最終話:キャメラ子は私の相棒
「お前は林太郎を婿として受け入れていた。真摯に向き合おうと努力もしていた。しかし林太郎は、お前や私を毛嫌いしていた。華族という存在そのものを嫌悪しておった」
色素の薄いあの目は、その感情を露骨に浮かべ、隠そうともしていなかった。
「幸いお前は直秀を産んで、跡継ぎ問題も解決した。それなら、林太郎と傷つけあう前に、お前だけでも広い世界へ逃してやりたい。困難はあるだろうが、灯紫喜という狭い世界に捕らわれず、可能性に生きてほしかった」
克重の言葉に、様々な思いが胸を過り、彬子の心中を複雑にした。
「……おじい様は勝手ですわね」
「なんと」
「この国は、男尊女卑の精神が根付いています。女が1人で生きていくのは大変なことです。私は運よく社長に拾っていただきました。社長の庇護のもと、どうにか自分の足で、かろうじて立っているんです」
社長と小豆畑、そして永露と久多良木。みんなで支え合って立っている。1人だけの力は無力に等しい。社会はそこまで甘くはないことを学んだ。
「広い世界で生きる、そのお考えは素敵なものだと思います。ですが、林太郎と夫婦としてお互いの心を理解し合い、足りない部分は補い合い、率直に意見や気持ちを言い合える、そんな風に生きる道もありました」
「……そうさな」
「直秀の成長を見守りながら、夫婦で歩み寄っていく生き方をしたかった。これは、私の本音です」
彬子の顔に、苦いものが広がる。
「もう過ぎたことですし、林太郎とは叶いません。ですが、直秀の成長を見守っていくことは出来ます」
自分を母として受け入れてくれた直秀。
もう二度と、母親であることを放棄しない。
「私がこの家に戻ることを、許していただけますか? 直秀の母として、共に暮らすことを認めていただけますか?」
真っ直ぐな彬子の黒い瞳を見て、克重は相好を崩した。
「もちろんだとも。先のない私に代わり、この家と直秀を支えてやっておくれ」
「ありがとうございます、おじい様」
* * *
「おーおー、出てる出てる、日本橋の大活躍劇が」
「まじでー、どれどれ」
久多良木が広げた新聞を、永露が覗き込んだ。
「布留川財閥の日本橋倉庫、屋敷は付け火で大きな被害を受け……ってあれぇ、おいらたちのことは? 『建御雷神』にも触れてないよこの新聞」
ペシッと紙面を叩き、永露は口を尖らせる。
「恐らく斎部刑事が圧力をかけたんでしょう」
自分の持つ新聞に目を走らせながら、小豆畑が答える。
「ただの刑事にそんなことできるの?」
「斎部刑事は警視総監の御子息です。斎部男爵家一族は司法界のトップに首を揃えた華族、その発言権たるや…」
「うわっ、そんな偉い人の関係者だったの……あの人」
永露、小豆畑、久多良木の3人は、揃って深々とため息をつく。
「つまり、昨日の我々の大活躍劇は、斎部刑事の特大の恩情の元、胸に仕舞ってくれたのでしょう」
「そっかあ。じゃあ、今度何か奢ってあげないとだね~」
サキガケ堂の2階事務所で3人が談笑していると、
「おはようございます、皆さんご無事で何よりでした」
「あきちゃん!」
「あんたこそ無事だったのかい!?」
永露と久多良木が駆けてきて、彬子の肩を掴んで揺さぶった。
「デパート前に行けなくてすみませんでした。色々あって、集合にはとても間に合いそうもなかったもので」
「大丈夫ですよ。大体の説明は、社長から伺っています」
「おいら知らない」
「あたしも聞いてない」
「わ、私からお話ししますっ」
彬子は灯紫喜の本宅での出来事を語り、そして、夕べ遅くに斎部刑事からもたらされた、林太郎の顛末についても話した。
「なおちゃんの力で変わっちゃった林太郎は、そのままお縄にされちゃったの?」
「ええ。牢獄の中で娼婦の名を叫びながら、少しも寝ようとしないそうなの。見かねて医師が注射をして、無理矢理眠らせたみたい」
心底疲れ切った様子で斎部刑事は話してくれた。
彬子的には何ともいえない気分である。
「あのままだと勾留し続けるのは難しいから、数日後に釈放されて、病院へ送ると言っていたわ」
「『虚実綴り』って怖い力だね…」
両腕を抱きしめ、永露は身を震わせた。
「直秀にお願いして、もう少しマシな状態にしてもらうつもりなの」
「えー、どうして?」
「布留川のお義父様が、とてもショックを受けられてしまっていて。手元に引き取りたいって、歎願していらっしゃるわ」
「甘くない? あきちゃん」
「直秀にも同じことを言われちゃったわ。でも、お義父様はとても良い方なの。林太郎とは離縁してしまったけど、直秀の為にも、今後も援助を惜しまないって言って下さって。だからと言っては何だけど、ね」
「そっかあ」
不承不承納得するように、永露は頭の後ろで手を組んだ。
「ねえ彬子、あんたどうするんだい? 灯紫喜の家に戻れるんなら、もうここで働く必要はないだろ?」
不安そうな久多良木の言葉に、永露と小豆畑も彬子を見つめる。
3人の顔を見て、彬子はクスッと笑う。
「あら、働かざる者食うべからず。働いてお給金をいただかないと、生活が成り立たないのよ。私が働かないと、直秀を食べさせていけないわ」
それに、とキャメラ子を顔の横につける。
「私が現場へ向かわないと、証拠を抑えられないのよ。キャメラ子は私の相棒なんですからね」
いたずらっ子のような顔を浮かべる彬子に、永露と久多良木は快哉を叫び喜んだ。
「では、新しい依頼を早速こなしていただきましょうか」
黒縁眼鏡をクイッと押し上げ、小豆畑が一枚の書面をビシっと示した。
「迅速に現場と証拠を抑えてきてください。依頼は山積みですから」
「はい!」
3人の元気な声が、事務所に明るく響き渡った。




