査員だよ!」
グッと拳を握る永露に、彬子は困惑の表情を向ける。
「それに、子供のこともどうするよ」
「社長」
袖の中で腕を組み、着流し姿の日本松が参戦してきた。
彬子はガス灯の光に、迷うような視線を止める。
(林太郎が浮気してたかどうかよりも、そう、直秀のことだわ)
8歳の子供が、何故逢引き宿に居たのか。
キャメラ子で撮った直秀の記録では、明らかに『あれ』を示唆する様子が映っていた。
(一体直秀に何をさせているのか。直秀の様子、普通じゃないわ。それに、おじい様は知っているのかしら?)
「悩むよりまずは、確かめなきゃ」
硬く引き締めた顔をあげると、彬子は3人に身体を向けた。
「明日、林太郎に会いに行ってきます。そして…」
躊躇うように少し言い淀む。
「どうか、力を貸してください、私と直秀に。お願いします」
深く頭を下げた。
一人で太刀打ちできる相手じゃない。仲間たちの力が必要だ。
「あたりめぇだろ。はなっからそのつもりよ」
日本松が凄みのある笑みで了承した。
「任せて、あきちゃん!」
「やる気が湧いてきたよ!!」
笑顔の永露と、指をポキポキ鳴らす久多良木も了承した。
「おおっと、忘れるとこだった。小豆畑から『自分をはぶったら説教です』だとよ」
「小豆畑さん」
彬子の顔に明るい笑みが広がる。
家庭を持つ小豆畑だけは、持ち家から通っている。
この場に居なくても、全てお見通しのようだ。
(あの日から8年、直秀に会えたことは、きっと神仏のお導きかもしれない)
なす術もなかったあの頃とは違う。
今は頼もしい仲間のいる、サキガケ堂の社員の1人なのだ。
「直秀の為にも、林太郎と向き合わなければ!」
彬子は決意を固めた視線を、鈍く光る星空に向けた。
* * *
「それじゃあ美桜さん、直秀のことをよろしくお願いします」
「しっかり見ておくよ」
仕事着でもある深紅のバッスルドレスに身を包んだ彬子は、お揃いのファシネーターをかぶった。今日は前スカートを下ろしている。
簡素な椅子に座った直秀の前に、彬子は膝をついて視線を合わせた。
「直秀、お母さん出かけてくるわ。美桜さんと一緒に待っていてね」
「……」
ぼうっとしながらも、直秀は小さく頷いた。
「良い子。帰ったら沢山お話をしましょう」
彬子は直秀を抱き寄せ、背中を優しく撫でた。
「いってきます」
事務所に顔を出したところに、中に居た日本松に呼び止められた。
「なんですか?」
「護衛を呼んでおいた」
日本松が衝立の奥に声をかけると、
「よっ、じゃじゃ馬」
「斎部刑事!」
彬子は目を大きく開けて驚いた。




